弟子の新たな決意と私の思い。
在特会への再入会と排外主義への信念
先ずはこのエントリーを読んで頂きたい。
「在特なる」共生日本の孤塁 http://blog.livedoor.jp/samuraiari/
NPO外国人犯罪追放運動の有門大輔理事長が、私の所に顔を出してからもう17、8年が経たのではないか?彼が私たちが当時行っていた極右・ナチズム運動に共鳴し大阪から出て来たのは19歳の時だった。よって彼が大阪で育った幼少から学生時代と同じくらいの歳月を私と共に歩んで来たことになる。
私も今でこそ福島の方が多いが、以前は週末しか帰っていなかったので、自分の家族よりも長い月日を過ごすことになる。人生とは本当に不思議なものである。同じ思想を共有するということだけで、会ったその日から枕を共にして同じ部屋で素性の知らないのに、一緒に生活出来る。
尤も私はこの運動をやるようになってからは、常に弟子や部下と一緒に暮らしていたし、若い頃は福島に家があっても事務所に若い人達と一緒に寝泊まりしていた。それが普通の自分の生活であり、取り立ててそれが世間の一般の人と違うからと言って何とも思わなかった。
我々が「主権回復を目指す会」「在日特権を許さない市民の会」「外国人参政権に反対する会」などと3年間ほど一緒に「語る運動から行動する運動」として盛んに活動していた頃、有門理事長も「NPO外国人犯罪追放運動」を率い、先輩諸兄と共に戦ってきた。
もう、一昨年にもなろうか?各団体間にすきま風が生じて、内部で意見の違いが際だつようになった。主に主権と在特の争いのようにも思えたが、やがて私は父が亡くなるなどして郷里に帰り実家の農業を継ぐことになる。
主権内部における内紛などもあり、有門君も板挟みにあって苦しい選択を迫られたのではないかと思っていました。私は内紛に嫌気を覚え運動に協賛することを止めましたが、有門君は最後まで主権と行動を一時共にしてきた。
その結果として在特会への運動に参加する道を自ら閉ざしてしまうことになり、やがて主権からも離れ、行動そのものへの疑問から、新しい排外主義と反近代という日本の明治維新以来の綿々と続けられた薩長支配に異議を唱え、独自の思想を追及してきた。
対して私は一兵卒からやり直すことを決意した。我々は一般の人々に向かって「立ち上がれ!」とマイクで叫び続けてきた。その一般の普通の若者がフジテレビに対して、花王に対して、ロート製薬に対して立ち上がる姿を見る時に、じっとしてはいられなかった。
主催者が誰かも知らなかったし、挨拶もしなかった。一人で日の丸を掲げ黙ってデモに参加した。自分たちが呼びかけていたときに、私よりも年配者が「私のようなものでも数のたしにはなるでしょう」と言われたことが胸に響いて忘れられない。
私はその気持ちで参加していたが、当時有門君は自分が学び始めた新しい思想の純化に没頭しデモへの興味などは薄れているようだった。関西出身者の彼が薩長支配体制を衝くよりも、本来なら福島出身者の自分の方が適任だと思ったこともある。
出来れば、若い有門君が一般大衆のデモに参加し、私が明治維新以降の近代化に賛同することなく独自の道を模索すべきなのではないか?立場が逆になれば・・・・と思ったこともあった。
しかし、様々な模索を経て今回有門理事長が「在特会」や他の友好団体の抗議活動やデモに参加して、皆さんの熱い声援を受ける事が出来て、本人も決意新たに在特会への再加入を決めたことを率直に嬉しいと感じたのでここに私の方からも紹介させて頂きます。
今回上京するに辺り、新幹線の中にあった「トランヴェール」の雑誌の中から〜時代を貫く、会津の魂〜を少し紹介しましょう。
昨年3月11日の震災から復興に向けて、賢明に邁進する東北地方。
逆境に屈することなく新しい世界を切り開こうと突き進む人々の姿は、幕末から明治にかけての会津人を彷彿させる。
江戸中期から幕末、明治にかけて次々と襲った危機を。当時の改革者や民衆がどう乗り越え前に進んでいったのか。
藩ゆかりの地である会津藩と下北半島に会津復興の歴史を訪ね歩いた。
以上
明治維新で政府軍(薩長藩)に敗れた会津藩士は遠く青森の下北半島の荒れ地へと追いやられた。不毛の地で会津藩士は立藩したが、やがて廃藩置県でそこも失う。その歴史に翻弄されながらも、決して「武士の誇り」を捨てることなくその地で生き続けた。
苦難にひるむことなく立ち向かう日本人の勇気ある生き様は、後の日本の新し夜明けに貢献した。藩を失い土地を失った自分たちは自分の為ではなく、国の為、人の為に生きるべきと悟った。
明治、大正、昭和の激動する社会で自分を捨て、国家民族の為に尽くす思想の形成に、会津武士魂が果たした役割は余りに大きい。
長州閥の末裔である安倍総理の出現を私は支持しています。確かに今でも会津と長州は仲が良くない。しかし、それも時代の流れと共に今後は変わりゆくものだと私自身は思っています。