自殺したい人はこちら→自殺ダメ
人が生きる意味とは何か?
霊的な意味での生きる意味を学んで頂きたい。
こんにちは。[生きる意味]の管理人です。皆さん、生きる意味というと、何を思い浮かべるでしょうか。この世にただ無意味に生まれてきて、ただ無意味に死んでいく、とでもお思いでしょうか。大抵の人はそうです。生きることに何の意味も見出せない人たちばかりです。ただ、この世の享楽を求め、お金を自分の為にだけ消費し、それで年老いて死んでいく・・・それが大体の日本国の普通の人のパターンではないでしょうか。そもそも、[生きる意味]なんて、誰も真剣に考えてはいません。[なぜ自分が今、ここに存在するのか?]とか、[死んだ後はどうなるのか?]なんてことは、みんな知らないし、考えてもいません。そういう目に見えない事、つまり物質として捉えられない不確かなことに関しては、日本人は、普通、知らん振りなのです。
でも、それではマズい。何も生きる意味を知らないと、自分の人生が順風満帆に進んでいる時はいいが、自分の人生が大きな苦難に遭遇した時に、途端に、生きる気力を失くしてしまうものだから。そう、自殺してしまう人達というのは、生きる上での信仰というものが、何もないのです。しかし、たとえ信仰があったとしても、それが実際に、自分が心底信じている信仰でなければ、無意味です。以前、ユーチューブで、アメリカの番組で、カトリックの女性信者が、夫が浮気の末にその女と結婚してしまい、離縁されたことに激怒して、その二人を拳銃で撃ち殺した事件を見ました。それはつまり、いくら平穏無事な心境の時にカトリックの教会にその女性が何百回も通って、神様神様と何百回もお祈りしていたとしても、結局は無意味だったのです。だって、無神論者の人でもあまりしないような、二人を撃ち殺すという過激な行動を取ってしまったのですから。このように、上辺だけの信仰では無意味です。魂が窮地に陥った時に、助けてくれる信仰、平常時ではなく、緊急事態に生きる支えになってくれる信仰こそが、今の時代に真に求められているものではないでしょうか。
私は、スピリチュアリズムというものを信じています。これは、近代、あまりにも地上世界が物質を重視し出して、精神面をないがしろにし出しているのを霊界の高級霊が見て、それを何とか精神面を大事にするようにしようと思い、大々的に地上の霊媒(霊を自分の身体に憑依させて、自由に喋らすことができる人)を通して語りかけた運動のことです。従来の信仰にしても、キリスト教にしろ仏教にしろ、あまりにも儀式ばかりを重んじて、精神面を尊重していません。そういう風潮を是正するために、霊界の高い世界にいる偉い霊達が中心となり、地上に真の真理を届けようとしているのです。そして、その代表格が、シルバーバーチという霊の言葉です。これは、[シルバーバーチの霊訓]という書物になって、日本で発売されています。この[シルバーバーチの霊訓]は、世界中で読まれている本です。その中には、従来の宗教のように、儀式を重んじる言葉はありません。そもそも、スピリチュアリズムは、どこかに教会やお寺みたいな建物を建てる、ということはしません。誰かが教祖なのではありません。建物も教祖もなく、ただ、地上の一人一人が自分自身でその真理に触れ、吸収していき、実生活に活かすという手法の教えです。だから、スピリチュアリズムの会員は何人とは言えないし、スピリチュアリズムの建物はどこそこにありますなんてのもありません。日本中の真の真理を受け入れる用意のできた人に向けて、偶然を装って、その人にスピリチュアリズムの教えに触れる機会が与えられる、ということです。だから、スピリチュアリズムを信じる私も、こうして、インターネット上にホームページを製作して、暗闇の中で迷って絶望感に浸っている人たちに、スピリチュアリズムの教えを教えてあげようと思って、様々な自殺に関連するような用語に対して網を張っているのです。自殺志願者が偶然にその用語で検索したら、スピリチュアリズム関連のホームページに辿り着けるようにと。このホームページも、その一環です。
このホームページでは、[シルバーバーチの霊訓]の中のシルバーバーチの珠玉の言葉をそれぞれ掲載しています。シルバーバーチの霊訓の長文を読みたい方は、実際に自分で本を買うか、あるいはリンク集(PC版のみ掲載)より、スピリチュアリズム・ブックスというホームページに行っていただければ、そちらからシルバーバーチの霊訓や、他の霊的書物の大体の内容が無料で読めます。また、私も、この霊的な自殺防止サイト以外にも、他にも複数の霊的な自殺防止サイトを製作し所有しています。それらはリンク集より見られます。なので、そちらも読んでみてください。損はないと思います。
