いま私たちは、志ある国民と共に、新たな日本を創り上げるために立ち上がる。
わが国は戦後の荒廃から一丸となって立ち上がり、奇跡とも称された経済成 長を成し遂げ、世界に比類なきほどの豊かな社会をつくりあげた。だがその過 程で、ともすれば「自分さえよければ」「いまさえよければ」という精神風土に 堕してしまったのではないか。
日本の政治も、「自分さえよければ」「いまさえよければ」の気風に染まり、 明らかに無責任に堕落してしまったように思われる。富の分配や利益誘導ばか りに血道を上げ、「国民の依存心を高める」ような政策が次々と行なわれ、さま ざまな既得権益が網の目のように張り巡らされることとなった。
このような政治は、いつしか日本社会の足枷になり、かつては「一流」とい われた経済も、ついに政治の混迷に足をすくわれ、低成長からの脱出のきっか けをつかめぬまま、終わりの見えない「失われた時代」を余儀なくされている。 もはや国民の正当な努力が報われない社会となってしまったのか。
残念ながら現在、日本再興への改革を進めていく資格と能力のある政党は見 あたらない。このような政治が続けば、日本の衰退は加速し、わが国の歴史と 国民に大きな禍根と苦難をもたらすこととなりかねない。
私たちは、これまで首長として、コスト意識をもって地方経営を担ってきた。 あるいは、志をもって日本をよい国とするための活動に取り組んできたし、特 に財政改革に実績を残してきた。だが、どれだけ改革を実現して状況を改善し ても、国政の失敗によって、それを上回る悪しき状況が次々とつくりだされて しまう。もはや、この状況には我慢できない。
私たちは、これまでの経験を活かして「本物の政治」を確立し、日本をよい 国として再興すべく、ここに立ち上がることを決意した。
いま、私たちが直面する問題とは何か。そして私たちは、何をなすべきなの か。
第一は、「成長による経済と財政の再建」である。
米ソ冷戦の終結後、経済のグローバル化が進み、世界の人や企業や資本は、 国や地域を自由に選んで移動するようになった。各国は、法人税や所得税、相 続税などの減税を行ない、通信や金融や労働などの諸分野における規制緩和を 行なって、「選ばれる国」になるための国際競争にしのぎを削った。
だが、わが国は既得権益の壁を打ち破れぬまま、「世界から選ばれる国」とな るための税制や規制の改革は中途半端に終わった。このことが大きく足を引っ 張り、新しい時代に向けての産業構造の革新も進まず、日本企業の国際競争力 も年々低下し、日本経済の低落傾向に歯止めがかからずにいる。
このような姿から脱することができなければ、私たちは緩慢な衰亡への道を 辿るだけであろう。いまこそ、私たちは、「自由で力強い日本」をめざすべきな のである。自由な社会であってこそ、さまざまな可能性が花開き、活力が生ま れる。社会は力強く発展し、経済も力強く成長していくことができるのである。
私たちは、小さくて賢い政府をつくり、自由で健全な市場を確立し、世界に 開かれた公正な競争で日本経済に活力をもたらすことをめざさねばならない。 「成長による経済と財政の再建」を、国民一丸となって進めていかなければな らない。
そして「自由」は、これからの国際秩序のなかでも、ますます重要な価値観 となるだろう。日本の繁栄は、世界の自由経済や自由貿易を通じてもっともよ く実現されうるものである。私たちは、そのあり方を守るために、最大限の努 力をなさねばならない。また、私たちは、「自由」を重んじる諸国と手を結び、 圧政や抑圧、過度な保護主義には、断固対抗していかねばならない。
第二は、「国民の安心の確立」である。
わが国では少子高齢化が急速に進行し、平成17年以降、ついに人口減少社 会に突入している。こうなれば、人口増加を前提とした現行の年金や医療など の社会保障制度が、いずれ崩壊の危機に直面しかねないことは、以前からわか っていたことであった。にもかかわらず、歴代政府は根本的な解決を先送りし てきた。
このため国家財政危機への懸念はますます増大し、国民のなかに将来にわた って社会保障制度が維持されうるのか不安感が増幅している。これでは、国民 はいっそう内向きな自己防衛策に走り、活力は減殺されるばかりである。
また、日本においては古来、「家族」のよき伝統が受け継がれてきた。家族こ そ、日本国民の生涯の安心立命の基となり、次代を担う子供たちが生まれ育ち ゆく、かけがえのない場である。だが、いま、その家族をバラバラに解体する ような動きが強まっている。このことが、国民の孤立感や疎外感や不安感をま すます高めることは必定である。
