今朝の千代田線始発電車の優先席。昨日僕が一般席に移るように忠告した30代前半男性の常連客の姿は無い。遥か向こうの健常者席に座っている。ヴィジランテのウォーニングを聴いてくれたのだ。未だ日本も捨てたものではないと満足感を覚えて着席した。その瞬間、席を取るため逆行して下り列車に乗り込んでいた群衆が雪崩こんで来る。未だ一般席が空いているのに5人の若者が争うように優先席に飛び付く。中には常習犯スキンヘッドの青年の顔も見覚えがある。後ろから足腰が悪いためゆっくり入って来た老人を一顧だにしない。やはり日本はダメだ!明るい未来は無い!
吉村昭の戦争犯罪を描く1978年に発表された「遠い日の戦争」(新潮文庫:2012年4月、18刷)を改めて読んだ。昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下った日に、福岡・西部軍司令部の清原拓也中尉は撃墜されたB29からの米軍捕虜を斬殺処刑した。無差別攻撃で無辜の市民たち何十万人をも焼き殺した報復、日本人総ての意志の代行だった。だが敗戦はそれまでの総ての価値観を変えてしまう。戦犯として罵られ「日本人の恥」と断罪される。官憲の手を逃れて親類や元部下そして大学時代の友人宅を転々と逃亡する生活が始まる。暗く怯えに満ちた毎日。勝った者の論理が通用する戦争犯罪人たち。命令を下した上官が罪を中間将校に押し付ける見苦しさ。戦争犯罪とは何かを問い、戦争直後の急激な価値観の変革を描く興味ある小説だ。僕自身も国民学校生徒で何となく感じていたことが吉村昭の筆ではっきりと形になって来るのを感じる。
この映画のテーマは親の子どもへの愛情。親は自分の子どもに自分たちの価値観や人生観を仕込み、外の世界からの誘惑や害毒から守ろうと学校へも行かせず家庭で学習させる。その有様を誇張してコミカルに描いたのがこの作品だ。余りにも極端な保護主義で度を外れているので呆気にとられるし笑える。
冒頭は3人の子供たち、20代前半の長女(アンゲリキ・パプーリア)長男(クリストス・パサリス)10代後半の次女(マリア・ツォニ)がテープで反復しながら語彙を覚えている。「遠足」は床の素材、「海」はソファ、「ゾンビ」は黄色い花。何でこんな出鱈目を教えるのか訳が分からない。
大きな芝生の庭とプールのある豪邸に住む一家5人。邸宅の周囲には高い塀と生垣を巡らし外へは一歩も出させない。外の世界は危険が満ちていると。父親(クリストス・ステルギオルグ)が専ら教師役。フランク・シナトラの「フライミー・トゥ・ザ・ムーン」を聞かせ、お爺ちゃんが君たちへ祖父の愛を英語で伝えているんだよ、と教える。門の外にいる猫が君たちの兄弟を殺したんだよ、と教える。長男が庭に侵入した可愛い仔猫を大きな挟みで刺し殺すシーンに目を背けたくなる。明らかに生きている猫だ。ある晩母親(ミシェル・ヴァレイ)が「これから二人の子供と一匹の犬を産むわ」と宣言する。「もっとお行儀良くしていればもっと産んであげるから」と。
父親が年頃になった長男のために外の世界からクリスティーナ(アンナ・カレジドゥ)を連れて来て一緒に住まわせる。登場人物で唯一名前を持ったキャラクターだ。そしてセックスだけは教えなくても本能的に直ぐ始るから面白い。
クリスティーナのセックスを軸に家族内で動きがある。彼女は長男ばかりでなく姉妹にも触手を伸ばす。画面では裸体が乱舞するのに、馬鹿な配給会社が検閲を慮って後ろからも前からもボカシを入れてしまった。ヘアヌードは許可になっているのを知らないのか?両親のベッドシーンも若者に劣らずお盛ん。
原題の「DOGTOOTH」は犬歯。両親は犬歯が抜けたら外へ出ても良いと子供たちにおしえている。成人して犬歯が抜ける訳は無い。妹が石でガンガン口を叩き、血だらけになって歯がボロボロと落ちるシーンは笑うに笑えない。
子供を汚れた危険な外界から守ろうとすると、飛んでも無いことが起こる。奇妙で不思議なギリシャ喜劇。監督・脚本のヨルゴス・ラティモスは「将来の家族像を描きたかった」と言う。何があっても子供を守る親、過剰に庇護された子供たちの行方など決して予言をしたのでは無いと。
現世離れしたギリシャコミックは一見の価値がある。
8月に渋谷イメージフォーラムで公開される。
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