遂にG政権から処刑された。「会員資格停止3か月」だと。
昨日(9日)のFCCJ「お白州」の報告。10時半の定刻を20分遅れて堅苦しい顔がズラリと並ぶ理事会に招き入れられた。バウムガートナー会長が一人で喋り僕が反論する展開となった。悪質ブログでの罪状を延々と述べる。「FCCJ代理人の横木弁護士の要求通り削除した」と抗弁する。削除時の僕のコメント「これ以下の記事はFCCJ代理人・横木雅俊弁護士に『法的措置』をとると言われ削除」に誠意が籠っていない(会長が日本語を読める訳が無いから悪意ある翻訳を読まされている)との主張。しかし処罰すると言うのはFCCJ基本的理念「言論の自由」(FREEDOM OF SPEECH) の侵害では無いかと反論。すると「理事会で君への判決を検討するから」と外へ出され15分後に呼び戻される。
「今日から3カ月資格停止処分に処す。3カ月後更に資格をどうするか議論する」と。明後日に寿司バーでVIPを呼んでお客さんをするから処刑は12日からにしてくれ。福永SPは大きくクビを振る。Gはそれを見て「NO!」の一言。僅か3日の「ア・ラ・シャリテ」にこの無慈悲さ。その上3か月と言えば年末年始を含むので僕が一番友人たちと飲み食いする時期。これが一番痛い。FCCJとしても30万円からの逸失利益になるではないか。
大体G政権のお歴々は赤字でFCCJは「破産状態」と言いながら飲み食いは協会にチャージして無料、会費はレギュラーとアソシエイト会員の2/3しか払わず、「親方日の丸」意識。従業員の大量クビ斬りを含め他人の痛みや悲しみの忖度など出来ない。
僕は英語で悪態をついて部屋を出た。福永SPが新聞労連の松永委員長に僕のブログをネタにおちょくられたのは3日の団交。怒り心頭に発した彼が今回の処罰を推進したのは間違い無い。9月29日のブログで福永SPは「ジキル博士とハイド氏」と書かれたことに端を発する。ブータン国王の訪問で一躍有名になったGNH(国民総幸福量)を推進する日本GNH学会の常任理事で事務局長を勤めるジキルの顔と従業員36人を冷酷無残にもクビを斬るハイドの顔を持っていると批判したものだった。
6年前の2チャンネル上で彼の著書を批判した男に罵詈雑言を浴びせ法的措置を取ると脅している。(興味ある人は覗いて見ると良い)今回の僕への攻撃パターンはこの時とそっくりだ。直情径行、キレやすい人だ。
心残りは僕が書いたことは「『事実誤認』で『誤情報』であり個人の社会的評価を害し侮辱する」との理由での処刑。僕はこれらの「立証責任」を求めているが全く反応が無い。立証されれば快く「削除」し「謝罪」しブログ自体を中止するのに吝かでは無い。一方的に決めつけ立証しないで処刑するのはファッシスト的手法だ。
とは言え「負け犬の遠吠え」「引かれ者の小唄」であることは認めざるを得ない。これでFCCJ出入り禁止になれば情報も閉ざされる。G政権及び福永SPの思うつぼで手も足も出ない。これを最後にブログに書き込みは特ダネが無い限りサスペンドする。
タイトルの「THE 500」と聞いて、映画「300」の姉妹編かと思った。スパルタ王レオニダス300名の軍勢で100万のペルシア軍を迎え撃つ「テルモピレーの戦い」の続編かと思った。紀元前480年、スパルタを中心とするギリシア軍とアケメネス朝ペルシアの遠征軍の間で行われた戦闘だ。
ところが全く違う。時は現代、舞台はワシントンDC.最高のロビイストグループを率いるヘンリー・デイヴィスがハーバード・ロースクールを主席で卒業したマイク・フォードをその過去を知って個人的にボストンへ赴き採用する。
マシュー・クワークのデビュー作「THE 500」(ハヤカワ・ポケット・ミステリー・ブック:2012年7月刊)はワクワクする楽しさで一気に読了する。
