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英エコノミスト誌の石原慎太郎批判 - 「右翼のゴロツキ」
英エコノミスト誌は、10/6に東京から発信した記事の中で、石原慎太郎を「右翼のゴロツキ」(rogue of the right)と呼んで斬り捨てている。この表現は、政治家としてまともな評価に耐える人物ではないという意味であり、ジャーナリズムの対象として論外の、リスペクト不要の存在であるという断定だ。われわれは、この指摘と言葉遣いについて考察を及ぼさなくてはいけない。英エコノミスト誌の記者の目から、石原慎太郎や日本の政治がどう見えているかという問題である。おそらく、記者の"rogue of the right"の範疇には、フランスのルペンやドイツのヒトラーが念頭にあるはずだ。それは、「容認できない人類の敵」のニュアンスを含む類型で、先進市民社会の政治感覚では、害悪的で拒絶的な政治対象になるのだろう。この東京都知事は、欧州の市民的な知性や良識の尺度からすれば、受け入れがたい数々の暴言を残していて、東京に赴任して駐在する海外の記者たちを驚かせてきた。曰く、「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ」。従軍慰安婦に対しては、「自ら身体を売って稼いでいた」「売春は利益の出る商売」。重度障がい者に対しては、「ああいう人ってのは人格あるのかね」「安楽死につながるんじゃないか」。東日本大震災の被災地には、「大震災は天罰」「津波で我欲を洗い落とせ」。弱者を傷つける差別発言のオンパレード。


欧州のジャーナリズムの感性と視点からすれば、この種の発言を敢えてする政治家というのは、既存の体制の秩序を否定し、社会を根本から覆そうとするアウトローなのであり、暴力的で破壊的な反社会的な挑戦者なのである。彼らの中の石原慎太郎の表象が奈辺にあるかについて想像をめぐらせたとき、丸山真男の論文の一節が思い浮かぶ。有名な『軍国支配者の精神形態』の中でこう書いている。「フロイド学派をまつまでもなく、ファシズムはどこでもアブノーマルな精神状況と結びついており、多かれ少なかれヒステリー症状を随伴するものである。(略)ナチ指導者はモルヒネ中毒患者(ゲーリング」や(略)酒乱症(ライ)など、凡そノーマルな社会意識から排斥される『異常者』の集まりであり、いわば本来の無法者(Outlaws)であった」(第4巻 P.103)。こうした認識のスコープがあり、石原慎太郎は「右翼のゴロツキ」の定義が与えられるのだろう。英エコノミスト誌の記事であるから、大胆な決めつけにはそれなりの文責が伴う。おそらく、東京の駐在仲間が情報交換するロビー空間では、石原慎太郎についてはこのカテゴライズが定着しているのだ。正常者ではないという評価が確立しているのである。英エコノミストの記事は、米国や欧州の記者に影響を与える。自身の立ち位置(判断基準)をモニタリングする材料になる。英エコノミスト誌による「右翼のゴロツキ」の断定の意味は大きい。

海外の報道機関で日本の政治を論評する者の目から見て、石原慎太郎は市民社会の理性や常識や節度の埒外にある存在だ。したがって、そのようなアウトサイダーを首都の知事に据え、四選の長期政権を与え委ね、涎を垂らして歓呼し支持している都民のマジョリティというのも、彼らからすれば甚だしく異常で奇怪であり、先進国の政治現象として理解に苦しむ図なのに違いない。日本の首都の1千万有権者市民が、"rogue of the right"の石原慎太郎を指導者として仰ぎ続けているという現実に直面して、海外の記者たちは、遠い距離感の中で、埋まらない違和感を抱えて世界に向けて記事を発信し、それは日本社会に対する率直な批判となっている。「日本の右傾化」がここまで世界標準の言葉になっていることについて、われわれは正直に認め、恐ろしい病状の進行に気づかなくてはならない。世界の目からは、石原慎太郎の扇動を支持する日本人は、ヒトラーに熱狂するナチス時代のドイツ人と同じなのだ。この問題を考えるとき、日本語圏という特殊な環境について思わざるを得ない。言語のバリアーやボーダーは、決して全て悪いものではなく、例えば、グローバリズムの侵食を正当化する際に言われる「日本語圏は世界の孤児」などという巧妙な策略的言説に騙されて肯いてはいけないのだが、国内でこうした右傾化の状況が蔓延するときは、やはり桎梏として機能する限界は間違いない。

日本人が日本語圏でなく英語圏で生きていれば、外からの右傾化・右翼化への警鐘の言葉はもっと広範に受け止められ、誰もがその批判を情報として目にして、自己と周囲を顧みる契機になっただろう。「日本の右傾化」は、世界のトピックスであり、世界の報道関係者の関心事だ。エレベーターの密室の中にいるように、日本人は自分がどう動いているか分からない。右へ流れている自覚がない。世界の報道が、「ゴロツキ右翼」と呼ぶ扇動者を、公共放送のNHKが日々の時事報道のご意見番の如き演出で登場させ、恰も国民の代弁者に等しい別格の地位を与えている。民主と自民の「永田町の不毛」を伝えた後、「この人は、」というナレーションの枕詞で石原慎太郎と橋下徹の記者会見の映像を出し、「既成政党による決められない政治」を一喝するという場面で纏める。NHKの「公平中立」の政治報道の立場が、イコール石原慎太郎と橋下徹なのだ。石原慎太郎と橋下徹が国民の期待を集め、国民の不満を永田町にぶつけているという状況認識で報道がされる。これでは、エレベーターの密室で生息する日本人が、自らが右傾化していると感得しようもない。私は、石原慎太郎が渡米してヘリテージ財団の席で尖閣買収をぶち上げ、それを大々的にマスコミに報道させた時点で、石原慎太郎の狙いは中国で反日デモの暴動を起こさせることであり、両国の領土ナショナリズムを扇動し、尖閣沖での武力衝突に持ち込むことだと直観した。

