【コラム】Wii Uが成功しなければならない理由
デジタル販売の普及やソーシャル・ゲームの台頭で混沌とするゲーム業界の未来。次世代機の先陣を切るWii Uが成功しなければならない理由を、IGNがコラムにまとめています。
一番左にゲームキューブ(累計販売台数2000万台)、一番右にWii(累計販売台数1億台)を置いたスライド表を想像して欲しい。次に、5年後のWii Uの販売台数がどのくらいになるかを予想して、印を付けてみて欲しい。その印は、ゲームキューブ寄り?それともWii寄り?
任天堂アナリストはWii Uの成功を信じており、表の右側に入るレベルの商業的成功を収めるだろうと信じている。少しでも左寄りなら即失敗の烙印を押されてしまうし、日米の任天堂のトップReggie Fils-Aime氏と岩田聡氏にとっては嬉しくない見通しになるだろう。 Wii Uが失敗に終わるシナリオは幾つも考えられる。タッチ・スクリーンを備えたGamePadは、任天堂が得意とする人間行動への理解に基いている(今でも、誰もが大画面テレビを前にしながら小さな画面に触れている)が、ギャンブルであることに変わりはないし、その訴求力や可能性は未だ未知数だ。 任天堂はWiiに成功をもたらした一般層に力を入れすぎているかもしれない。彼らは移り気な層だし、一目で見て理解できるWiiのようなアピール力がWii Uには欠けている。任天堂らしい新機軸として前面に押し出されているのが、TViiとMiiverseだ。しかし、アメリカの一般層に300ドルから350ドルを出させるだけの訴求力がこの2つにあるのかどうか、現時点ではまだ分からない。
『ZombiU』『Nintendo Land』『New Super Mario Bros. U』といった独占ロンチ・タイトルは熱心なファンを喜ばせるだろうし、実際本体の予約も好調だが、発売日に飛ぶように売れたからといって、最終的な成功が約束されるとは限らない。これはセガが一番良く知っているだろう。 更にそこに、経済状況やライバル2社の動向といった外的要因が加わる。いまだ現役バリバリのPS3とXbox 360は、おそらく値下げで対抗してくるだろう。この2社が新たな次世代機を準備していることは言うまでもない。だが、岩田氏とFils-Aime氏同様、任天堂やゲーム全体の未来を気に掛けている我々も、Wii Uが商業的成功を収めるだろうという見方を固持しなければならない。携帯機市場というもう一つのビジネスを抱えてはいるものの、任天堂は決してWii Uを失敗させてはならないのだ。強力な存在感を示す任天堂が存在しないゲーム業界など、魅力が半減してしまう。
多くのIGN読者は、幼少期に素晴らしいゲームの数々を提供してくれた任天堂に対して、強い思い入れを抱いている。我々は、古いフランチャイズが生まれ変わることを求めている。クリスマス当日、多少困惑した表情で満足げに見守る親戚を尻目に、大きな箱を開けては速攻でテレビに繋いだ経験を誰もが持っているはず。そうした思い入れは永遠に消えないのである。だが、任天堂は過去ではなく未来に根ざした会社であり、過ぎ去った黄金期の遺物でいる気などさらさらない。今後も末永く、「遊び」と「ホーム・エンターテイメント」の中心に居続けなければならないのだ。 なぜなら、現在も過去も、任天堂よりも上手くやれる会社は存在しないからだ。任天堂もミスは犯す。任天堂ほど馬鹿なミスを数多く繰り返してきたゲーム会社は殆どないだろうが、同時に彼らほど熱心かつ迅速に革新的アイデアを形にしてきたハード・メーカーは存在しないのである。 過去6年間を振り返ってみよう。Wiiが発表されて以来、Microsoftとソニーは成功の程度の差こそあれ、コントローラーを使わないゲームというアイデアを後追いしてきた。そして今では、携帯画面とテレビ画面の連結という考えを模索している。僅か数週間後には、任天堂が製品として市場に送り出すものだ。 GamePadだけでは充分ではないと感じたのか、任天堂は類を見ないインゲーム・ソーシャル・ネットワークMiiverseに力を入れている。任天堂がどの程度ソーシャル・ネットワークを理解しているのかは不明瞭だが、少なくとも戦場やリーダーボード以外の場所にオンライン・ゲームを進化させようと模索していることは確か。「ゲーム」に「個人」や「ブランド」、「友人」を繋げるのは決して容易なことではない。 ゲーム・コンソール/タッチ画面とテレビの統合に関しては、任天堂はライバルが提供する同様のアプリやスマートTVの代用品となるTViiを用意している。ソニーとMicrosoftも革新的なアイデアと無縁ではないが、彼らには任天堂のような迅速さと斬新さがない。他のエンターテイメントに勝利するためのゲームの重戦車がソニーとMicrosoftなら、任天堂は急降下爆撃機なのだ。
長年、もしくはその生涯を掛けて、任天堂はゲーム機をリビングに置き、ゲームを通して人々を繋げることに尽力してきた。任天堂はテレビやOSを売ったりしていない。ゲームこそが任天堂の存在意義なのだ。 我々は今、ゲーム・コンソールというコンセプトそのものが、新たなテクノロジーや生活習慣に脅かされる時代に突入している。任天堂は時代遅れになってしまうのだろうか?実際は、その正反対だ。未来がどのようなものになろうとも、斬新で、賭けを恐れず、ミスを犯し、人間の遊びというものの本質を理解する、リーダーとしての任天堂の存在が不可欠なのだ。コンソールの存在しない未来に向かってゲーム・フランチャイズや可愛らしいキャラクターを送り出すだけの、単なるソフトウェアの提供屋という立場は任天堂にとって不十分だ。任天堂のゲームと任天堂のコンソールを切り離して考えることなど不可能だし、ファミコンと『Super Mario Bros』、Wiiと『Wii Sports』は切っても切り離せない関係である。今後も、任天堂はただゲームを作り続ける以上の存在でなくてはならない。
任天堂はWii Uの成功によって、全く予測の付かない未来が待ち受けるゲーム業界を形成する大役を担うことが可能になる。任天堂がそれ以下の存在になるなど、考えられないことだ。 [ソース: IGN]