10月14日、11時21分、いつもと同じ「転倒なく変わりなし」の電話。

介護記録には、夜間センサー頻回、不眠気味、8時45分のKT37度 朝食も半分くらいの摂取と書かれている。
10時にはKT37度2分 昨晩センサー頻回の為不眠、頭痛、胸痛の訴えあり。(母から胸痛等一度も聞いた事はありません)

10時30分、「頭が少し痛い」「胸が苦しい」と訴えている。
13時30分、長女が来たとの事!
(長女は、介護などした事が無く飲んでいる薬がなんなのか、通常の血圧、熱、母の体調など分かるはずもないが病院を受診する事くらい出来ただろうに。とても悔やまれて仕方がない)

<電話取り次ぎ注意事項>
外部からの電話で仮に長女の名前を名乗ったとしても取り次がないように!
長女には包括支援課から施設に直接電話しないように伝えてある。
保険証は、10月15日包括支援課で次女(私の事)に接見し返却して貰うとの事。次女が返却すれば15日の午後に施設に持ってくる。返却しない場合は再交付するとの事。
(突然母を連れて行ったままなのだから保険証が家にあるのは当然であり、なにも返却のお願いや連絡もないのに、悪いことをしているかのように言われる。)

主幹が家に来たときに、私は「歩行時母は4点杖が必要なので持って行って欲しい」と頼み、主幹は「介護施設だから杖はもとより何でもあるから大丈夫」と言っていたにもかかわらず、杖を使った形跡はどこにもない。
酷すぎる!
私だけならいいが、なぜ母がこんな苦痛をあじあわなければならないのでしょうか。

高齢者虐待防止法は誰のための法律なのかどなたか教えてください。

正しい法律の施行の仕方をどうぞ私に教えてください。

10月13日、10時12分、電話あるも全く同じで「変わりなし」とのこと。

<包括支援課より帰宅願望時のアセスメント>
帰宅願望があった場合は「どこに帰りたいのか」をアセスメントしてくださいとの依頼がありました。*「どこに帰りたいのか」を聞くのではなくあくまで本人側に帰宅願望があった時にアセスメントするようお願い致します。

(自宅に居ても、利用していた施設に居ても、時には田舎(岩手)だと思っている事もしばしばあるのに、方言のニュアンスも理解して貰えてないのに・・・一生懸命訴えても誰にも理解して貰えない事はどんなにか苦しく、そのストレスは私の何十倍だったかと思うと苦しくてならない)

<再確認 措置入所 後藤様 市への報告>
毎朝9時30分に包括支援課より様子確認の電話が来ます。
職員は朝礼時か9時15分までに課長代理または事務職員に状況の報告を電話でお願いします、と書いてあります。(包括支援課までは毎日正しい報告が来ていたようだが、それとは全く違った報告が私には来ていた。)

介護記録には、朝7時には37,3度、9時にはKT37,3度 昨夜も浅眠、又は不眠と思われる。夕食も半分くらいの摂取だった、と書いてある。

*母の自宅での1日は

朝5時30分頃に起きる。夜は睡眠を第一に考えオムツとパッドを使用しオムツ交換はしない。(私が寝る前にトイレ誘導またはパットを交換する)
陰部洗浄をし、リハビリパンツとパッドに変え、更衣をし、4点杖または歩行器を使い見守り歩行にてトイレ介助をする。調子が悪い時には手引き歩行にて行う。
そのまま洗面所に誘導して、うがい後義歯を入れ、おしぼりタオルを絞って顔を拭き、鏡を見ながら髪をとかす。(時々水油をつけながら)
部屋に戻り母のテーブルとイスを用意してテレビをつけ、食事の支度が出来るまで低カロリーのスポーツドリンクや、野菜ジュースを飲んでいてもらう。

朝食は、主食がご飯、お粥、パンとその日母が食べたいものをなるべく用意するようにして、糖尿があるので(食事療法のみ)炭水化物は控えめにし、たんぱく質、野菜、水分などに気を付けカロリーを計算し、1100~1300キロカロリー位にしていた。(母は田舎に居た時から本当に酷い便秘症で家に来てから、食事、水分、なるべく決まった時間にゆっくりトイレに座るなどを心がけ、ほぼ毎日のお通じがみられるまで半年もかかったのです)

