海鷲よ甦れ

東海の浜に残りし飛行基地 「接敵できず」の文字に涙す *筆者並びに親族は、防衛省・自衛隊関係者ではありません

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船橋市習志野台に眠る「永久堡塁」

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夏は暑いのは、当たり前であるが、今年の夏は格別である。

船橋市習志野台など、それほど遠い場所でもないはずが、津田沼からバスに乗り、バス停でバスを降りてからも、道にはカゲロウが立ち昇るようで、なぜか遠く感じる。おまけに夕立にあい、さんざんな目にあった。

この習志野台団地の東北隅に陸軍が旅順要塞を模して造った「永久堡塁」が眠っている。この「永久堡塁」を「千葉県の戦争遺跡」HPに書いていたところ、なぜか小生のHPがWikipediaなどで、いろいろ取り上げられ、それもどんな人間がWikipediaを書いているか知らんが、小生の文章を曲解しており、なんでそう読めるのか不思議なくらいである。

どうも小生がこの「永久堡塁」を陸軍が造った目的をロシアとの戦争に備えてと写真にキャプションを入れていたのをとらえて、日露戦争前にこの「永久堡塁」を造ったと書いているというのだ。いくら陸軍でも図面もなしでは、現物の模型は造れまい。そんなことは、小生も百も承知である。それに日本がロシアあるいはソ連と戦ったのは、陸軍が二百三高地、旅順要塞を攻略し、海軍が日本海海戦を戦った日露戦争だけではない。ノモンハン事件は「事件」と呼ばれるが、立派な戦争である。いわゆる日露戦争の直後から、第二、第三の日露戦争を、日本軍は想定していたはずである。それらを含めて、そういう戦争に備えてと言っているのに、なぜかWikipediaの筆者の頭の中では、それが「日露戦争前」になるらしい。頭の回線がショートしとるんとちゃうか。

習志野台の永久堡塁をみると、二龍山堡塁に似ており、1904年(明治37年)10月16日に二龍山堡塁が落ちているので、その前後につくったものかもしれないと思ったが、習志野台の永久堡塁は日露戦争後に出来たもののようである。どういうわけか、それは完成したのはもちろん、着工も日露戦争後のようだ。それに関しては、工事を請け負った地元の古池安五郎という人の話が伝わっている。もっと、確かな資料(工事の請負関係書類など)が出てくれば、それは確実になるが、工事業者の家にそう伝わっているのだから、まず間違いないのだろう。

それも、旅順港の永久堡塁の実物六分の一サイズで模型を作ったという。それで実際に兵を動かして演習を行ったのであろう。その模型により、色々なケースを想定し、シミュレーションを行った筈である。その工事を請け負った、古池安五郎という人が生前語っていた話では、近郷の農家から人夫を何百人も動員して昼夜三交替で続けた大工事であったという。また、当時では珍しいガソリンエンジンの発動機を使用したという(『薬園台の歴史 正伯物語』での古池しづさんの証言)。

戦後になって住宅公団の団地建設に際して、この「永久堡塁」が地中に埋められたことは、当時の船橋市職員(その人は元は騎兵第15連隊の将校)で、立ち会った人の証言がある。
にも関わらず、埋められたことを忘れたのか、破壊されたという人もいる。あんな巨大な、分厚いコンクリート造りのものを破壊するなら、ダイナマイトで爆破するか何かしないとダメであろう。もともと地面を掘り下げて造ったのだから、埋めれば済む話を、わざわざそのために大金をはたいて発破するだろうか。
少し考えても、おかしいと思う。

この習志野台の永久堡塁は、戦後になって軍施設としての役割を終えたわけであるが、1962年(昭和37年)くらいまではその姿をあらわしていたものの、公団住宅建設に伴い、地中に埋められることになった。八千代市在住で騎兵第15連隊の元将校で、戦後は船橋市の職員となった浜野良光さんは、その埋没に立ち会ったが、永久堡塁を残そうとする船橋市側と少しでも用地の欲しい住宅公団側とで幾度も話し合いが持たれたという。また、結局住居確保という時代の趨勢から、市側が妥協し、やはり日露戦争の激戦地を模して「二百三高地」と呼ばれた「永久堡塁」に接して造られた小高い丘を崩して、その土で「永久堡塁」は埋められることになった(『薬園台の歴史 正伯物語』)。

公団住宅が老朽化している昨今、建替えを行う際には、ぜひとも「永久堡塁」を今度こそ地表に出した状態で保存を行ってもらいたいものである。

参考文献:
『薬園台の歴史 正伯物語』 船橋市郷土資料館 (2003、「正伯物語」と題名につかない2000年発行のものもありますが、2003年のほうが詳述されています)

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花子です。

この間、国府台をぶらぶらしました。戦争遺跡って、すぐ足元にあるんですね。

2008/8/30(土) 午後 6:53 愛国の花☆花子

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