2000/2/8 第73号

メディア時評(2)

卑劣なフォーカスの法廷イラスト

  新潮社、取締役個人の責任を追及

 

昨年十二月、刑事法廷内の被告人の姿をイラストにして掲載した写真週刊誌フォーカスが名誉毀損で訴えられた。異例の事件だ。写真週刊誌が、掲載した法廷イラストを問題として訴訟を提起されるという前代未聞の事件であるうえ、法的には、フォーカスを発行する株式会社新潮社の取締役の個人責任まで追及されている。今回の話題は、前回のこの欄(六九号)で紹介した、フォーカスが刑事法廷内での姿を無断で写真撮影した件の続きだ。

 

フォーカスの問題の記事

 前回紹介した法廷内写真を掲載したことが訴えられたことをうけて、フォーカス一九九九年八月二五日号は、刑事訴訟規則で写真が禁止されているというのなら、似顔絵ならどうかとして、その被告人の似顔絵を掲載した。写真ほどではないにせよ、本人であることが一目で分かり、克明に表情を描写した似顔絵だった。見出しには《「肖像権」で本誌を訴えた「〇〇□□」(原文は実名)殿へー絵ならどうする》と書かれ、本文は、原告にあてた手紙の形式をとっている。《では、こんな趣向は如何でしょう。貴女の公判を毎回傍聴している方にお願いして、実際の法廷内での立ち居振る舞いをじっくりと回想し、イラストで再現して頂きました。絵ですから、・・・どうしてどうして、写真に負けず劣らず、リアリティに溢れているのではないですか。新聞やTVでお馴染みの「法廷瞬間スケッチ」では分からない表情の豊かさ。お気に召しましたか。》などをはじめとする被告人を揶揄した内容の挑戦的な文章で埋め尽くされている。大手出版社が、訴訟を起こされたことに対して、自社のメディアを使って、人を人格的に非難ないし揶揄する実力行使であり、報復的行為といわなければならない。きわめて卑劣だ。

 

実質的には写真と変わりない

 法廷内での写真撮影が刑事訴訟規則で禁じられていることは前回述べたとおりだ。そもそも、刑事訴訟規則が、法廷内の写真撮影を禁じている趣旨は、被疑者、被告人が法廷内でみだりに写真撮影され、その容姿を公開されるなどの不当な行為により、その人格的利益が損なわれることを防止するとともに、不当な心理的圧迫が加えられ、訴訟の審理に支障をきたすことのないようにするための配慮である。詳細な似顔絵を描くことは、心理的圧迫を訴訟関係者に与え、その人格に対する不当な干渉行為をしている点で写真撮影と大差ない。多数の他人がいる前に座らされ、じろじろ見られるだけでなく、自分の姿が描かれているというシーンを想像してみるといい。逃げ出すことはできない。本来、真剣勝負で審理に集中しなければならないのに、そのような行為をされることの理不尽さを理解できないだろうか。そのうえ、本件記事は、イラストなら安全だろうと決め込んだうえ、事件の本筋とは無縁の被告人を揶揄する記述に終始したもので、およそ報道や言論と呼べるものではない。

 先に写真掲載の件で提訴した被告人が、この記事をめぐってさらに新潮社とその取締役の個人責任を追及するための民事訴訟を提起したのだ。

 

イラストによる人格権侵害

 さて、法廷イラストそのものだけに着目すると、法的には、それが肖像権侵害になるのか、どんな法的権利を侵害しているといえるのか、というこれまでほとんど議論にならなかったことが論点となる。かなり難しい議論が予想される。とはいえ、写真技術が発達したことをきっかけとして、個人の人格を尊重するという理念から肖像権という新たな権利が観念されるようになった。ならば、法廷のイラストが個人の人格を踏みにじるという看過しがたい現象が横行するようになれば、そこに法的保護の法理が発見されてしかるべきだ。もっとも、原告は、イラストとともに、先に紹介した記事の見出し・本文をあわせて、名誉毀損であるとの法的構成をとっているので、法廷イラストそれ自体の法的意味が判決で示されるか否かは今のところ不明だ。今後の審理の成り行きを注目しよう。

 

取締役の個人責任

 本件は、もうひとつ、記事に関して、出版社の取締役の個人責任が追及されている。経営側と編集者側との関係に大きな影響を与えかねない重大な問題が提起されたのだ。次回に分析してみたい。(木村哲也)

 

二次被害で傷つけられる犯罪被害者の家族

昨年十二月に読売テレビで放映された「癒しへの道しるべ —犯罪被害者を守るものとは」を見た。いずれも愛する家族を犯罪によって失った親たち三組が紹介され、被害者に対するケア体制が全くないため、事件の事実関係が一切知らされないことや、報道取材などの二次被害でどれほど傷つけられているかなどを、ドキュメントで描いていた。

