教育制度 

 保育とともに人間形成の重要な部分を担うため人々にとって重要な教育。教育制度は国の将来に関わってくるので難しい問題のようですが、カンボジアの学校の様子は非常に明るいです。

教育の歴史
現在の教育事情


育の歴史

カンボジアにおける公教育

・フランス植民地〜独立後初期 (寺子屋から近代教育制度へ)

 古くからカンボジアの教育には仏教が大きな役割を果たしており、カンボジアの旧来の教育は寺院によって行われていました。フランスの植民地時代にフランス植民地政府が従来のシステムに加えてフランスモデルに基づいた近代教育を導入し、設立しました。
 初等教育カリキュラムは、今と同じようなカリキュラムから成り、初めの3年間はカンボジア語が教授言語で、次の3年間以降ではフランス語が教授言語として使用されていました。(しかし、1970年代の初めには、カンボジア語が初等教育の中でより広く使用されるようになりました。)
 1950年代には初等教育が、1960年代には中等教育が大きく伸びました。
 1960年代以前の高等教育のための国の施設は、公務員を訓練するための国立研究所一つのみで、政府奨学金を得られたカンボジア人は大学レベルの教育を外国に求め、多くの学生は、フランス、独立後にはアメリカ、カナダ、中国、ソ連およびドイツ民主共和国の学校に通いました。カンボジア国内では、最大のプノンペン大学、3つの州立大学、プノンペンの農業大学および芸術大学が講座を開講していました。


・ポル・ポト政権時代 (教育の衰退)

 ポル・ポト政権中に、教育は深刻な後退をせざるを得ませんでした。学校は閉鎖され、高学歴の人や教師は、疑いをかけられたり、拷問を受けたりし、最悪の場合、処刑されました。旧ソビエト連邦の調査によると、教師の90%がポル・ポト政権の下で死んだと報告されています。少ない教育予算はクメールの革命の教訓を教える政治教育と技術教育に集中し、読み書きは教えられませんでした。


・ヘン・サムリン政権時代  (教育制度の再構築)

 ポル・ポト政権後に政権をとったヘン・サムリン政権は、学校教育制度をほとんどゼロから再構築しなければなりませんでした。当時、非識字者が多く、特に当時14歳以下の最も若い世代は基礎教育を欠いていました。新政権は4・3・3制の学校制度を導入(その後1987年に5・3・3制に変わる)、識字と計算力を確保するための教育の普及を目指しました。
 しかし、ヘン・サムリン政権は西側諸国からは認知されなかったので、1980年代終わりまでそれらの諸国から国際的な援助を受けることはできませんでした。


仏教教育

 フランス人が学校制度を導入するまで、日本と同じように寺子屋が教育において重要な役割を果たしていました。僧は主要な教育の機能を仏教の基本を教えることと見なしていたため、他の科目は第二の目的でした。寺子屋で、少年(少女は、これらの機関で勉強することを認められなかった)は、カンボジア語を読み書きすることを教えられ、仏教の基本を学びました。
 1933年には、中等学校システムが仏教教育システムの中に組み込まれました。学生はプノンペンの仏教大学への入学試験の準備を寺院付属の仏教学校(パーリ語学校)で行なうようになりました。仏教学校では、サンスクリット語とカンボジア語、パーリ語はもちろん、現代と同じような科目も教えられていました。学校の卒業生は、聖シハヌーク統治仏教徒大学に進学することができました。
 その他教育に深く関わるものとして、仏教研究所がありました。王立図書館から形成された研究機関で、図書館、記録、写真のコレクション、および博物館からなっており、いくつもの役割を果たしていました。カンボジアの民話を収集したり、仏典をカンボジア語に翻訳したり、また、辞書編纂業務も行なわれ、カンボジア語の2冊の辞書を出版しました。


私立学校

 カンボジアの都市住民の一部にとっては、1970年以前の支配前の数年間は私立学校が重要でした。いくつかの私立学校は、子どもが自分の言語、文化あるいは宗教を勉強することができるように、少数民族や少数宗教(中国人、ベトナム人、ヨーロッパ人、ローマカトリック教徒およびイスラム教徒)によって展開されました。また、その他の私立学校は、公立学校への入学許可を獲得することができない、カンボジア人の子どものために存在しており、中には名門私立学校といった学校も存在しました。プノンペンのベトナム語学校のすべて、および中国語学校のうちのいくつかは、1970年の政令によって閉じられました。


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在の教育事情

 カンボジアの現在の教育制度は、小学校が6年、中学校3年、高校3年、その後3〜5年の高等教育からなっています。義務教育制度というのはありませんが、すべての学校の授業は無料となっています。

初等教育

 カンボジアの小学生はボールペンとノートを学校に持って行き、先生が黒板に書くことをノートに取る、といったどこの国でも見られるような形式で授業をうけています。就学率は約8割ですが、都市と地方と遠隔地域、女子と男子、といった中で格差が激しいといわれています。また、就学しても中退が多く、その原因とされる学校設備の改善や質の高い教員の養成といった課題への対策が求められています。また、就学率の高い都市部では児童数に対する学校不足で、朝の部、昼の部の二部制、中には三部制をとっている学校もあります。
 カリキュラムは低学年ではカンボジア語と算数中心、高学年になると理科や地理が加わるといった内容になっています。

CYRカンボジア事務所の近くにある小学校のようすをのぞいてみよう

・ソティアロス小学校(公立)一年生午前部の時間割
 時間割
 注:国語というのはカンボジア語です。

・小学1年生の授業風景
 1年生の授業 1年生の授業
 教科書が全員に行きわたらないため、先生が黒板に書いたものをノートに写すことが大事です!!

・小学5年生の授業風景
 5年生の授業 5年生の授業
 先生:この問題解ける人はいますか?
 元気な男子生徒:はーい

・カンボジアの小学生の制服の写真
 制服
 男子は白いシャツに青か黒のズボン、女子は白いブラウスに青か黒のサンポットと呼ばれる巻きスカートをはきます。

中等教育

 カンボジアにおける中等教育は日本の中学校にあたる下級中等学校と日本の高等学校にあたる上級中等学校からなっています。中等教育への進学率は低く、中学校に進学することはエリートコースを進むということです。また、中学へ進学するためにも試験があり、その試験に合格しなければ中学校に入学できません。ちなみに、1993年の合格率は54%です。そしてさらに高校進学のためにも試験を受けなければなりません。このように、カンボジアにおける中等教育は大変狭き門です。


高等教育

 カンボジアにおける高等教育機関で最も代表的なものは王立プノンペン大学です。自然科学系5学部、社会科学系6学部を有する総合大学です。カンボジアにおける人気学部は医学部と法学部、となっており、教員の給料が安いことや地方転勤があることから、教員養成系が最も人気がない、といわれています。現在、プノンペン大学は教育省、農業大学は農業省、芸術大学は文化省といったように管轄省が様々で、新大学の設立や組織の統合改変を含めた整備が行われている所です。現在、大学では、電気、水道といった基本的なインフラも十分でもなく、設備や機材の拡充は海外からの支援によって行っている状況です。教官の育成を図ることも必要となっています。


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