特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 精神科医・斎藤環さん
毎日新聞 2012年10月05日 東京夕刊
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇「非原子力三原則」を−−精神科医・斎藤環さん(51)
台風の影響で冷たい強風が吹き付ける夜、斎藤さんは重そうな黒いリュックを背負って現れた。「普段なら一日の診察を終え、そろそろ原稿の執筆に入る頃かな」。新聞や雑誌への執筆、講演が途絶えることはなく、睡眠3時間という日々が続く。大半は「脱原発」の論客としての積極的な発言だ。「執筆中はソファに腰掛け、目を閉じるだけ。横になったら起きられなくなるので」と苦笑する。
「社会的ひきこもり」の著書などで知られる、ひきこもり研究の第一人者。日々、患者と向き合い人間の心のうちを見つめてきた斎藤さんが「脱原発」を訴えるのはなぜか。
「福島の人たちが抱いている喪失感は、日本人がかつて一度も経験したことのないものです。家も田畑も変わらぬ姿で残っているのに、そこに住むことを許されない。原発交付金による繁栄の記憶があるのに、あの頃はよかったと口にすることもできない。立場によって中身は違うし、複雑に絡み合ってもいるが、全ての人に寄り添って心の傷を癒やそうとすれば、脱原発という選択肢しかなかった」
自身の診療所には、福島から避難してきた人たちも訪れる。「その喪失感や原発への恨み節を口にすることはほとんどありません。津波で家族を失ったりして、自分たちより苦しんでいる人は大勢いるのだから、と」。まぎれもない被害者なのに、自ら叫びを封じている。斎藤さん自身、被災地の岩手県出身。福島の人たちの心の傷の深さに胸が痛んだ。