 九七年三月、神戸市須磨区での連続殺傷事件で少年に路上でハンマーで殴られ死亡したとされる十歳少女の母親は、霊安室の窓から見えた無数のカメラの光景が目に焼き付いている。以来、写真を写す時にカメラのレンズを見るだけで、身構えてしまうという。「もう、そっとしておいて」という叫びから、半分ノイローゼ状態になった。

 九六年十一月、少年による集団暴行事件で十六歳長男を失った大阪の夫婦は、「死んでしまった子やその遺族には、人権はないのか」「せめて加害少年並みの権利を」と訴える。被害者と一緒にいた友人が、無防備な被害者が一方的な暴行で死亡したと証言しているのに、事件翌日の新聞を見て両親は愕然とした。「文化祭でけんか」というような見出しが踊り、まるで被害者側がけんかの一方の当事者と位置付けられていたのだ。事件の真相を知りたくて、警察に行くと、「家庭裁判所に聞いてくれ」。裁判所に行くと「少年事件は秘密でやることになっているから、教えられない」。遺族は、事実を知り得ないだけでなく、心情を聞いてもらう場すらないのだ。ようやく、少年の供述調書を手に入れたのは、損害賠償訴訟を起こして、その過程でやっとだった。「お金が欲しくて裁判を起こしたんじゃない。でも、お金の事で裁判を起こさないと、事実をしりえない」と訴える。

 オウムによる犯行として刑事裁判が行われている坂本弁護士一家殺害事件。坂本弁護士の妻の父親は「被疑者は、幾重にも守られているのに、被害者や遺族は丸裸だ」と言う。また事件では、玄関のカギがかかっていなかった、とされているため、まるで娘にも落ち度があったかのような印象を持たれている。現に神奈川県警の捜査員は「カギがかかっていたら、こんな事にはならなかった」という発言までしている。このような事から、裁判でどのような事実認定がされ、事件の真相はどうなのか、という事が残された遺族の心情に大きく影響するのだが、被害者側が知るすべは少ない。裁判が公開されているとはいえ、やりとりの大半は書面で行われるからだ。検察と被告弁護人との間で進められる裁判に、被害者側の入る隙間はなく、裁判・捜査書類は一切見る事はできない。

 番組は、「昨年一年間に犯罪に巻き込まれた人一七六万八二00人、死亡した人一三五〇人」というテロップで終わっている。誰もがいつでも犯罪に巻き込まれる恐れを抱いており、しかも万が一被害に遭ってもケアするシステムがほとんどなく、むしろ社会的な閉塞性や報道取材によって二次被害が延々と続く日本の現状が訴えられている。

 そして番組では、米国の実情と対比した。八四年に犯罪被害者法が成立した米国では、さまざまなケアシステムが整備されている。コロラドの高校で九九年、少年二人が銃を乱射し、十三人が死亡した事件でも現場に多くのボランティアが駆けつけ、遺族らの心のケアに努めた。その際の大統領の演説に象徴されたように、「分かち合いの心」がいかに大切か、を訴えていた。

 

先進的な米国の被害者救済システム

 アムネスティインターナショナル大阪事務所で昨年夏、「犯罪被害者への救済 アメリカの犯罪被害者センターの取り組みから」とのテーマで勉強会が開かれた。その内容が今回の番組と重なるので、ここでご紹介したい。米国には、犯罪被害にあった被害者を物理的、心理的にケアするNPO(非営利団体)が、約二八00か所に七000機関以上ある。民間団体であるとはいっても、裁判所や検察庁内に事務所を設けているものが多く、その権限、発言力は大きい。

 アムネスティでの講師は、そのうちの一つ、フィラデルフィア近くのセンター(一九七三年設立)で一年間、研修を受けた大阪市立大大学院の新恵理さんで、同センターでの体験をもとに、実情を語ってくれた。同センターには二四時間態勢のホットラインが設けられていて、被害者だけでなく警察、病院などからも被害発生の連絡が寄せられ、当番のスタッフ、ボランティアが面会に急行する。彼らには、さまざまな分野の専門家が含まれ、心理学、ソーシャルワークなどを専攻していることが条件となる。

 初期のサービスとしては、救急病院への付き添い▽警察への付き添い(事情聴取にも同席し、捜査員から不適切な言葉が出ると抗議する)▽家庭内暴力や強盗などからの二次被害を防御するシェルター(逃げ部屋)の紹介−などが行われる。

 それに続くサービスとして犯罪被害者補償制度の紹介▽被疑者に対する判決前に被害者自身の発言を法廷でできる陳述の権利の紹介▽被疑者の逮捕、裁判に関する情報提供▽被疑者の保釈、釈放、逃亡に関する迅速な情報通知など。最後の二つは、被疑者による被害者へのいわゆる"お礼参り"を防ぐ目的としても非常に重要になっているという。性的暴行事件では、レイプ七二時間以内に服用すれば効くアフターピル(但し、副作用が強い)を病院で処方してもらえるよう手配したり、産むけれども育てない権利(養子縁組制度の充実している米国なればこそ)を告知したりもする。

