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戦争をする「普通の国」への長い道のり=もしもハトカンが核のボタンを手にしたら… - 石井孝明

アゴラ

2012年10月05日 07:30

新しい考え「戦争のために国は存在する」

アゴラ読書塾「戦争する人間」を受講した。

講師のアゴラ研究所所長、池田信夫氏からテルアビブ大学の歴史学者アザー・ガットの「文明と戦争」など、世界の読書界で話題になっている最近の注目本を紹介していただいた。そして、とても知的な刺激を受けた。社会科学が戦争を軸に見直されているという最新の動向を知ることができたためだ。

私なりに、この読書塾のまとめをしよう。新しい知見では次のような興味深い話がある。

  • これまでの社会科学では、マルクスが考えたように経済の仕組みに合わせて、社会や国が作られるという考えが主流だった。ところが最近は、戦争のために社会、そして国が作られるという考えが登場している。
  • 戦争と軍、さらに軍備の社会への影響が、これまでの各社会科学の考察よりも、最近は大きく捉えられるようになっている。
  • 旧石器時代から人間は殺し合ってきた。平均推計で集団内の死因の15%が殺害というデータもある。
  • 狩猟採集を行ってきた人類の定住は農業のためだけに起こったのではなく、他集団による殺戮からの防衛のためでもあったらしい。
  • 宗教、倫理規範は集団をまとめ、内部の殺し合いを避けるために発展した面がある。
  • 世界の各社会はそれほど経済力で差はなかったが、18世紀ごろから、西欧は他地域と比べ急速に発展する。「大分岐」と呼ばれる現象だ。それをもたらした一因は西欧で繰り返された戦争で、他国に勝つために植民地の収奪や経済成長を競い合ったことによるものだ。

こうした考えは社会科学のさまざまな分野に影響を与え始めているという。

「戦争のために国が存在する」。これが普通の国であるとしたら、憲法に規定された日本の「戦争放棄」という国の姿はとても異常だ。

吉田茂は「戦争しない国」の異常さを認識していた

中国での反日暴動や中国、韓国の領土問題の外交攻勢によって、日本の領土、さらに権益が脅かされている。そして誰もが国の防衛や安全を意識するようになった。

出版不況の中で、歴史書が売れているそうだ。これまでにない混沌と不透明感の中で、歴史の中で「立ち位置」を考えようとする人が増えているのだろう。そこで必ず振り返られるのが、戦後日本を構想した首相の吉田茂だ。ちょうど今、NHKが「負けて勝つ~戦後を創った男・吉田茂」というドラマを放送している。名優の渡辺謙氏が吉田を演じ、日本占領を指揮する連合軍最高司令官のマッカーサーに立ち向かう。ちなみにドラマを少しだけ見たが、美化されすぎと思う。現実は吉田も日本も、みっともなかったであろう。

私もなぜ日本が今の姿になったのかという疑問から、吉田に興味を持って、いくつかの評伝を読んだ。吉田は、戦争放棄、押しつけという日本国憲法の異常さを十分認識していたが、押し付けられたことを反論の根拠にして、米国の再軍備要求をはねつけた。そし、安全保障での軽武装・米国追随、そして経済重視の路線を敷いた。政策を批判する政治家には「番犬を飼っているのですよ。しかも餌代はただで」と、米国に失礼な言葉も述べたという。

歴史家の保坂正康氏は「吉田茂という逆説」という本で、この政治家が自分の意思と違う行動を繰り返す、矛盾だらけの存在であったと指摘している。外交でもそうで、保守的で誇り高いのに、国の舵取りでは今の価値観から見ると屈辱的な米国追随という大方針を定めた。ただし、その後に交渉で日本に有利な地歩を少しずつ勝ち取ろうとした。それは日本の弱い国力から導かれた冷徹な計算、そして独立という大方針を達成するためであった。

