達川光男が語った、アキレス健断裂以前と以後の変化。
監督時代、前田を初めて4番に据えた達川光男が故障以前と以後の違いをこう説明する。
「彼は怪我する前は、来た球を打ててた。緩いボールを待ちながら、速い球に自然に反応できるという、考えられないことをしていましたから。配球を読む必要がなかった。そんなことができるのは、いい時のイチローぐらいでした。でも、怪我をして、体が反応しなくなった。それで、この世界で生きていくためにチェンジしたんですよ。そこから読みを鍛えた。それが今も生きてる。あれだけの怪我をしたら、普通は、もう引退してますよ。今、代打で結果を出せているということは、野球の技術が体の状態を上回ってるんですよ」
往年の赤ヘル戦士たちが感じる、バット一本に懸ける前田の思い。
同時に、そうした万全ではない体の状態が、怪我の功名とは言わないまでも、代打として必要な「割り切り」をさせたのだとも言える。
前田の前に背番号1を付けていた往年の名二塁手、山崎隆造も、こう想像を巡らす。
「走攻守三拍子そろった選手だっただけに、葛藤はあったはず。でも、怪我のこともあって、バット一本にかけようという結論に達したんだと思う」
前田が敬愛する「ミスター赤ヘル」こと、山本浩二も前田の心境の変化を感じ取っていた。
「代打に徹してる感じがするよね。その集中力が、最初から平気でど真ん中の球を見逃したりする余裕を生んでる」
銀幕のスター、高倉健と重なり合う、前田の思考法と佇まい。
前田の野球人生において、アキレス腱の故障が一大転機になったことは間違いない。ただ、それは今の前田を構成する要素の主要部分ではあるが、すべてではない。
前田の思考法、佇まいを思い浮かべるとき、ジャンルは異なるが、どうしても重ね合わさずにはいられない人物がいる。
日本を代表する銀幕のスター、高倉健だ。高倉も、ひとつの世界において長きに渡り第一線で活躍し続けている希有な存在である。
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