2000/1/30 第72号


権力側のメディア規制を許さない

 報道評議会結成し、自浄能力を!

〜人権と報道を考えるシンポ「報道被害救済に向けて 」〜

 

 人権と報道関西の会と関西マスコミ文化情報労組会議(関西MIC)が共催で毎年開いている第十二回シンポジウム「今、報道を考える」が昨年十二月四日、大阪市中央区の「エル・おおさか」で開かれ、約五十人が参加した。例年は、基調講演とパネルディスカッションの二本立てだったが、今年は二一世紀を見すえて徹底的に討議しようと、「報道被害救済に向けて 二一世紀の人権と報道」をテーマに、四時間かけてのディスカッションに臨んだ。パネリストは、元新聞労連委員長で「サンデー毎日」編集長の北村肇さん▽甲山事件救援会事務局の太田稔さん▽読売テレビ報道デスクの吉田雅一さん▽関西の会事務局長で弁護士の木村哲也さんの四人。さまざまな報道被害が起こっている中、権力側が法的規制を加えようとする動きも出ており、「メディアが自主的な報道評議会を作って自浄能力を見せよ」などの意見で一致し、途中時間切れになるほど会場からも活発な意見、質問が寄せられた。コーディネーターは、関西の会世話人で弁護士の太田健義さんが務めた。(文責・小和田 侃)


「新聞人の良心宣言」

支える市民、記者のネット作りを! 北村肇さん

( 委員長時代の九七年に採択した)新聞労連の報道倫理綱領「新聞人の良心宣言」は、「現状を変えようとしているジャーナリストがつぶされ、悪貨が良貨を駆逐するかのような環境の中、何とか良心的なジャーナリストを下支えしよう」という思いが動機だった。戦後の日本をとらえる場合、平和より経済偏重主義に重きを置いて進み、八十年代以降にその歪みが現れてきた。中流主義、新保守主義と呼ばれ、それらの本質はエリート志向ともいえる。その中でマスコミはどうだったか。本来、平和主義を前面に押し立てていくべきなのに、現実主義という名の下に理想主義を捨てた。権力批判、人権を志向すべきなのに、「読者ニーズ」というきれい事を重視するようになった。そして、メディアのあり方をまじめに論じようとする記者に対して「そんな事言う暇があったら、特ダネをとってこい」と怒鳴るようなムラ社会が出来上がった。

 そんな理想を求める記者たちを労組で守ろうとして宣言を作ったのだが、現実はその後も思ったようには進んでいない。なぜなら、メディア内の権力者、つまり役員たちは、人事権を持っていて、正論を吐く記者が人事などでスポイルされてしまうようだ。そういう状況下で、二つの問題がある。まず、宣言を実践する記者が出てきにくくなる。そしてもう一つは、ある程度意識を持ってこんな集会に参加する記者もいるのだが、彼らが集会の中で、「報道を改善していくのは、現実的にはなかなか難しい」と発言すると一般市民から批判を浴びて、消沈してしまうということだ。業界や企業を一気に変えるのは無理だ。だから「ちょっとでも変革しよう」という記者を守るため、市民も含めた皆で支えるネットワークを作ることが大事になってくる。私も今、北村という個人と一緒になって支え合おうと、テレビや雑誌の個人個人と組織作りを進めている。そういう流れの中で、この「人権と報道関西の会」というような団体が重要な役割を果たしていくことになる。

 

記者の認識を変える

取り組みを重視  太田稔さん

 甲山事件は二五年をかけて、ようやく無罪を勝ち取れた。その背景には弁護団だけでなく、多くの市民の方々の支援があったからで、この場を借りてお礼を言いたい。

 甲山報道については、当事者の山田悦子さんがこの関西の会メンバーであり、これまでもいろいろ発言しているし、近号の雑誌「週刊金曜日」も甲山を特集しながら「今も同じような報道が繰り返されている」と書いている。それらの繰り返しになるかもしれないが、救援会から見た問題を指摘したい。

