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中世伊達氏の城下町 寺または武家屋敷か

2012年10月04日

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休耕田の中から発掘した建物跡の柱の場所を示す今野賀章・伊達市教委主査=伊達市梁川町

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梁川城跡地周辺の建物跡から出土した青磁や白磁の高級品の破片を調べる伊達市教委の今野賀章主査=伊達市梁川町

●梁川城近くで遺構発見

中世伊達氏の本拠となった梁川城の跡地周辺(伊達市梁川町)の発掘調査を進めてきた市教育委員会は3日、城の本丸跡近くで、15〜16世紀の寺院または武家屋敷の蔵と見られる遺構を発見したと発表した。

直径70センチにも及ぶ太い柱穴や、同時に出土した高級青磁器などから「格式ある大型建物」と見られ、室町時代に11代当主・伊達持宗(もちむね)が梁川城を整備したあとの時期に重なることから、一帯で進められた城下のまちづくりの一端が浮かび上がってきたという。

現場は、本丸跡とされる梁川小学校から北東200メートルの休耕田。2年がかりの継続調査の最終段階に入っているが、今回発見された柱穴は本丸調査での柱穴よりも大きい。調査担当の今野賀章主査によると、出土した白磁椀(わん)や青磁盤は中国製の高級品。さらに日本海側以外では珍しい越前系陶器のほか、愛知県産の常滑系陶器の破片が多数見つかっており、「京都の東山文化の影響を色濃く受け、当時の伊達家が誇った権勢がしのばれる」と話す。

伊達氏はその後、戦国時代となる天文元(1532)年ごろ、14代稙宗(たねむね)の時代に桑折西山城(桑折町)に本拠を移し、1世紀にわたる梁川城の時代を終えた。

市教委では6日午後1時半から、一般市民向けの現地説明会を開く。

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