※本作品は、TV版本編第九話「瞬間、心、重ねて」と第十話「マグマダイバー」の隙間のエピソードに当たる話です。
使徒迎撃専用要塞都市である第三新東京市の中心部は、ネルフ本部の施設やエヴァンゲリオンの射出口、兵装ビルなどが建てられて無機質な印象を与えている。
しかし、中心部を取り囲む旧市街地は温泉街である箱根の情緒を色濃く残して居た。
第3使徒サキエルの出現により、街を出て疎開していく市民達で街の建物の半分は空き家となってしまったが、逆にネルフの仕事の関係で移り住んで来るものも多かった。
江戸時代から異なる地域から集まった人々を結束させるために行われる行事、それはお祭り。
ネルフも市民との交流を重視して、夏祭りには多額の援助金を出して、シンジ達エヴァンゲリオンパイロットの3人も祭りに出席する事は義務とされた。
「アタシ達って、ネルフの広告塔にされているみたいじゃないの」
浴衣を着せられ、下駄を履かされたアスカは落ち着かない様子でそうぼやいた。
髪は束ねられて、ポニーテールになっている。
「まあまあ、使徒と戦うだけが仕事じゃないってことよ」
ミサトは見事に紫色の浴衣を着こなして、清楚な魅力を醸し出している。
長い黒髪に和風の浴衣が似合っていた。
「家でのだらしないミサトからが想像できませんね」
「ビールの飲み過ぎで出っ張ったお腹を隠すのにとても好都合な服装」
「2人とも皮肉を言う程に心を開いてくれて、お姉さん嬉しいわ……」
一緒に歩くシンジとレイの言葉に、ミサトは笑顔を多少引きつらせていた。
「うっさいわね、私も出る所は出ているのよ、帯で胸が抑えつけられて苦しいんだから」
「そんなの、アタシだって同じよ」
「セカンドは違う。……パットを胸に入れて碇君を挑発しているだけ」
「えっ、そうだったの!?」
レイに指摘されたアスカは怒りの矛先をシンジへと向ける。
「アンタ、何をガッカリしているのよ! スケベシンジ!」
「いつも挑発しているのはアスカじゃないか」
「はいはい、ケンカしないの。市民サービス何だから、スマイルスマイル」
にぎやかな人々の声。
神社の境内に並ぶ夜店の数々。
楽しそうに遊ぶ子供達や手を繋いで歩く恋人達の合い間を縫うようにミサトと3人のチルドレンは歩いて行く。
「あーあ、みんな楽しそうにしているのにつまんない」
「交流の盆踊り大会の後、自由時間にしてあげるから文句を言わないの」
アスカは祭り会場に入ってから不機嫌そうな表情をしていた。
その原因を作っていたのは、シンジだった。
「バカシンジのやつ、アタシの浴衣姿を見て一言も言わないんだから」
シンジが「浴衣が似合っている」とか「かわいい」とか言えばいくらかアスカの表情は和らいだものになったのかもしれないが、シンジは鈍感だったし、アスカも素直では無かった。
「あ、そうだ綾波、その……青い浴衣が似合っていると思うよ」
「そう」
思い出したように言ったシンジの言葉に、レイはそっけなく答えた。
「な、なんでファーストのやつをいきなりほめるのよ!」
アスカはそう言って自分の大きなリボンで縛ってポニーテールにした髪を苛立って思いっきり引っ張りながら歯ぎしりをした。
「あちゃあ、シンジ君がそこまで鈍感だったとは、私も予想外だったわ……」
見かねたミサトは、シンジを呼び寄せて耳打ちする。
「いきなり何でレイの事をほめたの?」
「リツコさんに綾波を褒めてと言われたのを思い出したからです」
「……はあ、シンジ君はどこまで鈍いのかなあ、アスカの事も考えなさいよ」
「あっ」
あきれた顔のミサトに言われて、シンジははじめてその事に気がついたようだ。
「じゃあ、今から急いでアスカの事を褒めに行きます!」
「待ちなさい、そんなガチガチに緊張しながら言っても、アスカはますます怒っちゃうわよ。だから私も前もってシンジ君に頼むのを止めておいたのに」
「どうしましょう、ミサトさん」
「こうなったら、怒りが過ぎ去るのを待つしかないわね」
アスカは顔から湯気が出ているのではないかと思うぐらい真っ赤な顔をして怒っていた。
「アスカ、これから盆踊りで市民の皆さんの前で踊るんだからそんな鬼みたいな顔してないの」
「別に、怒ってなんか無いわよ!」