 救援会の初期は、新聞一般について、逮捕などでひどい報道もされていたし、権力寄りの「商業新聞」と認識していたので、自分たちの敵として、距離を置いていた。でもそれは間違っていて、そこに働いている記者は労働者だし、「新聞を変える事が必要」「話せば分かるんだ」と考えるようになった。八七年ごろ、甲山の偽証裁判で、「被告の詳しい住所を報道しないでほしい」と申し入れた。というのは、被告のもとにカミソリが送られてくるなどの被害があったからだ。それをスタートに、「プライバシーに関わるような事を記事にしないでほしい」「写真を掲載しないで」と要求を上げていった。

 その結果、詳しい住所は載らなくなった。プライバシー記述については、以前は「山田さんの子どもは今、何歳になっているのか」「夫のコメントがほしい」というような取材が多かったが、次第になくなった。そして山田悦子さん本人の写真も、九三年ごろから掲載されなくなった。ただ差し戻し一審で、産経新聞が裁判所敷地内で隠し撮りした山田さんの写真を載せたし、テレビもNHKを除いて昔の映像を流したりはしているが…。また読売テレビが差し戻し一審の時、山田さんの名前も出さず匿名で報道特集を組んだりして、例外的には配慮した報道も散見された。捨てたものじゃないな、と感じた。だから、市民の側の私たちも、出来る事を積み重ねていけば、徐々に変化を呼ぶ事ができると思う。

 一方、差し戻し二審の判決時、読売新聞は社説で「知的障害児が収容先の施設内で殺害されるという無残なものだった」と表記、「殺人事件」であると断定した。そもそも甲山は、「大人による殺人」という先入観から生まれた冤罪事件で、事故であるという発想が抜けた事が大きな問題だったのに、それに対する反省がない。以前にも読者をミスリードしないために「園児が水死体で見つかった甲山事件」というような表記にするよう申し入れているのに、それが全く生かされていない。この問題で読売の論説委員と話し合いをもったが、「新聞社として殺人事件とも事故とも論評できる立場にない」などと言うのみで、平行線に終わった。この読売の論説委員といい、前に話し合いを持った産経の幹部といい、ともに事件当時に神戸支局にいて取材にあたっていたようだ。そんな人が社を代表する立場になっているのに、一向に反省されていないのは残念なことだ。それを私たちの努力不足であるとも反省し、前向きな動きをしていきたい。

 

報道被害者の

防波堤になる支援組織を 吉田 雅一さん

 今、太田さんが、読売テレビの甲山裁判での匿名ニュースを評価してくださったが、その番組は事前に担当記者と太田さんが時間をかけて話し合った末に出てきたもので、社内でも反対意見があったが、結局数分ではあるが放送することができた。一方、その後の二審判決の際は、「今回の無罪判決時だけの映像にとどめるべきではないのか」という意見もあったが、結局昔の山田さんの映像を流れた。さて、まず取材のあり方から述べると、大きな問題は、まさに情報を「もらう」という関係、その相手の警察や検察という権力側に偏重してしまっているということだ。記者クラブに対して「○○時からレク(レクチャー)やります」という連絡が入って、「ペラ」と呼ばれる権力側の作った発表文をもとに記者室などで記者発表が行われる。でもこちらとしては、表面上の発表以外に、取り調べ状況や被疑者の供述内容を知りたい。それが欲しいために、(捜査員の自宅に行って話を聞く)夜回りなどの手法を取らざるをえない。テレビ局でいえば、容疑者が逮捕前、重要参考人として同行される前に、出勤する姿などの映像を確保するのに必死になる。逮捕されれば、警察から被疑者の写真を入手できるのだが、そんな一枚写真より、動いている映像が大事であって、その映像を撮れたかどうかで「他社に勝った」などと競争している。