生きる意味を何も知らずに、霊的な知識を何も知らずに、日本では毎年毎年、大勢の人間が絶望して自殺していきます。しかし、自殺は絶対にしてはならないことなのです。この世的な観点からではありません。むしろ、[あなたが自殺したら私は悲しいよ]とか[生きなくちゃいけないよ。きっと将来、いいことがあるから]なんていう、この世的な観点からの説得の言葉は、絶望の渦中にいる自殺志願者にとり、空疎なものです。そんなもの、大して意味はありません。人が絶望の最中にいる時に、真に必要なことは、その人の魂を揺さぶるような、本当の霊的な知識、生きる意味です。人は人生が順風満帆に進んでいる時には、けっしてそういう霊的な事柄は本気で信じないし、受け入れないものです。しかし、絶望の最中、魂が絶体絶命になった時、初めて霊的な知識を本気で受け入れる基盤ができるのです。もう、この世の中には、何も頼るものがない、そう心底思った時に、真理を受け入れる用意ができるのです。だから、この自殺防止サイトは、そういう人生に疲れ切って、自殺を本気で考えている人たちに向けて製作したサイトなのです。どうか、自殺志願者の人達は、この[生きる意味]に掲載されているシルバーバーチの言葉をよく読んで、真理に目覚めて頂きたい。
この世に生きる人間にはそれぞれに生きる意味があるだろう。それは、家族の為に生きているのだったり、飼い犬の為であったり、お金を稼ぐ為であったり、又は特に生きる意味は持っていないが、ただ死ぬのが怖いから生きているというだけの人もいるだろう。そう、今現在、この世に生存している人は、自殺しそうになっている人もいるとはいえ、その殆どの人は、何らかの生きる意味を持っている。生きる意味は人それぞれだ。
しかし、あまりにもこの世的な観点のみの生きる意味しか所有していないとなれば、それは万が一、人生が絶望のどん底に落下してしまった時点では、もう前向きに生きられなくなる可能性が高い。それはなぜかといえば、日本人の殆ど、いや、中国人とかもそうだが、殆どの人物が、この世の物事、出来事にしか眼中になく、それ以外の目に見えない物事、様相には全く無関心だからだ。そう、人の生きる意味は様々ではあるが、あまりにもこの世的な観点のみしか持ち合わせていない人は、この世の出来事が上手くいかなくなった時点で、もう絶望のどん底に落ちてしまい、そこから這い上がれなくなってしまう。それはつまり、自殺に直結してしまうんだ。
だから、根本的な疑問として、なぜ今、あなたがそこに生きているのか?という疑問に対して、真摯に向き合う必要性がある。そんなのは俺には無関係だ!というかもしれないが、瀬戸内寂聴も著書の中で述べていたが、やはり目に見えない存在に対して、何らかの尊敬の念というか、畏敬の思いというか、畏怖の念というか、そういうものを所有していた方が力強く生きられるのだ。無神論者の人なら、自殺したい程の出来事がその人の人生という線路上に発生した場合、もう、すぐにでも自殺してしまうだろう。その人の信念を支える土台が、無神論ではヤワだからだ。無に等しい。それは、葬式の時に僧侶に世話になるだけの関係性の、偽仏教徒も同様だ。日本には仏教徒が八千万人いるらしいが、俺にはとても、八千万人の日本人が日々の生活の中で、仏教の教えの戒律を守りながら生活しているようには見えない。それは多分、葬式の時に坊さんに世話になるだけのニセ仏教徒が八千万人いるということなのだろう。しかし、そんな上っ面の表面的な信仰では、人の生きる意味には何の影響も及ぼさないし、支えにもなってはくれないよ。
人の生きる意味というのは、もっと別にあるんだ。そんな、ただの儀式宗教と化した仏教とかではなく、もっと霊的な意味での真の生きる意味というものが、存在するんだ。それは、シルバーバーチの霊訓とかに代表される、スピリチュアリズムというものに掲載されています。つまり、この世に生きている人達が考え出した、勝手な作り話ではなく、既に死んであの世に行っている霊となった人物達が、霊界からこの世に向けて通信を送ってきて、その情報をまとめたのが、スピリチュアリズムというものです。だから、この世、つまり地上に生きていた人間達が勝手に考え出した物事ではない。昔のインド人は、地球は三匹の象が支えており、その三匹の象はでっかい亀みたいなのに乗っているとか、更にそれがでっかい鯨に乗っているとか本気で考えていたらしい。しかし、それは現代では、誤りだと判明している。地球はまん丸です。そんな、宇宙空間に三匹の象なんていないからな。だから、昔の日本人や外国人は、勝手に色々と自分達の望み通りの想像を巡らせていたらしいが、それは勝手な妄想だ。事実でない。しかし、私の推薦する、スピリチュアリズムは、実際に霊界からこの世に向けて送り出されてきた通信の内容なので、真実なのだ。
