お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

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「転向」の解説(1) 私の原子力思想 (10/7)





ある先生が、「結果について責任を持たなければならない政治家もしくは実践家の「転向」と、認識に責任を持つ科学者のばあいはわけて考えなければならない」こと、「政治家もしくは実践家であろうと、科学者であろうと、なぜ、どのように「転向」したのか、そして、その「転向」を踏まえて、自分の今日が如何にあるのか、この点には十分な吟味が必要であり、これを行うことが知的誠実さだろう」とご指摘されました。




原発事故以来、私は「原発推進派」から「原発反対派」に「転向」したのではないか、従って武田の言うことは当てにならないとの批判を受けてきました。それに対して、「科学者にとって転向は道徳的悪でも学問的不適切でもない。それに私は転向していない」とし、かつ「転向を弁明するのは潔くない」としてこれまで黙っていました。





しかし、私は「知的誠実さ」に欠けていたようです。ここでそれを反省し、私の「転向」について、1)何を転向したのか、2)自分の今日は何か、について吟味を加えたいと思います。今のところ、まだ価値観と思想の区別が明確になっていないので、時々混乱しています。





・・・・・・・・・ここからは音声です・・・・・・




1)「安全な原発」と「非核武装」が私の価値観(思想)


2)原発が不安全になって行くときの科学者の身の置き所、



3)原発に関する著述の変化




4)被曝の限度に関する変遷


(平成24年10月7日)



--------ここから音声内容--------




私の原子力思想についてちょっとお話をしたいんですが、実はあの、今から、そうですね大体3、4年前までは原子力を推進しようと思ってたんですよね。これはいつも言ってるんで・・・そうなんですね。ところが段々なんか怪しいなと思って、やや反対側になってですね、福島の原発の事故見て、「やっぱりこれはダメだった」っていうことで、原発反対派に変わりました。そういう風にもう“転向”したわけですね。これを「転向」と言う人がいるんですよ。ええ、まぁ「転向」と言うんでしょうかね、こういうのを?私は違うと思うんですけどね。








で、これについて私は何か言い訳するのがヤなもんだから、今まで言い訳しなかったんですが、ある先生からですね、「結果について責任を持たなければならない政治家もしくは実践家の転向と、認識に責任を持つ科学者の場合は分けて考えなきゃいけない」ということと・・・なるほど!と思いましたね。「政治家もしくは実践家であろうと科学家であろうと、何故、どのように転向したのか、そしてその転向を踏まえて、現在の今日の自分がどういうものであるのか、このことを十分に吟味し説明するということが知的誠実であろう」という風に言われまして、(おお、そうか!)と、(私は誠実さにちょっと欠けたな)と・・・ま、これブログに載せる載せない、別ですよ。自分でじっくり考えなきゃいけないという風に思ったわけですね。そこで、それを書きました。






私はですね、原発事故以来、原発推進派から原発反対派に転向したという風に言われる事があります。この前もある人からこっぴどくやられましたね。「武田のいうことは当てになんねぇんだ」と。「何故かったら、コロコロ変わるんだ」とか言われましてね。いや、まぁそこでは反論しませんでしたよ。「まぁ、そうですね」と言っときましたけども。





これに対してですね、私はですね、科学者にとってたとえ転向があっても、別にそれは道徳的に悪いとか、学問的に不適切とかないわけですね。科学つうのは難しくて、人知の及ばざるところがありますから、まぁ転向しても良いんですが、私は転向しないと思ってるんですね。それから転向を弁明すんのが潔くないと思ってたんですが、やっぱり弁明しないと知的誠実さに欠けるんじゃないかと思いましてですね、ここに“弁明”を試みます。しかし弁明という言葉使いたくなかったんで、“「転向」の解説”という表題を付けました。





ええとですね、まずですね、私はですね・・・何を転向したのか?今日の自分は何か?ということを吟味したいと思います。私はですね、まだ価値観というものと思想というものの区別が明確に自分の頭の中でないので、括弧して「価値観」とか「思想」とか書くことにします。





まずですね、私の原子力に対する価値観はですね、安全な原発であるってことと、核武装に使わないってことですね。これは私の実績が言っております。私が日本原子力学会特賞というものを、まぁ個人で初めて頂いたわけですが、それは原子力平和利用賞であります。「原子力が核兵器に使えない原子力をやった」と、こういうことなんですね。だから私は核武装は反対、これはもう前からやるべきではないっていう考えですね。






私の基本的な技術観は、世の中に幸福をもたらす・・・ま、この“幸福”もまた難しくて、これがまぁ、この前「楽」と書いたんですが、「楽」も問題だなってことで何とも言えないんですけども、まぁ幸福をもたらすものじゃなくちゃいけない。だから、「核兵器はダメだ」っていうのが私の考えですから、これはもう統一してるんですね。問題は、「安全な原発」なんですね。





