将棋の駒などに関する掲示板です。お気軽に投稿してください。
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新書体の開発者
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月16日(日)16時43分37秒
返信・引用
まち駒さん
銘駒図鑑の解釈は彫り銘の事を指すものであると思います。
残念ながら、その花押は「清」の字の花押であり、他に数次郎は安清(花押)、清安(花押)の駒も作っております。ちなみに、清定は信華との婚礼の引き出物として計26組が作られておりますが、今まで見たものは6組で皆秀逸なものばかりでした。
数次郎と信華の結婚は、将棋界の東西融合をも視点に入れたものであり、数次郎にとっては関西の棋界人に対するお披露目としての渾身の作品群であったと思われます。
新書体の開発者
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月16日(日)14時12分45秒
返信・引用
モンキーさん、案山子さん、ご意見ありがとうございます。
案山子さんがご紹介くださったURLから「豊島作・清定(花押)」の駒を拝見しました。その解説中の、「書体名 清定の下に記された文字は花押(かおう)といい豊島の作であることを示します。」との記述は大変興味深いところです。
なぜならば、これは、言外に「豊島数次郎」=「清定」であることを示唆するものであり、「清定」が過去に存在した人物でなく、豊島数次郎自身であったならば、「花押」を入れるのはごく自然であると考えられるからです
ここで、「清定」を「新開発の書体名」として話を進めますと、この書体を開発したのは豊島数次郎であり、開発者本人であるからこそ、花押を入れることが出来たとの解釈も可能です。そこには「清定」は自身が開発した書体であるので、むやみに模倣をしないでほしいという気持ちも込められていた気がします。
「清定」が豊島数次郎の雅号であるのか「駒銘」であるのか、また、駒の世界で「花押」がどの程度厳密な意味で使用されていたかという疑問はさておき、豊島数次郎が「書体名 清定」に花押を入れて、「これは自分自身が書いたものである」とした目的は以上のようなことではないでしょうか。
同様に「源兵衛清安」の書体開発者は「信華」であり、開発者本人(「源兵衛清安」=「信華」)であるからこそ「花押」を入れることが出来たのではないかと推測します。
Re: 源兵衛清安・花押について
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月16日(日)10時36分40秒
返信・引用
>
No.326[元記事へ]
>まち駒さん
>>そもそも花押を本人以外が書くことはないわけですから、源兵衛清安とは、
>>信花の雅号であり、信花こそが、源兵衛清安本人ということではないのでしょうか。
鋭いご指摘だと思います。普通ですと花押しは本人が他者と明確に区別するため
の署名または印章のように使われたもののようです。つまり本人以外に書くわけが
ないのですね。そういう点でこの源兵衛清安花押のマークは源兵衛清安の花押し
だということは間違いないと思います。
そして、信華が源兵衛清安花押と書いた意味ですが、まち駒さんがおっしゃるように
信華自身が源兵衛清安だったという考えと、信華が実見した源兵衛清安花押という
署名を何かの理由で駒尻にそのまま記載した。ということなのだと考えられます。
モンキーさんがおっしゃる「数次郎も清定花押の駒を作っており」という駒は
以下のURLにある駒だと思います。清定または清定書とするところを清定花押と
なっていることも、なにかの理由があったのだと感じます。
数次郎・信華という夫婦は花押しが図案的に好きだったのかもしれません。
http://meikoma.com/moriagezukan.html#toyosimakiyosada
Re: 花押に着目しました
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月16日(日)00時53分7秒
返信・引用
編集済
>
No.328[元記事へ]
まち駒さん
源兵衛清安花押の意味はまち駒さんのご意見通りかと思います。
数次郎も清定花押の駒を作っており、豊島は自分の署名として花押を付けたのではなく、元となった駒書体の作者の花押を入れたのだと考えるのが自然に思います。
ですから、信華も源兵衛清安の駒を持っていたか、実見していたので元駒の花押をそのまま入れたと考えるべきかと思います。
片や、静山は豊島のコピー作者であり、その書体は豊島字母帳から逸脱しませんが、源兵衛清安だけは静山によって完成された書体となっています。
静山も実際に源兵衛清安の駒を見たので、豊島字母帳書体から逸脱してでも本物の源兵衛清安のイメージに忠実に作ったのではと考えられ、私もそのように考えていました。