そう、人の生きる意味は、この世的な観点からのみ思考しては、いつまで経っても不明なままだが、霊界までひっくるめて考えれば、自ずとちゃんとした正しい答えが導き出せるんだ。それは、スピリチュアリズムの、つまり人の生きる意味の詳細は、この生きる意味というサイトのリンク集より辿れる[自殺ダメ]に詳しく記述されているので、是非そちらを閲覧してください。とにかく、自殺したり人生に絶望する前に、ちゃんとした、霊的な意味での人の生きる意味を勉強してくれ。そうすれば、あなたも前向きに生きられるようになるだろう。
人が生きる意味は必ず、スピリチュアリズムを勉強すれば、発見できる。この日本国では、毎日毎時、全国のどこかしらで、首吊り自殺やら飛び降りやら練炭やら硫化水素やら、或いは電車への飛び込みやら一家心中やら、何かしらの手段で、どこかで誰かが自殺している計算だ。しかし、その人達は、この世のことばかりしか考えておらず、自分が死んでから後の自分の境遇というものを全く考慮に入れていない。だから、簡単に自殺に走るのだ。まあ、彼らは霊的な意味での人が生きる意味を微塵も知らないので、死ねば楽になると思い込んでおり、ごく簡単に、些細な理由で自分の命を捨て去るのだ。しかし、自殺者達の死後の運命は、総じて悲惨であり、全員、落胆させられる。なにせ、死ねば無になる、或いは楽になるなどという何の根拠もない楽観論のまま、死後のことなど大して考えもせずに自殺してしまったのだから。生前の思惑とは正反対の結果が待っているんだ。事実は、無になるとか、楽になれるとかいう淡い期待とは裏腹に、とてつもない苦境に立たされることになるのを、自殺志願者達は全く知らない。
この日本には、生きる意味が分からない人で溢れ返っている。物質的には先進国レベルとなり、月給一万円レベルの国々と比較すれば、はるかに多くの良質な物質が手に入る。飢餓の心配も、殆どの人にとり、無いであろう。しかし、みんな霊的な知識が無い故に、生きる意味が分からないまま悶々と日々を過ごしており、途方に暮れている。人は、高級車を買ったり、豪邸に住んだり、高い地位や名誉や権力を入手出来れば、イコール幸せになれる、というものではない。それらを満たして手に入るものは、あくまで他者に対する優越感のみ。いくら金持ちになったとて、本当の意味での生きる意味を知らぬままなのだから、心の片隅では、空しさを感じている部分もあろう。しかし人間は、物質を満たすことにより、その虚無感を無理矢理黙らせようとする。それが一時的な効果しかないと分かっていても。
是非とも、霊的な観点からの生きる意味とは何か?をよく学んで頂きたい。「ああ、生きる意味がない・・」などと嘆いているよりも、あなたはこうして、霊的な知識を得られるサイトに到着したのだから、この際、ちゃんと勉強して頂きたい。このままあなたが何も霊的な知識を得ずに去れば、あなたの生きる意味が分からないことに対する不安はこの先も一向に解消されないまま、悶々として人生を過ごして行くことになる。それは絶対に避けねばならない。人は、生きる上で、芯になる考えが必要だ。何の芯もない、ただ波間を漂うだけのクラゲのような存在では、あなたの身に人生の破局とも言うべき出来事が襲来した時、あなたは頼るモノが何も無く、いとも簡単に自殺を選択するでしょうから。
生きる意味は、インターネット上でも学べるし、また本でも学べる。大きな書店に行けば、宗教書のコーナーの一角に、大概、シルバーバーチの霊訓等のスピリチュアリズム関連の書籍がある筈だから。試しに立ち読みしてみてください。又、その内容は、リンク集より、スピリチュアリズム・ブックスというサイトにて、無料で読めます。あなたの人生観が変わると思います。私の人生観も、人生の初期は無宗教であり、その後キリスト教を学びましたが、どうもしっくりきませんでした。その後、偶然からシルバーバーチの霊訓に出会い、これこそが真実だ!と確信して、今、こうして微力ながら、インターネット上でスピリチュアリズム、いわゆる霊的真理を広めて、生きる意味を知らずに失望してさ迷っている人々、とりわけ自殺志願者を救いたいと、奮闘しているのです。だから、私の生きる意味は、スピリチュアリズムの教えの通りなのです。でも、スピリチュアリズムは別に宗教組織ではないので、献金やお布施をする必要性もないし、誰か特定の人物を教祖様として崇める必要もありません。もしもそんなことを言っているスピリチュアリズムの団体があったとしたら、そいつらはシルバーバーチの霊訓を使って金儲けをしようと企んでいる悪い奴等です。