私は昔は安全な原発があり得ると思ってたんですよ、実は。飛行機にしてもですね、新幹線にしても危険はあるんですが、安全であれば使えるんですね。で、使うかどうかは社会が決めるわけですから、我々技術者は「安全な原発を目指すんだ!」っていう気持ちが強かったんですね。で、安全な原発できると思ってました。っていうのはですね、軽水炉の場合は暴走が起こりそうになったら、負のボイド効果っていうんで防いでくれますし、まぁちょっと怪しげなんですがホウ素も制御棒も入れることができると。それから、まぁあの冷やす方もですね、今はまぁ電源が地下なんかにあるんですけども、まぁ十分に備えれば大丈夫かな、と。そいから周りを軍隊が囲えばですね、大丈夫だろうな、と。こういう風に実は思っていたんですよ。







ところが、私、原子力辞めてからしばらく経ちましてね、原子力の安全関係の委員なんかになって、そこでの審査を聞きますともう無茶苦茶なんですよね。ええもうね、「安全だ」と言うんですよ。それこそ私が話してるように、自衛隊の北部方面司令官が泊原発の事故に対して、「北海道の自衛隊は非常訓練をしてきたよ」つったら、「そんなことしたら判っちゃうじゃないか」と、「原発が危ないということが判っちゃうじゃないか」と、こんな感じですね。







私も実は原子力の施設をやって、まぁそういうこと言われたわけですよ。だから、段々段々信用ができなくなってきて、つまり、「安全な原発」つうのが存在できなくなってきたんですね。その意味で、私は「転向してない」つって、これは強弁だと、もしくは詭弁だと言われるかもしれませんが、私としては強弁でも詭弁でもないんですね。私は安全な原発だったらば、今でも賛成なんです。これはもう講演とか公に言ってますからね。だけど、「危険な原発は反対だ」と言ってるんですね。







私の行動はですね、ここ10年ぐらいですね、反対派の集会にも行ったんですよ。そいから原子力委員会の専門委員だったりなんかしたんですね。つまり、推進派にも反対派にも行ってるんです。私はね、原子力の内部にいて、「安全な原発を造りたい!」、そっちの方に向けたいと思ってたんですね。









あの、原発の外にいてですね、反対運動されてる人も立派かもしれませんが、私はですね、実は安全な原発はあり得ると思ってたもんですから・・・えー、今でもそう思ってます。福島の原発が爆発してもですね、安全な原発はあり得るだろう、我々はそれを造るのを失敗した、時期が早かった、研究が不足してたと言ってるだけでですね、私は原発が危険だと・・・最終的に危険だと思ってないんですね。








で、その時ですね、私はあの、まぁこれは色んな読者の方、もしくは私に忠告していただいた人なんかにお聞きしたいと思うんですが、そういう時に原発が段々段々安全なものから不安全になってく・・・例えば非常用ディーゼル発電機がですね、遠くの丘の上にあったやつが地下に移るとか、そいから危ないと思ったところを直してくれないようになったと、こういう時にですね、原発がどんどん不安全になっていく。そういう時に科学者はですね、危険になったけども原発を続ける、支持するのが転向なのか、どっちが転向かと言うとですね、また強弁すると言われちゃうんですけど、そういう時に安全な原発というものが信念であれば、原発が危険になっていく時に「それはダメだよ」と言うのが、僕は「転向」じゃないと思うんですよ。








私が「自分は転向してない」って言うのはですね、「原発が安全だと思ってる時は、原発を支持する」けども、「原発が危険だと思ったら、原発に反対する」と、これは「転向ではない」と。まして福島であんな爆発があって、もうこれはちょっと当面、原発ができないと思ったらですね、完全に反対になるっていうことはですね、これは私が転向しないからそうなると、まぁいうことが言えると思います。





それから、私は原発の事いっぱい書いてるんで、過去にはですね、実は「原発が良い」って書いてるのいくらでもあるんですね。そんなの隠しようがないんですよ、本ですからね。しかしそれはですね、まぁ今から・・・これは言い訳になるという感じもしますが、安全だと思っていたんですよ。原発が安全だと思っておりました、本当に。段々段々、ダメだと思ってました。そいで私は原子力委員会でこういう風に発言するんですね。「立地なんかほんとにいかがわしい」と、要するに私が聞くと、不適切な所に移ってしまう。それはどうして移るかって、何か裏で変な画策が行われる。従って、「そういう時には、原発の安全審査をしないというルールを作ったらどうだ?」という発言をして、一笑に付されちゃうんですね。