その後アスカは営業スマイルを浮かべて、盆踊りをこなして行ったが、シンジを見つめるアスカの目は全然笑って居なかった。
シンジはビクビクしながらアスカの方にチラチラと視線を送っていた。
「お疲れさま、じゃあ自由時間にしていいわよ」
ミサトがそう言うと、アスカは弾かれたように駆け出そうとする。
しかし、そんなアスカの腕をシンジは捕まえる事が出来た。
アスカが慣れない浴衣や下駄を履いて、動きが遅かったと言うのも幸運だったのかもしれない。
「ちょっと、いきなり何をアタシの腕をつかんでいるのよ!」
「あ、ごめん」
アスカに怒鳴られてシンジは慌てて手を離した。
そして立ち去ろうとしたアスカの手を、またシンジはつかもうとする。
「あっ……」
「いったい、何なのよ! はっきり言いなさいよ!」
アスカの苛立ちは頂点に達している。
シンジは勇気を振り絞ってアスカに向かって顔を真っ赤にして叫ぶ。
「僕、アスカと仲直りしたいんだ!」
「ハァ?」
「で、でも僕、どうやったらアスカが機嫌を直してくれるか分からなくて」
「そんなの自分で考えなさいよ」
アスカはあきれたような顔でため息をついた。
「そうね……じゃあ今日は全部シンジのおごりなら考えてあげてもいいわ」
とりあえず、許してもらえそうな様子にシンジはホッと胸をなで下ろす。
「じゃあ、綾波も誘って……」
シンジがそう言うと、アスカの目つきが厳しくなったのを見てシンジは慌てて言葉を止める。
そんなシンジの反応を見て、アスカも自分が大人げないと思ったのか、不本意だがレイと一緒に祭りを回る事を提案する。
「仕方ないわね、じゃあファーストのやつも一緒に……」
と言ったアスカとシンジが辺りを見回すと、レイはすでに側には居なかった。
「あ、あんな所に……」
「ファーストって相変わらず何を考えているのか分からないわね」
遠く離れた場所にあるお面を売っている店で、レイはウル○ラマンと○面ライダーの両方を手にとって悩んでいた。
付き合わされているミサトは退屈そうに欠伸をしている。
「僕達もあそこに行こうか?」
「いいんじゃないの、ファーストは自分の世界に入っちゃっているみたいだし」
「ヒカリ達もきっと来ていると思うから、夜店を回りながら探しましょ」
「もしかして、委員長やトウジやケンスケの分まで僕がおごるの?」
「当たり前じゃない、アタシに許してもらいたいんでしょう?」
「うん……それはそうだけど……」
予想外の出費にシンジは顔が青くなった。
「とりあえず、お腹が空いたから何か食べたいわね……あそこのお店からいい匂いがする」
アスカはそう言って焼きそば屋を指差した。
「うん、焼きそばを売っているんだね」
「日本のお祭りには他にどんなお店があるの?」
そうアスカに尋ねられると、シンジは困った顔で首を横に振った。
「僕はお祭りのお店とか、分からないんだ」
「だって、アンタは日本にずっと住んでいたんじゃないの?」
「……1人でお祭りに行ってもつまらないと思ったから」
シンジの憂鬱そうな表情を見て、アスカはマズイ事を言ってしまったと思った。
「とりあえず、焼きそば屋に行くわよ。グズグスしてないでついて来なさい!」
「う、うん」
アスカは落ち込みそうになったシンジに対して強引に声を掛けた。
「焼きそば1つ下さい」
「はいよ」
「アタシにも1つ」
後ろから顔を出して声を屋台の主人に注文したアスカにシンジは驚いた。
アスカは自分の財布からお金を出して焼きそばを買った。
「どうして、やっぱり僕におごってもらうのが嫌になったの?」
不安そうな顔をするシンジに、アスカはあきれた感じでため息をついた。
「シンジってどうして物事をそうネガティブに考えるのよ。シンジだってお祭りは初めてなんでしょう? それなら焼きそばの味を体験するべきよ」
「そ、そう言われてみればそうだよね」
アスカとシンジは黙々と焼きそばを平らげた後、たこ焼き屋に向かった。
そしてたこ焼きを2人前買って頬張る。
「アスカって優しいんだね」
突然、シンジにそんな事を言われたアスカはたこ焼きをのどに詰まらせてしまった。
「な、何を突然言い出すのよ」
「だって僕の事をさっきから落ち込まないように気遣ってくれるし……」
「それは、アンタがネチネチしている顔を見るととイライラするからよ!」
