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静山龍山の彫り駒

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月27日(月)09時33分34秒
返信・引用
  先週のネットオークションで静山龍山の彫駒を落札しました。
多くの収集家が本物の龍山作品と誤解していて、私が指摘した事により話題になった書体の龍山銘です。
この彫駒の銘である「安」や「作」の字は龍山の書体とは異なり、この銘が龍山の銘ではないと判り安いのではないでしょうか。
この安清の書体は豊島工房では古い書体で後期には見られない書体ですが、豊島字母帳に載っている書体です、しかも銘の「安」の書体の「くの一」の「く」は豊島の書体とは異なる事が確認でき。
また、良くみれば「作」の書体も豊島の書風に似せてはいますが四画の横棒は短く平行に走っています、これも豊島の特徴ではない事が確認できると思います。

この銘の作品は総て豊島字母帳の書体ばかりで、豊島親子が亡くなった後に製作された作者の銘である事が確認でき、本人の言葉や史実などから静山の作品であると確信できます。
静山作品は盛上駒ばかりで彫駒は作らなかったといわれておりますが、静山は初期の頃には彫駒を作っております。
管理人さんは同時代頃に作られた静山銘の彫駒(金龍書)を持っており大珍品です。
本駒も良く考えてみれば静山の彫駒ですので珍品でもありますが、作品として偽作ですので残念な作品です。
この駒はほぼ新品状態で残されていました。
簡単ですが詳細はホームページにアップしましたのでご覧ください。
http://www.geocities.jp/monkey007no1/koda/kigu/kanai/kinki/hiyoji.html



 

Re: RE:玉(玉=宝石)

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月26日(日)01時13分21秒
返信・引用
  > No.248[元記事へ]

>キコリさん

>>将棋は、実は大陸からの2代渡来品である「漢字」と「仏教」を広めるためのツールであったようですよ。

それはスケールの大きな話ですね。将棋の大きな役割でしょうか。非常に興味があります。
お時間あるときにまた続きを書いていただければ幸いです。

>モンキーさん

>>珍しいには珍しいのですが、静山の銘ではない彫駒なので参考資料程度の価値

将棋駒研究家のモンキーさんの調査力と収集力には頭が下がります。
その研究過程をここで垣間見られるのはありがたいことだと感じています。




 

Re: RE:玉(玉=宝石)

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月26日(日)00時14分35秒
返信・引用
  > No.247[元記事へ]

キコリさん駒の歴史ほんの触りだけですがありがとう
長くなっても良いですから是非聞きたい話ですので続けてください、楽しみにしてます。

ところで、ひとつ質問なんですが、玉、金、銀、銅、鉄に香木までは意味が理解できますが、壷の回りに桂の木粉を撒くのはどの様な意味があるのでしょうか?
皇室にも桂離宮などの名称もあり桂の木には何か特別な意味があるような気がします
将棋盤も榧以外にも桂が使用されますがこれにも意味があるのでしょうか?
 

RE:玉(玉=宝石)

 投稿者:キコリ  投稿日:2012年 8月25日(土)13時52分5秒
返信・引用
  この話を書き始めますと、長~くなってしまうんですよね。

まず、なぜ駒が五角形なのかを書かなければいけません。これは、じつは仏舎利塔を表しております。仏舎利塔はチベット仏教でスツーバといいますが、それが密教が日本に伝来をして、卒塔婆となります。

仏舎利塔には、仏舎利が入っているとされておりますが、世界中には16.000もの仏舎利塔があり、代わりに大用品が入ってい居る場合がほとんどです。この時に、壺の中に仏舎利の代わりに入れるものがあり、順番も決まっております。

最初に、玉をいれ、次に金を、銀を、銅を鉄をいれて最後に香木を入れて、その壺の回りに桂の木の粉を撒きます。

これから友人が来るため、この詳しい話は別な機会にしたいと思いますが、曼殊院絡みで、最澄や空海の話にまで及びます。将棋は、実は大陸からの2代渡来品である「漢字」と「仏教」を広めるためのツールであったようですよ。
 

