頑固親爺の徒然手記(難問解決への道標)

現役を引退した頑固親爺が、法治国家において法で解決できない問題が山積している現代社会に本音で迫り、問題解決策を模索していくブログ。難問を抱え込まないで相談にも応じます。

廃棄物処理の困難さ

 先日のブログで綴ったが、現役時代、他の行政機関〈知事部局で当時の環境部環境整備課〉に出向をし、新設された「不法投棄対策プロジェクトチーム」リーダーとして3年間廃棄物関係の仕事をした。
 当時、県内の至る所の山林等に県外から持ち込まれた産業廃棄物が不法に投棄され、中には暴力団関係者が関与するなど、このまま放置すると琵琶湖の水質をも汚染しかねない大変な環境破壊が起こるから、これを防止するなどの対策が使命であった。
 部下には、有名大学校で化学の知識を習得し、将来の幹部候補生等優秀な職員が多くいたが、職員からすると同課は配属されることを嫌がる典型的な所属である。
 こうした職員の協力を得て、型破りの無茶苦茶な仕事をしたように思う。
 しかし、歴代の職員が積み残してきた廃棄物関係の難問を解決することが出来たと自負しているし、一緒に勤務した職員には深く感謝している。
 
 型破り行政マンの足跡の一端を思い出に綴ってみることにした。

 今は、平成の大合併で高島市となったが、滋賀県の西北端にマキノ町という町がある。
 田舎町でこれといった産業がなく、農業、林業、漁業(琵琶湖)の町であるが、最も有名なのが、「海津の桜」で有名な桜の名所があって、毎年、開花頃は多くの観光客が訪れる。
 この町に、町復興のチャンスが訪れてきたのが、JR湖西線の開通とそれに伴うマキノ駅の新設である。
 町は、このマキノ駅前を開発し、駅前一帯を住宅地にしたが、その住宅地の一角に産業廃棄物が山積みされたのである。
 マキノ町にとっては、大変な事件であった。
 町の担当者の話では、あっという間の出来事で大型ダンプカーで次から次に廃棄物が持ち込まれ、廃棄物を受けいれた者は処理料金を徴収し、宅地が廃棄物で満載になるといずれかに逃げて行方不明になっているとの説明であった。
 
 チームリーダーとして現地を訪れた時は、既に関係者は誰ひとりとして現場におらず、駅前の一等宅地は周囲を簡易なトタン塀で囲い、4~5メートの高さまで家屋の解体現場から排出されたみられる廃棄物で埋まっていた。
 そこで、平素はワイシャツ姿で勤務する部下職員に命じたのが、廃棄物の山に登って排出源を特定できるダイレクトメール、はがき、請求書等の証拠となる書類の発見、収集である。
 当初は抵抗があったが、職員は指示に従い証拠を収集してくれて持ち帰り、これを基に調査活動を徹底して、廃棄物の排出元、さらには解体請負業者、廃棄物処分業者を次々に特定した。
 その後は、調査結果を集約して不法投棄に関する告発状を作成し警察本部の琵琶湖対策官(琵琶湖の環境を破壊する不正事案を取り締まる専門職)を訪れ、知事名で刑事告発する旨を伝えて捜査を約束させた。
その一方で、処理料金を徴収して無許可処分業をしていた首謀者の一人が石川県金沢市の女のアパートに住んでいる情報をもとに、アパートを訪問して口頭で是正措置要請をする等、関係者が驚くような対策を講じたのである。
 
 こうした対策が奏功し、処分料金を徴収していた3人は廃棄物処理法違反の事実で逮捕され、さらに起訴される頃を見計らって、環境部長を同行して検察庁を訪れ、被告人による是正措置が確約されるまで刑事処分が保留されるよう裁判で主張してほしいと依頼して確約をとった。
 その後は、釈放された被告人らに重機を持ち込ませて現場での廃棄物の選別作業を行わせ、連日、職員がこれを監視し、また、マキノ町の幹部職員等多くの関係者の総力によって、処分料金が約7~8000万円と見積もられた廃棄物の撤去を完了したのである。
 今は故人となられたが、当時の町長から対策チーム全員が食事に誘って頂いて、共に楽しい酒を飲み交わした思い出もある。(念のために、亡き町長は公費を使うような人柄でなく全て私費であったと聞き及んでいる。)
 他にも多くの逸話があるが、型破りの対策を断行した“型破り行政マン時代”であったことは確かである。

 マキノ町は冬の寒さが厳しく雪の多い地域である。
45回目の誕生日は日曜日、外は小雪が舞っていたが、廃棄物を持ち込んだ業者に対して同量分の撤去を命じたところ、大阪から大型ダンプカーで廃棄物を引き取りに来る旨連絡があった。
 休日で誕生日、しかも雪が舞う中、一人、湖西線の電車に揺られてマキノ町までの遠路を往復した。
 
 このチームは最近解散されたようであるが、苦労の連続であったから余計に当時が懐かしい。
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 農作業(土いじり)
 
