実名報道で過大な被害
−教材・訪問販売法違反事件から−
人権と報道関西の会の例会が、九月二十五日(土)午後二時から、当会事務局の木村哲也法律事務所で開かれ、約十人が参加した。訪問販売法違反容疑で逮捕され無実を訴えている男性、Aさんの弁護人となっている当会世話人の太田健義弁護士が講師となり、「普通なら紙面化すらされないような微罪の事件を、警察の意に沿うかのように大々的に報じたメディアの罪は重い。しかも、本人が一貫して否認しているのに、どこの社もそれに触れていない。実名報道によって周辺の人々にも大きな被害が出ている」など、警察と報道の多くの問題点を指摘した。(小和田 侃)
教材訪問販売の逮捕容疑と報道は次の通り。
Aさんの逮捕容疑は、報道によれば、昨年十二月中旬、生後一か月の長男を持つ東大阪市内の主婦(二九歳)の自宅を訪問し、絵本約三十冊と音楽CD約十枚などのセットを約三十五万円でローン契約。その際、「商品にお子さんの名前を入れるのでクーリングオフ(無条件解約)できない」とウソをつき、主婦がその日のうちにクーリングオフを申し出ると、「契約時の会話は全部録音している。業務妨害で訴えてやる」などと脅し、解約に応じなかったというもの。
今年七月十五日午前に大阪府警に逮捕され、産経が社会面トップ、読売、日経が四段、朝日が三段、毎日が二段の見出しでそれぞれ同日の夕刊で報じた。産経はその後、八月四日の起訴に合わせたかのように同日朝刊の一面トップと社会面トップで、スクープとして「出産予定日リスト 一万数千人分流出 訪問販売業者から大阪府警押収」と続報を掲載。読売、毎日、日経が同日夕刊でこのニュースを追い掛けた。その後も、この種の事件で異例にも、同じ容疑で単に被害者が別にいたというだけで再逮捕された時も、続報として掲載された。また週刊実話も八月二十六日号で「ついに出産リストまで流出 個人情報漏えいの悪夢」と題して一ページを使って報じている。
微罪なのに
どうして大報道なのか
太田弁護士の報告は次の通り。(事件の概要と報道内容は別項)これは懲役一年以下または罰金一〇〇万円以下という法定刑からすれば極めて軽微な事件で、容疑を認めれば罰金二十〜三十万円程度の略式命令で済む話だ。それをどうして各紙こぞって、しかも大々的に報じたのか理解できない。また「会社ぐるみ」の疑いと報じられているが、現時点でも他の社員の逮捕には至っていない。会社が暴力団などとつながっているなどの話があれば、大きく報じられることも考えられるが、それもない。しかも被疑者のAさんは、社員ではなく、会社と代理店契約しているにすぎない。会社の社長は「何で報道の中で私の名前まで出されないといけないのか」と、怒りをあらわにしていた。
Aさんは、当初から完全否認していて、今も「最後まで争います」とキッパリ言っている。なのに、これだけ大きくスペースをとって報じていながら、否認していることには一行も触れられていない。産経の八月四日の記事では、「名簿流出が三日分かった」とされている。名簿など会社の捜索でずっと前に押収されているのに、何で「三日分かった」となるのだ。起訴日に合わせた警察のリークだとしか思えない。
また読売は八月五日朝刊で「給料はダウン。この焦りから強引なセールスに走ったとみられる」と書いているが、全くのウソ。確かに今年三月、家族の病気のために仕事時間が減ったため自然に収入も減ったが、それは止むを得ないことで、しかも逮捕容疑の昨年十二月時点ではそのような事実はないのだ。
これだけ大きく報道しておきながら、Aさんの弁護人に取材してきたのは朝日だけで、しかも再逮捕後に確認する程度の取材だった。九月七日の第一回公判でも、どこの社も取材に来ていなかった。同月二十一日にはAさんは同じような容疑で再々逮捕され、会社側も「いつまでこんな事をされるのか」と不安に駆られる一方で、どこの新聞も報じていなかった。今度はもう、飽きてしまったということだろうか。