どうか人間の生きる意味を知って頂きたい。人は動物とは違うんだ。ただ食べて寝て繁殖して死んでのサイクルの繰り返しでは、何の為に生まれてきたのだか分からない。そのレベルで満足するのは、原始人レベルの人であろう。しかし現代は人類の知能は昔よりも大幅に進化し、理性も発達している。500年前の人達とは、もう違うんだ。ありとあらゆる書籍、そしてインターネットの発達により、世界中の思想や情報が手軽に入手可能となった。そう、だから、もう、以前のように、人類はただ日々を暮らすだけでは満足せずに、[なぜ生きるのか?生まれてきた意味とは何か?]を知ろうともがいている人達で溢れている。そう、現代の仕事や暮らしにしても、もう江戸時代のように、単純な生活様式ではなくなってしまった。過去よりもはるかに「生きること」、それ自体が辛いことになってしまった。だから、過労自殺する者も絶えない。生活が昔に比較して構造が複雑になり過ぎた。もう、昔の日本人のように単純には暮らせないんだ。だからこそ、現代人は、物質重視の従来のこの世的な観点での生きる意味を失う一方で、霊的な意味での生きる意味を探している人がどんどん増えているんだ。そう、霊的な意味での知識を得ようと、その人の潜在意識は心の奥底から訴えているんだ。
人生の目的がない人が何十万人も、日本にはいる。仕事が上手く行かず、家庭生活も破綻して、絶望のさ中で、人生の目的を見出せない人が大勢いる。勿論、うつ病を患って、自殺未遂を繰り返す患者も全国に何万人も存在する。リストカットを繰り返す女性も、結局は、自分の存在意義、つまり生きる意味を見出せないからこそ、そのような愚かな自傷行為を繰り返すのだ。又、今現在、自分の人生が順風満帆に事が運んでいる人物であっても、真の生きることの意味を見出せないままであれば、もしもその人の人生に突如として暴風雨が襲ってきたら、たちまち、その人は海の藻屑になる、つまり自殺してしまうだろう。そんな例は、国内でも国外でもいくらでもある。羽振りが良かった人が、自身が経営する会社が傾いて、数ヵ月後には絶望のさ中、首吊り自殺してしまった例など、中小企業の社長で何人も年間に発生しているであろう。それもみんな、生きることの意味を見出せずに、ただ物質ばかり追い求めた結果だ。その人達は霊的知識を微塵も所有していなかったから。
そして、本来であれば率先して人々を救うべき既存の宗教にしても、何のアテにもならない。歴史の古い宗教も、新興宗教も、大方、金儲けが目的の団体に成り下がっている。形骸化した仏教では、最早この国の迷える人々を救うことは出来ないでしょう。現代の仏教は単なる葬式関連の業者になってしまった。単なるサービス業者だ。お経を唱えるだけの業者さんだよ。だから、殆どの人はもう、お坊さんになんか相談しない。江戸時代は、お寺は地域の相談事を色々と聞いていたらしいが、もう現代の僧侶は、面倒な相談事に乗ることよりも、ベンツやBMWの方が好きだとさ。ただの物欲まみれの一般人と変わらないよ。そんな人物が、どうやって、迷える人々を救うことが出来るのか?自分自身でさえ、生きる意味なんてどうせ分かっていないくせに。その他にも、哲学というのも、難解すぎてよく分からない。哲学者というのは知能指数は飛び抜けて高いのだろう。しかし、そいつらが導き出した答えが、果たして迷える人達の救いの灯火となっているのだろうか?そもそも、難解すぎて理解出来ないよ。それに、神の存在を抜きにして、人間だけの存在のみで議論しても、結局は真の霊的な意味での生きる意味は、絶対に見出せないからな。
障害者も、どうか霊的知識を勉強して、生きる意味を知ってくれ。あなたのその五体不満足の欠損した身体も、あなたが死んだ後に肉体を脱して霊体のみになれば、もうどこも悪くなく、欠損もしておらず、失明も治る。とはいえ、だからといって、早く死のうとしてはならないぞ。あくまで、寿命まで精一杯生き抜くべきだから。そういう知識を何も知らぬから、健常者から障害者になってしまった時に絶望して、平気で自殺するのだ。この世の事しか眼中にないから、簡単に命を放り捨てるのだ。
だから、あなたがこのサイトに辿り着いたということは、生きる意味を求めての行動の結果でしょう。[生きる意味]とかの用語で検索せねば、このサイトにはけっして辿り着くことは出来なかっただろうから。だからこそ、これはあなたの人生にとって重要な意義ある導きなのだから、この際、ちゃんと霊的知識を学んで、しっかりと今後の人生を前を向いて歩いて行って頂きたい。それでは、頑張って!あなたの人生を良くするのは、あなた自身なのだから。
『生きる意味』管理人 齋藤健一
人が生きる意味とは何か?
