彼の歩んだ道
「一ペン死んだ」ということ
見当がよい、ということ
選挙(投票)は、市民各界各層各地域の
声を公平に吸い上げるためにある?
皆様の声を公平忠実に反映させます?
議員は何人が適当か?
会社を辞める
司法書士試験合格
市会議員・補欠選挙へ出馬
県議会議員選挙へ出馬
岡山県議会議員 桑山 博之
(司法書士政治連盟会報 1996年6月号(飛翔40) 及 “美作・夢の創造”(上)より抜粋)
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議員として20年
彼は、昭和43年、27歳で司法書士を開業した。
サラリーマン3年、脱サラで、勝手ながら一時無職となったことがある(この時、母の“この子は大器晩成じゃ”の一言がこたえた)。少々本気でやって資格を取った。 以後、昭和51年、4人中1人の市会議員補欠選挙で大激戦の末当選。
昭和58年からは県会議員へ転じ、今日まで合計6回の選挙を経て、都合20年間を“司法書士と地方政治”でやらせてもらったことになる。
いま彼の県議会での役職は、正副議長以外すべて済み、齢も55歳。そろそろ中堅議員と言われだした。彼の自分史は、大学入学以来欠かさず記録している「日記」にしたためてあるが、振り返ってみると好きなことを、けっこうあれこれ一途にやらせてもらった、と述懐している。
ところで、司法書士は法律上、一身専属権といわれているが、有能な補助者が助けてくれる。しかし、県会議員の方は、「非」常勤公務員といわれるが、根本的には独立した自由業であり、かつ地元では「常勤」である。
今の“議員”という仕事は、そうノンキな仕事ではない。一人区ならともかく複数区なら常に競争にさらされている。また、公務かそれがないときは行事があり、1日たりとも手抜きできない緊迫感がある。
しかし、少なくとも自分で納得できることをやってきた。喜んでもらったり、多くの支援者から支えられているという幸福は大きい。
議員はおもしろいか?
わが街のある高額納税者から「桑山さん、県会議員がそんなにおもしろいですか?」と尋ねられたことがある。 彼は即座に、「おもしろい。好きなんです」と答えたものである。ただ、ここに「おもしろい」という意味、中身は若干解説が要る。まず、イヤイヤながらやる仕事ではないことはハッキリしている。
おもしろ、おかしいということとは全く正反対だし、ほとんど家庭を犠牲にした生活だったかも知れない。 だから、単純に楽しいというのでもない。
本人は夢、情熱、意欲をもって、好きで自分のためにやるのだから、やりがいがあるというのに近く幸福だが、自己満足ではないか、と問われると必ずしも否定できない。
未だに適切な言葉を知らないのである。だからこの質問には、普通は「好きなんです」と一言答えることにしている。
なぜ地方政治か?
議員は金持である必要はサラサラないが、少なくともカネに支配されなくてすむ程度のカネは持っていないと政治は無理だと思う。
それでは「なぜこの地方政治の道に入ったのか?」と問われれば、それはハッキリしている。それはこうだ。
世の中には、美しいものも満ちているが、逆に許し難い社会矛盾や不合理、不正や非人間的な、おかしいことも案外存在する。そういうことに対して、“許せないと思う心”・“匡したいという心”いわば自分の正義感や信念のようなものが今日まで自分の心の支えとなってきたことは間違いない。
単なる目先の損得で判断するような人間にはなりたくない、という幼い頃からの思いだったと思う。政治は経済の論理とは基本的に違う。政治屋は“損、得”で判断するがそれではダメだ・・・ というのが彼の考え方である。
したがって物事の方向や道筋をつけるのはこの意味で政治家でなければいけないと彼はズッとそう信じている。この辺りにプレがあるようでは、政治はやっていけないし、利権を求めてはならぬ。
この点では厳しい考えを持っている。
議員としてやってきたこと
「議員になって、どんなことをやってきたのですか?」こう尋ねる人もいる。これに対しても、触れておく必要があると思う。 25年前にこの道に入るとき、まず自分自身のテーマと理念、キャッチフレーズを決めた。
*「老人にやすらぎを、若人に夢を!」
*「道と水と土、街づくりと教育」
が、それである。市議も県議も基本の考えは変えるべきではない、と思い25年間一貫してこれを表明している。
また、「着眼大局、着手小局、着々寸進、洋々万里」をモットーにした。これも変えていない。
その結果、新しい街づくりとして「北の街づくり構想」。県南北の幹線道構想として「新空港道路構想」(大規模農道)。地域高規格道路(準高速道)の「空港津山道路」。地酒の振興のための「純米酒運動」。広域的な生活環境整備と工業振興のための「広域下水道構想」「ハイテク工業団地構想」。スポーツ振興のための「高規格陸上競技場構想」「高規格体育館構想」。など各種構想を発案、推進、実現(一部は着手)させることができた。
今、情報ハイウェイ構想(インターネット)の推進に全力投球し、着々と“日本一の情報県づくり”を目指している。彼は、県などの優秀な職員をいかに有効に使うかも県会議員の力量だと思っている。 仕事をするに当たって心掛けているのは、“言い訳はしない” “独創を考える” “夢をカタチに” ということ。 また、“毎日2時間本を読むこと”くらいである。
もちろん、彼の仕事の実績が結果的に彼の支援へつながることは、大いに期待しているのだから、世にいう聖人君子であろうはずはない。
(美作夢の創造−17−より)
司法書士議員の必要性
ところで、司法書士は彼にとって“メシのタネ”であり、また会の仲間から会のためいろいろと相談もあった。
市役所へ司法書士の市民法律相談の事業を設置してもらったり、県が登記会社ともいうべき(財)協力事業団を設立すると聞いて自由民主党県議団へ陳情した。時期遅く結局、設立されたが、登記事務については非公式ながら登記嘱託員の不拡大方針を確認させたり、したこともある。(個々にはほかにもいろいろあった)。
地方にもまだやるべきことが残されているし、我々司法書士は、各種課題を抱えている。 まず、登記専門職なら登記代理権をキチンと位置づけてはしい。国も(財)民事法務協会という第二法務局を設立しており、これがますます肥大化している。かつて制度廃止論も出た。高度情報化(コンピュータ化)によりやがて登記の出頭主義も見直されるだろう。 法務局の統廃合は1000庁を間もなく500庁以下にするという。
また、国は、ご都合主義で登記免許税をやたらといじくる…。 等々、こう考えると、課題はたくさんある。 放っておくと国は少し我がままになりがちだ。だから、政治連盟の仕事は決して少なくない、しかも重要である。
司法書士はもっと政治的でなければいけない。他方司法書士は従来より「国(お上)から認可を受けた」という意識がまだ根強く残っているようだ。
今は、司法書士の国家試験合格率がたったの二・七%という超難関業種であるのに、その割には社会性に乏しく、社会的位置づけも低い。 県の行政委員もほとんどいない状況だ。政治音痴で、一国平和主義のようなところがあると、言わざるを得ない。
政治は人ごと、と思っている間は司法書士の社会的位置づけは向上しないのではないか。彼は仲間の「司法書士議員」が、次々に誕生することを切に祈ってやまない。
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