再録・時代を駆ける:山中伸弥/7 かみ合ったタイミング(2011年9月30日掲載)
2012年10月08日
◇SHINYA YAMANAKA
《24個の遺伝子から、不可欠な4個に絞り込み、できた細胞をiPS細胞と名付けた》
「人工多能性幹細胞」の英語表記の頭文字です。iだけ小文字にしたのは、携帯音楽プレーヤーのiPodなどからヒントをもらっています。
06年8月に科学誌「セル」に論文が掲載されて間もなく、米国でシンポジウムに参加したんです。宿舎のバーで飲んでたら、知り合いの欧州の研究者たちが「あの論文、読んだか」「四つ(の遺伝子)でできるなんて、そんなのありえない」と話しているのが聞こえてきて、ああやっぱり、みんな疑いの目で見ているんだなあと。まあ、それは予想できたことでした。あまりに方法が簡単すぎるので。僕が逆の立場でもそう言うと思います。
《本格的な研究開始からわずか6年での成功》
クローン羊ドリーなどの先駆的な仕事があり、目標を立てて戦略を考える段階ではたくさんの日本人研究者の仕事に助けられました。ES細胞(胚性幹細胞)と成熟した体細胞を融合させた京都大の多田高先生の研究や、理化学研究所の林崎良英先生が作ったES細胞で働く遺伝子を網羅したデータベース、さらに東京大の北村俊雄先生が開発した、遺伝子を細胞に組み込むためのウイルスなど、ちょうどタイミングがかみ合ったのは本当に運が良かった。
研究をやめかけた時、奈良先端科学技術大学院大に拾ってもらい、一度死にかけたんだから何か面白い難しいことをやろうと思った。それも良かった。僕の大胆な思いつきにもかかわらず、研究室の人たちが本当に一生懸命実験をしてくれた。それぞれがたまたま1カ所でクロスした。それがなかったらiPS細胞はいまだに、少なくとも僕のところではできていないと思います。
《07年11月には人の皮膚細胞からもiPS細胞を作ったと発表》
本当はもう半年くらい実験して、年明けに論文を投稿しようと思っていました。でも10月に米国に行った時「誰かが投稿しているらしい」と耳にし、慌てて帰りの飛行機の中で論文を書き上げました。結果は、米国のチームと同時でした。
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聞き手・須田桃子 写真・望月亮一/
■人物略歴
◇やまなか・しんや
京都大教授・iPS細胞研究所長。49歳(写真はヒトiPS細胞の作成発表から2カ月後の08年1月、京大で開かれた記者会見で)