(cache) 本当は恐ろしい「ぞうのババール」 本当は恐ろしい「ぞうのババール」


  世に愛らしいキャラクターは多い。どれもこれも、可愛さをふりまいて子供ばかりか大人にまで愛されようと必死である。可愛さばかりか大量の資本がふりまかれたディズニーの諸君もいれば、一抹のおシャレさをふりまくベルギー製の冒険少年タンタンもいる。国産のハロー・キティなど、サンリオ勢もやかましく街に渦巻いている。しかし、この世にはとんでもないイデオロギーをふりまくキャラもあったものだ。ディズニーだって大昔からアメリカのイデオロギーを体現しているが、そんな巧妙なものではない。
 あの「ぞうのババール」がこんなに恐いものだとは知らなかった。1931年、フランスのジャン・ド・ブリュノフという人物が二人の息子のために作り、やがて出版された「ぞうのババール」シリーズは、作者が息子のローラン・ド・ブリュノフに変わった今も読み継がれ、人気を博している。そこで、評論社から発刊されている「ぞうのババール」の第1話「ぞうのババール こどものころのおはなし」(矢川澄子訳)を開いてみよう。

 まず物語は、大きな森の国で、幼いババールの母親が「わるものの かりゅうど」に撃ち殺されてしまう場面から始まる。泣きながら一目散に逃げ出したババールは、走りに走り続けてやがて「まち」を発見する。「きれいな おおどおり」や「りっぱな じどうしゃや バス」に感動し、着飾った「しんし」を見ては「ぼくもひとつ あんなのを きてみたいもんだ」などと口走り始める。すると優しい大金持ちの老女が現れて「ババールに さいふを くれた」のである。

 ここでページをめくると、特別大きな字体で「さあ、かいものだ!」。買うのはワイシャツ、カラー、ネクタイ、せびろ、ズボン、やまたかぼう、くつ。大量消費生活を学び、自らのブルジョワ魂を発見してゆくババール。記念写真を撮ってもらうことも忘れない。「おばあさんのかってくれた じどうしゃで まいにちドライブ」。ちょっと適応早すぎである。大学の先生が個人教授に来てくれて、ババールはもちろん優等生。そろそろ、エエかげんにせんかいの影が差し始める。しかし、森やママのことを思い出して、ホームシックにかかったりするのもニクいお芝居である。

     

  そこへ、2頭の従兄妹の象がババールを訪ねてくる。「アルチュールとセレストですよ!」。なぜかアルチュールなんてフランス人っぽい名前が最初からついている。するとババールは喜々として2頭を文明責めにしてしまう。再び、煩悩大爆発。
 ババールは、ついに森に帰ることを決意する。もちろん楽しい文明をたっぷり持ち帰ることは忘れない。というより、きらめく文明をもたらすために帰るのだ。その帰還の日、森では王様が毒キノコを食べて死んでしまい、長老たちが後継ぎ探しに困っているところへ、「ババールが くるまで のりつけたのだ!」。毒キノコで未開生活の比喩とは、うざったいぐらい分かりやすく、しつこい。「まあすてきなふく すばらしいくるま!」。くるまくるまとうるさいが、文明の象徴なのである。そして最長老のコルネリウスはこう言うのだ。「にんげんと いっしょにくらして さぞかし ものしりになったことじゃろう。さあ ババールに かんむりを」。この老象、異常に物分かりがよろしい。ババールはセレストをお妃に迎えたことを発表し、「せいだいなパーティー」の開催を宣言するのである。「たいかんしき」もめでたく終わり、「このひのおもいでは いつまでも みんなのむねに たのしく のこるだろう」とまあ随分勝手な決めつけがあって、二人が気球で新婚旅行に出発するところで話は終わる。

 世に王様や王子様、お姫様を描く童話はいくらでもある。しかし「ぞうのババール」はそんな穏便なものとは違う。これは、露骨な植民地主義に貫かれた童話だったのである。Babarという名前も、子供が発音しやすいというだけではなく、barbare(野蛮)、つまり彼の生まれた森を指し示しているのではないか。ここで注意すべきは、「ぞうのババール」で描かれる世界が、旧来のヨーロッパ直接支配をとりあえず脱して、形式上は彼ら自身に統治されていることだろう。大きな森に、「素晴らしいヨーロッパ文明」を学んだ指導者が帰ってきて、親仏政権を樹立し、素朴な民衆に「豊かさ」と「幸せ」をもたらす。しかも、森と街は結構近い距離にあるように表現され、根拠のない一体感が演出される。それをジャン・ド・ブリュノフは1931年に書いた。だからより正確に言えば、これは植民地主義というより、やがて来る新植民地主義を予言した童話なのである。それは、1931年のフランスで一般市民が想像し得る、それなりに良心的な植民地解放の姿だったのだろうか。
 もちろん実際の歴史と異なり、この物語の上ではあらゆる搾取は存在しない。やがて象たちはみんな服を着るようになり、ババール王家の住む街は、妃の名を取って「セレストヴィル」と呼ばれるようになる。そして権力が確立された後は、心優しい王様として数々の難問を解決し、ますますセレストヴィル市民の信頼を集めるのである。息子にバトンタッチしてからは露骨な表現こそ薄れたものの、「ぞうのババール」には一貫した政治姿勢が流れている。
 とまあ、ここまで述べたことは、フランスの出版界ではある程度知られたことに違いない。あまりに露骨ゆえ、フランスでもこうしたイデオロギー性に敏感な家庭では読まれないのかも知れない。一方、日本語版の初版発行は1974年10月20日。フランスがブラックアフリカ諸国の独立を認め、血みどろの抗争の果てにアルジェリアを手放してから、もう10年以上経った頃だ。しかし、どれも本気で手放した訳ではないのは「ぞうのババール」が描いた通りだ。一方の日本といえば、これまでババールの可愛いところだけをクロースアップして輸入してきた。
 1999年秋現在10冊が邦訳されており(A4サイズ)、さらに判型の大きい「グランドアルバム」というのも6冊ある。これさえきちんと読ませれば、君の子供もきっとフランス植民地主義者になれるだろう。今どき、日本人としてフランス植民地主義者になることは困難だから(昔から困難だが)、まさに絶好の教材である。考えてみれば、一応は独立したアフリカ諸国の他にも、ニューカレドニアとかタヒチとか、シラク大統領に核実験をやられたムルロア環礁とか、フランスにはまだいろいろ植民地がある。どうやらフランスの絵本屋の片隅では、そこに住む人たちはみんな服を着た象かライオンか犀だということで通っているらしいのだ。
(2000年「Curious G」に発表)

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