 このほかにも、英語を母国語としない人へのバイリンガルサービス▽カウンセリング▽「遺族の会」運営や慰霊セレモニーの開催▽クライアントの半分近くを占める子どもに重点を置いたサービス▽警察や病院に対する研修など多方面の活動が行われている。

 新さんによれば、これらのサービスがすべて無料ということが重要。財源の七十%が被疑者への罰金、追徴金によって賄われ、そのほか寄付や資金集めイベントなどによって遣り繰りされている。

 最後の質疑で私は、報道被害に対してはどのように対処しているのか質問。回答は意外にも、「私の体験した中では、マスコミ被害がセンターの対象になることは、ほとんどなかった」だった。但し、新さんによれば、米国では、土足で踏みにじるような取材をしたり、プライバシーを侵害するような報道をすれば、すぐに裁判に訴えられるので、もともとメディア側も自重しているという背景もあるようだ。不当報道に対して泣き寝入りを強いられるのが大半で、裁判で万が一勝訴してもスズメの涙ほどの賠償金しか得られず、メディア側には痛くもかゆくもないような日本とは、根本的に事情が異なっているようだ。一方で、米国最大の犯罪被害者センター「NOVA」には、マスコミ対策のプログラムや過剰報道から守るようなシステムも整備されているという。

(小和田 侃)


 鮮風1

○ 2000年3月20日、第9回「ふれあい芦屋マダン」を開催すべく、一年で一番寒いこの時期に実行委員会がもたれています。第9回となっていますが、95年の震災の春に涙をのんで中止にしたので、実は10周年です。私も第3回からしごく不真面目ですが、参加させていただいています。きっかけは兵庫県立武庫高校での“いきいきハイスクール”でチャンゴの楽しみを教えていただいたことでした。在日外国人の子どもたちの教育環境を愁う教員や保護者を中心に“子どもたちのために”と始まった「ふれあい芦屋マダン」はその願いを綿々と伝えつづけている事が魅力です。それに加えて、ここの『マダン』では様々な人々との出会いがあります。第4回の実行委員たちの声をあつめたビデオ「それぞれのマダン」のなかであるオモニが「ここのマダンでは、ふだん出会えないいろんな人たちとあえるのがいい」とおっしゃっています。まさにその通り。

○ またこの時期には、この数年の内に病を得てなくなられた方たちを思い出します。「子どもたちのことだったら」といつも何を置いても参加なさったミジャさん。子育て真っ盛りのうえに、教員という激務にもかかわらず、いつもきちっと下支えなさっていたまさこさん。もう少し、末長くお付き合いしたかったです。それでも子育ての仲間や昔馴染みの同級生が実行委員として一生懸命頑張っていると、私も勇気がわきます。大好きな“地元のおまつり”として愛着を感じています。

○ 生野民族祭り、東九条マダン、長田マダン、尼崎民族祭り、伊丹マダン、箕面セッパラム、播磨マダン、フェスタジュニーナ、…私が知っている限りの在日外国人が主役のおまつりです。もしもご近所でみかけたら足を運んでみませんか?意外に身近なところで多文化を感じることでしょう。ちなみに「ふれあい芦屋マダン」は市立精道小学校で行なわれます。(若)


鮮風2

 京都の小学生殺人事件の被疑者が自殺した。彼はもう裁判を受けることができないが、メディアからすでに犯人扱いされている。メディアはこぞって当局の失態を批判した。しかし、彼を自殺に追いやったのは当局の捜査ミスだけなのか。この事件の報道には問題がなかったのか。なぜこのようなことを言うのかというと、関西の会に地域住民から相談のメールが来たからである。要約すると地域住民は真犯人だけでなく報道におびえていたのである。

 その理由は小学校で白昼児童が何者かに殺された。このような地域外の大人でさえ衝撃的に感じるのに、まさにその小学校の子供達が恐怖をかみ殺して当局の捜査に協力することはどれだけ精神的なショックを受けるだろうか。にもかかわらずメディアはこぞってショックから癒えていない子供達に対して傷口を広げるような報道合戦を地域に繰り広げた。震災で心が癒されていない子供の報道には慎重で、今回の事件で心が癒されていない子供にはなぜメディアは無頓着なのか。住民はほとほと疲れ果てて、隠し撮りや配慮のない取材におびえて親同伴でも公園で遊ぶことが出来なかったのである。それゆえ、私個人はメディア各社の「犯人におびえてひとけのない公園云々」は誤報であると考える。

 話を元に戻すと、被疑者もその当局の捜査、メディアの取材を目にし耳にしたであろう。彼も地域住民としてメディアに恐怖を感じていなかったのだろうか。メディアの報道は甲山や松本サリンの反省は全くないため、彼が真犯人であっても冤罪であっても、恐怖を感じるには十分ではないだろうか。自殺した彼は裁判でもう証言することはできない。彼が恐れたのは捜査当局だけだったのか今ではもう分からない。(秋好 浩)


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