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サチ子の取材日記『お守り』
作者:土塀 友
一年前にupした作品ですが、書き直しました。
 寒い日の翌日は、いつも晴れ、というわけではないが、今朝もよく晴れた。ジャーナリストといっても、フリーであるサチ子は毎日出社することは無い。仕事もあったり、なかったりでその日暮しである。やり甲斐のある仕事にありつく事もあるが、そんなことは滅多にない。それでもサチ子は前向きで、いつも明るい。今朝は出社の日。八時半、会社に着くと事務の慶子がお茶を出してくれた。
「おはよ――。顔を見たら来るようにだって、デスクが」
 ありがとう。仕事かな、とデスクのブースを覗く。デスクが顔だけ出して手招きしている。 
「やあ、サチ。すまんが鈴木さんを取材してくれ。今度本を出した新人の作家だ」
「はい、それではアポとります」
「いや、もう準備はできている、今度の日曜日だ」
 エ――、日曜日に仕事? と、サチ子は憮然とした。休日に仕事だなんて。
 デスクは気の弱そうな顔をして、
「すまん、人がいないのだ。そうだ、うまいものか、何か好きな物を買っていいぞ。領収書を回してくれ、取材にかかる経費で請求するよ」
「ほんと。でも、大丈夫ですか、デスク」
「なに、俺にだってそれくらいの権限はある、大丈夫さ。それに相手は新人だ、手間はかからないよ。軽く揉んでやってこい」
「サンキュー。それではお言葉に甘えて、行ってきます」

 日曜日、サチ子は駅弁を抱えて新幹線に乗った。車内は思いの外、空席が目立つ。
〈どうせなら、海側がいいわね〉
 見晴らしのいい席に陣取り、遅い朝食と言おうか、早い昼食といおうか、とにかく中途半端に駅弁を平らげた。
 斜め横の座席には、若いカップルが座っている。サチ子は車窓から見える青い海や、移り行く景色を眺めながら、このカップルを見て、微笑ましく思った。
〈わたしも若いときは、静男と一緒だったな――〉
 闇夜の中で光る瞳は、青春という、短いときの間に見えた美しい宝石であった。
 サチ子と静男は大学時代に知り合い、そのまま一緒に暮らし始めた。ふたりには、未来という希望がある反面、明日を生きるという生活への不安があった。
 そして、親友の裏切り、傷心のサチ子、長くは続かなかった愛。サチ子は三年前の冬、静男と別れた。静男は小説家の道を歩み、サチ子はジャーナリストになった。
 カップルは熱海で降りて、空席となった。サチ子は、空になった座席を見つめて、
〈あ――あ、又ひとりね〉
 と、つぶやいた。
 一時間ほどして車両は減速し、目的の駅に着いた。
 新幹線の駅を降りたところは、小さな城下町で、北口方面は商業ビルが林立しているが、反対側は落ち着いた家並みが続いている。
 鈴木氏の家まではタクシーで十五分、旧家というのであろうか、すこしひなびているが、手入れの行きとどいた門構えである。日本庭園の石畳を抜けて、玄関に入ると年のころ七十代、初老の上品な婦人が出迎えてくれた。
 通された応接間には、不釣り合いに大きな応接セットがあり、そこに深々と腰を掛け、珍しそうにあたりをキョロキョロと見渡していると、鈴木氏が現れた。目元・口元が先ほどのご婦人によく似ている。一目で親子とわかる出で立ちだ。上品で柔和な物腰は、いかにも昔の貴族を思わせる。サチ子は、軽く自己紹介と取材の目的を告げ、早速話を聞く事とした。
「先生の小説はだいぶ評判が良いようですが、ご自身では手ごたえの程は如何ですか」
 お母様が、紅茶と、イチゴのショートケーキをテーブルの上に置き、どうぞ、と言う。サチ子はそれが気になり、うまく質問できないでいた。鈴木氏はそれを察したかのように、「どうぞ」と、言うとパクパクと美味しそうに食べ始めた。お母様は〈お行儀の悪い〉と、言いたげな顔であったが、瞳は微笑んでいた。さあ、どうぞ、と再度勧められ、サチ子もケーキを食べ始める。
「この新人賞をいただくまでに十三年かかりました。長い時間でした」
 彼の瞳には、長かった下積み生活をもう一度映し出し、再び見つめ直しているような、輝きがあった。「ごゆっくりどうぞ」と、言ってお母様が席を立つと、特別な緊張感から解放されたように鈴木氏が軽快に話し始めた。

