来歴
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1994年入社。MBSの同期には、
三澤肇(元アナウンサー・現ベルリン支局長)らがいる。入社当初は「社会派アナウンサー」として将来的には報道アナになる事を希望していたが、現在はバラエティアナとして
テレビ・
ラジオ番組に出演。バラエティのイメージが強いものの、
ドキュメンタリー番組などのナレーションを務める事もある。過去に一度だけ、『
情熱大陸』のナレーションを担当した(『
わくわく土曜リクエスト』で発言)。
2009年時点、会社内での役職は副部長。アナウンサー室内で、ウクレレ部(部長:西、部員:
河田直也)と
写真部(部長:
上泉雄一、部員:西)に所属している。後者は、自身がカメラを最近購入したことをきっかけに結成。自身もカメラに夢中になっており、「
思い出リクエスト」では、毎週のようにカメラについて触れていた。また、社内では
バドミントン部(部長:
結城哲郎、部員:
近藤亨など)に所属。
オリコン調査『第5回 好きな男性アナウンサーランキング』の女性回答で8位にランクインした
[1]。
『ちちんぷいぷい』
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1999年10月に始まったテレビ番組『
ちちんぷいぷい』に1999年11月から火曜日にレギュラー出演。2004年ころからリポーター・インタビュアーとして出演、またパーソナリティー
角淳一が休暇を取った時の代理出演もこなす。2006年から正式に週後半の進行を任される。番組では読書や音楽などの趣味や「独身」といったキャラクターまでが企画に反映されている。
番組の企画として、オリンピック取材に3度派遣されている。2004年の
アテネ五輪では報道関係者のパスを貰えなかったため、
アテネ市内の各所から
FOMAのテレビ電話でちちんぷいぷいのスタジオと生中継を結んだり、市内の一般家庭のお宅にお邪魔して女子バレー日本対ギリシャ戦を観戦リポートしたりした(ただし、決してMBSが報道パスをもらえなかったわけではなく、
大月勇(当時MBSアナウンサー)のみに与えられていた)。以後この企画が通例となり、2006年の
トリノオリンピックでは、
2月20日
-
2月24日まで、トリノからFOMA中継。24日には、前日(現地時間)女子
フィギュアスケートフリープログラムを、期間中居候しているアパートの隣に住んでいる家族に招かれてテレビ観戦し、その際、金メダルの感動と、家族の温かさに触れ感極まったシーンも放送された。2008年の
北京オリンピックでも独自の視点から北京の街中を中心に取材を行い、その模様はちちんぷいぷい内で放送されている。
2007年夏、番組内でTBS・MBSが独占放送した
世界陸上にあわせて大学以来遠ざかっていた棒高跳びに挑戦した。練習の様子も放送し、
8月30日に母校の大阪大学吹田キャンパス陸上競技場で挑戦。番組内で生中継された。1回目は当初の目標である3mを成功、2・3回目は3m20cmを飛んだが失敗した。
2009年4月改編時からは木・金MCを担当。関西以外の一部地域にも番組ネットが開始された為「リアルタイム」以来8年ぶりに全国ネット番組に返り咲いている。
2010年1月4日からは、「西靖はどう変われば良いか」というテーマの元に「西に☆印」と題したコーナーがスタートし、視聴者からメールを募集している。
『ちちんぷいぷい』の名物コーナーだった『
おいしいうた』の楽曲を収録した
CD『
すごくおいしいうた』が2010年1月20日に発売され、同年3月末まで3万枚達成されなければCDの宣伝隊長を務めた
U.K.こと楠雄二朗(くっすん)の公約で角淳一、くっすんと共に丸坊主になることを番組内で公表した。そして、同年
3月1日、CDの売り上げが3万1,110枚を達成したことから、西、角、くっすんの3人が公開形式で頭を丸め、坊主頭になった。
同年
6月16日、MBS創立60周年記念企画の一環として「60日間世界一周の旅」を行うことを「ちちんぷいぷい」で発表し、同年
6月28日に
関西国際空港を出発した。世界一周の際は
阪神タイガースの
ユニフォーム(
背番号は7月7日までは『38』、7月8日からは『39』をつけていた。彼自身の年齢と同じ数字である)を身にまとって世界中を旅し、同年
8月25日に無事帰国した。帰国の際には角らが関西国際空港に出向き、バスで茶屋町のMBS本社まで向かう場面が生中継された。その間の「ちちんぷいぷい」の総合司会は木曜日は
河田直也、金曜日は
山中真が担当した。帰国翌日から1週間は同時間帯に編成されたMBS開局60周年記念ウィーク特別番組に毎日出演し、
9月3日から正式に「ちちんぷいぷい」の総合司会に復帰した。
9月15日からは水曜日のメイン司会も担当することになった。また、角淳一が
2011年9月30日で卒業したことにより、翌週の
10月3日から正式なメイン司会に昇格した。
人物
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- 2006年4月19日の放送において、竹島問題について「過去に、韓国側から国際司法裁判所に付託するとの提案があり、それを日本が断った。だから竹島は韓国領土だ!」と発言し問題となった。翌日に「そのような事実はなかった」とし訂正謝罪放送が行われたが、最後に「どうしてこんなことで一々謝らなくちゃいけないんですかねぇ?」という発言をしたため、ブログが炎上し閉鎖という事態にまで発展した。
- ウクレレを得意としているが、現在はウクレレ部員である河田のウクレレを“私物化”しており、主にそれを使っていて、西が書いてもらったサインがたくさん入っている。自分のウクレレはジェイク・シマブクロ、DEPAPEPEらのサインが入っており、自宅に保管している。また最近では、ブルースハープの演奏にも凝り出した。
- 渋い声の著名人(城達也や麻生太郎など)の声真似が得意で、『わくわく土曜リクエスト』でもたびたび披露していた。また、長らく毎日放送のテレビ・ラジオ番組に出演していた川村龍一の訃報を『ちちんぷいぷい』で伝えた際には、「川村さんの渋い声は今でも僕の憧れ」という趣旨のコメントを残した[5]。
- 『ちちんぷいぷい』木曜日では、2年間にわたって書評コーナーを担当。その本の解説は、北海道の雑誌で西自身が取り上げられたこともある。また、梅田紀伊國屋書店では西の紹介した本を置くコーナーも設置されていた。
- 無類のきな粉好き。
- ゲーム「桃太郎電鉄V」にアナウンサーとして実名で登場している。
現在の担当番組
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テレビ
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- ちちんぷいぷい月~金曜総合司会(2011年10月~)
- 番組開始直後からレギュラーで出演。2006年10月からは木曜、2007年4月からは木・金曜、2010年9月からは水~金曜の総合司会を担当した。ただし、上記以外の曜日でも、角が務めていた総合司会の代役や一部のコーナーに出演することがあった。
- 2010年と2011年には、山崎製パンとのコラボレーション企画で、関西・期間限定商品のパンをプロデュース。2010年の「デミカツパン」で約173万個、2011年の「愛の新婚朝ごはん 目玉焼き風&ソーセージパン」(2012年発売)で186万8,234個の売り上げを記録した。
- 映像(ナレーションを不定期で担当)
- 美の京都遺産(ナレーションを不定期で担当)
- MBSニュース(不定期)
ラジオ
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- 辺境ラジオ(2010年~、スペシャル枠で不定期放送)内田樹・名越康文とともに出演
- MBSニュース(不定期だが、火曜日の午前中に読む事が多い)
過去の出演番組
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テレビ
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ラジオ
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関連人物
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脚注
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外部リンク
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