霊的な意味での生きる意味を学んで頂きたい。
こんにちは。[生きる意味]の管理人です。皆さん、生きる意味というと、何を思い浮かべるでしょうか。この世にただ無意味に生まれてきて、ただ無意味に死んでいく、とでもお思いでしょうか。大抵の人はそうです。生きることに何の意味も見出せない人たちばかりです。ただ、この世の享楽を求め、お金を自分の為にだけ消費し、それで年老いて死んでいく・・・それが大体の日本国の普通の人のパターンではないでしょうか。そもそも、[生きる意味]なんて、誰も真剣に考えてはいません。[なぜ自分が今、ここに存在するのか?]とか、[死んだ後はどうなるのか?]なんてことは、みんな知らないし、考えてもいません。そういう目に見えない事、つまり物質として捉えられない不確かなことに関しては、日本人は、普通、知らん振りなのです。
でも、それではマズい。何も生きる意味を知らないと、自分の人生が順風満帆に進んでいる時はいいが、自分の人生が大きな苦難に遭遇した時に、途端に、生きる気力を失くしてしまうものだから。そう、自殺してしまう人達というのは、生きる上での信仰というものが、何もないのです。しかし、たとえ信仰があったとしても、それが実際に、自分が心底信じている信仰でなければ、無意味です。以前、ユーチューブで、アメリカの番組で、カトリックの女性信者が、夫が浮気の末にその女と結婚してしまい、離縁されたことに激怒して、その二人を拳銃で撃ち殺した事件を見ました。それはつまり、いくら平穏無事な心境の時にカトリックの教会にその女性が何百回も通って、神様神様と何百回もお祈りしていたとしても、結局は無意味だったのです。だって、無神論者の人でもあまりしないような、二人を撃ち殺すという過激な行動を取ってしまったのですから。このように、上辺だけの信仰では無意味です。魂が窮地に陥った時に、助けてくれる信仰、平常時ではなく、緊急事態に生きる支えになってくれる信仰こそが、今の時代に真に求められているものではないでしょうか。
私は、スピリチュアリズムというものを信じています。これは、近代、あまりにも地上世界が物質を重視し出して、精神面をないがしろにし出しているのを霊界の高級霊が見て、それを何とか精神面を大事にするようにしようと思い、大々的に地上の霊媒(霊を自分の身体に憑依させて、自由に喋らすことができる人)を通して語りかけた運動のことです。従来の信仰にしても、キリスト教にしろ仏教にしろ、あまりにも儀式ばかりを重んじて、精神面を尊重していません。そういう風潮を是正するために、霊界の高い世界にいる偉い霊達が中心となり、地上に真の真理を届けようとしているのです。そして、その代表格が、シルバーバーチという霊の言葉です。これは、[シルバーバーチの霊訓]という書物になって、日本で発売されています。この[シルバーバーチの霊訓]は、世界中で読まれている本です。その中には、従来の宗教のように、儀式を重んじる言葉はありません。そもそも、スピリチュアリズムは、どこかに教会やお寺みたいな建物を建てる、ということはしません。誰かが教祖なのではありません。建物も教祖もなく、ただ、地上の一人一人が自分自身でその真理に触れ、吸収していき、実生活に活かすという手法の教えです。だから、スピリチュアリズムの会員は何人とは言えないし、スピリチュアリズムの建物はどこそこにありますなんてのもありません。日本中の真の真理を受け入れる用意のできた人に向けて、偶然を装って、その人にスピリチュアリズムの教えに触れる機会が与えられる、ということです。だから、スピリチュアリズムを信じる私も、こうして、インターネット上にホームページを製作して、暗闇の中で迷って絶望感に浸っている人たちに、スピリチュアリズムの教えを教えてあげようと思って、様々な自殺に関連するような用語に対して網を張っているのです。自殺志願者が偶然にその用語で検索したら、スピリチュアリズム関連のホームページに辿り着けるようにと。このホームページも、その一環です。
このホームページでは、[シルバーバーチの霊訓]の中のシルバーバーチの珠玉の言葉をそれぞれ掲載しています。シルバーバーチの霊訓の長文を読みたい方は、実際に自分で本を買うか、あるいはリンク集(PC版のみ掲載)より、スピリチュアリズム・ブックスというホームページに行っていただければ、そちらからシルバーバーチの霊訓や、他の霊的書物の大体の内容が無料で読めます。また、私も、この霊的な自殺防止サイト以外にも、他にも複数の霊的な自殺防止サイトを製作し所有しています。それらはリンク集より見られます。なので、そちらも読んでみてください。損はないと思います。