 毎年、この時期、プランターに植えた夏の花が終焉を迎えることから、プランターの土を入れ替える作業をする。
 花だけでなく、その中にゴーヤを植えたプランターも含まれている。
 花やゴーヤは、夏の3~4ヵ月間、美しく花を咲かせ、また厳しい日射しを遮けて日々の生活に潤いや優しい環境を提供してくれた。
 プランターの土を全部出して、家の前の駐車場に天日に晒し、蔓延っている根を除去して、夕刻には石灰、牛糞、腐葉土等を混ぜ、冬から来春にかけて咲く新しい花を植える準備をするのが恒例となっている。
この作業は、ほぼ一日がかり、しかも好天に恵まれないと出来ない。 
 朝、起床して、今日が作業の最適日と決めつけて、一日中、汗を流した。
 平素使わない筋肉を使うから、結構、身体の至る所が筋肉痛になる。
 花を植える時期は、少し後で、その直前には油粕や化学肥料を施すとともに、花の苗を選ぶ作業がある。
 年間通じて花を咲かそうとすると、結構大変であるが、手をかけるほど美しい花が咲いてくれ、育てる者を裏切らないし、花を愛でることは心が豊かになるように思う。 
 プランターだけでなく、ついでに自宅裏にある畳4枚分ぐらいの畑を耕して野菜を植える準備をした。
 葱、ほうれん草、三つ葉、菊菜を植えようと考えているが、家庭菜園も大変である。

 一日の作業を終え、筋肉痛に耐えながらブログを綴っているが、久しぶりに晩酌したビールがやけに美味しい。
 今後、何年、こうした作業が続けられるか分からないが、作業が出来る体力があることに感謝して、健康維持に努力しようと考えている。
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必ず犯人検挙を



昨夜から今朝にかけて話題にするような事件事故の発生がなく、また連休のため政府や国会等の動きもないことから、ニュースの中心はインターネット犯罪の記事である。
大阪市のホームページへの爆破予告書込(偽計業務妨害)、伊勢神宮爆破予告(威力業務妨害)で逮捕された男性が、いずれも釈放された。
この男性らが使用するパソコンが特定のウイルス(両者共通らしい)に感染している事実が判明し、犯人は別人であって遠隔操作で第三者を事件に巻き込んだ卑劣な行為を反復敢行したということになる。
 逮捕行為前に、こうした事実を解明しておくべきであって、警察(検察)の捜査技術や捜査能力の不足が露呈した。

厳しい評価をすると、警察や検察は時代の要請に応える捜査手法の開発などの必要性を十分に認識することなく、インターネット犯罪捜査の困難性や過去の捜査事例がない等の事由で、この種の捜査を避けてきたことが今回の事態を招いたのである。
大津市の中学生自殺問題でも、この種インターネット犯罪捜査の重要性や捜査手法の確立を強く訴えてきたが、打てば響くような反応がなかったことを思い出す。

今回の教訓は、あまりにも大きな代償をもって得たのであるから猛省を促したい。
優秀な捜査員の英知を結集し、捜査手法等の研究や開発が強く望まれる。
 それとともに、今回は、誤認逮捕という人権侵害の捜査が行われたのであるから、この事実を真摯に受け止め、犯人の責任にすることなく、今一度、逮捕という強制捜査の在り方を見直してもらいたいものである。

そして、何よりも国民が期待するのは、関係者の名誉回復と警察・検察の威信をかけて必ず犯人を検挙することである。
爆破予告だけが犯罪でない。多くの者がインターネット上において、心もとない犯人によって名誉を傷つけられ、脅迫され、また業務を妨害されるなどの被害を受けているのだ。
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遅々として進まぬ災害復興
 20年前に、3年間知事部局の環境整備課に出向し廃棄物行政を担当したことがある。
当時は、京都をはじめ他府県の廃棄物が滋賀県に持ち込まれ、山林内に不法投棄される事案が多発し、しかも、こうした不法投棄に暴力団が関与し彼らの資金源となっていた。
忘れもしないが、おりしもJR西日本京都駅ビルの再開発が始まり、古い駅舎の解体に伴って排出される廃棄物が県内で不法投棄されることを未然に防止する観点から、職員をともなって建設を請け負った業社を訪れて廃棄物の適正処理をお願いした。
他府県のビル解体で排出される廃棄物の適正処理を滋賀県から依頼に行ったのであるから、それだけ当時は廃棄物対策(仕事)に必死であった証である。
また、当時は、県内にある産業廃棄物処分場が狭隘となり、新しい廃棄物処理施設の建設が急務であった。
大多数の人は、廃棄物処理施設の設置は必要であると理解し賛成してくれるが、いざ、その施設を特定の地域に設置しようとすると、必ず住民による建設反対運動が起こった。

