道尾秀介の「光」(光文社:2012年6月刊)の主人公たちは小学4年生。仲間たちと過ごした夏休みの果てしない世界。大人になったら何になりたいか夢を語り合う。スティーブン・キングの中編集「Different Seasons 」(1982年)の中の「THE BODY」に似ている。明日から新学期になる少年たちが森の奥に死体があると聞いて出かけて行く冒険譚でロブ・ライナー監督の映画「スタンド・バイ・ミー」の原作だ。
2/3は子どもたちと犬の他愛もない遊びと洞窟への冒険の話で退屈だが、終盤近くに突如大冒険が始まる。いつも忙しい両親に反抗した一番年少の子供が大人たちとグルになって誘拐狂言をやらかす。脅して両親が反省してくれればそれで良かった。仲間の少年たちがその子を救いに行くが、逆に捕まって洞窟の中に閉じ込められる。3人の大人は狂言を通り越して誘拐を考え身代金を要求し始める。映画と同じで今は大人になった彼らが懐かしいそして生涯に二度とない大冒険を振り返る。今までの道尾の小説と異なりメルヘンのような内容だ。仲間と経験したわくわくするような謎、逃げ出したくなる恐怖とそして最後に起こる忘れ難い奇跡。最後に犬のワンダに救われるのはフランス映画のアカデミー賞作品「アーティスト」に似ている。
1904年のスイス・チューリッヒ郊外のブルクヘルツリ病院。29歳の精神科医カール・グスタフ・ユング(マイケル・ファスビンダー)の元に落ち着かないヒステリックなロシアの若い女性ザビーナ(キーラ・ナイトレイ)が患者としてやって来る。ユンクは斯界の先輩、オーストリアのジークムント・フロイト(ヴィゴ・モーテッセン)の提唱する「談話療法」(THE TALKING METHOD)を治療に試してみる。
原作はこの映画の脚本も書いたクリストファー・ハンプトンの舞台劇「危険なメソッド」(A DANGEROUS METHOD)。監督はカナダ生まれのデヴィッド・クローネンバーグ。モーテッセンを主演にした「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や「イースタン・プロミス」は大好きな作品だ。しかし毛色が変わった実話を基にしたこの映画は恐らくクローネンバーグの最優秀作品だろう。
サビーナを治療しながら「我々は海図の無い新世界を旅しようとしているとユンクは思う。後年、ユングとフロイトは学会でNYへ渡った際にフロイトは呟く「アメリカ人たちは僕らが大災厄(PLAGUE)を持ち込もうとしているのを知っているのかな?」実際二人の持ち込んだ精神療法はアメリカでは大流行をしたのだ。
映画は二人のエピソードの枝葉は斬り落とし、特にユンクとザビーナに焦点を当て「セックスと死」について絞り込む。ユングはザビーナの幼少期の記憶を辿り、性的トラウマの原因を突き止める。4歳の時に父親に折檻され尻をスパンクされたことで性的興奮を覚えるようになったと。次第にサビーナとユンクは患者と医師の関係を超える。ユングの妻エマ(サラ・ガドン)が妊娠したことで夫婦生活は揺らぎ始めていた。
1906年ユングはオーストリアを訪れ敬愛するフロイトと対面し「対話療法」の劇的効果を語る。更にユングの見た夢「丸太を引いて歩む馬」の分析を13時間もかけて行う。ある日フロイトからの依頼でオットー・グロス(ヴァンサン・カッスル)という精神分析医でありながら薬物中毒の患者を診る。「快楽を拒むな」「患者の女と寝たことがあるか」「衝動に身をまかせろ」快楽主義者のグロスの言葉に刺激を受けザビーナへの欲望がふつふつと湧きあがる。「オアシスで水を飲むことを忘れるな」との書置きでユングは意を決しザビーナの自宅に足を向ける。今では当たり前になっているが妻帯者ユンクはザビーナとセックスをする。ヴァージンの血がシーツを濡らすシーンは意外と清楚に描かれる。
会話は常に対立し刺激的で新鮮だ。自己をはっきりと打ち出している。
ユングはキリスト教プロテスタントでフロイトもザビーナもザビーナが後に結婚する夫も総てユダヤ人。特にユングの父は牧師で彼自身も敬虔なクリスチャンの神秘主義者なのに対しユダヤ人で無神論者のフロイトは根本的に考えが違う。ここでは明確に描かれないが、宗教的な違い人種的な差別が後にフロイトとユングの決別に繋がった(と思う)。
精神分析の礎を築いたユングとフロイト。二人の出会いと決別。その背景にロシアから来た美しい女性患者がいたのだ。
10月27日よりTOUOシネマズシャンテ他で公開される。
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