永田様、はじめまして。
ブログの内容と関係が無い事、現職のため匿名での書き込みである事をお許し下
さい。
1年ほど前の事ですが、田村装備開発の田村様に、お手合わせ頂いた事がありま
す。
といいますのは、田村様のブログに武術の記載があり、その内容が私には理解が
できず、力試しをしたい。という、今考えてみれば本当に失礼な事をしてしまいま
した。
突然訪問した、いわば道場破りにもかかわらず、田村様は快く応じて下さいまし
た。
結果は、私の惨敗です。
幼い頃から武道ずくしの人生だったため、負ける事など考えていなかったのです
が、何も出来ぬまま叩きのめされました。
前歯が欠け、肋骨にヒビが入りました。しかし、それは自業自得であり恨んでお
りません。それどころか、良い勉強になり、感謝しております。
その後、半日、田村様から訓練を施して頂きました。
鮮明に記憶している事は、サバイバルゲームを例に、実戦と格闘技の違いを話さ
れた事です。
長くなりましたが、永田様に一つお尋ねしたい事があります。
訓練後、田村様に「格闘の先生は誰ですか」と尋ねたところ、「多くの方から教
えを受けましたが、一番影響を受けたのはイチロウさんです」と答えられました。
どのような事を習ったのか聞いたところ、「人から教わった事を許可無く教える事
はできない。」との事で、何も話しては頂けませんでした。
それが、いまだに気になっております。
技では無く、精神的な事とのことでした。
個人的な書き込みで申し訳ございません。
お答えできる範囲で教えて頂ければ幸いです。
by りく
市より
現代の武道には二つのタイプがあると想います。
ひとつは健康維持のための運動として、、
もうひとつは人を倒す、あるいは殺すため、、
まず、自分はどちらの武道を選択しているのかを認識すべきかと。
りくさんの気持ちとしては後者を選択、ですよね
自分の身体に殺しのワザをダウンロードするにあたって
まずはできるだけ「崇高な精神」という気持ちを持つ必要が
あるかと想います。
すうこうな精神という意味は「気高いこと、気品があること、尊いこと」
そういった意味です。
こういうと難しく想えるでしょうが、
ようするに「自分の技は正義のためにだけ使う」という決断をすることです。
じつは、ワシは「正義」という言葉はあまり好きではないのですが
ここでは解りやすいので暫定的に使います。
どうして正義という言葉に疑問を持つのかといえば
世の中には正義も悪義もなくて、これは人間が作った自己欺瞞の言葉では
ないかと想うからです。
それはともかく、、
「殺しの技は正しく使う」ということです。
しかしワシとしてはこの「正しい」という言葉もあまり好きでは
ありません。というのは世の中には正しいも間違いも無いだろうと
考えているからです。
武道をやる人間は、そういった言葉をひとつひとつ咀嚼しながら
脳みその配列を整頓すべきかと、、
これらを語るには長くなりますからこのへんで・・・
空手道場経営の家に生まれ、幼少から空手を習い
喧嘩だけはもうれつに強くなった男がいました。
この男には素敵な彼女がいました。
しかし彼女は自分がセックスの対象にしかされて
いないと感じ、心が空手男から離れてしまい
他の心優しい男に惚れてしまいました。
この優しい男は自分から彼女を誘ったのではなく
飛び込んでこられたので受け止めたわけなんです。
ここで、その男が「武道家としての教え」を受けていたら
〝君をもっと幸せにしてくれる男がいたら行ってくれ・・・〟
というのではないかとワシは想うのです、
が、この男は闘うすべもない優しい男を幾度かにわたって
待ち伏せなどし、殴る蹴るの暴行を加えたそうです。
この暴力行為が正か悪かといえば、なんとも言えません。
だって人間ってそのように作られているんですからね〜
こういった人間は武道家じゃないと言っても武道家なわけで、
ただ自分はこのような男には絶対になりたくないという
気持ちを持ってほしいわけですね〜
素手、ナイフ、刀、弓、銃などなど・・・
こういった道具を使って闘う練習をすることが
武術訓練だとワシは考えていますが、これらの殺し技は
やむにやまれぬ正当防衛だけに使うのだという心を
持たない者には教えたくない、、というのがまあワシの
独断なわけで・・・
心に美しいものを秘めている人、
こういうタイプは武道家の素養を生まれながらに
持っているのではないでしょうか・・・
ようするに正義らしいことに使ってほしいわけですね〜
で、りくさんはそこらについてはクリヤーされていると
想います。ただ、この大切な精神の基礎を理解できていない
若者が多すぎるので、こうして書いています。
そこでワシの「格闘論」のさわりを説明しますね、、
「闘いにさいして、ここが死に場と心得よ」
「正義のために死ぬことを喜んで受け容れよ」
「相手も手練れならば、相打ちをもってよしとすべし」
「闘うときは相手を殺すか自分が死ぬまで闘うべし」
「闘いにルールなど無し」
とまあ、思いつくままに書きましたが、いかがですか?
ただ、これらの五箇条に関してだけでも、噛み砕いて
自分の心に刻みつけるには数年かかると考えながら
ゆっくりと咀嚼してみてください。
解ったつもりが、じつはなかなか解ってないものなんです。
「常に咀嚼せよ」
これもすごく大切ですよ。
ね?・・・この教え、かっこいいでしょ?
オイラ、えらいでしょ?
いえいえ、ジゲン流からのパクリなんですよん(^。^)
なにもえらくないんですよん・・・
えらくある必要もないですしね (^_^)
剣術では薬丸ジゲン流が最強だったと想っています。
なぜ強かったかというと、精神と技が素晴らしかったからかと、、
ジゲン流は上段の構えで飛びかかりながら肩からヘソに向けて
斬り下ろすというのが主流でした。いかに速く相手に一撃を
加えるかという訓練に明け暮れたそうです。
刀は相手のモノより太くて厚くて重い豪刀「ナミノヒラ」が
好まれました。相手が受けてもその刀を折りながら切り込む
というコンセプトでした。
これに対抗するには突きしかなく、突かれると自分も死にます。
自分も死にますが相手も死にます。
「相手が死ぬなら自分も死んでよい」
この究極のコンセプトがあったのでジゲン流は
最強だったわけですね。
自分は傷つかず相手をやっつける、、、
こんなウマイ話など格闘にはないのです。
一生に一度だけ、自分の真義にかけて闘う、、
そしてそこで死ぬ。
ワシの武道へのイメイジはこれなんです。
ちなみにワシが生まれた鹿児島の加治屋町は
西郷隆盛が育った町でした。
当時の薩摩人にはジゲン流の心が残っており
「弱い者をいじめるな」「がたがたモンクを言うな」
「喧嘩は自分より強い者とやり、決して負けるな」といった
風潮がありました。
中学の時は理科の石堂先生が「チェスト行け〜!!」という気合いの
かけ方を伝授してくれ、この突撃精神で社会の困難を乗り切れと
教わりました。
チェストー!!
というかけ声とともに困難に挑みかかり
いゃぁあああ〜!!!! と大猿のような叫び声を上げて
勝負の技をかけるのです。
「失敗を怖れるかぎり勝ち目は無い」
このコンセプトがないと人生においても強くは
闘えないのではないかと想っています。
ワシはことさら優れた人間ではなくごく普通のヤローです、、
ただ「ジゲン流のコンセプト」で生きているだけなんですよん。
これで 少しは役にたちますか?
タムヤンにはもっと射撃訓練に来るようにと伝えてください。(^o^) はっはっは