大珍品

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月25日(土)00時59分6秒
返信・引用
  案山子さん、実は大珍品の静山の彫駒じゃないんです。
珍しいには珍しいのですが、静山の銘ではない彫駒なので参考資料程度の価値しかない駒です。
案山子さんの彫駒の方が価値ありますので交換して欲しいです。(^_^)


 

玉(ぎょく=宝石)

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月24日(金)23時54分33秒
返信・引用
  >ばたさん

私もどこかで見たか聞いたか、なのですが、完全に失念してしまいました。

>>鉄→銅→銀→金→玉(ぎょく=宝石)

なるほど、中国では玉(ぎょく=宝石)ということで翡翠なんかが代表的ですね。

>モンキーさん

>>川合房次郎は六段の将棋棋士でもあり号を「房郷」と称したそうで、もし「房郷」の銘の駒があれば大珍品ですからゲットしたいですね。

「房郷」ですね。覚えました。どこかの骨董屋にあればすぐに買い求めるようにします。

>>先日珍しい駒をオークションで落札しました、それは静山の彫駒で昭和20年前後の作品です。

それは素晴らしい!大珍品ですね。画像のアップを楽しみにしています。

 

Re: 玉将と王将

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月24日(金)14時45分7秒
返信・引用
  > No.243[元記事へ]

ばたさん、将棋の駒の王将と玉将についてや、鉄→銅→銀→金→玉(ぎょく=宝石)の説についてキコリさんが専門ですから、きっとキコリさんが答えてくれると思います。将棋のルーツについて、仏教伝来から解説してくれると思いますので、私も楽しみにしています。
キコリさんよろしくお願いします。

案山子さん、川合房次郎については奥野一香の贈勝浦で書きましたが、小菅剣之助名誉名人愛用の駒が将棋博物館に納められているそうです、その駒は贈勝浦の書体と同じで、おそらくその駒の作者ではないかと想像しています。
川合房次郎は六段の将棋棋士でもあり号を「房郷」と称したそうで、もし「房郷」の銘の駒があれば大珍品ですからゲットしたいですね。
そうそう、つい先日珍しい駒をオークションで落札しました、それは静山の彫駒で昭和20年前後の作品です。まだ手元に届いておりませんので届き次第画像をアップしますのでお楽しみに。
 

Re:玉将と王将

 投稿者:ばた  投稿日:2012年 8月24日(金)03時43分4秒
返信・引用
  この話は、以前にどこかで見ました。多分、ここに集う人なら同様ではないでしょうか?
正式な理由は「もちろん失念」してます。(ToT)
たしか・・・
鉄→銅→銀→金→玉(ぎょく=宝石)と言うような、流れの事を指しているような・・・なんかそんな感じの話でしたっけ?違っていたらゴメンナサイ。
 

Re: 奥野作 清龍

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月24日(金)01時19分51秒
返信・引用 編集済
  >モンキーさん

ホームページを拝見しました。奥野作 清龍の掃除がとてもきれいにできていて
驚きました。ヤフオクでもこの清龍を見ていましたがかなり汚れていましたから。

>奥野は川井房次郎氏から駒作りを習いました、川合房次郎は名古屋出身で
>中京駒風の双玉の作者です、奥野が双玉なのは師匠の影響が大きかった
>のではと私は単純に考えています。

奥野のお師匠さんが川合房次郎という方だとは知りませんでした。
師匠の影響で奥野駒が双玉になったというのは自然な流れですね。
また中京駒というのはいろいろな点から興味深いものがありますね。




http://www.geocities.jp/monkey007no1/koda/kigu/kigu.html

 

玉将と王将

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月24日(金)01時12分24秒
返信・引用
  玉将を検索するとウイキペディアに以下の記載がありました。
将棋駒にはもともと「玉将」しかないというのは「王将」しかない、の間違いではないかと
感じましたが、「平安将棋」をみますとやはり「玉将」しかなかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E5%B0%86%E6%A3%8B
さらに「平安将棋」には飛車と角がなかったようです。またチェスのように
「本将棋とは違い、捕獲した駒を自らの持ち駒にはできないと考えられている。」
つまり取った駒は使えなかったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B0%86 より