生きる意味を何も知らずに、霊的な知識を何も知らずに、日本では毎年毎年、大勢の人間が絶望して自殺していきます。しかし、自殺は絶対にしてはならないことなのです。この世的な観点からではありません。むしろ、[あなたが自殺したら私は悲しいよ]とか[生きなくちゃいけないよ。きっと将来、いいことがあるから]なんていう、この世的な観点からの説得の言葉は、絶望の渦中にいる自殺志願者にとり、空疎なものです。そんなもの、大して意味はありません。人が絶望の最中にいる時に、真に必要なことは、その人の魂を揺さぶるような、本当の霊的な知識、生きる意味です。人は人生が順風満帆に進んでいる時には、けっしてそういう霊的な事柄は本気で信じないし、受け入れないものです。しかし、絶望の最中、魂が絶体絶命になった時、初めて霊的な知識を本気で受け入れる基盤ができるのです。もう、この世の中には、何も頼るものがない、そう心底思った時に、真理を受け入れる用意ができるのです。だから、この自殺防止サイトは、そういう人生に疲れ切って、自殺を本気で考えている人たちに向けて製作したサイトなのです。どうか、自殺志願者の人達は、この[生きる意味]に掲載されているシルバーバーチの言葉をよく読んで、真理に目覚めて頂きたい。
この世に生きる人間にはそれぞれに生きる意味があるだろう。それは、家族の為に生きているのだったり、飼い犬の為であったり、お金を稼ぐ為であったり、又は特に生きる意味は持っていないが、ただ死ぬのが怖いから生きているというだけの人もいるだろう。そう、今現在、この世に生存している人は、自殺しそうになっている人もいるとはいえ、その殆どの人は、何らかの生きる意味を持っている。生きる意味は人それぞれだ。
しかし、あまりにもこの世的な観点のみの生きる意味しか所有していないとなれば、それは万が一、人生が絶望のどん底に落下してしまった時点では、もう前向きに生きられなくなる可能性が高い。それはなぜかといえば、日本人の殆ど、いや、中国人とかもそうだが、殆どの人物が、この世の物事、出来事にしか眼中になく、それ以外の目に見えない物事、様相には全く無関心だからだ。そう、人の生きる意味は様々ではあるが、あまりにもこの世的な観点のみしか持ち合わせていない人は、この世の出来事が上手くいかなくなった時点で、もう絶望のどん底に落ちてしまい、そこから這い上がれなくなってしまう。それはつまり、自殺に直結してしまうんだ。
だから、根本的な疑問として、なぜ今、あなたがそこに生きているのか?という疑問に対して、真摯に向き合う必要性がある。そんなのは俺には無関係だ!というかもしれないが、瀬戸内寂聴も著書の中で述べていたが、やはり目に見えない存在に対して、何らかの尊敬の念というか、畏敬の思いというか、畏怖の念というか、そういうものを所有していた方が力強く生きられるのだ。無神論者の人なら、自殺したい程の出来事がその人の人生という線路上に発生した場合、もう、すぐにでも自殺してしまうだろう。その人の信念を支える土台が、無神論ではヤワだからだ。無に等しい。それは、葬式の時に僧侶に世話になるだけの関係性の、偽仏教徒も同様だ。日本には仏教徒が八千万人いるらしいが、俺にはとても、八千万人の日本人が日々の生活の中で、仏教の教えの戒律を守りながら生活しているようには見えない。それは多分、葬式の時に坊さんに世話になるだけのニセ仏教徒が八千万人いるということなのだろう。しかし、そんな上っ面の表面的な信仰では、人の生きる意味には何の影響も及ぼさないし、支えにもなってはくれないよ。
人の生きる意味というのは、もっと別にあるんだ。そんな、ただの儀式宗教と化した仏教とかではなく、もっと霊的な意味での真の生きる意味というものが、存在するんだ。それは、シルバーバーチの霊訓とかに代表される、スピリチュアリズムというものに掲載されています。つまり、この世に生きている人達が考え出した、勝手な作り話ではなく、既に死んであの世に行っている霊となった人物達が、霊界からこの世に向けて通信を送ってきて、その情報をまとめたのが、スピリチュアリズムというものです。だから、この世、つまり地上に生きていた人間達が勝手に考え出した物事ではない。昔のインド人は、地球は三匹の象が支えており、その三匹の象はでっかい亀みたいなのに乗っているとか、更にそれがでっかい鯨に乗っているとか本気で考えていたらしい。しかし、それは現代では、誤りだと判明している。地球はまん丸です。そんな、宇宙空間に三匹の象なんていないからな。だから、昔の日本人や外国人は、勝手に色々と自分達の望み通りの想像を巡らせていたらしいが、それは勝手な妄想だ。事実でない。しかし、私の推薦する、スピリチュアリズムは、実際に霊界からこの世に向けて送り出されてきた通信の内容なので、真実なのだ。
