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山中教授「まさに日本という国が受賞した賞」 ◆ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授の会見要旨◆
何時間か前にスウェーデンから電話で受賞の知らせをもらった。私とガードン先生の2人の受賞だが、私が受賞できたのは、国の支援のお陰だ。これは日本という国が受賞した賞と思う。iPS細胞の基礎となった研究を始めた30歳代半ば、私は無名の研究者だったが、国からの支援で研究が発展した。奈良先端科学技術大学院大から京都大に移り、さらに国の研究費をもらった。それで出来たのがiPS細胞だ。マウス、人間で成功した後も、国からの支援を5、6年間もらった。その支援がなければ、今日のストックホルムからの電話はかかってこなかった。
感想を一言で表現すると、感謝という言葉しかない。国、京都大のほか、iPS細胞を一緒に作ってくれた高橋和利氏、若い研究者らが助けてくれた。
家族にも心から感謝したい。80歳を超えた私の母に報告できたのが、本当に良かった。義理の父は医師で、私を留学中から支えてくれたが、今年亡くなり、報告できなかったのが残念だ。きっと天国で、25年以上前に亡くなった父と一緒に喜んでくれていると思う。
喜びも大きいが、同時に非常に大きな責任感を感じている。iPS細胞技術はまだ新しい技術で、医学や創薬で大きな可能性があるが、まだ医学や新しい薬の開発に役立っていない。
今後、何日間かで、受賞の意味を国民の皆さんにできるだけ私の言葉で話したい。来週からは、研究の現場に戻り、論文も早く出さないといけない。それが、このノーベル賞の意味でもある。過去の業績というよりは、これからの発展に対する期待の意味も大きい。それに報いるよう、これからも現役の研究者として研究開発に取り組んでいきたい。
ガードン先生との同時受賞が、一番うれしいと言っても過言ではない。ガードン先生はカエルの研究で、大人の細胞が受精卵の状態に戻るということを核移植技術で証明した。まさに、私のしている研究を開拓してもらった。ガードン先生が実験したのは1962年。私はその年の9月に生まれた。同時に受賞できたのは、研究者の人生として大きい。ガードン先生もまだ現役で活躍している。iPS細胞が本当の意味で、医学、創薬の応用に実現できる日まで頑張っていきたい。
(2012年10月8日22時59分 読売新聞)
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