もし、信華が源兵衛清安と銘を記した年代が明らかになれば、源兵衛清安銘の謎に近づけると思いますが、その年代が判明しておりません。
豊島字母帳と包み紙の筆跡から、信華は豊島工房から駒木地を供給されていた事が、ほぼ判明されましたので信華の源兵衛清安の駒木地を調べればおよその年代が判明するかも知れません。
正確ではありませんが、豊島の駒は時代と共に少しずつ大きくなっている傾向にありますので、大雑把ですが判断が可能かと思います。
そんな意味からも、弘さんの信華の駒を是非実見したいと思います。
それでも、まだまだ信華についても源兵衛清安についても、想像の域を越えず、完全な結論が出せる訳ではありませんが、真実に一歩でも近づけるのではと思います。
謎の美人駒師信華、ロマンですね。
花押に着目しました
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月15日(土)23時18分2秒
返信・引用
こんばんは。
キコリさん、はじめまして。ご意見ありがとうございました。
私は、「花押」に着目しました。これは、花押も署名の一種であることから、「源兵衛清安本人が書きました」と見るのが自然であると考えたからです。駒尻に「○○書」とあるのと、「○○花押」とあるのとでは、その書の重みがぜんぜん違うと感じられました。
RE:源兵衛清安・花押について
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月15日(土)22時12分36秒
返信・引用
まち駒さん はじめまして。
>源兵衛清安とは、信花の雅号であり、信花こそが、源兵衛清安本人ということではないの>でしょうか。
さて、どうなのでしょうか。私は違うと思っております。信華には多くのロマンが秘められております。増田開新堂の娘として生まれ、女流駒師として阪田三吉をはじめとした、関西の棋界人のマドンナとしての時代、数次郎との東西交流の一環としての結婚、離婚後の役者としての一面。そして、なぜ東京に居残り、関西には駒が殆ど残っていないのか?
多くの謎を残した駒たち。どのようにして作られ、どのように販売がされたのか。そして、なぜ源兵衛清安が誕生をしたのか。謎は謎を呼びます^^。
--------------------------------------------------------------------------------
源兵衛清安・花押について
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月15日(土)19時24分26秒
返信・引用
いつも楽しく拝見しています。
弘さんの「信花作、源兵衛清安・花押」の駒について。
そもそも花押を本人以外が書くことはないわけですから、源兵衛清安とは、信花の雅号であり、信花こそが、源兵衛清安本人ということではないのでしょうか。
ついでに
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月15日(土)03時23分24秒
返信・引用
ついでに、竹内淇洲の父伊蔵(確か、どなたかが、その遺品の駒を持っておられましたね)
の明治初期の詰め将棋。
RE:高浜偵の著名
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月15日(土)02時46分22秒
返信・引用
高浜禎、大正5年の詰め将棋、お楽しみあれ。
Re: 高浜 禎氏の著名
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月14日(金)22時49分24秒
返信・引用
>
No.321[元記事へ]
>まち駒さん
はじめまして。ようこそ、いらっしゃいました。
高浜 禎氏の署名と住所の画像アップをありがとうございます。
高浜 禎氏は大阪の西区に住んでいたのですね。
達筆で驚きました。貴重な資料ですね。
またこれからもよろしくお願いいたします。
Re: 高浜 禎氏の著名
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月14日(金)19時53分33秒
返信・引用
>
No.321[元記事へ]
まち駒さんはじめまして。
高浜禎の「萬おぼえ帳」の中にも高浜禎の文字が沢山書かれており、筆跡が良く似ています。
また、高浜禎の持ち家についても書かれていますが、自宅については書かれていませんので、非常に参考となる資料かと思います。
『詰将棋精選』の巻末に添付されていたとの事ですので高浜禎の持ち物かと思います。
あるいは、知人や愛読者などが連絡の為に本人に書いてもらったのかもしれませんね。
珍しい資料を公開して頂き本当にありがとうございます。
将棋の歴史についてはまだまだ解明されておらず、皆さんの資料が一つの点となり、それが沢山集まれば線になり、そして面となります。
大勢の方からこのような資料が集まり、大勢の先輩諸氏の知識や経験が集まればきっと謎は解明されるのではと私は思います。