そう、人の生きる意味は、この世的な観点からのみ思考しては、いつまで経っても不明なままだが、霊界までひっくるめて考えれば、自ずとちゃんとした正しい答えが導き出せるんだ。それは、スピリチュアリズムの、つまり人の生きる意味の詳細は、この生きる意味というサイトのリンク集より辿れる[自殺ダメ]に詳しく記述されているので、是非そちらを閲覧してください。とにかく、自殺したり人生に絶望する前に、ちゃんとした、霊的な意味での人の生きる意味を勉強してくれ。そうすれば、あなたも前向きに生きられるようになるだろう。
人が生きる意味は必ず、スピリチュアリズムを勉強すれば、発見できる。この日本国では、毎日毎時、全国のどこかしらで、首吊り自殺やら飛び降りやら練炭やら硫化水素やら、或いは電車への飛び込みやら一家心中やら、何かしらの手段で、どこかで誰かが自殺している計算だ。しかし、その人達は、この世のことばかりしか考えておらず、自分が死んでから後の自分の境遇というものを全く考慮に入れていない。だから、簡単に自殺に走るのだ。まあ、彼らは霊的な意味での人が生きる意味を微塵も知らないので、死ねば楽になると思い込んでおり、ごく簡単に、些細な理由で自分の命を捨て去るのだ。しかし、自殺者達の死後の運命は、総じて悲惨であり、全員、落胆させられる。なにせ、死ねば無になる、或いは楽になるなどという何の根拠もない楽観論のまま、死後のことなど大して考えもせずに自殺してしまったのだから。生前の思惑とは正反対の結果が待っているんだ。事実は、無になるとか、楽になれるとかいう淡い期待とは裏腹に、とてつもない苦境に立たされることになるのを、自殺志願者達は全く知らない。
この日本には、生きる意味が分からない人で溢れ返っている。物質的には先進国レベルとなり、月給一万円レベルの国々と比較すれば、はるかに多くの良質な物質が手に入る。飢餓の心配も、殆どの人にとり、無いであろう。しかし、みんな霊的な知識が無い故に、生きる意味が分からないまま悶々と日々を過ごしており、途方に暮れている。人は、高級車を買ったり、豪邸に住んだり、高い地位や名誉や権力を入手出来れば、イコール幸せになれる、というものではない。それらを満たして手に入るものは、あくまで他者に対する優越感のみ。いくら金持ちになったとて、本当の意味での生きる意味を知らぬままなのだから、心の片隅では、空しさを感じている部分もあろう。しかし人間は、物質を満たすことにより、その虚無感を無理矢理黙らせようとする。それが一時的な効果しかないと分かっていても。
是非とも、霊的な観点からの生きる意味とは何か?をよく学んで頂きたい。「ああ、生きる意味がない・・」などと嘆いているよりも、あなたはこうして、霊的な知識を得られるサイトに到着したのだから、この際、ちゃんと勉強して頂きたい。このままあなたが何も霊的な知識を得ずに去れば、あなたの生きる意味が分からないことに対する不安はこの先も一向に解消されないまま、悶々として人生を過ごして行くことになる。それは絶対に避けねばならない。人は、生きる上で、芯になる考えが必要だ。何の芯もない、ただ波間を漂うだけのクラゲのような存在では、あなたの身に人生の破局とも言うべき出来事が襲来した時、あなたは頼るモノが何も無く、いとも簡単に自殺を選択するでしょうから。
生きる意味は、インターネット上でも学べるし、また本でも学べる。大きな書店に行けば、宗教書のコーナーの一角に、大概、シルバーバーチの霊訓等のスピリチュアリズム関連の書籍がある筈だから。試しに立ち読みしてみてください。又、その内容は、リンク集より、スピリチュアリズム・ブックスというサイトにて、無料で読めます。あなたの人生観が変わると思います。私の人生観も、人生の初期は無宗教であり、その後キリスト教を学びましたが、どうもしっくりきませんでした。その後、偶然からシルバーバーチの霊訓に出会い、これこそが真実だ!と確信して、今、こうして微力ながら、インターネット上でスピリチュアリズム、いわゆる霊的真理を広めて、生きる意味を知らずに失望してさ迷っている人々、とりわけ自殺志願者を救いたいと、奮闘しているのです。だから、私の生きる意味は、スピリチュアリズムの教えの通りなのです。でも、スピリチュアリズムは別に宗教組織ではないので、献金やお布施をする必要性もないし、誰か特定の人物を教祖様として崇める必要もありません。もしもそんなことを言っているスピリチュアリズムの団体があったとしたら、そいつらはシルバーバーチの霊訓を使って金儲けをしようと企んでいる悪い奴等です。
