学校法人日生学園

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学校法人日生学園(がっこうほうじんにっせいがくえん)は、三重県津市白山町八対野に本部のある学校法人。三重県伊賀市(旧上野市)に青山キャンパスとして日生学園附属中学校日生学園第一高等学校中高一貫教育)があり、三重県津市(旧一志郡白山町)に白山キャンパスとして日生学園第二高等学校・附属幼稚園があり、兵庫県姫路市夢前町(旧飾磨郡夢前町)に夢前キャンパスとして日生学園第三高等学校がある。附属幼稚園を除き、いずれも全寮制であるが、青山キャンパスのみ自宅通学も認めている。日生の名前が使われているが、日本生命保険とは完全に無関係である。

目次

学風

青山キャンパス
附属中学・第一高校は特進コースで、国公立・難関私大を目指す。寮を利用した夜間の学習指導が特徴である。放送部(全国大会)ハンドベル部(世界大会)などの文化クラブの活動が盛んである。男女共学普通科。通学もできる。
白山キャンパス
附属幼稚園・第二高校がある。第二高校は進学コースと総合コースがあり、総合コースの野球部・サッカー部・卓球部・演劇部などのクラブ活動が盛んである。男女共学普通科全寮制。
夢前キャンパス
第三高校。全寮制の男子校である。文武両道を目指し、学習面では第一高校に合わせた指導を行っている。クラブ活動が盛んで、陸上・自転車競技などは県内でもトップレベルである。

過去の暴力事件

日生学園が開校した1966年度~91年度までは大変厳しい校風(1991年度までスパルタ教育を導入)で知られた一方で、学内及び寮内で暴力事件が多発するとともに、生徒の自殺や個人・集団脱走、不審死が相次いだ。

1985年には、教師による荒れた学園内の告発が週刊誌に掲載され、全国的な社会問題として取り上げられるようになった。こうした事態を受け、国会議員による国政調査が行われ、参議院文教委員会及び決算委員会にて事件の報告が行われたほか、三重県も日生学園に対し、私学助成金交付に関連した行政指導を講じている。また、これによって寮内の先輩による暴力やいじめが問題となり、退学者が出ている。それまでは自殺する生徒が後を絶たず、中には激しい仕打ちの末死に至ったりノイローゼにされ自殺させられるというケースもあるなど凄惨な状況だった。親は寮生活での人間関係を把握することができず、多くが泣き寝入りする事態となっている。「三重県の全寮制で首つり自殺」報道の際も、学校側は黙秘とマスコミ対策に追われるあまり、事件現場(教室)で1週間通常通り授業をさせ、生徒を別教室に移動させたのはその後である。遺書があったとされ、青田前校長が全生徒に少年の遺書を読み上げたのち、天を見上げ不可解な言動をしている。

現在の状況

1986年に理事長に就任した青田進は学園改革に着手し、コース制の導入などが進められた。2000年以降は「進学校」へ転換するために大学進学に向けた学習指導へ力を入れ始める。同時に基礎からの学習指導・寮システムを利用することで、通学制の学校では困難な「社会のリーダー育成」に力を入れている。

校風はかつての大変厳しかった時期から若干の変化をみせ、今では「厳しい」というイメージもわずかながら少なくなっているものの、朝ランニング(平日)、寮別清掃(隔週1程度)、食堂清掃(月1程度)、伝達式(年1)などが現在も行われており本質は変わっていないとの批判も根強い。

今後はさらに進学校を目指し、2011年からは、国立医学部、国立歯学部を目指す学級も開設される。

2008年度卒業生の進学実績によると、2年連続で京都大学へ2名合格させ、早慶へ10名、関関同立へ64名の合格者を出している(その一昨年度の関関同立は29名合格なので、1年で2.2倍以上に増加している - 学園公式サイトより)。

卒業生

日生学園第一高等学校

※1992年「無印良品」の衣料ディレクターに就任 東京地下鉄株式会社(東京メトロ)の制服デザインなども手掛ける。


日生学園第二高等学校

※(1979年度は日生学園高等学校(現在は日生学園第一高等学校)入学。1980年度から開校にともない日生学園第二高等学校へ移動)

日生学園第三高等学校

リンク

[ 学校法人日生学園 ]の改訂履歴 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/09/08 03:00)

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