総論賛成各論反対である。

この現象が、震災被害地で顕著になっているから災害復興が進まない。
震災廃棄物の広域処理なくして震災復興はあり得ないのであるから、廃棄物処理施設を保有する震災被害に遭っていない地方自治体は、震災廃棄物を積極的に処理してやらなければならないはずである。
 ところが、現在、こうした震災廃棄物を処理している都道府県は極めて少ない。
東京、神奈川、静岡、福岡と東北地方の秋田、山形、さらに埼玉、茨城、栃木?ぐらいである。
何故、もっと多くの地方自治体が協力しないのか。
答えは明確である。各自治体の首長が「放射線の影響が心配」等と主張する地域住民の反対意見に慄いて、被災者の立場で相互扶助しようとするような大きな慈愛の精神がないからである。
北海道札幌市や徳島県などは、首長がそのような考えだからどうしようもない。
もっと、端的にいえば、選挙で首長の座を失いたくないから、選挙で負けるような選択をしないといった姑息な考えである。
こんな首長は、リーダーとしての資格がないというより人間失格である。
50年先、100年先に国民から評価される事業であれば、反対があっても事業を推進する決断力がなければ首長にならなければよい。
今、各地で首長を選ぶ選挙が行われているが、有権者は、候補者のこうした能力を見抜くことが必要である。
自分の町や地域だけしか念頭にないような首長は、リーダーでないというのが持論である。
姑息な考えでいると、何時かは自然災害の被害に遭うなどし、その時は誰も助けてくれないことになる。(これが、世の中の流れであって、「罰が当たる」という所以である。)
放射線が心配という意見が多いが、自然界で生きていくからには放射線を浴びる。
アメリカやヨーロッパ等に観光旅行する飛行機内で浴びる放射線量やレントゲン、CT等の医療器具での被曝は問題にしないで、こと福島原発関連だけというだけで、政府が身体に影響がないと言っている震災廃棄物の処理に対して、金科玉条のように子供への影響等を主張するのである。

ところで、震災直後は多くのボランティア活動が行われたが、現在は極めて低調である。
あの頃のボランティアは、奉仕活動に名を借りた「物見遊山」であったのかと言いたい思いである。
総論も反対し各論も反対する者がいる一方で、慈愛の気持ちで賛成している良識ある住民も多くいるのだ。それが、震災復興への大きな助けであると考えて・・・・・
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  彼岸花とダリア

 台風一過の秋晴れの日、「秋の花」を求めて稲刈りを終えた近江(湖東)平野を周遊してきた。
 というのは、この時期に田んぼの畔に群生する「彼岸花」に何とも言えない風情を覚えるから彼岸花鑑賞が目的であった。
 今年も、期待に応えるように田んぼの畔に真っ赤な彼岸花が咲き誇っていた。
 彼岸花は、別名、地獄花、死人花、幽霊花などと呼ばれ、不吉であると忌み嫌われることもあるが、「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。
 彼岸花に魅せられるようになった理由の一つに、作詞家の阿久悠の詩で「昭和最後の秋のこと」がある。この詩には曲がつけられ、森進一と桂銀淑が歌っている。
 その一節を紹介すると、

       貧しさも つらくない 四畳半にも 夢がある
       たがいに めぐり逢えただけ この世の神に 感謝して
            (中略)
       昭和最後の秋のこと 雨にうたれる彼岸花
       ふるえる愛が ふるえる愛がまだあった

       飢えた日を 忘れない 痩せて目だけを 光らせた
       そんな時代の子であれば 心だけでも 満たしたい
            (中略)
       昭和最後の秋のこと 山の紅葉に 照り映えて
       色づく夢が 色づく夢がまだあった
       ふるえる愛が ふるえる愛がまだあった

 まさしく秋の詩であるが、このような感性をもった詩(歌詞)をかける作詞家は二人といないと思う。
 またこんな詩を書く作詞家に憧れるのである。

 続けて、彼岸花を探して彷徨しているうちに、滋賀県日野町鎌掛にあるNPO法人日野ダリア園を見つけ、ダリアを鑑賞してきた。
 近江商人を多く輩出した里に日野町出身者で還暦を迎えた同志が地域の恩恵に感謝して「郷つくり」の一環としてボランティアでダリアを育てられている。
 園内には100種、1万本以上の色とりどりのダリアが咲き乱れていたが実に綺麗であった。
 日本全国には、有名なダリア園が20か所くらいあるようであるが、この日野ダリア園は、その種類や本数、そして高齢者が精魂込めて育てられていることで全国屈指ではないかと思う。
 同年代の人たちが、目を輝かせ、生き生きした顔をしてダリアと向かい合っている姿に感動を覚えた次第である。
 湖東平野の所々にある休耕田にはコスモスの花も咲き乱れ、秋の花を愛でることができた有意義な一日であった。
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甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • Author: 甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • 1948年1月生れ
    長年、公務員として奉職し定年退職
    コンサルタント会社オフィース”K”代表
    地方公共団体、道路管理、警備業等の顧問、セキュリティーアドバイザー、相談役経験
    社員教育、公判対策、各種問題解決、対外交渉、リスク管理、コンプライアンス等幅広く担当
    「生涯現役」が信条
    法的な解決だけでなく、日常生じる「難問」を抱える企業等の要望に対応、奮闘中

     

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