これホントに大切なスタンスだと思うので、書いてみます。
「あなた個人」はどう感じるのか
「好き/嫌いを表明しよう」
あらゆる物事に対して「良い/悪い」という評価をするのではなく、もっと「好き/嫌い」という感情を表現してみてはどうでしょうか。(中略)「良い/悪い」というような超越的な言葉、評論的な言葉、神のような上から目線の言葉と言うのは、メタ視点的な言葉です。
「一億総ツッコミ時代」の中で槙田さんも書かれている通り、良い/悪いという上から目線ではなく、好き/嫌いという、もっと直感的で、自分に根ざした評価をできるようになると、より楽しく生きることができると思います。
「良い/悪い」というのは言外に「社会一般から見て」という前置きが含まれます。例えば「野田首相は良い政治家だ」と語るとき、それは彼の実績や周辺評価を鑑みた上で、「良い」という判断を下しているといえるでしょう。
一方で、「好き/嫌い」という評価軸は、「社会一般」というよりは、ほとんど自分の価値観のみに根ざしたものです。「野田首相が好きだ」と語る人は、実績や周辺評価を度外視して、一人の人間として、人間的に野田首相が好きであるような感じを抱かせます。
「良い/悪い」は世間や空気によって左右される一方、「好き/嫌い」はあくまで自分の価値観に依存します。「良い/悪い」は空気を読まないと判断できませんが、「好き/嫌い」は空気を読まずに直感的に判断できます。
「好き/嫌い」を語るには勇気が必要
「野田首相は良い政治家だ」と「野田首相が好きだ」という物言いを比較してみましょう。
間違いなく周囲から賢く見えるのは「良い/悪い」という評価を下す人です。これは超越的な視点ですから、自然と理知的で、ものを知っているように見えます。
一方「好き/嫌い」という軸で語る人は、一見幼稚に見えます。論理的な理由はさておき、個人の感情として彼が好きだ、という子どものような幼さを感じさせます。
「野田首相は良い政治家だ」と語る人と、「野田首相が好きだ」と語る人、みなさんはどちらが魅力的だと感じますか?僕は「好き/嫌い」で語る人の方が、人間的に魅力があると感じてしまいます。
「好き/嫌い」を語ることには勇気が必要です。表明した時点で、「野田首相が好きだなんて信じられない!」という人格否定を被る可能性が大きいです。そういうダメージから逃れるために、自分を賢く見せるために、人はつい「良い/悪い」という視点を使ってしまいがちなのです。
僕はナチュラルに、自信たっぷりに「好き/嫌い」を語ることができる人を尊敬します。それは、否定をものともしない、強い「軸」が自分の中にある証拠だと思います。
皆さんは好き/嫌いを語っていますか?勇気をもって、語ることができますか?空気を読まずに、ぜひ自分の価値観に根ざした言葉を使ってみてください。
関連本。素晴らしい一冊でした(ブックレビュー)。