東京地裁に「10名の地位保全」の訴訟が進む中(以下の記事はFCCJ代理人・横木雅俊弁護士に法的措置をとると言われ削除)
昨日(22日)の午後はTOHOシネマズシャンテへ出かけた。地味な映画で既に公開して1週間になるのに満員の盛況。日劇などの大劇場では上映される種類の映画ではないが、期待以上の秀作で感動的、最後は涙が零れて止まらない。
ドイツと言えばFIFAワールドカップ優勝3回を誇り、FIFAのランキングでは常に上位のサッカー王国だ。しかし19世紀後半ドイツ帝国の成立後、皇帝ヴィルヘム一世の強力な支配下の帝国主義ドイツでは反英感情が根強く、イギリスで生まれたサッカーはドイツでは知られておらず、イギリス的なものは反社会的とされていた。そんな中、地方都市の名門校にイギリスで4年間学んだドイツ人の英語教師が赴任する。コンラート・コッホ先生は後に「ドイツ・サッカーの父」と呼ばれる実在の人物である。
1874年、皇帝(カイザー)の支配する「帝政ドイツ」。ドイツの北東部ニーダーザクセン州にある地方都市ブラウンシュヴァイクの名門校・カタリネウム校で新奇なことが好きな校長メアフェルト・グスタフ(ブルクハルト・クラウスナー)は敵性語の英語を教師を招いた。
父親は普仏戦争で戦死し、4年間オックスフォード大学に留学していたコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)はドイツ初の英語教師として赴任してきた。当時は反英感情が強く、教師たちも生徒たちでもイギリスは大嫌いだった。級長フェリックス・ハートゥングを先頭にクラスでただひとり労働者階級出身のヨスト・ボーンシュテットにのこぎりで悪戯をした罪をでっち上げる。コッホ先生は授業開始しようとした矢先にその苛めを見る。その日の夜に開かれたパーティで地元の名士たちに会う。その中でキリスト友会会長でありPTA会長としてカタリネウム校を支配するフェリックスの父(ユストゥス・フォン・ドーナニー)は若い教師に説教をする。ドイツ帝国の教育は「秩序と規律そして服従」がすべてであると。コッホは当然反発する「生徒個人の個性や自立を促す進歩的な教育」を自分は目指すと。親たちからも言われ英語を学ぶ意欲が無い生徒たちをコッホは体育館に集合させ愛用の革製サッカー・ボールを見せボールを蹴ることを教える。体育の授業と言えば徒手体操だけで生徒たちは面白くも可笑しくも無い。ボールを蹴り始めるとたちまちエキサイティングで楽しくなり、サッカー用語を通じて英語も熱心に覚える。スポーツ用品メーカー社長の息子でゴールキーパーの太っちょオットー・シュリッカーは、コッホ先生のボールと同じのものを作れと工場長に命じる。また苛められっ子のヨスト小柄で足が速くフォワードとして大活躍し、苛めは止んで皆の仲間入りを果たす。各人の個性や才能が見え始めてきた。ところがPTAやキリスト友会の連中に見つかり、サッカーを禁止するかコッホの解雇かと校長に詰め寄る。サッカーは禁止になっても、コッホは放課後は自由だ、授業後自発的に公園に集まりサッカーの練習をしようと持ちかける。次第にクラスは上手くなり本物のチームとしてイギリスのコッホ先生の友人が率いるチームと対戦しようとムードは高まる。
コッホ先生と生徒たちに圧政をもって臨むキリスト友会の保守派層との戦いは、一進一退を繰り返し負けを辛うじての逃げる攻防が面白い。父親から禁じられた恋に反発するフェリックスの美人のメイドとのロマンスも織り込む。サッカー派の先生・生徒連合軍の奥の手は新しいスポーツ、サッカーはドイツ帝国に相応しいか否か「文部省の視察官派遣」を申請する。お上に弱い保守層は受け入れざるを得ない。カタルシスは英国vs独逸のサッカーチームの試合で齎される。
驚いたことに英国国歌(God save the King(Queen))のメロディはその当時ドイツ・リヒテンシュタインの国歌でもあったことだ。イギリスの生徒たちがGod Save the Kingを歌いながら校内へ行進して来るのを保守派の歴史の先生が帝国視察官来訪と勘違いして生徒を起立させドイツ国歌を斉唱させるシーンは笑える。
映画はコミカルなトーンで描かれるが、夫々の悪役を配したエピソードが巧み。ワールドクラスの人気俳優ダニエル・ブリュールの熱血教師の好演もあって最後まで堪能させる。生徒個々人の悪戯は笑えるし窮状に落込んだ際の友情も美しい。実話だけに迫力も充分。監督のセバスチャン・グロブラーはこの作品で認められた。久しぶりで人間ドラマの傑作に会えた。
日比谷TOHOシネマズシャンテで公開中。
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