 小説の話をすると、母はきまって「親戚に小説家がいますよ。大山正雪さんですよ」と、言います。
 母は彼と同じ年に生まれたのです。文豪、大山正雪にしてみれば迷惑な話かもしれませんが、私には心強いお話です。しかし、母の旧姓は古木です、どこで大山と結び付くのでしょう。
 祖父一郎(母の父)は、母が幼いころ古物商を営んでいました。正雪の実家も同じ職業だったのです、祖父はそこで仕事を覚えたのではないかと母は推測しています。
 もう一つ面白い話があります。正雪の伝記によると、正雪は五歳の時赤痢に罹ったのですが、母の手記には祖父が赤痢になった事が記されています。何かが結びつく気配がします。ひょっとしたら、祖父は大山家に頻繁に出入りしていたのかもしれません。
 幼かった母は祖父に連れられて正雪の実家に行ったことを覚えています。大きなお屋敷の門をくぐって、中気になったおじい様のお見舞いに行ったそうですが、後遺症のためでしょうか、お話はほとんどできなかったようです。
 母は正雪の父、富士太郎を知っていると言いますが、具体的に何を知っているかはわかりません。「幼いころのことですので親が話している横で聞いていた程度です。名前を知っている位ですかね」と、言います。
 突然「ネコヤナギ」という名前が出てきます。「ネコヤナギのおばさんが親戚だ」と、言うのですが、どの様な関係かはわかりません。
 曾祖父は「ヘイジロウ」といって、生家は森田町でお茶問屋を営んでいたようです。若い時に家を飛び出したので、実家との縁は切れ、韓国の釜山で沈没船を引き上げる仕事をしていた、といいます。
 テイオさんという人もいたそうです。当時としては珍しく大学まで出た人ですが、仕事が嫌いで遊んでいたようです。芸者置屋のような屋敷があって、母は美しく舞い踊る芸子さんの姿が、夢のようだった、と言っております。
 小さな川と大きな山、私は、有名な小説家大山正雪と親戚であればよいと思います。いや、媚びるのではありません、ただそれだけの思いです。私はこのお話について、これ以上真相を追究しようとは思いません。このことが、私の、心の『お守り』となっている様な気がするのです。真相が明らかとなって『お守り』が消えてしまうことを恐れております。
 誰でもそうですが、明日のことなど何もわかりません。何かを信じて生きるしか道は無いのです。

 饒舌気味に話をする鈴木氏であったが、かの婦人が部屋に入ってくると、言葉数も少なくなり、また遠慮がちとなった。理知的な婦人はやや陰険そうに見えた。彼は魅力的な男性であるが、五十を過ぎたというのにまだ独身である。
 サチ子はこのインタビューで衝撃的な真実をとらえた。天才作家ともてはやされている鈴木氏でさえ『お守り』を堅く握りしめているのだ。そして、長い下積みの歳月を、祈る様にしのいでいたのだ。心の支えとなるものは、まさにこの『お守り』であり、これが失うことにおびえているのだ。
 取材が無事終わり、サチ子はお礼を述べ、このお屋敷を後にした。

 今日は日曜日、急いで帰る事もない。折角来たのだからこの街の風に吹かれてみたい、とサチ子は思った。
 サチ子は真っすぐ駅のコンコースを抜け北口方面にある城跡へと向かった。お堀に沿ったイチョウ並木は、いかにも「城下町でございます」と、語りかけるにふさわしい並木道であった。ここは、市民の憩いの場所でもあるようで、道行く人々も散歩がてらのような、のんびりとした風情が漂っている。イチョウの葉はすっかり黄色くなり、初冬の道は黄色いじゅうたんで敷き詰められている。
 サチ子は、まるでおとぎの国に舞い降りた一枚の黄葉のような気分になった。そして、ベンチに腰を掛け、
〈こんなときは、静男にあいたい〉
 と、静男のことを思った。
〈あなたはお守りを持っている? わたしのお守りは何?〉
 お堀を眺めているサチ子に、ながい沈黙が続いた。どのくらい放心状態が続いたかしら、メールの着信音にサチ子は我に返った。携帯を覗き込むとデスクからだった。
「サチ、あんばいはどうだ。原稿できたらすぐ送れ」
 あ―― 何というこの現実!
〈休日ですからメールは無視します〉
 サチ子は都会にもある同じような地下街を抜け、エレベータに乗った。二十三階の展望台から城下町を眺める。人々が暮らす家並みや、駅に入る新幹線、街を走る自動車などがおもちゃの箱庭のように見える。西の空は夕焼けとなって、サチ子の頬が茜色に染まる。サチ子は、うっとりとして〈ここは恋人ときたら、すてきね〉と、モカ系若干苦味のコーヒーを口にはこんだ。
 帰り道、ビルの谷間の陽の当たらないようなうらぶれた一角。お世辞にもお店とはいえないような、小さな菓子屋があった。こんなところにも生活が息遣いていると、サチ子は感じ入った。そして思いついたように黄金饅頭を買った。
「おじさん、領収書ちょうだい」
「ヘッ。領収書?」
 おやじは店の奥から古い領収書を探し出してきて、これでもいいかねと、尋ねた
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