玉将と王将

将棋駒にはもともと「玉将」しかなかったようである。
平安将棋には「玉将」はあるが「王将」はない。
また、11世紀半ばと推定され、最古の将棋駒とされる興福寺境内跡からの出土品
には「玉将」が3枚含まれているが、「王将」は含まれていない[1]。
しかし、字体の類似も相まっていつの間にか「王将」も使うようになったと言われている。
「王将」と「玉将」には実質的には違いはないが、「天に二日なく、地に二王なし」との
言葉に基づき「王将」は1枚とし、上位者(後手または上手)が「王将」を使い、
下位者(先手または下手)が「玉将」を使うのが慣例となっている。

詰将棋では玉将を用いるのが一般的で、双玉詰将棋(攻め方の玉将も配置する詰将棋)
の攻め方に王将を用いることがある。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B0%86

 

Re: 奥野作 清龍

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月21日(火)16時47分9秒
返信・引用
  > No.239[元記事へ]

案山子さんありがとうございます、この清龍の駒は何かの縁があって私の元に集まったのではないでしょうか(^_^)
この清龍と宗歩好は非常に近い時期に作られた物で間違いないと思います。
拡大境を使って何度も見比べましたが同じ技量や技で、同じ年の夏と冬くらいの差しかないと思います。
また、年代が明白な駒は菱湖があり菱湖と比べても明らかに稚拙で少なくとも昭和3年以前の作品かと思います、さらに幸次郎が盛り上げを始めたのは大正14年の広告では彫や彫埋を主力商品としており、盛上げ駒は極めて控えめなので、おそらく大正14年前後頃から盛上駒を始めたのだと思われ、大正末期から昭和元年頃に用いられたスタンプですから逆にこのスタンプの駒は初期の作品と言えると思います。

双玉が正しいか片玉が正しいかは別にして、私の考えでは奥野は川井房次郎氏から駒作りを習いました、川合房次郎は名古屋出身で中京駒風の双玉の作者です、奥野が双玉なのは師匠の影響が大きかったのではと私は単純に考えています。

清龍の駒はホームページにアップしましたので見てください。

 

Re: 奥野作 清龍

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月21日(火)11時41分41秒
返信・引用
  > No.238[元記事へ]

>モンキーさん

奥野の清龍を入手されたそうでおめでとうございます。
この駒もとても迫力を感じられ、どっしりとした安定感のあるよい駒に感じました。
モンキーさんのホームページを拝見するとこれでおそらく6組の奥野の駒のコレクション
ということで日本というか世界有数の奥野駒のコレクターではないかと思います。
宗歩好と同じ銘(スタンプ)ということで、この清龍と宗歩好は近い時期に作られた
ものなのでしょうか。その時期はこの銘(スタンプ)から考えて初期の頃でしょうか。
また奥野駒はほとんどが双玉ですが、これには深い意味がありそうに感じます。
どこかでその理由を読んだ記憶はあるのですが忘れてしまいました。
奥野駒と双玉の関係についてどなたかご存知の方がいれば教えてもらえれば幸いです。


 

奥野作 清龍

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月20日(月)19時06分47秒
返信・引用 編集済
  数週間前にオークションで話題になった奥野の清龍の駒です。
実は落札者の知人の知人である、とある人に無理を言っていただき譲ってもらう事ができました。
今日手元に届き早速じっくりと実見する事が出来ましたので、取り急ぎレポートします。
まず、漆の質は奥野のツヤのある漆で、宗歩好と同じであり漆の盛り上げも宗歩好と同じ特徴を持っており技量も同等でしたので同一時期の同一作者であると思われます。
宗歩好はおそらく夏に盛り上げた為に失敗してますが、清龍はその失敗を教訓に秋から冬に盛り上げたのではと思います。
駒木地は目の詰まった柾目で宗歩好よりも良い生地が用いられ、ほんの僅か鈍角な整形でしたが歩兵は細身です。
奥野作の銘はオークション画像では上書きした様に見えましたが、漆のスタンプを押して漆を足す方法です。
結論としては宗歩好と同時期の幸次郎の作品と言えると思います、角行などの漆の剥離は夏の盛り上げに失敗して寒くなるまで盛り上げを待って作業した結果ではないでしょうか。
彫りと彫埋め仕事は外職の仕事かも知れませんが幸次郎作品で良いと思います。
○○さん***さんありがとうございました。

