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2012年10月8日(月)付

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歴史教育―世界の中の日本を学ぶ

もっと近現代史を学校で教えよう。尖閣諸島や竹島の領有権問題をきっかけに、政治家が相次いでそう発言している。田中真紀子文部科学相は就任会見でこう語った。教科書は現代史の記[記事全文]

仏独の50年―不信を乗り越えた歩み

「昨日の敵は今日の友」というが、フランスとドイツが築き上げた信頼と友情がこれほど長続きするとは、1世紀前の両国民はまったく想像できなかったのではなかろうか。仏独協力条約[記事全文]

歴史教育―世界の中の日本を学ぶ

 もっと近現代史を学校で教えよう。尖閣諸島や竹島の領有権問題をきっかけに、政治家が相次いでそう発言している。

 田中真紀子文部科学相は就任会見でこう語った。教科書は現代史の記述が薄い。ファクトはファクトとして出す。自分なりの考えを持てる人間を育てる。そうでないと、国際社会で発信力のある日本人はできない。

 橋下徹大阪市長も「相手と論戦するには、相手の立場を知らなければ」と話した。

 領土や歴史認識についてどんな立場を取るにせよ、中韓を始め近くの国との関係について史実を知っておくことは大切だ。

 近現代と東アジアを中心に、世界の中の日本を学ぶ。そんな歴史教育に見直してはどうか。

 高校の授業は標準で週30コマ。総合学習や情報など科目が増え、理科離れも指摘される。歴史だけ大幅には増やせない。制約の中でどう充実させるか。

 日本学術会議が昨年、興味深い提言をしている。高校の世界史と日本史を統合し、「歴史基礎」という新しい必修の科目を作るというものだ。

 科目のつくりかえは簡単ではないが、真剣に耳を傾けるべき提案だ。現場で実験的な授業も始まっている。文科省は長い目で検討を深めてほしい。

 提言はこう訴える。

 日本史を世界史と切り離して一国史的に教える傾向がある。

 日本史で外国が描かれるのは戦争や交流があった時だけ。かたや、世界史のアジア史の項には日本がほとんど出てこない。

 日本が他国と関係なく歴史を刻んでいるかのようだ。

 グローバル化の時代を生きる若者に、異文化を理解し、共生する姿勢を育む。そのために、世界史の中に日本史を位置づけて教えるべきだと説く。

 とりわけ近隣の国民と健全な関係を築くために――と、近現代史と東アジアの重視を打ち出しているのも目を引く。

 日本史は中学と高校で同じような中身を繰り返す。世界史と日本史も大戦期などは重なりが多い。整理して無駄を省けば大事な時代に時間を割ける。

 世界史と日本史が分かれたのは、明治政府が「国史」と「万国史」を分けて以来という。近代国家として発展する中で「国史」が国の威信を高めるのに使われたと指摘される。

 もうそんな時代ではない。海の向こうの金融危機が国内の雇用に響く。経済ひとつとっても自国の中では完結しない。

 必要なのは、退屈な丸暗記ではない。「いま」を考えるのに役立つ勉強だ。

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仏独の50年―不信を乗り越えた歩み

 「昨日の敵は今日の友」というが、フランスとドイツが築き上げた信頼と友情がこれほど長続きするとは、1世紀前の両国民はまったく想像できなかったのではなかろうか。

 仏独協力条約(エリゼ条約)ができてやがて半世紀になる。

 19世紀半ばからの100年近くの間に双方は3度も戦争をして、多くの犠牲者を出した。それが今では「欧州統合のエンジン」と呼ばれる関係だ。

 きっかけは、1962年9月にドイツを訪れたドゴール大統領の演説である。アデナウアー西独首相との会談を前に、彼はドイツ語でこう語った。

 「若者たちよ。偉大な国の子たちよ。両国民の連帯に息を吹き込むのは君たちの役割だ」

 当時、14歳だったフォルカー・シュタンツェル少年は自宅のラジオで演説を聞いた。まだナチスへの敵意と憎しみが周辺国に色濃く残っていた時代だ。

 「この国の人々と友人になることができるかな、と。その感激の気持ちは今でも忘れられない」。長じて外交官になり、いま駐日ドイツ大使として活躍するシュタンツェル氏は最近、自らのブログにそう記した。

 少年を感激させた言葉は大きな成果をもたらした。

 翌年1月に条約が調印されて以来、首脳や外相、国防相らの定期協議が続いてきた。隣国の家庭にホームステイし、言葉を学びあう。そんな交流事業を通じて若者たちが偏見を捨て、相互理解を進めたことも収穫だ。

 注目したいのは、両国における戦争の記憶の変わりようだ。

 コール西独首相とミッテラン仏大統領は1984年、両国の激戦地、フランスのベルダンで手をつなぎあって両大戦の犠牲者を追悼した。シュレーダー独首相とシラク仏大統領は2004年、連合軍のノルマンディー作戦の上陸地を訪れた。

 犠牲者の追悼を、国家の枠組みにとどめず、痛ましい過去をともに省み、共通の未来を築く場とする。共通の歴史教科書を作り、テレビ番組を共同で制作する。こうした積み重ねによって、両国民は互いの不信を克服していったのだろう。

 欧州統合の原点も仏独の不戦の誓いにある。資源の争奪が戦争の引き金にならないよう、両国は石炭や鉄鋼の共同管理を主導し、欧州の経済通貨統合も引っ張ってきた。

 シュタンツェル大使は「ブログに思い出を記した時、今の日本と中国のことが少し心に浮かんだ」と語る。半世紀にわたる仏独の歩みを、東アジアの現状を考える手本にしたい。

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