その頃から私・・・これはまぁ5、6年前なんですけども、その頃から私はですね、非常に危機感を持ちだしました。原子力安全委員長のところに単身で行きましてね、私は原子力安全委員長に「このままでは原発の安全は守れない。何とかしてください」とお願いしたらですね、原子力安全委員長が「周りを官僚でがっちりと固められて、私は身動きが取れないのです」と言ったんですね。まぁ、そうかもしれません。偉い立場になればそうかもしれませんが、そうしたら私は原発反対に回らざるを得ないんですよ。これは「転向」でしょうか?と聞きたいんですね。





つまり、転向っていうのはですね、何でもかんでも原発を支持するっつうのが転向しないってことなんですかね?だって技術っていうのはですね、危険なものをやらないという信念を貫く方が転向ではないと思うんですけどね。対象物に何かかかずらわなければ(かかずらう=関係する。こだわる)いけないんでしょうかね?経済とか政治とかちょっと分かりませんが、私はそう思いますね。





それからもう一つ。被曝の限度に関して私は昔ですね、「もうちょっと、1年1ミリシーベルトじゃなくて多くても良いんじゃないんですか?」と言ってたんですよ、実は。これはもう、私ブログにも書いてますけどね、自分のブログにも。ところがですね、法律は1年1ミリシーベルトでずっとやってきたんです、そういう意見にもかかわらず。で、私は「事故が起こったら、絶対そんなこと言わない」って言ってんですね。









つまりですね、事故の起こる前とか、まぁ何かの時にですね、例えば高速道路が80キロにしてもですね、「ここの高速道路は規格が良いので100キロぐらいまで上げられるんじゃないですか?」っていうことは言っても良いんじゃないかと思うんですね、それは別の時に。






ところが、運転手に対して標識が80キロなのに、横にいてですね、「私は道路の専門家だけど、この道路は100キロで走って大丈夫だよ」と、それは運転手に言ってはいけないと思うんですね。これはあの、法の改正っていうのはですね、もちろん意見言って良いんですね。私が言ってるダイオキシンなんかもそうなんですよ。ダイオキシンを違反しろと言ってるんじゃないんですね。








「ダイオキシンの法律を変えてくれ」と、「ダイオキシンの毒性は低いから」とこういう風に言ってるわけですね、私ね。それはダイオキシンの騒ぎが一段落したからなんですよ。ダイオキシンが出てるときはダイオキシンに注意して下さいねって言ってたわけです、僕。判らないからね、これ、予防原則で。だけども一段落してですね、ダイオキシンが減ってきたら、見直す必要があるかもしれないんですね。これはあの、予防原則でもそういう風に言われてるわけです。








だから私は、「福島の被曝が一段落するまでは、もう1年1ミリしかしょうがない」とこう言ってるわけですね。で、それが終わったら、ま、何ミリぐらいまで良いか?と、これは医療被曝だとか、自然被曝と足し算ですからね。今、全体で5ミリですけど。全体で5ミリで良いのか、全体で7ミリで良いのかという議論なんですね。ええと何かあの、原発からの放射線が1ミリから3ミリになると、3倍っていう感じがします・・・そうではなくてですね、自然放射線が1.5ミリ、医療被曝が大体3ミリぐらいで、それに1ミリを足しますからね。およそ日本人の被曝限度は5ミリなんですね、その5ミリを7ミリに上げられるかどうかっていうことは、被曝の途中で議論すんじゃなくて、一応、一段落した時には議論しとく必要があると思いますね。






今それが極端になって、その時に黙ってた人たちですよ、1年に1ミリつって、僕なんか3ミリなんつってる時にですね、黙ってた人たちが突然ですね、「1年1ミリって言うのは錯覚だ」とかですね「1年100ミリだ」とか言ってんのはね、これちょっとマズいんじゃないかっつうのは私の考えなんですね。






で、私自身は転向してるつもりはないんです。まず第一に「安全な原発ということを貫いている」と、だから「原発が危険になったので反原発になった」と。「これは転向なんでしょうか?」ということを問いかけたいと思うんですね。そいからそういう風になっていく原発を横に置いて、私はそれでも原発支持に回るべきなのか?と、転向しないっていうのはそういうことなのか?ということですね。






それから、まぁ原発に対する著述の変化というのは、今言った私の変化をそのまま表してるわけです。例えば一番新しい「偽善エネルギー」というのを3、4年前書いたんです。そん時こう言ってんですね。「まぁ一番いいエネルギーは原発だろう」と。「だけども危険は承知でやってくださいね」とこう書いてるんですね。だから私の書き方はどうなってるかっていうと、昔はですね、「原発は安全だからこれを使いましょう」と言ってるんです。ほいで大体5年ぐらい前はですね、「原発は危険だけども、エネルギーとしては良いですね」と言ってるんです。福島原発の事件が起こってから「もう絶対原発はやめましょう」とこう言ってるわけですね。これは、私は転向ではないと思いますが、まぁみなさんのご判断とご意見をお待ちするということにしたいと、まぁいう風に思います。


(文字起こし by 緊急助っ人)

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