朝食後は義歯を洗ったり洗わなかったりで、ベッドで少し休み、10時頃お茶や牛乳、コーヒーなどの水分補給をする。その前後に本人の希望でトイレ介助を行う。昼までは日記をつけたり本を読んだり、時代劇を見たりして過ごします。

昼食前後も本人の希望でトイレ介助(午前中は3回くらい)、昼食は麺類や時には散歩がてらファミレスや、ファーストフードの時もありました。その時はゲームセンターでモグラたたき等をして水戸にいる母の弟に写メを送ったり、車いすを降りて歩いたりすることもたびたびありました。(4点杖で50メートルくらいは、突然連れ去られる直前まで歩いていたのです。

散歩に出た時にはスーパーで自分の好きなおやつを買い、仲良しの果物屋さん(私が20歳の時から知っている)と他愛もないおしゃべりをし、一緒に写真を撮ってもらい、帰るときには車いすの母の膝の上にはいつもプレゼントの果物が置かれていました。
髪も毎月1回は私がパーマをかけた後近くのご夫婦で営んでいる床屋さんに行ってカットをしてもらっていました。やはり東北の方で、良く話をしてくれてカットしてシャンプーした後は肩のマッサージや顔のマッサージ、顔そり、耳掃除などもしてもらい「この年になって初めての事だ」と喜んで帰りには又、飴や缶ジュースをいただきました。

パーキンソン症候群があったため病院にも月1回は診察と薬を頂きに、2~3か月に1回は血液、尿検査をするようにとの医師の指示があり検査していただいていたおかげで糖尿のA1Cも、腎臓などの機能も、特に異状なく過ごせていました。そしてまた帰りには、食事用エプロンや、軽い食器、おしぼりなどを持ってファミレスに行き、自分ですきなものを食べ、最後は甘いデザートでにっこりでした。何処に行ってもお店の方がスペースを用意してくれたり、何度も行くうちに顔を覚えて声掛けしてもらったりと楽しそうでした。時には洋服を見に行き、鏡の前で当ててみて「可愛いね」等と言いながらやはりお店の人と話しながらの買い物も何度もしました。

外出から帰ったらトイレを済ませ昼休み。(農家では今も昼食後は昼寝をします)夕方5時、水戸黄門が終わったらトイレを済ませ大好きなお風呂です。自分で出来る事は見守り、難しい事は介助です。

入浴後は糖尿があるので足の指の間をドライヤーで良く乾かし、アルコール綿で拭き、腰が曲がっている為に臍のあたりが痒くなるのでやはりドライヤーで良く乾かし、食事までの間ベッドで少し休みます。

夕食は主人が帰ってから私達の間に母のテーブルを用意し、みな見えるところで同じものを食べていました。(田舎では母は一人で別の部屋で食べていた)

21時前後迄テレビを見ながら話をしたり、親戚や母の友人に電話をしたりしていました。たまに21時を過ぎるとスーパーが安くなるので、息抜きがてら私が出かけて帰ってみるとなんと23時過ぎても二人で喋っていることも珍しくはありませんでした。21時頃にベッドに入った日は0時頃に一度パッドを交換していた為、夜中に起こすことはありませんでした。その時の母は、自分は寝たかったが主人に付き合ってあげた、とよく笑いながら言っていました。

母の日々の生活はこんな感じでした。

10月10日、10時15分「食事は全量摂取、転倒なく良眠」との電話。
介護記録には終日不穏で帰宅願望強くトイレの声掛けも「自分で出来るから」と拒否。 不眠!

10月11日、10時33分、包括支援センター所長より電話あり、私と話がしたいと言う。「何か話してもらえるのですか?」と聞くと「今自分が話せる事は無く13~15日の間に上司から連絡があると思う」と言う。
話しがしたいと言う事だったが、「話せることが無いのなら会っても無駄なのではないか?」と尋ねると「28日の事で・・・6日に包括に来てもらってもうまく話せず話したいことが伝わらない、電話では上手く話せないから」との事で、私は、場所は未定のまま「明日11時頃」とだけ言って電話を切った。明朝連絡があるだろうから。いつもと同じく「昨日も食事全量、転倒なく良眠」と。

しかし、介護記録によれば、その晩も母は、夜間殆ど寝ていない。朝8時30分のバイタルは血圧BP159/68、KT36,9度、P62、9時 BP169/115,P73,KT37,1度,再測するも141/94とある。
ありえない数値だ!