マスコミ各社は、そうした石原慎太郎の意図を知り、事前に共謀した上で、記者を訪米に同伴させ、ワシントンにカメラを配置して撮影と放送の準備を整えていた。GWの時期。あのヘリテージ財団での砲撃の烽火は、きわめて用意周到な謀略の政治であって、石原慎太郎の思惑は5/4の五四運動の日を狙い撃ちするところにあった。結局、石原慎太郎の目論見どおりに事態が運び、国交正常化40周年を祝うはずの日中関係はぶち壊された。かろうじて保っていた戦略的互恵関係さえ崩壊し、衆目が集まる国連総会で非難合戦を演じ合うという、文字どおりの冷戦状態に突入した。さて、昨日(10/9)の記事の続きだが、橋下徹の維新の人気が凋落した件、マスコミ報道も含めた世間の床屋政談では、安倍晋三が自民党の新総裁となり、右傾化の世情の空気を一身に惹き集め、右翼化したマスの期待が安倍自民党に流れたため、橋下維新の支持率が急落する展開になったという説明がされている。私は、それには異論がある。もし、総裁選で安倍晋三が選出されることがなく、谷垣禎一の続投となっていても、やはり、橋下維新のバブル崩壊は現出していただろう。尖閣をめぐる日中の事件が起きても起きなくても、橋下維新の支持率は急落していたのは確実だ。安倍晋三の台頭は橋下徹の失墜の原因ではなく、二者が相対関係で浮動票を奪い合う図は、この政治の解説として適当ではない。いつかは橋下徹の化けの皮が剥がれることは、半年前から分かっていたことだ。

本来なら、もっと早く橋下バブルの崩壊が起きていて当然だった。それが引き延ばされたのは、明らかにマスコミの常軌を逸した翼賛報道によるものに他ならない。一体、橋下徹が何をしたのか、この男の政策は何だったのか。人権侵害の思想調査、赤狩りと組合潰し、教育基本条例、批判者への愚劣な罵倒とマスコミ記者へのリンチ攻撃、大飯原発再稼働で人気取りを図った二枚舌、慰安婦問題での暴言と韓国への挑発、文楽問題。憲法改定、核武装、徴兵制への意欲。挙げ句に、東国原英夫や中田宏を公認しての国政進出。こんな愚行を続けて、民主や自民を超える支持を国民から得られると思う方が間違っている。狂気の沙汰だ。大阪からリコールが起きて当然だ。橋下徹をマスコットドールにし、政局報道のキーマンにして祭り上げていたのはマスコミだった。指摘しなければいけないのは、橋下徹の「人気」を増幅するマスコミのキャンペーンが、例の「決められない政治」のキーワードと共に遂行されていた点だ。ブログの読者はここに注意していただきたい。橋下徹のブームが絶頂に達したのは、今年の6月だったが、この時期の政治の焦点は何だったか。言うまでもなく、消費税増税法案の採決と成立である。この国において、マスコミ報道の中身は官僚が仕切っている。官僚はテレビに出ない。顔を出さない。黒子だ。官僚はテレビに出る代わりに、自分が言いたいことを大越健介や三浦俊章の口を使って喋るのである。朝日の論説に書かせるのだ。中立を偽装して官僚の政策を宣伝する。

「決められない政治」の言説の絨毯爆撃は、きわめて大がかりで徹底した洗脳プロジェクトだったが、お気づきだろうか、消費税増税法案が成立してしまった後、マスコミはその言葉を急に言わなくなった。官僚は積年の悲願である消費税増税を決めるために、マスコミを総動員して「既成政党の機能不全」を衝いて攻撃し、「政党政治の行き詰まり」を刷り込み、その不満の受け皿として橋下徹に支持が集まる仕掛けを作ったのである。官僚とマスコミの狙いは、「決められない政治」の言説で騙して、消費税増税の断行を国民に許容させることだった。すなわち、消費税増税法案が通り、「決められない政治」の言説のプロパガンダも不要になり、「決められない政治」の対極でヒーローとして輝くシンボルも不要になったのである。用済みになった途端、鍍金が剥げ落ちた。橋下徹の今回の栄枯盛衰劇は、官僚とマスコミによる消費税増税の断行プロジェクトと密接に関係している。無論、官僚とマスコミは、この道具を使えるときは再度使うし、大衆を騙す政治用途で必要となった際は、ピカピカに再生されてカムバックを果たすだろう。小泉純一郎も人気が上がったり下がったりしたし、あれだけ恥をかいて地に堕ちた無能な安倍晋三が、なぜかまた「人気者」になって政治の舞台に復活している。現在の日本の政治では、大衆の操作はこれほど簡単に可能だ。橋下徹や安倍晋三の「人気」に対して、それを捏造だと暴露する人間がいない。以上、橋下バブルとその崩壊の手品について説明した。右傾化だけが橋下徹を押し上げた要因ではない。

官僚は、国民が嫌がる政策を押しつけるために、「決められる政治」のシンボルを必要とするのであり、マスコミが期間限定の偶像崇拝の状況を作るのだ。


by thessalonike5 | 2012-10-10 23:30 | Trackback | Comments(0)
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