この駒はあまりにも汚れが激しく一度掃除が必要ですので、今日は駒掃除をしてから写真を撮りホームヘージにアップします。
とりあえずご報告まで。
 

Re: RE: 大道詰将棋関連

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月19日(日)11時11分23秒
返信・引用
  > No.231[元記事へ]

>無鉄砲さん

「宮松七段が大道将棋屋に五十銭とられた話」の29手詰を気に入っていただけて恐縮です。
私が作った詰将棋ではもちろんありませんが、そう言われると嬉しいですね。
宮松7段も幹太郎と同様にお酒が好きだったようですね。そうするとほろ酔い気分で
大道将棋にやられたという推測も当たりのような気がしました。


 

詰将棋の解答

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月18日(土)21時30分11秒
返信・引用
  湯川博士著 秘伝大道棋 から出題していた詰将棋の解答です。
既に解かれた方が多いと思いますが、ここに掲載します。

第一図の解答

89香 83銀合 82歩 91玉 92歩 同銀 81歩成 同銀 92歩 同玉
83香成 91玉 92歩 同銀 82香成 まで15手詰め

第二図の解答

84金 同玉 93銀 同玉 85桂 84玉 75飛成 95玉 73桂成 96玉
85龍 97玉 87龍  まで13手詰め

第三図の解答

83金 同玉 93桂成 同香 同角成 同玉 94歩 83玉 84香 73玉
64飛成 72玉 83銀 71玉 82銀成 まで15手詰め

以上ですが、ご質問あればお気軽に書いてください。本に載っている変化の
範囲であればお答えできます。それ以外は私の棋力では無理かもしれませんが。

 

RE: 詰将棋

 投稿者:無鉄砲  投稿日:2012年 8月18日(土)12時49分0秒
返信・引用 編集済
  詰将棋関連三連投で申し訳ありません。

キコリさん、コメントありがとうございます。わたしはツメキストを目指してはおりますが、今のところ「ツメ甘キスト」と呼ばれるのを甘受しています。それ故またの名を「伊藤甘寿」ともいいます(笑)。

宮松七段の29手詰は、わたしも宮松七段同様54金に誘われました。味がいいのでこの変化に誘われるのは仕方がないと思います。ただ、その先を読めば54金の先がないことが分かるはず。やはり一杯やっていたのでしょう。いつまでもネタにされて気の毒ではあります(笑)。

ケン坊さんの王将人形やライターは楽しく拝見しておりましたが、コメントを書く見識もないので楽しみ逃げの一手でした。ごめんなさい。今後も同様だと思いますがよろしくお願いします。
 

RE: 大道詰将棋関連

 投稿者:無鉄砲  投稿日:2012年 8月18日(土)12時34分57秒
返信・引用
  案山子さん、「宮松七段が大道将棋屋に五十銭とられた話」の29手詰のご提供ありがとうございました。大変勉強になりましたし、わたしにとって思い出の詰将棋の一つとなったと思います。最初、宮松七段と同じ手順を辿ったこともうれしく思いました。宮松七段、一杯やっていて気分のよさにじゃ一つっていう具合に手を出したのでしょう。

なお、角合や飛車合、金、銀の合は正確に読んでいません。多分、少し早く詰むはずです。実は途中、歩合で詰まないのではないかと悩みました。その結果も29手とは、その辺りも商売上の秘策だったのかもしれませんね。実に楽しませていただきました。
 

詰将棋

 投稿者:キコリ  投稿日:2012年 8月18日(土)11時58分26秒
返信・引用 編集済
  いやいや、恐れいりました。古典の詰将棋が見事に直ってしまいましたか。

