航空自衛隊岐阜基地からXASM-3ミサイル4発を搭載した戦闘機F-2が盗まれる。F-2はF-16を改良した新鋭機だ。緊迫感が高まる自衛隊本部にテロリストから犯行予告動画が送られてくる。ミサイル防衛に携わる航空自衛隊府中基地の安濃一尉はこのテロの黒幕を知っている。かつて自分の上司で最も尊敬していた男だ!
4発のうち1発は富士山麓に発射したF-2は東シナ海に消える。まさか中国に飛んだ訳ではあるまい。更に犯行予告、明日夜24時に残りミサイル3発を日本本土に向けて撃ちこむと。
緊迫感溢れる「迎撃せよ」(角川書店:2011年2月版)の著者は福田和代。システムエンジニアの福田は未だ無名で無冠だが、メカニックに強く武器や航空機に詳しい。男が書いているかのようにハードで簡潔な文章が良い。
専守防衛で憲法9条に縛られている日本の自衛隊はテロリストが攻撃して初めて迎撃できる。この批判のニュアンスが文章に滲み出る。JADGEシステムからの迎撃指令を受けて市ヶ谷防衛省に備えたPAC-3が見事ミサイルを撃ち落として事なきを得る。
自分の信念を通すために図らずも「北」のテロに加担することになる加賀山元一佐は日本の中国からの防衛のため核武装も必要と説いて航空幕僚長をクビになった田母神俊雄を彷彿とさせる。400ページにもなる大分のアクションドラマを一気に読ませる筆力も凄い。
ドキュメンタリー映画作家の想田和弘は自分の映画作法を「観察映画」と呼んでいる。ナレーション・説明・音楽一切なしで、観客が自由に考え、解釈できる。僕は記録映画に脚本があるのは本来間違っていると思っていた。予めストーリーを想定してカメラを廻すのはおかしい。ナレーションや字幕があるのも映画の方向を示すもので脚本同様におかしいと信じていた。だから想田監督の記録映画手法には全面的に賛同する。
想田はアメリカのドキュメンタリー映画作家のフレデリック・ワイズマンの影響が大きい。ワイズマンはブリッジウォーターでの精神異常犯罪者のための州立施設を見学して強烈な印象を受ける。1967年完成したドキュメンタリー「チチカット・フォーリーズ」はマサチューセッツ州の最高裁判所で公開禁止処分を受ける。以後、ワイズマンは逆に創作意欲をかきたてられ次々とアメリカの社会構造を見つめるドキュメンタリーを発表している。
これは日本の原一男のドキュメンタリー手法とは違う。「ゆきゆきて 神軍」「全身小説家」など記録映画が本来持つ「やらせ的志向」を省略せずに描き、ドキュメンタリー映画の持ついかがわしさを出している。マイケル・ムーアは原の記録映画に感動し「ロジャー&ミー」でGMのスミス会長を追い詰め、「ボウリング・フォー・コロンバイン」で元ライフル協会会長チャールトン・ヘストンの私宅へ押しかけ逃げ回るヘストンをカメラで追いまわす。
だが想田は彼らの手法は既に脚本や映画のコンセプトが出来ていると考える。その方向に沿って撮影し映像を編集する。似ているようで想田の「観察映画」とは全く違う。
劇作家、平田オリザの名前は聞いたことがあるがどんな男か全く知らなかった。49歳油の乗り切った平田を5年間追い続けた観察映画の想田和弘が演劇についての考え方やその方法をしっかり捉える。二部構成で夫々が3時間近く、インターミッションを挟んで通しで見ると6時間を超える苦行を強いられる。
僕自身学生時代に演劇を少し齧ってスタニスラフスキーシステムを学びエチュードで表現力のトレイニングをした記憶があるが、平田はそんなもの、芝居じみたセリフや身振りは意味が無いと全く無視する。声を張り上げてセリフを言うとか人のセリフに被るな、とか正面を向いて喋れ、とかいうルールは不要。飾らない普段通りの喋り言葉のセリフ、後ろ向いての演技も構わず、他人のセリフに被っても気にしない。普通の会話通りの行動やセリフが舞台で交わされる。まるで役者が即興で芝居をしているようだ。その代わり同じ場面に気の遠くなるようなダメだしがある。そのセリフを1秒半早くとか3秒待って喋れとか、コンピュータ的機械的なダメが出る。今までの演劇の演出法とは明らかに違う。
平田の率いる「青年団」は60名の俳優と20名のスタッフを抱え東大駒場前にある「こまばアゴラ劇場」で5階の稽古場でのリハーサルを中心に描かれている。動き廻りダメを出し喋りまくる平田。急に「15分休憩!」と言って、さっと大道具のベッドに飛び込む。ただちに大鼾!起こされるまでの15分間きっちりと爆睡するから体調コントロールも大したものだ。
子供たちを集めたワークショップで「大変さを含めて、演劇は一番楽しい遊びだと思う。楽しく無ければ演劇ではない。楽しくなかったら何かが間違っていると言うことだから、今回のことを思い出して、どうしたら楽しくなるのか考えて欲しい」との言葉が印象に残る。
想田は「精神」を送り出す時に語っていたが「演劇」の撮影テープは1000時間に迫っていると。これを6時間にエッセンスを絞り込む作業は大変だろうと思う。想田の観察映画は「編集映画」の成果だと言えよう。自分の主張や思いを言葉で無く無数の絵を取り出し切り取り集めて纏めるのだから。
10月、シアター・イメージフォーラムで演劇2と共に上映される。
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