つまり、商品生産経済の発達とともに、大地から離れていった労働者たちは、90年のバブル崩壊後、相
次ぐ不況の波により、櫛の目から落ちこぼれ、食も得ることが出来なくなり、炊き出しに頼ることになる
そして、毎年、年間自殺者は、経済的な問題が主因といわれており、32,000人を超えています。
こうした貧困や格差の拡大する競争社会のエゴイズムの対立しか見えてこない社会にあって、人間の相互
信頼などという土壌は生まれてこないということになるのではないでしょうか。2章の「自給生活様式へ
の偏見」で述べましたように、江戸の自給文化の中には、「民度」は立派に成熟していたのです。
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そうした古い昔の文化に目をそらすのではなく、真摯に対峙するという姿勢が大事なことなのではないで
しょうか。つまり、ソーシャル・キャピタル「民度」は、二つの生活の変化と共に衰退しております。
人間の根源的生活活動である、自分たちの生活は自らの力で生きる場を創りながら生活していくという、
その過程の中で進化されていき、みそ、醤油、酒を創る工程のように、発酵、熟成という永い時間が必要
なのでしょう。現代においては、こうした永い時間をかけた発酵、熟成による「風味」とか「かまろやか
さ」という質の成長を求める余裕がなくなり、量の成長だけを求めた、コップの小さな器の中で必死にな
っている様は、醜いとしか言いようがない。その代表的な舞台が、政治の舞台です。
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ボロボロになった列車の「張り替え」、「継ぎはぎ」の論議に時間
を費やする、そこに政治家のエゴイズムが入ってくるから尚始末が
悪い。その間に、コップはどんどん収縮をしていく、そうするとま
たもや、「張り替え」がいいのか、「継ぎはぎ」がいいのかの論議
が過熱し、国民の目を誤魔化しながらエゴイズムを入れてくる。
それを面白がって、マスコミは、政局にして面白おかしく喋る。
そこに根本的解決は何も見えてこない。そしてそこから国民は離れ
ていき、無党派層60%となる。話は戻りますが、社会にとって、
ソーシャル・キャピタル「民度」の成熟は、非常に大事なことであ
るとパットナムは述べられております。
それは、生活の形態の問題であり、人間の根本的生き方の問題でも
あり、問い詰めていけば、商品の扱い方の問題となってくるのでは
ないかと私は考えております。
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3 「菜園家族」構想とは
「市場原理至上主義の社会にあって、市場競争の荒波に耐えて家族がまともに生きていくには、生きるた
めに必要なものを、大地から直接、できるだけ自分の手で作ることを基本に据えて、それによって家族に
占める賃金の依存度を最小限にして、市場から受ける作用を可能な限り少なくする。
その社会は、アメリカ型の資本主義でも、イギリス、ドイツ、フランスの資本主義でもなく、また、ソ連
型、中国型の社会主義でもない、まったく新しい社会構成です」。「菜園家族21」より抜粋その社会構
成は、三つのセクターからなる複合社会です。
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1つは、理性的に規制され、調整された資本主義セクター(Capital:C)
2つは、3世帯「菜園家族」を構成した家族所経営セクター(Family:F)
3つは、行政官庁、国公立機関、NPO、協同組合などの公共的セクター (Public:P) 構成の運用は、週
休5日制のワークシェアリングで、3世代家族が基本となります。
週労働日数は、資本主義セクターC、または公共的セクターPに2日間、家族小経営セクターFに5日間の
の割合で振り向けることが複合社会の基本的構想です。
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また、C,PとFに向ける割合を自由に変え、資本主義の市場原理の作動を少ない方向に向けていくことで
す。CまたはPから得る労賃を多く必要とする場合には、労賃の労働日を多くする。市場からの影響を少
なくする場合は、Fの「菜園家族」で自給活動の割合を多くし、自由な時間を確保することが出来る。
このことは、CまたはPの勤労者としての人格と、Fの自給自足的な人格の2重化された人格の依存によ
って市場原理の作動を自然に抑制する仕組みが社会の中に埋め込まれることになり、そのことで生活基
盤も安定し、精神的にも余裕が出来てくるのです。
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