<その日の包括支援センターへの報告内容>
入所以来最も不眠気味であった。30分から1時間おきにトイレの訴えがあった。との記載あり。右ひざの痛みの訴えもある。

10月12日、昨日電話にて包括支援センター所長と11時にとアポは取ったが、場所など決まっておらず9時、9時30分、10時、10時30分を過ぎても何の連絡も無い。10時48分、こちらから電話をすると所長は勝手に「11時に訪問すると決めていた」との事。この時間にまだ包括にいて11時には無理だが・・・。取りあえず近くのファミレスで11時と言う事になる。30分はかかるはずだが・・・。そして突然28日に一緒だった女性職員も一緒に行くと言う。
やはり11時30分近くに二人は遅れてくる。

所長は、「28日のことは申し訳ない、6日に来てもらっても上手く話せなかった」と言うが何に対して申し訳ないのか?上手く話すも何も、何も話が無く下を向いて黙ってばかりだったと思うが?
こちらに渡された「今回の経緯」について書いたものは「施設、ケアマネの言葉が100%」だと言う。が、施設側からは何の確認も取っていないのだとも言う。
そしてやはり今回も28日の事についてはただ「申し訳なかった、うまく話せなかった」と言い何のために時間を取ったのか全く持って分からない。そればかりか5月のショートステイをキャンセルしたのは、私の体調が悪かったからなどと訳の分からない事を言われる。
そしてなお、母の洗濯物については「市役所からの連絡が来るのに時間差があって申し訳ない、今になって申し訳ないが施設側で洗濯、乾燥している」と言う。主幹が約束したのは?
「13~15日の間に、包括支援課の課長、主幹と市役所にて話があると思う」と言い、私の都合を聞かれるが、「一日も早く」とだけ言う。時間日時は所長が準備して連絡するとの事。
母のインフルエンザの予防接種について聞くと、「施設でも可能だろう」との事で次回市役所に行く時に保険証、予約票を持って行く事を約束する。

介護記録によれば、施設での母は、浅眠、更衣、トイレ誘導拒否、そして9時 KT37,2度、BP15o/90、P67、本人より体調すぐれないとの訴えあり、閉眼しながら話し、表情、発語暗い、とある。
私の家に来てからは、ご飯を残す、入浴拒否、風邪を含む体調不良、血圧変動などはまったく無かった。

私でさえ眠れず、食欲も無い日が続いているのだから、母の辛さはその何倍にもなっていたと思われる。ただの一度も私からの電話も無く、他の娘は来るが一緒に行くことはかなわず、すぐにまた帰り、自分は置いて行かれる。誰も自分の言う事を聞いてくれない。

その日、母は、午後になっても食欲無く、昼食も殆ど取らずKT36,9度、BP113/79、P69も本人より頭痛の訴えあり、おやつも食べたくないと拒否と記載されている。

 

10月9日、相変わらず「良く寝ています」「変わりありません」の電話。
9時 岩手の叔母(母のすぐ下の弟の妻)より電話があり、「これから千葉の姉の法事で上京するので、義姉さんにしばらく会っていないので会いたい。今駅なので12時30分には東京駅に着く。」と言われる。叔母は足が悪く従姉妹と一緒らしいが、取りあえず東京駅迄迎えに行くことにする。
9時5分、包括支援センターに電話するが誰も出ない。

9時6分、市役所に電話。「包括支援課の主幹と連絡が取りたい。急用です。」と伝言する。

私は連絡を取りながら東京駅に向かう。

9時28分、包括支援センター所長より電話があるが移動中で出られず。なぜ主幹ではないのか?