 取り調べで人権侵害が行われていないかなど権力チェックするのが本分なのに、現実はこのような権力に寄り掛かった取材方法をとっているのだ。ネタを「もらう」立場だから、どうしても権力側に対して批判しにくい関係に陥ってしまっている。視聴者には不毛なスクープ合戦だが、スクープを放映すれば視聴率が上がり、ひいてはCMの単価も上がるという構図。他社との競争だけでなく、社内でも記者同士の競争が激しくなり、北村さんの話にもあったように、報道のあり方を批判するような記者は、どうしても浮いてしまう。

 事件が起これば、被害者や被疑者の家族に取材陣が殺到する。各社だけでなく、同じテレビ局でも番組ごとに取材するため、一社あたり五つくらいのクルーが動くこともある。だから、その人数だけでも相当なもの。(松本サリン事件の報道被害者である)河野義行さんは以前、「事件発生一周年という時、電話でかけてくる取材に対してだけでも、応対するのに何日もかかった」とおっしゃっていた。甲山事件の場合は、まだ救援会がしっかりしているからましだが、一般事件の被害者については、例えば「関西の会」などの組織が窓口となっり、防波堤になってあげることが必要だ。そうすれば洪水のような取材に対しても「それは支援組織の方に」と振るだけでいいから、電話も十秒ほどで切ることができる。そんな体制が不可欠で、我々もそういう組織作りに取り組んでいかなければならない。

 火事などが発生すると、「がん首(犠牲となって亡くなった人の写真)を取って来い」とデスクに急かされて、記者は走り回る。そんな時に記者は、正面切って拒否はできないだろうが、場合によっては取る努力をしているフリだけしてサボリ、後で「やっぱり取れませんでした」と言うくらいの気持ちでやればいいと思う。社内の上司や体制に対し、いろんな抵抗の方法を考えていきたい。また市民としては、各社には放送基準のような物があるので、それを手に入れてそれに対して意見を言っていくのも一つの改善への方法だろう。

 

被害救済で裁判にいかざる

を得ない状況を考えるべき  木村哲也さん

 神戸で死亡した国内初のエイズ患者の遺影を掲載した写真週刊誌に対し八九年に賠償命令が出されたが、私は弁護士としてそのように、マスコミに対して強力に押していく活動を続けてきた。(本日配布した資料の)「人権と報道」年表を見ても、女子高校生コンクリ詰め殺人や神戸の少年事件など、相も変わらぬ報道ばかり。朝日新聞は九〇年三月の「編集局から」というコーナーで、「写真掲載をできるだけ控える」と明言した。一見進展しているようだが、和歌山のカレー事件では各社こぞって疑惑の夫婦の写真を撮ろうとしたし、読売新聞はその女性の連行写真を撮れたということで、賞までもらっている。何か起これば、皆で一斉に暴走するという体質は一向に改まっていない。根本を変えて来れなかった。一方で、記者個人には変化の兆しがある。今日のような集会の参加者の中には、メディアの人も増えているのではないだろうか。目には見えないが、記者一人一人が葛藤しているという変化があるはずだ。でもそれは記者の中でも若手であって、社の幹部ではない。だからすぐには具体的な動きは起こせない。ある程度の時間が必要だろう。

 今年一年でも、報道に対してはいろんな圧力が加えられている。十月に前橋で開かれた日弁連の人権擁護大会では、十二年前の熊本大会と現状認識においてはほとんど同じだったが、「被疑者の原則匿名」「報道評議会の設置」という点の記述でやや進展が見られた。八月には自民党の「報道と人権等のあり方に関する検討会」報告が出され、その内容は概ねいいようだが、五項目目で「法的規制」を打ち出している。十月二一日の朝日の記事(東京本社管内)によれば、法務省の人権擁護審議会で「行政命令によって、人権を侵害する記事を差し止めることも視野に入れて検討したい」との内容の文書が作成されていることが明らかになった。当局は「事前検閲が憲法上の問題だということは分かっているし、あくまでも選択肢の一つ」と弁明しているが。一方、新聞協会内でも倫理綱領を見直す動きがあるようだ。このような外圧を受けながら、自主規制が進んでいくのかもしれない。その動きがどうであるかは置いておいて、とにかくどんな自主規制を作れるかが問題だ。また、裁判での報道被害救済も進めていかなければならない。カレー事件では、写真週刊誌「フォーカス」が女性被告の法廷写真を撮影し、掲載した。それに対して抗議すると、今度は被告の酷似した法廷イラストを掲載し、抗議を揶揄するようなキャプションが付けられていた。これらの人権侵害に対し、弁護側は近く「フォーカス」を相手に訴訟を提起することになっている。今回特筆できるのは、その訴訟の中で、取締役個人の責任を追及しようともしている事だ。これは編集権に大きな脅威となるだろうし、このような訴訟を起こされざるをえないという現状を、メディアは考えるべきだ。本来は自主規制すべきことなのに、外圧を招くようになってしまっている。