また、これまで農林水産業を規制でがんじがらめにし、何の展望も描かぬま まに補助金漬けにすることだけを続けてきた。農林水産業は本来、地方の基幹 産業であり、国民に安心で安全な食を供給し、国土を守る大切な役割を担い、 日本の豊穣なる文化の基でもあった。だが、これまでの政策により、その競争 力は弱り、魅力も減退し、後継者不足と従事者の高齢化は深刻な状況となって いる。そして、地方の村や町もすっかり活力を失い疲弊している。
さらに、日本は本来、高い教育水準と道徳水準を誇り、国民の「人の力」こ そを最大の資源としてきた国であるはずだが、近年、学力低下をはじめ、目を 覆いたくなるほどの教育の衰退が進んでいる。ことに、人格教育や歴史教育を ないがしろにしてきた戦後教育のあり方は、結果として社会の良質な伝統を破 壊し、恥知らずで自分勝手な風潮を助長している。
私たちは、「自由で力強い日本」をつくるためには、国民の安心・安寧がしっ かり確立されねばならないと考える。そのためにも、不安だらけの社会保障、 バラバラにされつつある家族、壊れてしまった地方や農林水産業、そして教育 をしっかりと立て直さねばならない。そしてそのことを通じて、「日本の地域社 会と伝統的価値観の再興」を実現せねばならないのである。
第三は、「現実主義に基づいた外交・防衛」である。
いま国際社会は、かつての二大超大国の勢力拮抗から、各国の国益がぶつか り合う「新たな列強の時代」へとその姿を変えつつある。本来日本は、その大 きな変化に対応して、自国の防衛を他国に一方的に依存してきた国家のあり方 を問い直し、国際社会のなかで自らの責務をきちんと果たしていく「自立した 国家」への道を模索し、歩き始めなければならなかった。
しかしわが国は戦後の「甘えの構造」を引きずったまま、今日に至っている。 そのため日本は、自国のことばかりを考えて、テロ対策や平和維持などへの貢 献から逃げ回っているように国際社会から見られている。また、日本周辺の東 アジアでは急速な軍拡が進んでいるにもかかわらず、日本が無為無策のままに 空想的な理念を振りかざし、これまで地域の安定に寄与してきた日米同盟を揺 るがしていることが、かえって平和を攪乱する要因となってしまっている。
私たちは、まず「自らの国は自らの手で守る」という気概をもたねばならな い。また、自由、民主主義、人権尊重などの価値観を共有する国々と手を携え、国際的な責務をしっかり果たしていかねばならない。そして、世界平和に寄与 するためにも、無責任さを排し、「現実主義に基づいた外交・防衛」を展開せね ばならない。
さらに私たちは、国を再興する「本物の政治」実現のためには、迂遠なよう でも、まず「日本はどんな国をめざすのか」「私たち日本人は何を尊ぶのか」と いった国家の基本理念を定め、国家と国民の歩むべき正しい道筋を指し示すこ とが重要だと考える。
江戸時代末期、破産寸前の備中松山藩を見事に立て直した山田方谷は、「義を 明らかにして利を計らず」と説いた。利を追うことばかりにあがくのではなく、 まず、正しい理念を明らかにしてこそ、利はおのずとついてくると語りかけ、 経済財政の再建も正しい国家理念の確立なくしては成就できないことを示した のである。
正しい国家理念は、正しい人間観に立脚したものでなくてはならない。「国民 に幸福をもたらすこと」を政治の究極の目的とするのならば、政治家は真摯に、 人間の幸福というものについての正しい見方・考え方を追求すべきであろう。
第一に、幸福は、自らの努力でしか得ることができないものである。与えら れるものではない。
それは、人でも家庭でも、企業や地域社会でも、そして国家でも同じであろ う。国民の幸福も、「国民の依存心を高める政治」ではなく、「国民の自立心を 育む政治」からしか生まれない。
だが、日本のこれまでの政治は、自らの選挙のために「貯まった国富をいか にバラまくか」だけを考え、将来にツケを回すことに心の痛みも覚えず、自国 の安全と防衛を他国に委ねることも恥と思わなかった。これでは、自分勝手で 力弱い、幸福感の感じられない世の中が現出するのも当然である。