クレジット会社が手をひき
会社は開店休業状態
この事件を実名で報じられたために、会社はトラブルを恐れるクレジット会社から一斉に手を引かれてしまった。販売担当員を十人ほど抱えながら、教材の販売活動ができず、まさに開店休業となっている。若い女性従業員が多いのだが、親から「もう辞めたらどうだ」とまで言われている人もいるという。
警察は会社に対し「このまま在宅で調べ続ける」と脅しのようなひどい応対をしている。押収品のフロッピーなどコピーするれば済む話なのに、未だにほとんど返却されておらず、業務を妨害して会社を潰そうとしているのではないかと疑ってしまう。(参加者から事件自体について「『クーリングオフを認めない』と言った、言わないで争いがあるのは仕方ないとして、現時点でも消費者からの契約解除を受け入れていないという客観的証拠はあるのではないか」と質問されたのに対しては)訪問販売は一般的事例として、販売側が『できれば解約してほしくない』と思っているのは事実で、そこらへんのやりとりで意思がずれることはあるようだ。また、あくまで一般論だが、例えば妻が契約して、後で知った夫がそれに反対し、夫への体面上、妻が間に立って不正確な事を言うことも考えられる。Aさんについては、新聞で取り上げられた人には、クーリングオフに応じている。また商品自体も、結構手間をかけて内容からしても適切な価格を設定しているし、会社には、「いい教材で良かった」と礼を言う便りも寄せられている。
◇ ◇ ◇ ◇
作られた
「警鐘記事」ではなかったのか
続いて討論に入った。参加していた新聞記者は「あくまで推測だが」と断った上で「警察発表の際、『余罪がたくさん出てきそうだし、後々に会社も摘発する方針。できれば大きく報じてもらいたい』などとあおられて、各社大きく扱ったのではないか。逮捕容疑だけで、こんな扱いにはならないから。また再逮捕にしても、別の手口が発覚したり別の罪状がついたりする場合なら分かるが、単に1人の被害者が増えたというだけで、報道するとは考えられない。恐らく、本人の自供や会社の関与を引っ張り出せない警察が焦って、このような再逮捕まで発表し、マスコミがそれに乗せられた格好ではないか」と解説した。
テレビ局社員は「『怖い訪問販売に騙されないよう、社会に警鐘を鳴らす』という大義名分にかなっていて、マスコミとしては非常にはまった報道だ」、別の弁護士は「住民基本台帳法案の採決を目前にして、名簿流出の記事は非常にタイムリーになっている」とそれぞれ語り、一連の報道が捜査側、行政側にとって都合よく、マスコミも便乗しやすい内容であったことがうかがわされた。
太田弁護士によると、会社も大きな損害を被っているだけでなく、Aさんの家庭も、妻が妊娠中だったうえ、父母も病気がちだったりして、ガタガタになっている。普通の人だったら、嘘でも罪状を認め罰金だけ払って釈放される道を選ぶかもしれないが、Aさんは「嘘をつくぐらいなら、徹底的に闘ってみせる」と語り、自尊の気持ちと正義感から不当な長期勾留に耐えているという。他の弁護士からは「無罪に持ち込める可能性が高い事件だ。もしそうなったら、メディアに対する裁判も起こすべきだ」との意見が出され、太田弁護士は「それは検討するつもりで、特に読売の『給料が減ったから犯行に及んだ』という記事はひどすぎる。裁判を起こせば、マスコミは『警察が発表したから』と弁明するだろう。だから、そんな発表をした警察も相手にして裁判を起こしたいくらいだ」と語った。
全くの作り話も
報道される
