モバイルとユビキタス
【クオリア】
21世紀のメディア論を語る上で欠かせない、
モバイル、とユビキタス。
「その意味で、モバイルとユビキタスは全く逆の
情報環境への意味作用を持つのです。」
この一行は、2年に及ぶ、放送大学大学院(2002年春創設)
フラッグシップコース「情報総合学」のコース内容の
標準化、練りこみの中から絞り出された。
21世紀の情報メディアの潮流は、
1.モバイル・ウェアラブルコンピューティング(身体性)
2.ユビキタスコンピューティング(情報環境とアフォーダンス)
3.オーグメンティドリアリティー(リアルとバーチャルのシナジー)
に集約されるとした。
『
ユビキタスの発祥をどこと見るかについては、
さほど疑問の余地はないように思います。
(語源は別として)
この言葉を情報メディアの基本コンセプト
として世に広めたのは、
今は亡きゼロックスPARKの
マークワイザーでしょう。
彼は、とても日本的な発想をする人でした。
REALな空間、環境の中に、情報メディアを埋め込み、
見えなくする。
Back to the real world (実世界への回帰)と
Invisible (不可視)という2語に
その基本コンセプトは集約されるでしょう。
この環境の中に情報メディアを埋め込む
という行為は、環境の中に新たなアフォーダンス(行為の
可能性、意味の源泉)を発生させます。
これは、モバイルが、情報機器の中に全ての
情報リソースを埋め込み持ち歩く
のとは、対極の作用を持ちます。
モバイルは、(全ての情報のソースを一つの機器に
内蔵すると言う意味で)、人間が環境から意味を取り出す
寄与度(その意味を担保する本来環境が持っているはずの
コンテクストの寄与度)を低減させます。
(じつは、このことで、モバイル情報機器は
際限なく使いにくくなる運命にあります。)
ユビキタスは、環境の持つ意味への寄与度を
増加させます。
「その意味で、モバイルとユビキタスは全く逆の
情報環境への意味作用を持つのです。」
マークワイザーは、一昨年残念ながら
志半ばにして、若くして(40台半ば)急逝しました(白血病でした)。
彼の構想は、アメリカゼロックスでは、
全く評価されませんでした。
彼の発想は、情報機器を、自然な人間の
生活空間の中に埋め込み、調和させると言うもので、
テクノロジーを際立たせる、「見える」という、視覚中心の
モダンパラダイムのアメリカ的発想の
中では受け入れがたいものでした。
彼を支えたのは実はひとりの日本人でした。
具体的に彼の研究を評価し、予算を責任を持って取り
彼に投資したのは、日本のゼロックスFXの庄野次郎氏でした。
氏は、最近まで富士ゼロックスFXの
新規事業企画の最高責任者(執行役員)でしたが
つい先日FXの「代表取締役」専務となられました。
先般ゼロックスは窮地に陥り、PARKもマークワイザーの急逝と
ともにその終焉を迎えました。
ユビキタスの基幹技術は、庄野氏の手により(その投資額に応じ)
日本の富士ゼロックスに移管されました。
マークワイザーのユビキタスのコンセプトは、
情報家電、ブロードバンドの流れとともにやっと現実味を
帯びようとしています。
Calm Technology (穏やかな技術)
マークワイザーの絶世の言葉です。
彼の構想が日本で花開くことを
切に願っています。
』