10時36分、包括支援センターに電話し所長と話す。
「岩手から叔母が上京すると電話があったので、最寄りの駅で数分でもいいから会わせてほしい。勿論施設のスタッフが付いてもらって良いし、駅で数分叔母と話したらそのまま連れて帰ってもらっていい。私が居るのが駄目なら、私は行かないから。」とおねがいする。
「事情は分かったが今の状態では無理だろう。」
「無理かもしれないが連絡だけでも取ってほしい。」と懇願する。
「連絡は取ってみるが連休だし、上、上の上、また上迄行かないといけないので時間がかかる」と。
「それでもいいから確認してほしい。」
「私には決められないが連絡は取ってみる。」と。

1分1秒の時間が惜しい。母と叔母が会えるのはこれで最後になるかもしれない。何とか叔母に会わせたい…

11時2分、ケアマネに電話をする。今まで留守電になっていた事は無かったが、今日は留守電にメッセージを入れる。至急連絡を頂きたいとメールも送る。

11時9分、ケアマネから電話あり。急用なので主幹に至急連絡を取って欲しいと伝える。「主幹から祥子さんに電話してもらえばいいのですね」と言って電話を切るが、その後主幹からもケアマネからも何の連絡ももらえず時間だけが非情にも過ぎて行く。
13時3分、包括支援センター所長より電話あるも、電車で移動中の為出られず、メッセージもなし。
13時42分、東京駅から所長に電話するが「連絡は取ったが駄目」と一言。

しかたなく、叔母には、母は駅から遠い施設にショートステイに行っていて今日は休日の為、施設の人に送ってもらう事が出来ない、タクシーだと遠い、と苦しい嘘をつく。

この日は千葉国体開催の為ホテルを予約していなかった叔母たちが泊まるホテルは無く、急きょ家に泊まってもらう事になる。主人は入院中だったが心配させてしまうので出張中と言う事にする。朝には親戚の人との待ち合わせ場所に送って行くのだが、とても長い眠れない夜が始まる。

介護記録によれば、この頃、母は施設で10時頃より入浴を拒否し、表情が険しくなり「帰らせてください、出口はどこですか?」等と言いながら車いすを自走しながらフロア内を周り昼も険しい表情をしていたとの事。

14時過ぎ長女夫婦が来ていたとの事、記載あり。

その1時間位は笑顔見られるも、午後も不穏続き帰宅願望強いとある。トイレの声掛けも「行きたいときに行くから」等と母の言葉とは思えない事が書かれている。

ショートステイからもう20日以上。私ではないが、取りあえず「娘」と言うものが来ても、外泊どころか外出もさせずすぐに帰ってしまう。娘の顔を見た母は、「ああ帰れる」と思ったであろうに、また置いて行かれる。この繰り返し。

どんなに、どんなにその度に傷ついていたかと思うと本当に胸が痛い。

 

10月7日、包括支援センターからの電話「良く寝て変わりありません」と…。

しかし、母が亡くなってから私が見た介護施設の介護記録によると、母は9月28日16時から10月8日の朝食時までは、初めの介護施(自宅から20分~30分位の所)に入れられていたようです。という事は初めからその施設に連れて行くことは決まっていたとしか思えない。

包括支援課の主幹は私に向かって「(包括支援センターの担当者に)そんな事をしに行けと言ったのでは無い、私が行けばそんなことにはならなかった」と言ったが、母が家の前まで来てから車を乗り換え施設に着くまでギリギリの時間しかありません。施設に連れて行った際、母には「娘さんの具合が悪いので休ませてあげる」と言う事にしていたとの事。
しかし、私は母には何でも隠し事なく話しており、本当に私が体調を崩していたなら事情を話し母に頼んでショートステイに行ってもらっていたはずです。いつもと同じ施設に、です。

それに、28日、施設には、私にも母にも電話すら寄こさず1年以上も疎遠になっていた長女が呼ばれていたのです。これについては、主幹が「市役所なので職権で調べられる」と言っていました。

介護記録によると、この一週間の間の母は、見知らぬ部屋、見知らぬスタッフに動揺を隠せず、夜間寝ましょうと声掛けするスタッフに「そんなこと法律で決まっているのか」「もう少し座っている」と言い廊下を伝い歩きして寮母室に連れて行かれ不眠だったり、尻餅をついたり、車いすを自走して家に帰ると言ったり、夏でも冬でも余程具合が悪くなければ毎日楽しんでいたお風呂を拒否したり、食事もご飯粒一つまで食べる人が、3日目から食事の量が極端に減り、帰宅願望に伴うと思われる車いすの自走が激しくなっていった様子。「探し物をしている、警察に行ってやる」等と母の言葉とは思えない会話も記入されていた。
「変わりなく良く寝ています」の連絡は、一体誰の事をいっていたのか?