ツメキストという言葉を聞いたことがありますが、無鉄砲さんも、そのツメキストなのでしょうね。昔、もう亡くなられた詰将棋作家の方がよくお出でになってくれておりました。確か、青山学院の教授をされており、何時も「銀は2枚多く作って欲しい」との事でした。
理由を伺うと、「詰将棋を作っていると銀を非常に多く使いましてね、その為に銀の汚れや消耗が激しいんですよ。」と仰っておりました。

駒を作る場合にも、非常にこだわりをお持ちで、「剣先の角度はXX.XX度、駒尻の厚さは○○
.○○mm」と細かい注文が多く、閉口もしましたが、やる気も出させて頂ける方で、良い勉強になったものでした。あの、「こだわり」が作品にも必ず現れるのでしょうね。懐かしい思い出です。

宮松さんの解けなかった問題、トライをしてみましたが駄目でした。どこに作意があるのかを一生懸命に考え、香車の位置に興味を持って見ておりましたが、飛車が動かずに獲られることには全く気が付きませんでした。

ライターですが、、昔「プリンス」と呼ばれるメーカーが同じような形のライターを作っていたことを思い出しました。確か、ダンヒルにもありましたね。調べてみても解りませんでしたが、その途中で面白い事が書いてありました。ライターを世界で初めて作ったのは「平賀源内」で、それはマッチが作られたより古いのだそうですね。火打石をバネではじき、モグサに点火をしたとか。それで、キセルで一服ですか。バネはなんで作ったのですかね~。鯨の髭ですかね?世の中、調べてみると面白いことが出てくるものです。

駒の歴史や、書体の謎、これからいろいろと出てくるのでしょう。楽しくなりそうです。
 

Re: モンキーさん

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月18日(土)11時43分26秒
返信・引用
  > No.225[元記事へ]

>モンキーさん

宮松の壬辰錦旗ですね!これも名品中の名品で目が覚める思いです。
素晴らしい駒を見せていただいてありがとうございます。

駒はやはりこういうように将棋盤に並べると生き生きと見えますね。
こういう名駒で将棋を指せたら、さぞかし気持ちよいでしょうね。


 

大道詰将棋関連

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月18日(土)11時41分3秒
返信・引用
  >無鉄砲さん

「宮松七段が大道将棋屋に五十銭とられた話」についてお付き合いいただきありがとうございます。
早速、この難しい詰を解いていただいてさらに詳しい解説までしていただいて感謝です。
これらの変化をすべて読み切っているのですから、脱帽するのみです。
飛車をそのまま取らせるというのは新鮮でした。この飛車で詰ませようと私はがんばってしまいました。


>ロボさん

>>5四角、については御指摘のとおりですが、

>>9四金、同玉、8五銀、9五玉、9六銀打、8六玉、7六龍、9七玉、8七龍

>>の詰みを防いでいる、という二重の意味があると思います。

この9四金から入る詰めは私もやってみたのですが、違う理由でダメだと感じて
すぐに諦めてしまいました。
ロボさんご指摘のこの変化だとたしかに5四角が大きな意味を持ちますね。
これも新鮮な発見でした。ありがとうございます。



 

Re: 古い駒図入りのライター2個

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月18日(土)11時28分35秒
返信・引用 編集済
  > No.219[元記事へ]

>ケン坊さん

>>駒の書体の研究のために、あらゆる角度から検視しながら書体集めにチャレンジして

さすがケン坊さんですね!先日の丹入の陶器駒もそういう観点から収集されたのだと思います。
身の回りで将棋に関係するものがあれば私も注意してみてみます。バブルの頃にジャケットの
裏地に将棋の駒が華やかに並んでいるのを着ている人を見たことがありました。あれはなかなか
強烈に印象に残っています。

この2つのオイルライターは懐かしい形ですね。モンキーさんがおっしゃるように右のは
ジッポーライターによく似ているように思えます。左のは元はダンヒルライターの形に
思いました。それをアレンジしたものでしょうか。いずれも面白いコレクションと感じました。