吉田は人間的な魅力と深みのある人で、エピソードには事欠かない。その中から、日本の矛盾を認識していたことを示す一つの話を紹介したい。昭和32年(1957年)に行われた防衛大学の第一回卒業式の式辞だ。吉田は、防衛大の創設を決め、教授の人選やカリキュラムにまで口を出すほど、関心を寄せていた。

君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく、自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時の方が、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。
一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張ってもらいたい。 自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ。


ジャーナリストの杉山隆男氏の著書「兵士に聞け」(小学館)によれば、この式辞は当時の自衛隊、防大卒業生に衝撃を持って受け止められ、今でも肯定、否定を含めた議論を隊内に巻き起こしているという。

どの国でも軍の士官は国のエリートとして大切にされる。ところが吉田は「軍のような存在」である自衛隊の士官となる若者たちに「日陰者」「耐えてほしい」と言った。この言葉には深い洞察、冷徹さ、優しさという「逆説」が共存している。

昭和32年当時、作家の大江健三郎氏は防衛大の学生を「同世代の恥辱」と無礼な言葉でののしった。吉田はそのような異常な社会の状況を、自分の式辞で再確認させた。そして旧軍のように悪しき政治介入をしないように釘を刺した。一方で若者に配慮と期待も示した。

そして吉田の言葉は現代の私たち一般国民にも印象に残る。東日本大震災の救援活動、そして領土防衛活動で、自衛隊に今、期待と関心が集まる。この現状は、吉田の言葉通り日本人が不幸になりつつあることを示しているのだろう。

この余韻を残し、意味をさまざまにはらんだ式辞は、考え続けた深い思索の中から産まれたと、今読んでも理解できる。

「戦争をする国」へ変身できるのか?

日本は吉田の後で、運良く平和に、そして国防負担で国が傾くこともなく、経済発展を遂げた。しかし、「良いことは悪いことと手を携えてやってくる」(ユダヤのことわざ)。吉田の政策に内在したおかしさが、どうも許容できないレベルになってしまった。そして「普通の国にしたい」という意識が、国内に産まれている。しかしそれは可能であろうか。

戦争を指導するのは政治家だ。私たち日本人はユニークな経験をした。鳩山由紀夫氏、菅直人氏という2人の首相を、間接的に選んだ。2人は常識を持つ普通の社会人にとって、理解できない行動を繰り返した。

彼らの迷走、迷言は事欠かない。国防問題でもそうだ。鳩山氏は首相当時に語った。「国というモノがなんだかよく分らないのです」。自分の判断ミスで沖縄の基地問題に大混乱をもたらした後で次のように述べた。「米海兵隊は抑止力であることが分かった」。首相退任後は「東シナ海を友愛の海にする」と、中国の高官に語った。

菅直人氏は首相当時、自衛隊幹部を集めた席でこう演説した。「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されていた」。原発事故という有事の際に、菅氏はパニックになり、毎日怒鳴り散らしていたという。

吉田の言葉と比べると、同じ地位にある人の言葉かと、悲しくなるひどさだ。吉田は考え抜いた後で、首相として戦争を放棄したおかしな国を作った。それから60年。自分のおかしさをおかしいと認識できず、防衛問題を考えたこともない2人の首相が登場した。「平和ボケ」ここに極まれりだろう。

「日本は核武装せよ」という勇ましい議論が最近登場している。ところが何を考えているか常人には理解不能な鳩山氏や菅氏が核のボタンを持つという事態になったら、近隣諸国にとっても日本人にとっても恐怖だろう。「ナントカに刃物」という状況だ。

しかし私は高みに立って偉そうなことを言えるほど、国のあり方について見識と覚悟のある優れた人間ではない。私は自分が「平和ボケ」であると認識している。現時点での「代表的日本人」である鳩山、菅の両氏を笑う資格のある日本人は少ないはずだ。

「普通の国」になる必要を、国土への侵略行為によって日本の多くの人が実感した。それになるには大変な努力と時間が必要だろう。国土を守るためにその変革は必要だが、吉田茂の予言した通り、日本人の大半にとって不幸で険しい道のりが始まったのかもしれない。

石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

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