10月8日、10時にはまた別の施設に「措置入所」と記入されている。そして入所理由などについて、「次女による虐待があったとの事です。今後次女から入所問い合わせなどがあった場合は課長代理迄連絡お願いします。課長代理不在時は、後藤(母の名字)と言う方は入所しておりませんと答えるように」と記入されている。

 

10月5日、13時30分、“市民の声を聞く課”に行く。
事情を説明すると「(市民の声を聞く課の)専門分野ではないので分からない」との事で結局、包括支援課の事務方と呼ばれる二人と話すことになってしまう。包括支援課では課長も、主幹も留守の為、事務方が呼ばれたとの事でしたが、「何もなければそういう事にはならないよね」と言う職員同士の声が聞こえた。
9月28日の事を説明し、理由を聞くが事務方と言う仕事だからなのか、答えを貰う事は出来ませんでした。その際、「一昨日の日中に母のうなされた声が聞こえてとても心配なので一昨日の事を確認してほしい」とお願いする。「分かりました、きちんと確認して連絡します」と言ってもらえるが、何の連絡も来ることはありませんでした。
翌日13時に無料の法律相談を申し込む。

10月6日、9時30分、母を連れ去った包括支援センター所長より電話がある。「お母さんは良く寝て変わりありません」と。そして9月28日の事で話があるので訪問したいと言われる。こちらにも予定があるので12時に包括支援センターに行くことにする。電話では、所長と女性スタッフとの面談に30分位時間を取ってほしいと言われていた。

「28日は本当にすみませんでした、説明不足で」と言われた。しかし説明不足どころか何の説明も受けていませんので、私はただ「今の話を聞きました」とだけ答える。すると所長は「お母さんの事は書類の通りなので納得していただけましたか」と言う。この「書類」とは、包括支援センターが作ったという一年半の期間に出された、母がお世話になっていた介護施設とケアマネージャーからでた言葉を文章にしたというものでした。到底納得など出来るものではなかったので、「納得はしていませんが見ました」と答えると所長の隣の女性職員は首を横に振りながら「納得出来ませんよね~」と一言!

ここで、28日の事で一つ質問する。
「28日に、ショートステイの車で自宅入り口のエレベーター前まで送って来た母を包括支援センターの車が待っていて母を連れて行ったと聞いた。その際ドライバーさんには“ここから先は包括支援センターの方から家族に話をするから帰るように”と言われたと聞いているが、その際の説明も何も無かったのはなぜか」

私がこう聞くと、又「言葉が足らず説明不足ですみません」と言っただけで又黙ったままうつむく。

説明不足?
私は何も説明して貰ってないが誰に何を説明したのでしょうか?しかも母の送迎の事を「施設の車がお母さんを持ってきた」という言葉を使った!
結局話は2~3分で済み何の意味も無い無駄な時間でした。

13時、市役所の無料法律相談に行く。やはり専門的なことなので、法律の本を調べながらではありましたが、以下の二点の事を教えていただきました。
*訴訟を起こす場合は、措置を取った日から半年間のみ有効である。
*管轄は地方裁判所だからその文書を取り下げてもらう訴訟を起こすかだが単独では無理だろうとの事でした。

そして相談窓口が包括支援課なので話を聞いてくれる所は無く包括支援課の上部の課と言うのも存在しないと言う事で、市役所の中には情報開示室という課があるのでどういう事でそういう文書が出されたのか分かるのではないかとも教えていただきました。

14時頃、情報開示室を訪ねる。担当者を電話で呼んでくれる。

課は包括支援課と伝えたが、奥の方で包括支援課らしき相手と電話で話をしている声が聞こえる…、やはりここも無理か…。

「個人情報は役所が市民に求められれば誰にでも開示しなければならないものだが、本人又は後見人でなければ開示出来ない。親が子の情報の開示を求める事は出来るが子が親の情報の開示を求めるためには成年後見人でなければ無理。あなたが請求して役所から受け取る文書は、個人情報保護のためたぶん真っ黒で何も分からないだろう」と言われる。

そして、「それは何のための開示か」と聞かれたので、「役所からの文書があまりにも矛盾だらけで、事実と違う事も書かれているため、どうしてあの文書が作られたのかを純粋に知りたいだけだ」と答えた。

「真っ黒」の言葉であきらめる。

10月2日、母と分離されて5日目。変わらず眠れない日が続いているのは私だけではないだろう。何処に、誰に、相談すれば良いのだろう? 自分の頭の悪さに腹が立つ!市内の特養を誰かに頼んで一軒一軒探してもらおうか?話をしたいが今日は土曜日!