いまこそ、これまでの依存型の戦後政治を一新し、「自立した日本」づくりの ため、「国民の自立」「地方の自立」、そして「国家の自立」に向けて、志ある国 民の手による本物の政治が打ち立てられていかねばならない。
第二に、幸福は、各々が自由に、誇りをもって、各々の天分を活かしきるこ とのなかにこそある。
各々の天分が見出され、花開くのは、自由で公正な社会にあってこそである。 抑圧された社会では、人々の天分の発揮は不十分なものになるであろう。官僚 が細かく口を出す市場では、自由な活動は阻害され責任感も生まれず、発明や 技術革新の気風は萎えていくであろう。世界の経済がブロック化されて人や企 業や資本が自由に移動できなくなれば、各国社会にひずみが生まれ、やがて戦 争を招来する危険も増すであろう。
政治の究極の目標は、すべての人がそれぞれに与えられた天分を十分に発揮 できる社会をつくることである。そのために、百花繚乱に各々の天分を伸ばす 教育を実現するとともに、社会をさらに「自由」なものへと高める必要がある。 「自由」「責任」「相互尊重」という諸価値の実現がめざされねばならない。
今日ほど、人類が自由というものの尊い価値を認識すべきときはない。私た ちは自由で公正な社会を守り、そして忍耐と寛容の心でその社会を慎重に発展 させていかなければならない。
第三に、真の幸福は、自らの天分を活かして他者を幸せにしたときにこそ得 られるものである。自分だけで得られるものではない。
他人や公のためを思って行動し、お互いにそれぞれの天分で助け合おうとい う人間関係が築かれてこそ、社会は素晴らしいものになっていく。同様に世界 の平和や繁栄も、他国のために何らかの手を差し伸べることをよしとする国際 社会を築こうとする努力のなかでこそ、達成されていくものであろう。
日本には古来より「貧者の一灯」という考え方があった。仮に自分が貧しく とも、もっと貧しい人に何らかの手を差し伸べることを尊んだのである。この 伝統に則り、日本は第二次世界大戦敗戦後の苦しい時代であっても、当時さら に苦労をしていた国々に経済支援を行なった。私たちは先人たちのこの尊い精 神を引き継ぎ、自らの天分を活かして他者を幸せにすることを国の基本方針に したい。
私たちは、自然と共生してきた伝統精神の叡智と、これまで培ってきた高い 技術力を活かして、地球環境、水、食糧、エネルギー、資源などの問題解決で 世界に貢献する「いのちの大国」となることをめざす。さらに人類の真の平和 と繁栄のために、それぞれの国の天分を活かした「共存共栄」の世界を建設す ることこそを、日本に与えられた使命だと決意するものである。
この日本は、長い年月にわたって、先人たちが高い志と努力を積み重ねて築 き上げてきた国である。この国を受け継ぎ、よりよい国にして子供たちの世代 に渡していくことを担うのは、「誰か」ではない。「私たち自身」である。わが 国は、「誰かの日本」ではない。すべての国民にとって、「私の日本」なのであ る。
他人事を決め込んで冷笑している場合ではない。自虐と卑下で取り繕い、無 関心に見過ごしている場合ではない。私たちの力で自由闊達な活力あふれる社 会をつくり、「私の日本」を心から誇れる国にしていかねばならない。
私たちは、「自立した日本」づくりを通じて「自由で力強い日本」を再生した い。日本の国民の幸福と繁栄を増進する真の国家経営を実現したい。そして日 本の天分を活かして世界の文明の一極としての責任を果たし、これから生まれ てくる子供たちが、わが国を「私の日本」として心から誇れるような政治を実 現したい。
平成21年3月、約600名の志ある国民が神奈川県箱根町に集い、「もはや 政治家にのみ任せておけない。日本をこの手で何とかする!」との声を上げた。 その思いを受け、今度は志ある首長たちが同年7月、日比谷公会堂で「われわ れが立ち上がる」と宣言し、そして10月、志ある国民と政治家が合流し、全 国の志ある国民(志民)の手で新しい日本を築くため、「よい国つくろう!日本 志民会議」が設立された。その後、呼びかけに賛同する国民の輪は大きく広が り、全国各地での大会も日を追うごとに盛り上がり、さらに「志ある国民の手 で新しい政党をつくり、政治を国民の手に取り戻そう」という大きな声に変わ っていった。
私たちは、全国の志ある国民の先頭に立ち、「誇りをもって日本の天分を活か しきる本物の政治」の実現に邁進することを決意し、ここに「日本創新党」を 設立を宣言する。心ある多くの国民の賛同と参加を期待するものである。