「なぜなら彼女は一本足の蛸です。彼女の足は他の誰にも繋がっていません。人として生まれながら人類や他の生命体の何とも共有する部分を持たないのです。真の孤独とは、彼女のために用意された言葉ですよ」
谷川流『絶望系 閉じられた世界』電撃文庫(2005),p.243
2012-10-07
■[雑文]叙述トリックと人物誤認

予め断っておくが、今日の話題については最後まできっちりと詰めて考えをまとめているわけではないので、途中で尻切れトンボになる。本当はきっちり考えを煮詰めてから書くほうがいいのだが、その前に忘れてしまうので、先に今考えているところまで書いてしまおう、という次第。
本題の前に、昨日Twitterで呟いたものを再録しておく。
先ほど、叙述トリックを使ったミステリを読みました。私は自慢ではありませんが、予め叙述トリックが使われていることを知った上でミステリを読んで、トリックが見破れなかったことがこれまで一度もありません。それがなぜ自慢にならないかといえば、(つづく)
(つづき)叙述トリックとはもともと原理的には可能性が貧困なものだから、基本パターンを知ってさえいれば誰でも脳内データベースを検索して類似例を思い出すだけで容易にトリックを見抜くことができるからです。だから自慢にならないのです。(つづく)
(つづき)さて、先ほど読んだミステリは「叙述トリックだけ」というチープなものではなく他にも仕掛けがありました。むしろ叙述トリックは副次的な仕掛けとも言えます。だから、「この作品に叙述トリックが使われていることくらい言ってもいいだろう」と思う人がいても不思議はありません。(つづく)
(つづき)実際、私はそのミステリが叙述トリックを使っていることを予め知らされて読んでも十分に楽しむことができたので、叙述トリックに言及した人のことを非難するつもりはありません。とはいえ、私自身は、やはり未読の人に向かって叙述トリックのことを告げる気にはなりません。(つづく)
(つづき)というわけで、前置きが長くなりましたが、これからその作品の感想を、作品名を特定できない仕方で述べようと思います。もちろん、これまでの呟きからある条件を満たす人々には私がどの作品について述べているかは一目瞭然でしょうし、それを承知の上で書くのですが。(つづく)
(つづき)その小説は主人公の「私」がある特殊な状況で、外界について極めて限定された情報しか入らない中で、ある殺人事件について語る、というスタイルをとっています。この設定だけでもいくつかのトリックの可能性が思い浮かぶところです。(つづく)
(つづき)主人公の回想シーンに登場する主要人物は本人を含めてわずか4人。その中に犯人と被害者がいるのですから、最初から可能性は極端に絞られています。その中で作者が仕掛けたのは、私の整理では次の3つです。(つづき)
(つづき)1つは主人公の属性に関するトリックで、これは叙述トリックです。最後の一行で明らかにされ、鮮やかな幕切れを演出しますが、重要度という点では3つの仕掛けのうち最も軽いものだと思われます。2つめは犯人を巡る人物の取り違えです。(つづく)
(つづき)2つめの仕掛けは叙述トリックではなく、語り手本人が事実誤認しているというものです。そして、この小説の最大の仕掛けは、死体損壊の動機に関わるもので、おそらくミステリ史上空前の(絶後かどうかは不明)アイディアが使われています。(つづく)
(つづき)これら3つの仕掛けのうち、1つめのものは比較的簡単にわかりました。叙述トリックなのですから、予め身構えていれば当たり前。カサックの某作品(と、ぼかしても作品数が少ないのでバレバレですね。すみません)とバリンジャーの某作品を彷彿させます。(つづく)
(つづき)で、1つめの仕掛けに気づけば、作者が読者に思い込ませようとしている構図と矛盾があるので、何かそこに人物に関わる誤認があるのではないか、と推測するのは容易です。主人公の認識は著しく制約されているので、普通ならあり得ない人間違いをしているのだろう、と。(つづく)
(つづき)で、人物の誤認があるとすれば、主要人物が4人しかいないので、「本当は誰だったのか」は丸わかりとなります。従って、2つめの仕掛けも見破ることができました。そして最後に残った3つめの仕掛けですが……これはわからない、見当もつかないものでした。(つづく)
(つづき)まあ、犯人と被害者の性別から、昭和初期のとある有名猟奇殺人を連想により、部位についてはある程度見当がついたのですが、もちろんこれは根拠のない思いつきに過ぎず、理詰めによる推理ではありません。結果的に当たってはいましたが、こんなのは見破ったうちには入りません。(つづく)
(つづき)ひとつ負け惜しみを言わせてもらうなら、3つめの仕掛けは最後に「そういうことであった」と説明されるだけで、推理によってたどり着けるようなものではないと考えられます。(つづく)