産経の七月十五日夕刊では「最初の訪問時には『自分は元体育教師で妻は保母。幼児教育のプロです』と接近。子供を抱きかかえるなどして警戒感を解いていた。主婦らが『主人に相談したい』と話すと、『子供の教育は母親が決めるべき。男はむとんちゃくだ』などと巧みな話術を使って契約にこぎつけていた」などと書いている。しかし、太田弁護士は「こんな事は、調書のどこにも書かれていない。まったくの作り話を警察がリークし、そのまま紙面化したとしか考えられない」と指摘した。このほか参加者からは「会社ぐるみの摘発を狙ったが失敗して、警察が挙げたこぶしを下ろせずに、不必要にAさんを拘留しているという図式だ」「若い母親は騙されやすい、という偏見に基づいて描かれたストーリーで、女性に対する差別報道に怒りを感じる」などの意見が出された。テレビ局の元記者は「警察は産業廃棄物なり覚醒剤なり不法就労なりの取り締まり月間を設定していて、その期間中に功績を上げようとする体質がある。この事例でも、その月間であったかどうかは別にして、訪問販売でどこかを検挙しようとして先走ったのではないか」と推察し、太田弁護士は「不法就労に関していえば、粗大ゴミを拾おうとして窃盗容疑で逮捕された外国人がいた。明らかに狙いをつけて何が何でも逮捕する、という警察の姿勢がうかがえる」と語った。
範囲拡大など確認
〜日弁連人権擁護大会(前橋)〜
野 村 務
日本弁護士連合会(日弁連)は10月l4、15の両日、前橋市において第42回人権擁護大会を開催した。そして、「人権と報道」をテーマにシンポジウムが開催されたのは、第30回の熊本の人権大会以来実に12年ぶりである。私はシンポ実行委員会の副委員長として、またパネリストとしてパネルディスカッションに参加したので、その報告と感想を述べることとしたい。
いろいろな論点について議論が展開されたが、その中心は日弁連が提言した匿名報道の範囲の大幅な拡大と、報道評議会設立の問題であった。
報道被害者の訴えに
会場静まりかえる
日弁連は熊本大会において、原則匿名報道の実現に向けて匿名の範囲を拡大することを提唱した。その後、犯罪報道は呼び捨てを止め、容疑者呼称が取り入れられ、連行写真が抑制されるなど、ある程度の前進が見られるものの、逮捕段階における実名・顔写真入りの犯人視報道、警察などの捜査情報に偏った報道の実態はほとんど変わっていない。
犯罪に関わる事実や刑事手続は公共的な事柄であり、犯罪報道における被疑者等の原則匿名化が報道の原理として必ずしも安当ではないと考える田島上智大教授と、国民が知る必要があり、知る権利がある政治家や高級公務員、社会で重要な地位・立場の人など公人の犯罪以外の一般市民の犯罪においては、被疑者の名前や顔写真については公共性がなく、「誰か」が匿名でもその事件の背景や原因・動機等は充分報道できるし、社会的問題点も議論できるとし、報道される側の苛酷な人権侵害を防ぐため、その人格権の保護と報道の自由との調和、無罪推定の原則などから、原則匿名報道の正当性を根拠づけた平川名古屋大教授の見解とが対立したが、パネリストとして参加された松本サリン事件被害者・河野義行さんの発言や、甲山事件で無罪が確定した山田悦子さんの自分が受けた苛酷な報道被害の体験からの匿名報道の訴えには、会場が一瞬静まりかえり説得的であった。
原則匿名報道の実現をめざし、匿名の範囲を大幅に拡大すべきであるとする日弁連の方針は、シンポ参加者の大方の支持を得られたものと思われる。
薄いメディアの危機意識
自主・自立の報道評議会を
報道彼害を簡易・迅速にしかも低廉な費用で救済するためには、報道評議会の設立が必要であるとの意見は、これまで日弁連、新聞労連、有識者等から強く主張されてきたが、各メディア等はこれを無視してきた。放送界においては97年1月、自民党が第三者機関設置のため法制化の動きを活発化させたので、NHKと民放各社は急きょ、共同で自主自律の苦情対応機関を設置することを決定し、同年6月、「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」が発足した。BROはわが国において初めて、報道被害救済のために各放送局の外に共同で設立された自主・自律の機関として今後の発展が期待されるが、審理の対象が権利侵害に限定していて放送倫理違反行為が入っていない点、苦情申立人と放送局との間で話し合いがつかない場合に限定している点、委員会に独自の調査権限を定めた規定がない点等、簡易・迅速な報道被害の救済機関としては、まだ不充分な点が多いことがパネリストから指摘された。