 

9月29日に約束した母の様子を知らせる電話が、15時45分に初めて来た。

「転倒、骨折無く夜間は良眠、食事は全量摂取です」との連絡があった。母の性格を考えると、とても信じられる内容ではなかった。

 

10月3日、今日は12時30分に昨日と同じ連絡。最も昨日今日は、土、日なので休日の当番の方からの電話でした。本当だろうか? 13時49分母のうなされたような声が聞こえた・・・何かあったのではないだろうか?

早く月曜日になれ!

 

10月4日、長く、とても長い土、日が終わりやっと約束の月曜日の朝を迎える。でも終日待っても連絡は無かった。市役所の個室を出る前に確かに何らかの連絡をしてくれると二度確認したのだが。こちらから電話しようとも思ったが、施設の職員が気分を悪くされたら、「施設に入っている母が不当に扱われるのではないか」などと考えてしまい受話器を置いてしまった。

 

きっと母を帰してくれると祈りつつ、母のかかりつけのクリニックにインフルエンザの予約をしようと電話すると「今お母さんは自宅にいますか?」と聞かれたので「今は居ませんがもう間もなく戻ると思います」と伝えると、「9月の末に施設の人が来て一か月分の薬を持って行きました」と教えてくれる。心配でどうにかなりそうなのに、そんな事も教えてもらえないのか?

 

本当に“わら”にもすがる気持ちで市役所の市民の声を聞く課の市民相談の予約を取った。同じ市役所内で心配と怖さが募るが、もしかしたら話を聞いて貰えるかも・・・じっとしてはいられなかった。

 

明日13時30分!!

 10月1日、私自身、全く眠れず食事も取れず午後酷い眩暈がしてまた低血糖を起こしてしまった。

しかし今日は、今迄に経験した事がないほどの症状で冷や汗がびっしょりで手足が痙攣して喋れない。一人這いずって手の届くところにあったチョコレートを貪るように食べる。どれくらい時間が経ったのか落ち着いたがその日は一日動くことが出来なかった・・・主治医に話し指示をもらっていたのだが。でも母親の苦しみはこんなものじゃないものね、私が頑張らないと誰もいない。

今日は、主人が包括支援センター所長と10時に面談の約束をしており、28日の「母の突然の分離について」聞く。

所長の言葉は

*日時は定かではないがショートステイ利用時に施設側から背中に痣があると通報があった。

*私(介護者)の性格が細かくうるさいと施設側からの訴えがあった。

*包括支援センターの職員が家を訪問した際に私の身体が疲れていると判断した。(その職員とは7月15日に施設で、8月15日に自宅で短時間会っただけである)

*私がケアマネに介護の愚痴、疲れを話した。

包括支援センター、包括支援課で言われる事に納得出来る話は無く、9月28日に話した事に対しては主人が何度聞いても所長は何も言わなかったとの事でした。

そして所長から「あくまでも今回の事はしょうこさんが一生懸命になりすぎてしまうためだ」と何度も言われ、「家族が一生懸命になってはいけないのか」と言うと黙ってしまったとの事でした。

 9月30日、昨日まではまだ気温が高く暑かったが、今日は一転して気温が下がり冷たい雨が降っている。母は暑い時に出かけた為、衣類は夏物しか持っていない。しかもその夏物も9月28日までの物しかありません。毛玉や髪の毛が付いていても気になる人なのに何処でどうしているのだろう?膝が痛く歩けなくなっているのではないかと気が気ではない。しかも母の性格ではそれを訴える事も出来ず我慢して「大丈夫です」とニコニコしていると思われる。

11時に弁護士事務所に予約を入れ相談に行く。が「市役所が間違った事をするはずがないし、もし間違いならすぐに帰すでしょう」と理解してもらえず力が抜けてしまう。

それから包括支援課にアポを取っていたので涙の後を消し、15時30分に窓口に行って待っていると間もなく主幹が来たので、母の春秋用の衣類と母の一番好きな梅の香りがする海苔せんべいとヨーグルトを届けて貰えるようお願いする。