どうか人間の生きる意味を知って頂きたい。人は動物とは違うんだ。ただ食べて寝て繁殖して死んでのサイクルの繰り返しでは、何の為に生まれてきたのだか分からない。そのレベルで満足するのは、原始人レベルの人であろう。しかし現代は人類の知能は昔よりも大幅に進化し、理性も発達している。500年前の人達とは、もう違うんだ。ありとあらゆる書籍、そしてインターネットの発達により、世界中の思想や情報が手軽に入手可能となった。そう、だから、もう、以前のように、人類はただ日々を暮らすだけでは満足せずに、[なぜ生きるのか?生まれてきた意味とは何か?]を知ろうともがいている人達で溢れている。そう、現代の仕事や暮らしにしても、もう江戸時代のように、単純な生活様式ではなくなってしまった。過去よりもはるかに「生きること」、それ自体が辛いことになってしまった。だから、過労自殺する者も絶えない。生活が昔に比較して構造が複雑になり過ぎた。もう、昔の日本人のように単純には暮らせないんだ。だからこそ、現代人は、物質重視の従来のこの世的な観点での生きる意味を失う一方で、霊的な意味での生きる意味を探している人がどんどん増えているんだ。そう、霊的な意味での知識を得ようと、その人の潜在意識は心の奥底から訴えているんだ。
人生の目的がない人が何十万人も、日本にはいる。仕事が上手く行かず、家庭生活も破綻して、絶望のさ中で、人生の目的を見出せない人が大勢いる。勿論、うつ病を患って、自殺未遂を繰り返す患者も全国に何万人も存在する。リストカットを繰り返す女性も、結局は、自分の存在意義、つまり生きる意味を見出せないからこそ、そのような愚かな自傷行為を繰り返すのだ。又、今現在、自分の人生が順風満帆に事が運んでいる人物であっても、真の生きることの意味を見出せないままであれば、もしもその人の人生に突如として暴風雨が襲ってきたら、たちまち、その人は海の藻屑になる、つまり自殺してしまうだろう。そんな例は、国内でも国外でもいくらでもある。羽振りが良かった人が、自身が経営する会社が傾いて、数ヵ月後には絶望のさ中、首吊り自殺してしまった例など、中小企業の社長で何人も年間に発生しているであろう。それもみんな、生きることの意味を見出せずに、ただ物質ばかり追い求めた結果だ。その人達は霊的知識を微塵も所有していなかったから。
そして、本来であれば率先して人々を救うべき既存の宗教にしても、何のアテにもならない。歴史の古い宗教も、新興宗教も、大方、金儲けが目的の団体に成り下がっている。形骸化した仏教では、最早この国の迷える人々を救うことは出来ないでしょう。現代の仏教は単なる葬式関連の業者になってしまった。単なるサービス業者だ。お経を唱えるだけの業者さんだよ。だから、殆どの人はもう、お坊さんになんか相談しない。江戸時代は、お寺は地域の相談事を色々と聞いていたらしいが、もう現代の僧侶は、面倒な相談事に乗ることよりも、ベンツやBMWの方が好きだとさ。ただの物欲まみれの一般人と変わらないよ。そんな人物が、どうやって、迷える人々を救うことが出来るのか?自分自身でさえ、生きる意味なんてどうせ分かっていないくせに。その他にも、哲学というのも、難解すぎてよく分からない。哲学者というのは知能指数は飛び抜けて高いのだろう。しかし、そいつらが導き出した答えが、果たして迷える人達の救いの灯火となっているのだろうか?そもそも、難解すぎて理解出来ないよ。それに、神の存在を抜きにして、人間だけの存在のみで議論しても、結局は真の霊的な意味での生きる意味は、絶対に見出せないからな。
障害者も、どうか霊的知識を勉強して、生きる意味を知ってくれ。あなたのその五体不満足の欠損した身体も、あなたが死んだ後に肉体を脱して霊体のみになれば、もうどこも悪くなく、欠損もしておらず、失明も治る。とはいえ、だからといって、早く死のうとしてはならないぞ。あくまで、寿命まで精一杯生き抜くべきだから。そういう知識を何も知らぬから、健常者から障害者になってしまった時に絶望して、平気で自殺するのだ。この世の事しか眼中にないから、簡単に命を放り捨てるのだ。
だから、あなたがこのサイトに辿り着いたということは、生きる意味を求めての行動の結果でしょう。[生きる意味]とかの用語で検索せねば、このサイトにはけっして辿り着くことは出来なかっただろうから。だからこそ、これはあなたの人生にとって重要な意義ある導きなのだから、この際、ちゃんと霊的知識を学んで、しっかりと今後の人生を前を向いて歩いて行って頂きたい。それでは、頑張って!あなたの人生を良くするのは、あなた自身なのだから。
『生きる意味』管理人 齋藤健一