「そ、そうだったんだ……」
アスカはシンジに言い返してしまった後に少しだけ後悔した。
しかし、シンジの内罰的なところにイラついていたのも本当だった。
「じゃあ、お詫びに綿あめをおごるよ」
シンジは慌てた様子でアスカから離れて綿あめを買いに行った。
「それにしても、ヒカリ達はどこに居るのよ」
アスカはそう言って夜店でにぎわう境内を見渡してもヒカリ達は見つからない。
「お待たせアスカ、キョロキョロしてどうしたの?」
「ねえ、ヒカリ達はここに来ているのよね?」
「うん、トウジ達は毎年お祭りに来ているって言ったけど……」
シンジはそう言ってアスカに綿あめを渡す。
「何で1つしか買って来なかったのよ?」
「だって、僕は甘いのは苦手だし……」
「食べず嫌いはダメよ、アンタも少しは食べなさい」
「う、うん……」
シンジは顔を真っ赤にして密着しそうなぐらいアスカと顔を近づける。
こうしてシンジとアスカは1本の綿あめを食べ合う事になったのだが……。
そんな2人の姿を夜店の影に隠れて見ていたのは、ヒカリ・トウジ・ケンスケの3人だった。
「まるで、カップルやないか」
「アスカったら大胆……」
ヒカリは顔を赤くしてアスカとシンジの姿を見つめている。
「……2人を邪魔しちゃ悪いだろうしな、行こうぜ」
「そやな」
3人はアスカとシンジに声を掛けずに離れて行った。
「ああ、おいしかった。日本のお祭りの食べ物っておいしいものが多いわね」
アスカはそう言って満ち足りた笑顔になった。
「よかった、僕もアスカが笑っている顔を見るのが好きだから」
穏やかな笑顔を浮かべるシンジにそう言われて、アスカは胸がドキッとした。
「どうしたの?」
「アンタ、今何を言ったのか分かってるの?」
「えっ……僕はアスカが好きだって……し、しまったぁ!」
ドツボにハマってあたふたするシンジに、アスカの方まで落ち着かない気持ちになってしまった。
2人とも気まずい様子で顔を思わず背ける。
「じゃ、じゃあ、あの店に行ってみようか! 楽しそうだし!」
と言ってシンジが指差したのは風鈴を売っている店だった。
風に揺られて涼しげな音色が辺りに鳴り響いている。
体中が火照った気がして、涼みたい気持ちだったアスカはシンジの提案に乗った。
「へえ、面白い音が出る鈴ね」
「これは風鈴って言うんだよ」
アスカは風鈴を1つ1つ手にとって興味深く見ている。
そして、赤い金魚の絵が描かれたガラスの風鈴が気に入ったようだ。
「アスカ、それが気に入ったの?」
「うん、面白いガラスの色をしているし」
「じゃあ、買ってあげるよ」
シンジはそう言って財布を取り出す。
「2,880円!?」
シンジは一番目立つところに飾られていたガラスの風鈴が1,200円だったのにと驚いた。
普通のガラスとは違う琉球ガラスを使った風鈴なので値段が倍以上すると言う話だった。
「アタシ、別に他のでも……」
「買います!」
そう言って千円札3枚を風鈴屋の主人に突き付けたシンジは、風鈴屋の主人に男らしいと絶賛された。
「まったく、勝手に決めちゃうんだから」
「え、他にもっと欲しいのがあったの?」
「そう言うわけじゃないけど……ありがと、大切にするわよ」
ぶっきらぼうながらもアスカにお礼を言われて、シンジは照れ臭そうだった。
「間もなく、花火大会を始めます」
アナウンスの声が響き渡ると、祭りに来ていた人々は移動を始めた。
境内の道が混雑し始める。
「アスカは、花火は見た事あるの?」
「ううん、ドイツに居た頃はネルフで訓練ばっかりだったから。シンジは?」
「僕も誰かと一緒に見るのは初めてかな」
「そんな暗い顔しないの。一緒に楽しみましょうよ」
アスカとシンジがそう言って花火の良く見える場所に移動しようとした時、2人の前方で悲鳴が上がった。
なんと包丁を持った男が、アスカを目がけて突っ込んでくる!
「アスカ、逃げて!」
アスカは今日は浴衣を着ているため、身動きがとりづらい。
履きなれない下駄を履いて居て、上手く走れなかった。
「きゃあっ!」
アスカは声を上げて転んでしまった。
手に持っていた風鈴は地面に落ちて割れてしまった。
そんなアスカの間近まで、凶器を持った男が迫っていた!