 休憩、ビデオ上映をはさんで、後半の討論に入った。まずビデオにあった甲山事件報道にスポットを当て、太田さんは「今回の差し戻し2審では、テレビが昔の映像を流した以外、救援会の要求が受け入れられた」と述べた。判決報道で、遺族のコメントが実名で載せられた点について吉田さんは「早朝の火事が発生すれば、昼のニュースに間に合わせようと犠牲者の身元確認に必死になる、という具合に、今も事件・事故報道では原則実名になっているのが実体だ」と語った。

 これに関連して、新聞労連の「新聞人の良心宣言」に「被害者の顔写真、被疑者の連行写真・顔写真はできるだけ掲載しない」という条項が盛り込まれている点について、北村さんは「宣言の作成過程で、『こんな条項はいらない』という意見が、現場から沢山出てきた。実名・匿名原則、写真掲載の是非で侃々諤々の議論を闘わせた末、私たちの出した執行部案が通らず、こういう曖昧な表現になってしまった」と経過を説明。自身の経験として「駅のホームでカップルの女性に酔っぱらいが絡んで来たので、男性が付き放したら、その酔っぱらいはホームに落ちて死亡してしまった。朝刊の最終版だけに間に合って、当事者の実名が掲載された。翌日、夕刊番デスクに入った私は、その原稿を匿名にして早版に返した。これに対して、社内でも批判があった」と紹介し、「こんな例のように現場では、自分の範囲で戦おうとしている記者たちがいる。社会部よりも(編集作業の)整理部の方が、より積極的に戦っているだろう。理想は、メディア界でその方向に向かうべきだが、とりあえず現場で戦い、そういう人を守れる体制を作らなければならない。今は、そういう状況に向かう過渡期にある」と語った。

 司会者から、不当映像への救済策を尋ねられた木村さんは、「先月、東京の人権と報道連絡会主催で開かれた集会で、無罪判決を勝ち取った大分・みどり荘事件の男性は、被害救済のためでも『裁判には時間も金もかかる』と発言していた。そういった事は、おかしいのであって、司法界にいる者がもっと合理的努力をしなければならない。訴訟のメリットは、自分の主張をきちんとジャッジしてもらうという点にある。もう一つ、メディアとしての自主規制も必要なのであって、その意味で報道評議会のような物が必要になってくる」と述べた。

 「そもそも報道評議会の定義付けは何か」と問われた北村さんは「スウェーデンなどで先行されているシステム。まずプレス・オンブズマンという新聞の自主機関が、報道被害について被害者の言い分を聞いて対処し、それに不服があった場合、報道評議会が登場する。評議会が『報道がいけなかった』と裁定したら、新聞社に一報と同じスペースを割いて謝罪させるという強制力も持っている」と説明。「この制度の実現には新聞労連だけでなく、経営者側の新聞協会との連帯が必要だ。労連として協調を求めた事もあったが、当時は評議会そのものも知らない人がいたし、『そんな事を言うのは浅野(健一)派だ』とレッテルを張られるような状況だった。ところが最近、新聞協会が報道評議会に関心を持ち始めている。新聞の再販指定撤廃の動きや自民党による報道規制の動きに対処するための手法としての位置づけだ」と分析した。