正山作の彫駒は木地が薄いということで中京駒がルーツらしいということですね。
正山という駒師の名前も初めて聞きました。書体は大阪駒にみえますね。
いつもながら珍しい駒をご紹介していただいてありがとうございます。

 

Re: モンキーさん

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月18日(土)10時28分43秒
返信・引用
  > No.224[元記事へ]

無鉄砲さんありがとうございます
早速画像を取り下の画像をホムページにアップさせていただきました。
駒は宮松の壬辰錦旗を使ってみました。
 

モンキーさん

 投稿者:無鉄砲  投稿日:2012年 8月17日(金)20時22分45秒
返信・引用
  モンキーさん、

> もし了解を得られれば完成形を私のホームページにアップしたいと思いますがいかがでしょうか?

もちろん了解です。ご自由にしてください。ただ、問題図面は多分大丈夫ではないかと思いますが、何か不備がありましたらご容赦ください。


> 完成系配置画像に使用する駒の希望があれば申し付けてください。

ありがとうございます。うれしいですね。でも、モンキーさんにお任せしてわたしは楽しみに待たせていただくというのが一番贅沢かなとも思います。よろしくお願いいたします。
 

Re: 古い駒図入りのライター2個

 投稿者:モンキー  投稿日:2012年 8月17日(金)18時49分38秒
返信・引用
  ケン坊さん、そのライター右の方は戦後に出回っていた日本製の模造ジッポーではないでしょうか?
もう片方のオイルライターも日本製ではないでしょうか、私が学生の頃に使用していたライターに似ていると思います、1817の数字はパテント番号ですから年号ではないようです。

無鉄砲さんありがとうございます。
完成型を一日中検証してみました、やっと元になった問題の問題点が理解できました。
もし了解を得られれば完成形を私のホームページにアップしたいと思いますがいかがでしょうか?
完成系配置画像に使用する駒の希望があれば申し付けてください。


 

ロボさん

 投稿者:無鉄砲  投稿日:2012年 8月17日(金)15時05分51秒
返信・引用
  ロボさんはライバルどころかわたしの詰将棋の恩人です。(その理由は他所に書きました)

> 5四角、については御指摘のとおりですが、
> 9四金、同玉、8五銀、9五玉、9六銀、8六玉、7六龍、9七玉、8七龍
> の詰みを防いでいる、という二重の意味があると思います。

なるほど、おっしゃるとおりです。でも、まったく気づきませんでした。8四金以外の手はまったく読んでいませんでしたし、読む以前にそもそも見えていませんでした(笑)。今回のご指摘もいただくまではまったく気づきませんでした。さすがはロボさんです。頭が下がりました。

P.S. 29手詰の2手目の3三玉のところを2三玉と書き間違えていました。3三玉に訂正しました。ちなみに2三玉と逃げてくれれば2二竜までの詰みとなり3手詰になってしまいます(笑)。失礼しました。案山子さんにご指摘いただきました。ありがとうございました。
 

Re: RE: RE:すいません

 投稿者:ロボ  投稿日:2012年 8月17日(金)12時39分42秒
返信・引用 編集済
  > No.204[元記事へ]

遅いレスですみません。
無鉄砲さん、私のことをライバルだなんて買いかぶりすぎです。
私はマイペースで楽しんでいますが、無鉄砲さんの解図には付いていけていません。

> そういえば、5四角の存在理由は何なのでしょう。最初解いたときも気になりましたが、今見るともっと気になります(笑)。

5四角、については御指摘のとおりですが、

9四金、同玉、8五銀、9五玉、9六銀打、8六玉、7六龍、9七玉、8七龍

の詰みを防いでいる、という二重の意味があると思います。
紛れに迷い込んでしまった為に分かったことです。
 

41手詰研究

 投稿者:無鉄砲  投稿日:2012年 8月17日(金)07時50分14秒
返信・引用 編集済
  モンキーさん、お礼が遅くなりましたが、奧野錦旗による新たな問題図と解答棋譜をありがとうございます。今回も名駒を鑑賞しながらの解図を楽しませていただきました。その楽しさは格別に感じます。そして、ご呈示いただきました解答を基に正しい問題図を探ってみました。