アスカは自分が刺されるのを覚悟して思わず目を閉じた。
しかし、その男の包丁がアスカを傷つける事は無かった。
シンジが横っ腹から体当たりをして男を突き飛ばしたのだった。
「シンジ!」
「このガキ、何しやがる!」
アスカの見ている前で、男は血走った目でシンジに向かって包丁を振り上げた。
そこへ間一髪、ミサトが駆けつけて男を取り押さえた。
「……みんなを困らせたかった、ですって!? なんて幼稚な理由なのかしら」
その市民の男が騒ぎを起こした理由を聞いて、ミサトは腹を立てた。
アスカを狙ったのは、目立つ髪の色だったからと言う事らしかった。
残念なことにこの騒ぎが原因で、夏祭りは中止になってしまった。
「シンジ、アンタ危ない事するわね……」
「そうよ、刃物を持った男に近づくなんて、シンジ君が刺されたのかもしれないのよ」
「ごめんなさい……」
アスカとミサトに注意されて、シンジはしょげてしまった。
「でも、シンジ君のおかげでアスカが助かったわ、ありがとう」
コンフォート17の葛城家に戻ったアスカは、リビングの窓に傘の部分が半分割れてしまった風鈴をつるした。
それを見たミサトがアスカに声を掛ける。
「リツコなら割れた風鈴ぐらい戻すのは朝飯前よ?」
ミサトにそう言われたアスカは首を横に振った。
「アタシにとってはこっちの方がいいのよ」
「ほほう、そう来ましたか」
ニヤニヤして笑いを浮かべるミサトに対して、アスカは慌てて言い返す。
「この方がその、ワビサビがあっていいのよ」
「へえ、アスカって日本の風流とか分かるんだね」
シンジは感心してそう呟いた。
「……それにこれはシンジがアタシの事を命を賭けて守ってくれたって言う証だもの」
「え?」
アスカの呟きは、かろうじてシンジの耳に届かなかったようだった。
「別に何でもないわ、それに、また今度の夏祭りの時に新しい風鈴を買うわよ」
「アスカ、来年も日本に居るつもりなの? 使徒とか居ないかもしれないんだよ?」
「ははーん、アスカったらもしかしてシンちゃんと……」
ミサトはニヤニヤとした笑いを浮かべてアスカを見つめている。
アスカは顔を赤くして手足をバタバタさせながら言い訳をした。
「アタシは日本が気に入ったのよ! ……その、ヒカリやクラスにも友達が出来たしね」
「そっか、僕もアスカが居てくれると楽しいよ」
告白に近い事をポロリと言ってものほほんとしているシンジに、アスカとミサトは苦笑いを浮かべた。
「やっぱりバカね」
「でも、アスカもシンジ君の事、悪く思ってないんでしょう?」
「加持さんと比べるとまだまだ月とスッポンよ」
そしてその数日後、浅間山のマグマ溜りで使徒の幼生が発見され、捕獲作戦が行われた。
アスカは首尾良く使徒を殲滅させる事が出来たが、地上に回収される前に弐号機を支えるワイヤーが切れてしまう。
ゆっくりとマグマの底に沈んで行く弐号機。
しかし、アスカはシンジの乗る初号機の居る火口に向かって必死に手を伸ばした。
「シンジ……」
アスカが死の淵に瀕して助けを求めたのは、母親でも加持でも無く、シンジだった。
「アスカ!」
その気持ちに答えるように、ネルフの誰もが弐号機の救出を諦めたが、シンジだけは諦めなかった。
そして、D型装備をしていない生身の初号機が、溶岩の海の中から弐号機を凄まじい力で引きあげると言う奇跡は起こった。
「バカバカバカ! アタシを助けるために2回も無理しちゃって! アンタは本当に大バカよ!」
アスカはネルフの病室で火傷を負って包帯を巻かされて寝ているシンジに向かってそう言った。
あふれだした涙をぬぐいながら、アスカはシンジの側から一晩中離れなかった。
そろそろ目を覚ますはずのシンジにアスカは怒りたい事が山ほどあった。
初号機まで溶岩の底に沈んでしまったら、ネルフは、いや世界は終わってしまうのだから。
でも、一番最初にすることは決まっている。
笑顔で「ありがとう」と言ってシンジに思いっきり抱きついてキスをすることだ……。