 (民放とNHKが九七年五月に設立した)「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」にも触れて、北村さんは「BROは中身に疑問の声がある。第一例では『(規定の)三か月より前の事例だから』『裁判を起こしているから』などと、入り口でもんちゃくがあったし、以降の事例でも具体的な救済ができないでいる。でも、とりあえず作るという事に意義があると考え、新聞にもとりあえず報道評議会を作った方がいい。新聞協会は、その設立にあたって、新聞労連や日弁連を排除するかもしれないが、少なくとも日弁連が加われるようにしなければならない。二〇〇〇年が設立にあたっての大きな節目になるだろう」と語った。報道に対する甲山救援会からの働き掛けについて、太田さんは「救援会は当初、余裕がなくて、マスコミ被害に対しても『仕方ない』と自然災害のように諦めているような状況で、報道批判などは考えもつかなかった。でも、一連のロス疑惑で被告男性がメディア裁判を起こすなど積極的な活動をされたことは、評価されるべきで、いい先例になっていると思う。メディアの自主規制という観点でいえば、甲山事件は他の事件と比べて、救援会の言い分に配慮されているな、という印象を持っている」と語った。


 続いて、会場からの質問を書面で受け付けた。質問と回答は次の通り。

 質問 BRO運営規則八条に「委員会は、当該番組の放送済みテープその他関係資料等の提出を求めることができる」とあるが、実行性はどうか。

 吉田さん テレビ局には、放送したテープを三か月保存しておく義務がある。小さな事故は放送した分だけ、大きな事件になると未放送分も含めて全て保存するなど、ライブラリー化にもランクが設けられている。但し、これらは放送目的やBRO以外に出すことは拒否している。また我々現場の者は、BROを認識できていないのが実情だ。

 

 質問 新聞は、テレビに比べて検索しやすいとされているが、縮刷版は東京本社発行分の最終版のみ、という制約もある。データベース化も遅れているのではないか。

 北村さん データベース化は進んでいて、むしろ縮刷版を止める方向になっているのかもしれない。逆にデータベース化が進めば、冤罪が確定した事件などで人権侵害した過去の記事を削除できない問題も生じてくる。

 質問 報道に明らかな間違いがあれば謝罪すべきなのに、甲山事件のような大きな問題でもマスコミは謝罪していない。メディアは無罪推定の原則をどう受け止めているのか。

 北村さん 個々の記者で全く違う。私個人は、山田さんと付き合いもあって、今回の判決は当然の結果だと思っているが、そう思わない記者もいる。捜査当局と一緒に仕事していると、当局の前提が記者自身の前提になってしまって、無罪判決が出ても「やっぱりあいつが犯人だ」と考える。これが冤罪の構図だ。そんな記者たちの特ダネに局長賞などを出して表彰しているのが新聞の現状だ。

 吉田さん 容疑者なり、それに近い人の言葉が真実に近いと思っているので、甲山は当然の判決だったと考える。奈良の月ケ瀬事件でも、容疑者を取材した記者は「あの人が犯人だとは思えない」と語っていた。でも一方、その考えを報道するのは組織の中で難しい。

 太田さん 甲山への長年の誤報に対し、一面片隅くらいに謝罪記事が載るかな、と期待していたが、どの社からも謝罪がなく、裏切られた思い。落胆している。「週刊金曜日」の甲山特集で、各社にアンケートをとっていたが、「人権に配慮した報道に日々努力しています」という逃げの回答ばかりだった。今後は、私たちがどう働き掛けるかにかかっていると思う。メディアは、どんな事件にでも冷静に分析する記事を書いてもらいたい。今回もいろんな取材を受けて疲れた。物理的に疲れたというのではない。各社が同じ事を聞いてきて、しかも何年も前に話したことばかりだったからだ。救援会の機関紙「甲山通信」も毎号、各社に送ってきたのに。社に取材の蓄積がなく、記者も勉強していない事の証明だ。質問は「二五年は長かったですね」なんて。長かったのは当たり前でしょ。そのほか「苦しかったでしょう」「山田さんは生の言葉で何と言っているのか」などというものばかり。情に訴える記事ばかりを求め過ぎている。園児証言の問題性など、もっと真相に迫る取材をしてほしかった。