42飛成、同玉、53角成、51玉、52歩、61玉、62歩、71玉、81香成、同玉、63馬、82玉、72馬、93玉、71馬、82金打、72桂成、84香、同馬、同歩、94香打、83玉、84歩、74玉、65金、63玉、54銀打、52玉、61馬、41玉、42歩打、31玉、22と、同玉、12香成、31玉、21と、42玉、43桂成、41玉、52馬、まで41手詰。

72馬のところで73馬、93玉、72桂成、84香合、同馬、同歩、94香で早詰(19手詰)。
84香合で84銀合なら同馬行、同歩、同馬、92玉、83銀打で早詰(21手詰)。

73馬に同玉なら65桂、63玉なら52桂成まで。
73馬に同玉なら65桂、62玉なら53馬、61玉、62銀打まで。
73馬に同玉なら65桂、82玉なら、64馬、81玉、72銀打まで。

つまり73馬に同玉の変化はいずれの場合も早詰。故に73馬には93玉の一手。
したがって93馬を許さない配置が必要です。

73馬を同玉と取って詰まないようにするために。77桂による65桂跳ねの王手をなくす必要があります。そのために77桂を56銀に替え、また、84桂合をなくすために最後の桂を32に配置することにより桂合を不可にしました。正しいと思われる41手詰問題図を完成したように思うのですが、いかがでしょうか。

【41手詰問題完成図】


41手詰解答再掲載:

42飛成、同玉、53角成、51玉、52歩、61玉、62歩、71玉、81香成、同玉、63馬、82玉、72馬、93玉、71馬、82金打、72桂成、84香、同馬、同歩、94香打、83玉、84歩、74玉、65金、63玉、54銀打、52玉、61馬、41玉、42歩打、31玉、22と、同玉、12香成、31玉、21と、42玉、43桂成、41玉、52馬、まで41手詰。


案山子さん、「宮松七段が大道将棋屋に五十銭とられた話」をありがとうございます。以下の宮松七段の指手を見ないで解き始めました。

 三一銀不成、三三玉、四四金、同角、二二飛成、四三玉、五二龍、三三玉、
 デ千日手トナリ宮松氏ノ負。


わたしも最初、宮松七段と同じ手順を検討しました。行き詰まったので飛車をそのままで取らせる手を思いつきました。左側面の金2枚を生かすことを考えたら自然に浮かびました。詰手順は以下の通りです。手数は一致しました。

3一銀不成、3三玉、2二銀不成、4二玉、4五香、4四桂合、3三金、4一玉、4二歩、同角、同金、同玉、5三角、3二玉、3一角成、2三玉、1三銀成、3三玉、2二馬、4二玉、4四香、4三歩、5四桂、4一玉、5一金、同玉、6二金、4一玉、3三桂、まで29手詰。

なお、6手目の44桂合で他の合駒、たとえば、角や飛車、金、銀などですと早く詰むようですが、歩合や香合ですと作為と思われる手数と同手数となるようです。昔は大らかだったようです。

44歩合(6手目)の変化:
以下、33金、41玉、42歩、同角、51金、同玉、42金、同玉、53角、32玉、31角成、23玉、13銀成、33玉、22馬、43玉、44馬、42玉、43馬、31玉、42馬、21玉、33桂打、まで29手詰。

44香合(6手目)の変化:
以下、33金、41玉、42歩、同角、51金、同玉、42金、同玉、53角、32玉、31角成、23玉、13銀成、33玉、22馬、43玉、44馬、42玉、43馬、31玉、33香打、41玉、52金、まで29手詰。


今回も詰将棋の話題ばかりで申し訳ありませんでした。
 

Re: 超小型・嵯峨焼き王将人形

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月16日(木)15時46分49秒
返信・引用
  > No.213[元記事へ]

