村松友視は得意の鎌倉を舞台に「残月あそび」(河出書房新社:2012年6月刊)と言う一風変わった小説を表した。編集者青山恭一郎は陽炎のように現れた老女、長倉涼子の物語に惹きこまれる。涼子が語る姉、薄香と30歳以上も年が違う上に妻子がある光広とのとのロマン。破天荒な書家、木戸原光広が住んだと言う「残月庵」。右から左へ書かれている扁額だ。
青山は涼子とは別に仕事で鎌倉に住む作家、山根一男に能の話を書かせようと自宅を訪ねる。山根は一筋縄で行く男ではない。博覧強記の知識で青山を翻弄する。良寛の信奉者、「散る桜、残る桜も、散る桜」と自分の哲学は良寛の句から受け継いだと。更に「うらを見せ、おもてを見せて、ちるもみぢ」と70数歳の良寛が30歳の貞心尼の仲を語る。その話を最後に山根は溺体で発見される。鎌倉は文学でも文化でも奥の深いミステリアスな場所だ。
2部の冒頭で民主党の幹部連中と交流があるのに驚く。08年の政権を取る直前にしても前原誠治、玄葉光一郎、細野豪志など閣僚級の連中が劇団・青年団の「冒険王」を観た感想をツマミに平田オリザと語り合う。民主党政権になって鳩山由紀夫内閣の内閣官房参与に任命され、所信表明演説の草稿を執筆。鳩山首相に当日2時間にわたり、間の取り方や強調の仕方等、演劇の手法を直接伝授したと言う。
平田オリザは政治家にスリスリするのかと思うと決してそうでなく、衒いもお世辞もゴマすりもなく自然体の友達口調でお喋りをするのにびっくりする。鳥取で行われた「鳥の演劇祭」を主催し、知事や市長ともざっくばらんにまるで劇団員にダメを出すのと同じように自分の考えを話す。想田のカメラは平田を追いながら微妙な音や声を着実に拾っている。話が長くなり延々と続くと見るや結論を待たずサイレントにし、お百姓さんの稲刈りや猫のカットなどを入れる。想田は猫が好きだ。(唯一の観察映画でない「PEACE」では飼い猫と外猫のテリトリー争いを追っている。最後は対立する猫たちはピースで一緒に餌をとるのだが)駒場の劇団近くの数匹の猫、フランスのパリ近郊の劇場裏道での猫。芝居から一瞬気をそらせて休息を見る人にとらせる。
お金の問題に触れる。事務所の壁に「三文オペラ」のセリフが貼ってある。「まず食うこと それから道徳」中国の「衣食足りて礼節を知る」と同じだ。キチンと劇団員や事務員に給与を払うことを絶えず頭に入れている平田は立派だ。メンタルヘルスの会議で講演する。「日本の行政は『体=健康』と『頭=教育』にはお金を出すが『心』の部門には金を割いていない」心と精神は昔から芸術と宗教が担って来た。健康保険制度も失業保険制度もあるのだから芸術保険制度もあってはいいのではないか。いささか牽強付会の主張ではあるが、平田が芝居の台詞調に喋ると成る程と思ってしまうから不思議だ。
しかし平田にとっては生死を賭ける問題なのだ。文化庁から劇場に対して出る「拠点助成」の分厚い申請書類に目を通す。一旦通れば3年間、8000万円の助成金が出る。これが通らなければ間違い無く青年団は破産し劇場の土地と建物は人手に渡る。
2台のロボットと俳優二人の舞台「働く私」も興味深い。平田はここでスタニスラフスキー理論「俳優は内面の状態を作ってそれに応じて発話すべき」の嘘を実証する。ロボットに内面の状態は無いのだから。
一切の解釈や注釈、ナレーションやBGMを挟まず想田の観察映画は淡々と3時間近いドキュメンタリーを流す。平田の個人的な魅力や演劇「ヤルタ会談」「隣にいても一人」「働く私」などで舞台のサワリを楽しめる。特にパリ近郊ジュヌビリエ劇場での「砂と兵隊」は面白い。フランス人俳優がフランス語のセリフで勿論観客はフランス人。通訳を入れて平田はいつものように繰り返しのリハーサルに秒単位のダメだし。インタビューに答えて「ブッシュが始めた目的に無いイラン戦争が100年続いた世界」を描いたと言う。
ここでもフランス人俳優のギャラと日本人俳優へのサラリーを論じる。平田は現実論者で決して芸術至上主義者では無いことを画面で見せる。
イイね!すっかり平田が気に入った。これは平田の6時間に亘る宣伝PR映画だ。
エンドクレジットが流れる5分程のBGMは、平田オリザ休憩中の爆睡の大鼾だと言うのも巧まずしてユーモアあふれる想田観察映画で笑える。
10月「演劇1」と並んで渋谷シアター・イメージフォーラムで上映される。
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