(つづき)もっとも、いくつか手掛かりとなる伏線が張られているので、想像力とひらめきが豊かな人なら真相に到達できるかもしれません。このあたりの評価は難しいので、今のところは保留しておきます。ただ、あのアイディアが素晴らしいことは素直に認めます。(つづく)
(つづき)素直に認めます、と書きながらケチをつけるのもどうかと思うのですが、木々高太郎とか法月綸太郎の先行作品を連想したことを打ち明けておきます。全然違うといえば違うのですが……。あのアイディアは日本だとたぶん1987年頃からでないと実現できないものですし。(つづく)
(つづき)テクノロジー開発から四半世紀が過ぎて、いずれは誰かが思いつくアイディアだった、といえばそれまでですが、あのアイディアをあのような形でミステリに取り入れた作者の力量には敬服します。(つづく)
(つづき)あのアイディアはおそらく再使用不可能なので、たとえば、どろどろとした人間関係の中に放り込んで、親子二代の重苦しい因縁話にする、などの可能性の芽は摘まれてしまったわけですが、仮にそういうプロットを考えた作家がいても納得してくれるだけの出来映えだと思います。(つづく)
(つづき)いい小説を読ませてもらいました。今後の活躍にも期待します。(おわり)【この一連のツイートをまとめようとする奇特な人がいるかもしれませんが、作者名・作品名を伏せた趣旨を踏まえて適切な取り扱いを希望します】
これはあるミステリについての感想文だが、文中でも書いている事情により、作者名も作者名も伏せている。昨日の今日で事情が変わるわけでもないので、ここでも同様に伏せておかざるを得ない。ただし、昨日と今日でその小説についての感想が少し変わったので補足しておく。
変わった点は2つある。1つは、テクノロジーに関してかなり無理のある記述があることに気づいたこと。昨日の初読時には見落としていたのだが、あとで「あれはどうやって処理していたのだろう?」と思って読み返してみたところ、「翌日、彼女は迷うことなく(以下略)」という記述があった。
「翌日」では具合が悪い。
「彼女」はその企てのために数週間前から準備をしていたことになっているが、その準備作業でわざと平常時とは異なる状況を現出させているのだから、「翌日」ではその影響が残っており、企てが実現する可能性は極めて乏しくなる。専門家ではないので「絶対に不可能か?」と訊かれても断言することはできないが、「常識的に考えてブレーキを最大に踏み込んだ直後にアクセルを踏んでも十分な速度は得られないでしょう」とは言える。たぶん既に指摘されていることだと思う*1が、一読して気づかなかったのは不覚としか言いようがない。
でもまあ、気づいてしまったのだから、これはマイナスポイントとして評価を下げざるを得ない。
もう1つは逆に評価を上げる方向への変化だ。この小説は解決の直前まで「私」の一人称で語られているのだが、「私」がフェードアウトしていきなり「彼女」の視点による三人称の記述になる。この転換は小説全体の統一感を乱すのではないかと考え、初読時にはやや首を傾げたのだが、あとから読み返してみて、逆にこれは絶対不可欠のことであったと気づいた。というのは、Twitterの感想文でも言及しているとおり、この小説では主人公が人物を取り違えているのだが、本当はAなのにBだと主人公が思っている場面で、その人物のことを地の文で「B」と書いているからだ。もし、主人公が語り手の座を下りずに、最後まで「私」のままで押し通した場合、主人公は最終的に真相をすべて知った上であえてAのことを「B」だと述べていることになり、アンフェアな叙述だということになってしまう。主人公が自分の勘違いに気がつく、その瞬間で打ち切って視点人物を替えたのは、ぎりぎりのところでフェアプレイを守ったことになる。そのような技巧はきちんと評価する必要があるだろう。
というわけで、今日のテーマ、「叙述トリックと人物誤認」である。
ミステリで扱われる人物誤認にはさまざまなタイプのものがあるが、ここでは「AとBという人物が別々にいて、かつ、ある場面でなんらかの理由から視点人物その他の人々がAをBだと誤認する」という形式のものについて考える。「なんらかの理由」には、A本人が変装などのトリックを用いて自らBだと偽るものと、A本人はそのような偽装を企んでいるわけではないが、さまざまな条件が重なってBだと思われてしまうものとがあり得るが、特に区別を行わない。
ミステリで人物誤認を扱い、かつ、その真相を後で明かすことで読者に驚きを与えるという趣向がある場合、一般には誤認の場面では誤認される人物のことを「A」とも「B」とも書くことができない。「A」と書いてしまっては読者を騙すことができないので当然だが、「B」と書いてはいけないのは、それでは不当な仕方で読者を騙すことになるからだ。すなわち、フェアプレイに反するのだ。