 木村さん 甲山では謝るべきだった。検証記事はあったが、メディア自身の謝罪がなかった。謝罪する姿勢がないと、報道評議会ができたとしても、本当に機能するかどうか疑問だ。また、警察情報にばかり依存し、写真付きで実名報道しているシステムが、問題を引き起こしている。これらを改めなければ、謝っても同じ被害を生むだけだ。報道評議会設置とともに、匿名報道原則などの新システムと謝罪する姿勢も要求される。

 

 質問 今日のパネリストが所属されているサンデー毎日も読売テレビも謝らなかったが。

 北村さん 過ちがあれば謝罪すべきなのだが、大きな組織の中では、人事異動などもあって、誰がどういう形で謝るのか、うやむやにされてしまう所がある。私としては、個別の事件に個別に対応していきたい。先月発生した文京区の女児殺害容疑で知り合いの母親が逮捕された事件では、私たちは話し合った末に「これは“お受験”殺人ではない」という前提を持って報道を展開した。サンデー毎日の次号では、事件そのものの報道は極力抑えて、ムラ社会の中での悩みにスポットをあてた記事を載せることになっている。相手が権力者なら事件を徹底的にやるべきだが、一般の事件では真実に迫れるような背景を分析する事に全力を挙げたい。自分でできる事を一つずつやっていきたい。

 吉田さん 謝罪は負けを認めるようで、できるだけ避けようという傾向がある。謝罪すべきだったのに、していない。人間として出来んものかと、素朴に思う。誤った事をしてきたのに謝れない仕組みだ。捜査ミスに対しても、マスコミは何も言っていない。

 

 質問 権力のメディアコントロールをどうとらえるか。匿名報道になると、警察もプライバシー保護をたてに情報を出さないようになるのではないのか。

 北村さん 権力によるコントロールは、以前から連綿としてあり、大きな危惧を持つ。また「新聞は金太郎アメで、どの新聞も同じ」と言われてきたが、最近はPKFや盗聴法などで読売、産経VS朝日、毎日という対立軸での分裂が明確になり、だんだん権力がコントロールしやすくなっている。これらを深刻に考えないと危ない状況だ。新聞労連時代は「各社、足の引っ張り合いなんかしている場合じゃない。賃金アップなんてどうでもいいじゃないか」と言っていたくらいだ。一方、「匿名報道原則になると、警察が発表しなくなる」というのは本末転倒。それは私たちが阻止しなければならない。そして当然、情報公開を進めていかなければならない。

 太田さん 権力による圧力には危惧を持つ。私たち報道被害者が行うメディアへの働きかけが、権力から拍手を送られるようになってはダメだ。規制方法をメディア自ら作って行かなければならない。もし警察が情報を抑制するようになったら、それを報道して日々警察と闘ってほしい。

 吉田さん テレビ界は、デジタル化に向けて多額の資金が必要となっていて、民放は政府に対して公的資金の投入を求めようとしているくらいだ。米国人にそんな話をすると誰もから「公的資金なんか受けたら、国家に対して何も言えなくなるではないか」と唖然とされたが、日本の現状はそんなのだ。余計に権力介入に危機感を覚える。局内では経営者側からの「生き残りが大変だ」という洗脳が行われていて、ジャーナリストとしての基盤が揺らいでしまう。

 木村さん 警察は、むしろ「マスコミが不用意な事を書くから、もう発表しないでおこう」と思っているのではないか。真実の前提となる事実を警察がどう認識しているのか、それを引き出してそれをチェックするのが報道の役割と考えて警察と向かうべきで、真実はさらに自分たちが取材するんだ、という姿勢を持ってほしい。一方、得た情報の中からどこまで報道するかは、メディア側のモラルに委ねられる。