本年8月、自民党の政調会に設けられた「報道と人権等のあり方に関する検討会」が、「自主的規制の実効性が上がらないのであれば、法的根拠のある中立公正な第三者機関の設置も検討すべきである」との報告書をまとめ、権力による報道機関への規制が強められる危険があるのに、新聞・雑誌等のメディアには危機意識がないことが指摘された。日弁連が新聞・雑誌等の活字メディアに対し、自主・自律の報道評議会が設立されるよう根気強く継続的に働きかける必要性が参加者全員に認識されたと思う。
9月29日の甲山事件第2次控訴審判決を前後して、いろんな印象深い言葉と出合った。直前の同12日の「甲山事件25年 無罪終結をもとめる集い」で講演した瀬戸内寂聴さんは「私が関わった徳島ラジオ商殺し裁判や甲山裁判を見ていると、権力に対して恨みと怒りで一杯になる」と。仏門に入られた高名な方のこんな感情的で赤裸々な言葉に、我が卑しい心も「そうか、権力に対しては、感情的に闘えばいいのか」と楽になった
また瀬戸内さんは「今の若い人は特に腰抜けで、権力悪と闘わなくなった」とも。若者はすぐキレルのに。そこで思い出したのが、甲山救援会と一緒に国連に行って代用監獄制度の不当性を訴えた戦中の言論弾圧「横浜事件」の冤罪者、木村亨さんの今夏出版された追悼集だ。寄稿文の中に「現代人はすぐキレルのに、怒りを持続させられないでいる」とあった
29日の無罪判決直後の集会で、偽証罪に問われていた元園長、荒木潔さんは「友達と一緒に喫茶店でコーヒーを飲んでいた。その友人が逮捕されたら、喫茶店でのアリバイを証言するなんて、当たり前でしょう。そうしただけで、私は偽証罪で逮捕されたのです」。もう何度も聞いている話だが、やはり説得力がある
最後に、甲山事件で山田悦子さんを再逮捕した主任検事で、第2次控訴をゴリ押ししたといわれる元大阪高検検事長、逢坂貞夫さんは毎日新聞紙上で「この事件について、良心が痛むことは一切ない。もし自分がこの事件の弁護士だったら、違う形の弁護をした」と。「真実追求」と吐きながら、未だに真実に向ける目を持ち合わせていないようだ。米国で無罪判決が出た時、検察が「判決に敬意を表する」という内容の言葉を捧げたという話と比較してしまう。法と真実への畏れを持ち合わせているかどうかの差なのだろう。(侃)
人権と報道シンポ
12月4日開催です!
今年のテーマは「報道被害救済に向けて〜21世紀の人権と報道」。パネリストに北村肇氏(元新聞労連委員長・サンデー毎日編集長)、太田稔氏(甲山事件救援会事務局)、吉田雅一氏(読売テレビ報道部デスク)、木村哲也氏(人権と報道関西の会・弁護士)を迎え、当会の太田健義がコーディネータをつとめます。
ふるってご参加ください。
日時:12月4日(土)午後1時から5時まで
場所:エル・おおさか 709号室(地下鉄・京阪天満橋駅下車5分)
主催:人権と報道関西の会、関西マスコミ文化情報労組会議(関西MIC)
参加費は500円です。
メールで会報配信しています!
希望者は事務局までご連絡下さい。一人でも多くの方に読んでいただく一助にしたいと思っています。
このページは人権と報道関西の会の御好意により当ホームページに掲載されていますが、本来会費を頂いている会員に送付している会報です。その性格上2ヶ月毎にこのページは更新されますが、継続して御覧になりたい方は是非上記連絡先に所定の入会の手続きを行ってください。
その他何か御質問がある方はメールフォームからどうぞ