今後とも是非どんな事でも教えていただければ幸いですのでよろしくお願いします。
ありがとうございます。
高浜 禎氏の署名
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月14日(金)16時09分27秒
返信・引用
編集済
はじめまして。
駒の世界では「萬おぼえ帳」で知られている、高浜 禎氏の署名を紹介します。
この署名は氏の著書である『詰将棋精選』の巻末に添付されていたものです。名前だけではなく、住所も記載されていることから氏自身の所有品であった可能性が高いと推定しています。
円タクの当時の料金
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月14日(金)14時52分1秒
返信・引用
>
No.318[元記事へ]
>キコリさん ばたさん
1円=10,000円くらいということでアドバイスをありがとうございます。
ばたさんの円タクとの比較で興味があったのですこし調べてみました。
円タクとは「一円タクシー」 の略で大正末期から昭和初期にかけて,一円均一で
市内特定地域を走ったタクシー。のことのようです。
時期的にはこの長禄書の領収書の昭和4年にピッタリで参考になると感じました。
そこで円タクの1円の貨幣価値を調べてみました。こういうブログの書き込みが
ありました。
「ところで“円タク”の当時の料金“一円”というのはいま換算すると、幾らぐらい
だったんでしょう」
「換算は難しいけど“円タク”の料金は、月桂冠の特級一升と同じ値段だったという
から、いまならさしずめ3千円位かねぇ・・・・」
http://ameblo.jp/lionman/day-20071001.html
(引用先)
つまり1円=約3000円ということになります。
そこから計算すると長禄書の駒箱付きの小売価格は。
30円=約90000円となります。
当時、豊島工房がいくらくらいで盛上げ駒を売っていたかというのは私は
けっこう興味がわいたので、調べてみました。
(元はモンキーさんが資料をアップしてくれたから思いついたことでしたが)
今の盛上げ駒の相場価格と比較して質の割には非常に安いなというのが実感です。
なお日銀が公開している企業物価戦前基準指数というのがあります。これですと
明治34年からの物価指数が調べられます。ご参考までに。
http://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/11100021.htm/
Re: RE:誰が書いたのか
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月14日(金)12時00分27秒
返信・引用
>
No.318[元記事へ]
案山子さん
字母紙と包み紙を書いた人物は私も太郎吉ではないかと思います。
トミさんが「おじいさんは字母の管理はそれは厳しかった」と言っていますので太郎吉が字母帳を作ったと考えるのが自然ですし、領収書を書いた人物も同じだとしたら太郎吉である可能性が高いですね。
いずれにしても、信華は離婚後には豊島工房の助けを借りて東京で駒作りをしていた事は間違いないようですね。
それに、信華が清安書体の駒を作った頃には良い木地を渡していた事をみると、かなり離婚後の信華を大事にしていたのでしょうね。
太郎吉は関西の坂田三吉や増田芙蓉に対して二人の離婚という結果に対して最大の配慮をしたのでしょう。
信華については、私にはまだ疑問があります、それは弘さんの信華の駒名は源兵衛清安で私の信華は清安ですが、書体は全く同じ字母紙から作られています。
おそらく、名前の違いは製作された年代が違うと思うのですが、源兵衛清安の書体名は静山が昭和25年頃に命名したと考えています。
しかし、信華が同じ書体を「清安」として15年以上作り続け、15年の歳月を経て静山が源兵衛清安と命名したから信華も源兵衛清安としたとは考え難い事です。
むしろ、源兵衛清安の駒名は信華が先に命名して使用していたと考えるのが自然ではないでしょうか。
あるいは豊島工房では「清安」の書体構成は二種類ありましたので、工房内で区別する為に信華に渡した書体を源兵衛あるいは源平と呼んでいたのではないでしょうか。
豊島と奥野はほぼ同じ書体を駒名を変えて作っています、奥野の宗歩好を豊島は清安として作っておりますが、奥野錦旗書体構成の駒も清安として作っており、二種類の清安が存在し混乱の原因なのに豊島は何故この書体を源兵衛清安としなかったのかと疑問を持っています。
もしかしたら、豊島の源兵衛清安の駒が存在するのかも知れませんが、それは私にとって幻の駒であり是非実見したいと思い、できれば手に入れたい駒でもあります。
キコリさん
将棋版の文字解読はよろしくお願いします、それまではキャバクラの件は行ってない事にします、私は口が堅いですから安心してください。(^_-)
キコリさんは牛タンのカレーを飲むのが好きなんですか?
