今まさに、「お金」について論じた書籍を書いています。新書で年内出版予定。頭の整理も兼ねて、ティザー的にコンテンツを流していきます。
お金は人とつながらないための「免罪符」
その中で主張しているのが『お金は人とつながらないための「免罪符」』というテーマ。
分かりやすいのはAirBnBとカウチサーフィンの違い。
AirBnbもカウチサーフィンも「自分の家(部屋)を旅行者に貸し出す」というP2P系サービスですが、AirBnBは有償、カウチサーフィンは無償の貸し出しとなっています。
その違いについては旅人で知られるmohidekiさんがまとめています。ツイートを一部引用。
CSもAirbnbもサービス的な特徴はパッと聞いた感じでは非常に近いものに感じる。カウチサーフィンは無料で現地の人の家に泊めてもらえるが気を遣う必要がある。Airbnbは有料だけれど、ちゃんとしたサービスとして現地の人の家に泊めてもらえる。響きは近いが、目的次第。
あなたの目的が、「現地の人と仲良くなりたい」に比重が置かれているのならば、間違いなくカウチサーフィンをお薦めする。仕事と出逢った人とはどうしてもビジネスライクな付き合いになりがちでしょう?それと一緒で、お金を払って得た関係性・・・それは単なる顧客と提供者で他ならない。
CSはあくまで”共有”をテーマとしたプラットフォームです。だから、ホストがあなたに寝床を提供してくれているのだから、あなたはあなたの体験や知識や特技、文化等をホストと共有することを心掛けるべきです。ホストと十分な時間を過ごすことが出来そうに無い場合はCSを使うべきではない。
旅好きの必須ウェブサービス、Couch Surfing(カウチサーフィン)とAirbnbの違いについて等。 – Togetter
つまり、AirBnBはある意味で「孤独」を買うわけですね。お金を出すから、とりあえずほっといて泊めさせてくれ、と。
無償であるカウチサーフィンはそんなわけにはいきません。お金は出さないけど、とりあえずほっといて泊めさせてくれ、なんて態度ではホスト側に何のメリットもありません。
言い換えればそれは、お金が人とつながらないための「免罪符」になっているとも指摘できるでしょう。お金を払えば、めんどくさい繋がりから逃れることができるのです
貧乏人はつながらざるをえない
悲壮な切り口から語れば、お金がない=免罪符を買えない「貧乏人」は、他人とつながらないといけない、ということでもあります。
今後、僕のような貧乏人が増えていくとすれば、お金がない人たちは半強制的に、誰かとつながることを強いられていくようになるでしょう。孤独はもう一度、贅沢な商品となるのです。
そんな時代は、ポジティブに人とのつながりを楽しめる人であれば、友だちはできるわ、安く生きていけるわいいこと尽くめですが、僕のようなひきこもり志向の人間には、必ずしも楽しい未来ではありません。
自分をコンテンツ化せよ
僕のようにコミュニケーション能力が高くない人間は、自分をうまく「コンテンツ化」していくことが、免罪符が買えない場合の処世術となっていくでしょう。
僕はこのブログで、こうして自分の妄想や意見を文章にし、自分をコンテンツ化しています。切り売りしています。ゆえに、僕は人とのつながりを維持、拡大できているわけです。コミュニケーション能力がなくても、コンテンツ力があればいいのです。ハードルは低くはないですが、コミュ力を鍛えるよりは楽なので、これは非常に勇気がもらえる話だと思います。
ただ、コンテンツ化していくということは、自分をオープンにするということなので、心理的な抵抗感も少なくありません。
先日、深センに飛んだ岡氏とskypeをしていた際、彼が「自分をコンテンツ化するのって恥ずかしいんですよね」と漏らしたので、僕は反射的に「それじゃダメだよ」と説教してしまいました。抵抗はあるかもしれませんが、お金がなければ、まずは自分をコンテンツ化していかないとダメなのです。
というわけで、
・お金は人とつながらないための免罪符としても機能している
・今後はこの免罪符を購入できない「貧乏人」が増えていく
・「貧乏人」は他人とつながらざるをえなくなる
・非常に高いコミュニケーション能力がない普通の人は、自分をコンテンツ化(切り売り)していくことが求められる
なんてことを考えて、現在文章にまとめています。
なんか突っかかられそうなので一応注釈しておけば、「貧乏人」は誰かを卑下するための言葉ではありません。僕も普通に貧乏人ですからね。まぁそこら辺は書籍をぜひお読みください、ということで一つよろしくお願いします。
関連本。この本かなり影響受けています。人生の捉え方次第では、貧乏だって全然幸せ。