ミステリにおけるフェア/アンフェアについて語り始めると長くなるので、ここではかなり乱暴だが「地の文に嘘を書いてはいけない」というのがフェアプレイの最も基礎的なルールだとみなしておくことにしよう。本当はAなのに地の文に「B」と書いてしまってはアンフェアだということになってしまう。
先に感想文を掲げておいた件の小説の場合、地の文は「私」の認識したことと考えたことを記述している。本当はAであっても、「私」はBだと思い込んでいるのだから、地の文で「B」と書いても嘘はついていない。単に事実に反するだけだ。では、一人称小説ではいつでもそのような抜け道があるのか? そうではない。基本的には「私」がその都度認識したことを書いているのであっても「後から振り返ってみれば」「その時は気づかなかったが」などという記述が混じっている場合、事後に過去を再構成していることになる。その場合、「私」が、過去に自分がBだと思い込んでいたのが実はAだったということを知っているのに、地の文で「B」と書いてしまったならば、意図的に嘘をついたことになるだろう。従って、一人称小説であっても常に免罪となるわけではない。もちろん、三人称小説の場合は言わずもがな。
ミステリとしての趣向の核となる人物について、「A」とも「B」とも記述することができない。このジレンマを前にして多くのミステリ作家がさまざまな技術を開発してきた。代名詞でごまかす、会話文で間接的に指示する。AとBを同名にしてしまう……等々。これらの技術の数々を思い起こすといやおうなしに叙述トリックを連想せざるを得ない。
叙述トリックとは「火のないところに煙を立たせる」技術である。作中世界にはトリックはなく、作中世界についての叙述にトリックが仕掛けられている。人物誤認の場合だと、作中世界に属する人物が少なくとも一人以上事実に反する事柄を信じ込んでいるのだから叙述トリックとは原理的に全く異なるのだが、作者にとっては、時には一言一句のレベルで文章表現に細心の注意を払わないと読者からアンフェアだと謗られるという、極めて難しい立場におかれるという点でよく似ている。そして、作者の技が見事に決まった場合には、読者はとびきりの「最後の一撃」を喰らうことになるという点でも人物誤認を扱ったミステリと叙述トリックを扱ったミステリは似ているといえるだろう。さらに、両者にはもう一つの大きな類似点がある。それは、未読の人に対して具体的なメカニズムは伏せて単に「叙述トリックが使われている」「人物誤認を扱っている」と言っただけでも、著しく興を殺ぐ危険がある、ということだ。
今挙げた3つの類似点については以前から気がついていた。特に3つめの点は、ミステリの感想文を書く際に留意しなければならないことだから関心も深く、前々からある程度考えてはいたのだが、「なぜそのような類似点があるのか?」という問いに対しては「『叙述トリック』『人物誤認』などはミステリとしての趣向の原理に着目した名称であるため」という理解しか持っていなかった。たとえば「密室トリック」「足跡のない殺人」などは現象面に着目した名称であるため、よほど特殊な使い方をしていない限り、あるミステリ作品にそれらが使われていることを明かすのは特に問題はないが、一方、「叙述トリック」「人物誤認」の場合は……というふうに。
だが、トリックや仕掛け、ガジェットなどの名称を単に「原理に着目した類別」「現象に着目した類別」というふあうに分類するだけでは、どうして取り扱いに注意が必要な度合いにこれほどの差があるのかを説明するのに十分ではないのではないか、と思うようになってきた。むしろ、上に挙げた3つの共通点のうち第2のもの、すなわち、読者に与えられる驚きの質に関連があるのではないだろうか?
……と、今日のところはここまでしか考えが及んでいない。続きが思い浮かんだら書くかもしれないが、その前にここまでの議論の筋道に綻びが見つかって続きが書けなくなる公算大。
追記(2012/10/08)
本文で言及した「翌日」の件を再々読してみたところ、微妙な表現でぼかされていて、必ずしも「翌日」に事を行っているというわけではないようにも読めた。マイナスポイントを取り消したほうがいいのかもしれない。
ところで、「彼女」の企てを表す四字熟語が件の小説では2回出てくるが、1回めには手へんがなく、2回めには手へんがある。基本的には同義だと思われるので単なる用字の不統一と考えられるが、ウィキペディアによれば手へんのないほうが広義だと書かれているので、難しく考えるといろいろとツッコミどころがありそうだ。
*1:某作家が、この小説に言及して「不正確な記述があった」と述べているのを読んだことがある。具体的なことは書かれていなかったので別の箇所を指しているのかもしれないが、それにしてもこれまで、この小説を読んだ人が誰一人指摘しなかったとは信じがたい難点ではある。
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