太平洋戦争中、「軍艦島」に朝鮮人800人強制動員

韓国政府が報告書を作成
日本、2015年の世界遺産登録目指す

 首相直属の「対日抗争期の強制動員の被害調査および国外強制動員犠牲者などに対する支援委員会」(以下、支援委員会)は4日、日本による植民地時代の、長崎県・端島炭鉱への朝鮮人強制動員の実態についてまとめた報告書を作成した、と発表した。

 長崎港から18キロ離れた所にある端島(面積6万3000平方メートル)=通称・軍艦島=は、過酷な自然環境や労働条件のため「監獄島」とも呼ばれた。

 報告書によると、端島炭鉱は海底炭鉱で、最も深い場所は地下1000メートルに達していた。作業中に海水が坑内に流れ込んだため、労働者たちの皮膚はボロボロになり、炎症がひどかった。また、炭鉱内部では有毒ガスが岩盤を通じて噴出する「ガス突出」現象もたびたび発生した。このような場所に、日本人の代わりに朝鮮人や中国人が動員された。ある生存者は「坑内は真っすぐ立っていられないほど狭く、温度も45度を超えた」と証言した。

 端島は外部とも隔絶されていた。労働者たちが脱走しようとしても、ほとんどは捕まり、拷問を受けた。一部の生存者は「あまりにもつらく、島から脱出するため、身体を切断することまで考えた」と証言した。

 端島に動員された朝鮮人の多くは、1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されると、復旧作業に従事させられた。その多くは残留放射能にさらされることとなった。

 日本は、端島炭鉱を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」を、2015年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録することを目標とし、関連事業を進めている。一方、支援委員会は、太平洋戦争末期の1944-45年、端島炭鉱に最大800人の朝鮮人が動員された、と推定している。同委員会が強制動員の被害者として正式に確認した人は134人、また同委員会が確認した死者は122人に上る。

李竜洙(イ・ヨンス)記者
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