違和感を違和感のまま納めておくのってもったいないと思うので、言語化してみます。
過剰な気配りと責任逃れ
この表現を使う人たちをdisるつもりはないんですが、「フォロワーさん」ってなんだかすごく違和感があるんですよね。そこはかとない気持ち悪さを感じます。
なんでかなぁ、と考えてみたところ、僕はこの言葉から「過剰な気配り」と、その裏にある「責任逃れ」の匂いを嗅ぎ取ってしまうようです。
駅のエスカレーターに「ベルトにものを乗せないでください」ってたまに書いてあるじゃないですか。僕、あれにも違和感を覚えるんですよね。そこまで注意しなくてもいいじゃないかと。みなさんベルトに物を乗せたことありますか?多分ないですよね。恐らくベルトにものを乗せるのって、人口の0.1%以下じゃないでしょうか。
事故を減らそうという気持ちはわかるのですが、そうした人たちの行動に対しても「気配り」をしていては、世の中に標識や警告が溢れることになってしますでしょう。実際駅には「痴漢は犯罪です!」「暴力行為はやめましょう!」などなどの警告が溢れています。さすがにこれは過剰じゃないでしょうか。
こうした「気配り」の裏には、「俺はもう説明しておいたからな。なんかあったら自己責任だぞ」という、いざという時の責任逃れも感じさせます。
携帯電話のテレビCMとかで見かける「一瞬しか表示されない注意文」もこの類いでしょう。気配りをするように見せて、結局自己保身のため、というのはなんともずる賢い感じがします。
つまるところ、僕は「フォロワーさん」という表現に対して「私はあなたたちのことを尊重していますよ。親しみを感じていますよ(でも、何かあったらお互い様ですよね?)」という媚へつらいや保身の匂いを嗅ぎ取ってしまうのかもしれません。
「〜さん」って不必要に親しい感じがします。「フォロワーのみなさん」「フォロワーの方々」ぐらいなら気にならないんですが。僕は人間嫌いなので、変に距離が近いとそれだけでアレルギーが出てしまうようです。
というわけで、違和感を言語化する実験でした。こういう意見や感覚を表明すると、さぞ生きづらい日々を送っているかのようですが、まぁ折り合いを付けながら楽しくやっております。改めて自分が会社員には向いていないであろうことを実感します。
関連本。「善人」の汚さを指摘する名著(ブックレビュー)。