私がケアマネにいつものように介護の愚痴を言った9月17日の夜、「ケアマネと中年の女性が来たと聞いているが、それは主幹か」と聞くと「私です」という。「なぜその時母に会うなり私と会う事をしなかったのか」と尋ねると「訪問してみたが夫と話しこれなら安心、大丈夫と判断した」との事。そして「今回の事は暴力、虐待だとは思っていない、しょうこさんが一生懸命すぎて疲れているからだ」と言う。

なんの前触れもなく、弁明の機会も、改善の機会もなく、突然親を連れ去られることがあっていいのだろうか。

そして、母も。突然自分がどうして見知らぬ施設に入れられて、私達との連絡を絶たれてしまったのかもまったくわからず不安で頭がいっぱいになっているに違いない。

介護保険の申請から始まり、この十数年両親に何かあった時は常にそばにいて、何事も両親の意思を一番に進めてきた。でも今回は、家に帰るどころか電話さえもさせてもらえない。ストレス、血糖値は大丈夫だろうか?

 ショートステイからの帰りの母には着替えも薬も何もないどころか、母の事を何も知らない施設に突然連れて行かれ、何をどうして、なぜ自分が家に帰れず自分の話も聞いてもらえないのかと言う当時の事は、母が亡くなった後、施設が記録していた介護日誌により知る事になる。

主幹は「課長(包括支援課のトップ)が連絡をするのは10月中、日時は分からない。その前に私が10月4日に何らかの連絡をします」と言ってくれました(10月2日3日は土日)。

そうはいっても、母の情報が全く無い事はやりきれなく、何よりも転倒が心配だが、施設はきちんと看てくれるのか・・・。突然何の説明もなく知らない所に連れて行かれて・・・。「せめて毎日母の様子を連絡して欲しい」と言うと「土日も含め電話連絡する」と約束してくれました。(一度部屋を出て課長に確認を取ったと言ってくれる)

でも「施設内で母が転倒骨折する事があってもそれは自己責任、その事で家族が体調を崩すのも自己責任」だとも主幹から言われる・・・。「母には 着替えも無く薬さえないのでせめてそれくらいは届けさせてほしい」と頼むと16時30分頃に主幹が自ら取りに来てくれると言いました。

ケアマネには朝から何度電話、メールをしても連絡が取れなかったが、16時頃連絡がついてこれから来るというので断ったのだが(16時30分頃に主幹が来る事になっているので)、突然チャイムが鳴り「どうしましたか?体調悪くてすみません」という。ケアマネは、いつもなら朝の7時頃からメールが来たり、夜も電話があったり、食事が始まっても居たりしていたが、この日はあらたまった様子。昨日の事を聞くが「何も知らない」と言う。そんなはずはないのだが・・・。

入れ替わりに主幹が来る。部屋の中を見回し「あのベットから足を出して痣になるのね。私も親を看ているから分かるわ。痣がつくよね」等と言いながら部屋の中を観察している様子。その間、私は母の生活歴、病歴、注意してほしい事などをノートに書き、着替え、薬、などを用意する。見守り歩行をしている母には絶対不可欠な4点杖は施設にあるから大丈夫との事。

「ショートステイ中に使用した衣類は、そのままで返してもらえないのか?せめて施設ではなく家で洗濯したものを身に着けさせたいのだが」と言う私の訴えに、「課長に話しましたから」と返事をもらい、施設では洗濯しない事を約束してくれる。

(役所で)ショートステイの施設について話を聞くと「いつも通り送って行ったが1階のエレベーター前で包括支援センターの職員が待っていて、これからはこちらで家族に説明するからいいから帰るように言われたので何も知らない」と言われる?(28日12時頃)

疲れきって、母は、何と言われて突然見知らぬ施設に連れて行かれ、元気でいるのだろうか?身体は、メンタルは大丈夫だろうか?

今、私に出来る事は何かを考える。

所長が「自分で間違いだった」と言った事も主幹に伝えるが、その事に対する返事は無かった。そして主幹は「役所だから書類を出したらすぐに取り下げる事は出来ない。今までの例からしても1~2日では帰れない」と言った。

何をどう考えても理解する事は出来ない。