>ケン坊さん

超小型・嵯峨焼き王将人形はとても可愛く綺麗な王将人形ですね。幼児の表情がとても
あどけなく可愛いですね。そして高さ1.6cmとは驚きます。
これだけ精巧に小さく作り焼くのは高い技術がいると思いました。
また隣の駒の木地は非常に美しく見事ですね。これは黄楊でしょうか?
とても魅力的な木地模様でいままで見たことがありません。

江戸~明治期の漆塗りの将棋盤も貴重なものですね。平等院に奉納された物ということからも
貴重であることは間違いないように思えます。盤は、全面黒漆塗り、ただ天面朱色仕上げでさらに
五カ所のマス目に模様があるというのも非常に洗練されたセンスを感じます。この五カ所の
ポイントは将棋においても重要な地点でここを制すれば勝てるみたいな印ではないかと
私は感じました。もちろんそれが装飾的にもアクセントとして非常に効いていると思います。

 

Re: RE: Re: 41手詰

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月16日(木)15時45分18秒
返信・引用
  > No.211[元記事へ]

>無鉄砲さん

詰将棋の奥の深さを教えていただきましてありがとうございます。
無鉄砲さんは指し将棋4段。詰将棋名人の腕前に感じました。
ところで宮松幹太郎(影水)の父親である宮松7段が昭和11年頃に大道将棋屋に
50銭取られたという話が載っていました。将棋日本という当時あった将棋雑誌に載ったようです。

----------------------------------------------------------------------------
宮松七段が大道将棋屋に五十銭とられた話  傍観生
  (将棋日本 昭和12年4月号)

 暮もいよいよ押しつまった三十日の夕刻、銀ぶらとしゃれた宮松七段、ふと大道の詰将棋が
眼についた。立って見ている間に、一人の男が詰め損って五十銭とられた。
将棋屋は七段氏とも知らばこそ、傍に立っていた宮松七段にすすめたのである。
軽く応じた宮松氏は、深くも考えずに手を出した。ところが案外手強くて、これまた五十銭
とられることになってしまった。二回目に成功すれば前の五十銭もいらないというので、
今度こそは高段戦士の名誉にかけても仇を討ってやろうと大いに考えこんだのであるが、
詰みそうに見えてなかなか詰まない。沈思黙考十数分、ぐっと盤面をみつめていると、
その内に巡査が来て、将棋屋は店を閉じてしまった。残念ながら五十銭とられたのである。
その詰将棋と宮松七段の指手は次の通りです。
----------------------------------------------------------------------------
・宮松七段の指手
 三一銀不成、三三玉、四四金、同角、二二飛成、四三玉、五二龍、三三玉、
 デ千日手トナリ宮松氏ノ負。

この詰将棋は29手のようです。ただし解答が載っていないのでわかりません。
もしよかったら時間のあるときに解いていただき答えを教えてもられえれば幸いです。

余談ですが、昭和11年というと 宮松関三郎七段が51歳くらい、幹太郎(影水)が
8歳くらいです。正月も近いのでお菓子でもかってやろうかと大道将棋に向かい返り討ちに
あってしまったというところでしょうか。実戦でもあるようなとっつきの良い問題なので
簡単に見えましたがやはりできませんでした。

現在、旅の途中なので将棋駒と盤が手元になく、画像での詰将棋案内となりました。

 

Re: 41手詰

 投稿者:案山子  投稿日:2012年 8月16日(木)15時43分12秒
返信・引用 編集済
  >モンキーさん

「手駒なし詰め将棋」は国立国会図書館発行の「囲碁・将棋文化史展」の中に掲載されている
作者不詳の慶応年代に作られたといわれる錦絵(版画)ということでとても興味深いです。
この元の錦絵は以下のモンキーさんのホームページのものですね。
http://www.geocities.jp/monkey007no1/koda/kigu/yasukiyo/nisiki/image_8.jpg
当時のお城将棋の雰囲気がしのばれてとても面白い錦絵だと思います。
謎の多い詰将棋のようですが、無鉄砲さんの書かれているように13手詰めでいけると
思いました。もし41手詰めだとするとどこかが違うということになるのでしょうね。
新たに並べられた駒は奥野・錦旗ですね。やはり威風堂々としていてとても魅力的です。

 

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