 そして最後に、各パネリストから一言ずつ、まとめの言葉を語ってもらった。

 北村さん メディアリテラシーの問題だと思うので、作る側と受け手によって、この問題を考えていきたい。

 太田さん デスクから頭ごなしにやられるのだろうが、そんな中で一線の記者に頑張って闘ってほしい。闘わないとつぶされてしまう。

 吉田さん そういう人材を育てられるよう、目を向けて行きたい。

 木村さん メディアが権力をチェックする。そのメディアを市民がチェックする。そのために、受け手である私たちがもっと積極的に発言していかなければならない。

※お断り この原稿では、報道被害者など当事者を原則匿名で記載しましたが、甲山事件の山田さんと、松本サリン事件の河野さんのお二人につきましては、報道被害について積極的に発言されていて、以前に当会のシンポにも参加していただいた事などから、実名で掲載させていただきました。


シンポの感想です

 

○国家が自由な思想・信条をコントロールしようとする雰囲気のなかで、あらためてメディアの役割の重要さを感じました。同時にメディアがそれに対応できずに、ほんろうされている現実も。市民とメディアが共に手を携えていかなければならないと思います。(会社員20代女性)

○「報道被害者に対する当番弁護士的な対応システム」(吉田さん・YTV)は是非とも必要であり、早期に立ち上げるべきだと思う。「メディア・リテラシー」が最近強調されるようになったが、一般的には「マスコミへの信頼度は高い」のが現実であり、発信側の責任であると思う。(広告会社40代男性・大阪城東区)

○文京区の事件でも報道被害が起きていると思う。一般の国民・視聴者・読者がもっとこの問題への意識を高めるべきだと思う。(団体勤務40代男性・大阪天王寺区)

○市民・主婦では耳にすることのないお話がきけて、参加してよかったかなと思いました。心のある人たちの集まりでホッとしました。(主婦30代女性・大阪高槻市)


 

 先日、週刊金曜日の取材を受けた。テーマは「甲山事件報道」で、「事件当時、取材した記者に話を聞きたい」ということで、取材に応じたのだが、出来上がった記事を見て驚いた。僕の思い、考えは全く伝わらず、他社の犯人視報道を傍観し、会社の言いなりに行動するだけの記者として描かれたのだ。取材記者に電話で1時間抗議したが、記者の方は「どこがいけなかったのでしょう?」という反応。記者ではラチがあかず、次に編集部に電話。編集長が応対し、「それでは論争欄に投稿して下さい」ということで、問題の個所を明示し、自分の思いについて投稿した。この投稿でも、不快な思いをした。編集部は、取材記者と僕との間のトラブルかのように扱い、「記者はそのようには言わなかったと言っています」などと原稿に訂正を求めてきた。電話やメールで何回かやりとりをして、結局、一部の語句修正だけ応じたので掲載されたが、掲載後は編集部からも記者からも何の連絡もない。勿論、謝罪の言葉もない。なんだ、これでは自分ひとりが騒いだだけで、相手は自分の怒りを理解していないじゃないか、と虚しくなってきている。書かれる側の思い、考えを無視した記事を見せつけられるのは本当に苦痛だ。取材する側は材料の一つかもしれないが、取材される側は生きた人間だ。人間を大切にしない取材は、どれほど美辞麗句が並んでいても意味がないということを痛感した。(俊)


次回例会は2月5日(土)木村事務所で

 犯罪被害者の報道被害をテーマに

 

 「人権と報道関西の会」の次回例会は2月5日(土)午後1時半から、大阪市北区西天満2の9の14、北ビル3号館(アメリカ領事館の入っているビルの東向かい)6階、木村法律事務所(06・6366・4147)で開きます。講師は大阪YWCA所属大阪被害者相談室代表の堀河昌子(ほりかわまさこ)さんで、犯罪被害とともに2次被害としての報道被害にも遭っている方の問題についてお話ししていただきます。会場はいつものプロボノセンターではありませんので、ご注意ください。(小和田 侃)。


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