主人公マイクの父は禁固24年の判決を受け服役中でアルバイトや借金でようやくロースクール卒まで辿り着いたのだ。幼年期は父や兄と住み、泥棒社会で成長し監獄へ入るか軍隊へ行くかの選択の軍隊で2年間の訓練をうけた。
アメリカばかりか世界を動かす影響力ある500人(タイトルはここから)を意のままに操ろうとするロビイスト活動は表の綺麗ごとだけでは収まらない。マイクの初手柄は商務次官補の弱点を探りこちらの指図に従わねばならない決定的証拠を掴むこと。賄賂にまみれた次官補は受け取った札束を茶の紙袋に入れ秘かにジムのロッカーに隠したのを突き止める。深夜忍び込みロッカーを破り賄賂の大金の証拠写真で所長のデイヴィスに褒められる。瞬く間にアソシエイトからシニア・アソシエイトに昇格し、高額の報酬と高級車、豪華なアパートメント、そして夢の恋人で同僚のアニーまで手に入れる。ところがある事件で自分が殺人犯に仕立てられたのを切掛けに雇い主で恩人のデイヴィスに刃向う破目になる。
ロビイストの裏表、政治の駆け引き、政治家や官僚の弱みなどを突く権謀術策を感心しながら読み終わる。
著者のマシュー・クワークはハーバード大学で歴史と文学を専攻。雑誌「アトランティック」で戦争企業、麻薬取引、テロ告発、国際犯罪などの記事のライター。この作品がデビュー小説。現在ワシントンDCに住む。
ハリウッドの20世紀フォックスが10億円近く払って映画化権を獲得したと言う。映画を見るのも楽しみだ。果たして小説に付いて行けるかどうか?
絵本作家、佐野洋子の最晩年のドキュメンタリー映画。名前だけは知っていたがその「生と死」についての考え方に初めて接して驚かされる。
監督の小谷忠典が試写のスクリーン前で短いスピーチ。著者のベストセラー「100万回生きたねこ」は発刊35周年、私が生まれた年に出た本で同じ歳ですと。佐野洋子に最初に会った時「あんた私が死ぬと言うことをどう考えているの?」といきなり質問をされた。ガンと宣告され余命幾ばくも無い佐野の質問にタジタジとなった監督。「この映画で答えを出します」と言い撮り始めた。条件は「私の顔を写さないこと」だから声は聞こえ喋っている周りの人の反応や状況は分かるが佐野洋子の顔は認識出来ない。顔が出て来るのは葬儀の時のお棺の中の穏やかな顔だ。
タイトル通り1977年の発刊された「100万回生きたねこ」について色んな人に聞いているお婆さん、お母さん、子供。二世代に亘る読者が多い。(読者で男性は居ない)。泥棒に飼われた猫、サーカスで飼われた猫、王様の必猫、船乗りの猫などページが変わるごとに猫が登場し必ず死ぬ。「猫が死ぬので怖かった」と言う子供が多い。でも最後に出会う白い猫と一緒になって沢山の仔猫を作って幸せに死ぬエンディングに皆満足している。
佐野洋子の哲学が語られる。小さい時から死を見詰めて来たので怖くも何とも無い。4歳年上の絵の上手な兄が12歳の時に死んで以来身近に死を多く目撃している。ガンで余命幾ばくも無いが死なんて怖く無い。良く「ガンと戦う」と言う人がいるがバカみたい。ガンが転移し「脳にガン(脳腫瘍)が来ちゃったのよ。でもちゃんと喋れるから遊びに来て」と平常心を維持し社交性は衰えない佐野に驚く。2011年11月、72歳の生涯を終え永遠の旅路についた佐野を見送るカメラ。映画のナレーションを勤めた女優渡辺眞起子を連れて佐野の生まれ故郷北京を訪れる。書店には佐野の絵本が中国語訳で並んでいる。佐野の語った「生と死」「愛と孤独」を北京の街角でも見つける。
HDのハンディカメラの映像はシャープでドキュメンタリーには適している。小谷監督のスタンドポイントやコンセプトも明瞭に伝わって来る。素晴らしい記録映画だ。
釜山国際映画祭ワイドアングル部門に正式出品された作品。
12月。渋谷シアター・イメージフォーラムで上映される。
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