「ほとんどすべての人が小さな恩義に喜んで恩返しをする。多くの人が中くらいな恩義を恩に着る。しかし大きな恩義に対して恩知らずでない人はほとんど一人もいない(ラ・ロシュフコー)」
偉人の名言に感じること。
「恩を売る」難しさ
僕は誰かにおごったり、プレゼントを上げるのが苦手です。彼が「恩返ししないといけない」と僕に対して、過度な恩義を感じてしまうのが怖いからです。
ラ・ロシュフコーの言葉は真理で、与えられた恩が大きければ大きいほど、与えてくれた人に対して「恩返ししないと」という観念に囚われることになります。与えた側も「あんなに目をかけてやったのに」と、恩を与えた対象を「恩知らず」として認識します。
そういうコミュニケーション上の齟齬が、僕は面倒くさいし、嫌いなのです。ゆえに、人に何か恩を与えることに対して、慎重になってしまいます。
一方で、NPOへの無償コンサルティングなどは、非常に気持ちよく無償の貢献を提供することができています。
僕はそれを「大きな恩」だとは考えていないからなのでしょう。今年は70団体ほどに無償のマーケティングアドバイスを提供しましたが、負担感はゼロですし、自分の勉強になったという感じしかしません。彼らが恩返しに訪れても、僕は予想外の驚きを抱き、「あれは自分のためにやったから」と狼狽することになるでしょう。
恩というのは、与え手の「負担感」によって扱いが変わってくるのでしょう。少なくとも恩を与えるときは、負担感の少ないものばかり、与えていきたいものです。そうすれば、「恩知らず」に出会うこともないでしょう。
恩を貰うときは、最大限の感謝をもって接し、適切な恩返しをしていくのがよいのでしょう。例えば学生時代に3万円を貸してくれた友人に、お礼として100万円を返したら、それはかえって、相手に負担感や上下意識を刷り込ませることになってしまうでしょう。
「ほとんどすべての人が小さな恩義に喜んで恩返しをする。多くの人が中くらいな恩義を恩に着る。しかし大きな恩義に対して恩知らずでない人はほとんど一人もいない(ラ・ロシュフコー)」
もう一度引用。「恩知らず」と出会うか否かは、自分の心の持ちよう次第です。僕自身は自分でも不器用な感じがしますが、常に気持ちのいい贈与関係を築いていきたいものです。
*なので、僕の過去の行いに対して「恩」を感じてしまっている人がいたら、その感情は吐き捨てて頂いて構いません。僕は無理して大きな恩を上げたことはないので。それでも恩を感じているなら、僕が死にそうなときにお米でも送ってください笑
関連本。贈与論とかに関心を持っています。ちゃんと勉強しよう。