変わってますね、カレーは良く噛んで食べないとダメですよ(^_^)
RE:誰が書いたのか
投稿者:
ばた
投稿日:2012年 9月14日(金)03時14分20秒
返信・引用
昭和初期の30円は、私の認識でも約30万円ですね。円タク(1円タクシー)が1円で都内なら乗り放題だったとか・・。
RE:誰が書いたのか
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月13日(木)21時59分41秒
返信・引用
案山子さん
>ここでみますと、昭和4年当時の白米10kgは2円40銭です。
>現在の白米10kgを5000円とすると、約2500倍です。
>この豊島龍山の長禄が30円ということは現在の貨幣価値に換算すると。
>30円 X 2500 =75000円となります。
実は、私もその昔、豊島作長録書の価値を調べる為、当時の貨幣価値を調べてみたことがあります。その段階では、現在の化成価値に換算して約30万円ではないかと計算上は出ました。
当時は、白米は高級食料品であったと思われます。
モンキーさん
将棋盤の字なのですが、未だに解読が出来ておりません。これは難しい宿題ですね。今しばらく時間をください。なお、私はキャバクラには行きません。w 今は、自分の好きな酒(タンカレーのラングプール)を飲んで楽しんでおります、ヘヘ。、
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月13日(木)21時14分6秒
返信・引用
>
No.311[元記事へ]
>モンキーさん
また貴重な資料と信華清安のアップをありがとうございます。とても参考になりました。
豊島長禄の当時の駒暦書と領収書はとても生々しい記録ですね。
信華清安を拝見すると、これはやはり信華の独特の盛上げなのだと感じました。
類似点を追っていきますと、弘さんの駒もやはり信華本人の盛上げだと思います。
>>この領収書をみると、私には「杢」の字は別人に思えるが、包み紙の「楊」の
>>字と領収書の「物」の字が同一人物の筆跡に思えます。
「楊」の字と領収書の「物」の字を拡大してみました。画像をアップします。
また似ていると思われる包み紙の「目」の字と領収書の「円」の字を拡大してみました。
私の筆跡鑑定ではなく筆跡感想としては、この2つの類似性から同一人物と思い
ました。特に「目」と「円」の一画目と二画目が作り出す角度と筆癖は同じ人が書いた
ものとしか私には思えません。
そして領収書を書いた人物と字母帳の書体名を書いた人物も同じということになると
かなりの確率で豊島太郎吉が書いたものだと推測されると思います。
昭和4年というと数次郎はまだ24歳くらいでしょう。その若さではこの手慣れた
領収書を書くのは無理ではないかと思うからです。木地の仕入れ、駒の営業
宣伝・販売・支払い・集金については豊島太郎吉商店の代表・太郎吉が全て
やっていたのではないでしょうか。
そういうことから考えますと、モンキーさんが奇跡的に発見された「商品説明書
でもある包み紙」は太郎吉が書いたことになると私は思います。
それがどういうことなのかはこれから楽しい話題になりそうですね。
この駒箱がおまけでついた「豊島長禄」が当時30円だったということで
今の貨幣価値に換算するといくらくらいなのか私なりに調べてみました。
明治~平成 貨幣年表
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J064.htm
ここでみますと、昭和4年当時の白米10kgは2円40銭です。
現在の白米10kgを5000円とすると、約2500倍です。
この豊島龍山の長禄が30円ということは現在の貨幣価値に換算すると。
。
30円 X 2500 =75000円となります。
当時は今よりも盛上げ駒が相対的に安かったのだと思われます。
この領収書は個人に発行されていて、つまり小売価格でしょうから
盤駒店への卸価格となると、4万~5万円くらいだったのかもしれません。
今もし75000円で豊島長禄が買えるのなら、飛ぶように売れるでしょうね。
Re: RE:誰が書いたの
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月13日(木)13時43分30秒
返信・引用
編集済
>
No.314[元記事へ]
キコリさん
> (アトハヒミツ^^)
えっ!もう一通あったんですか?
僕が盗みに入った時は他にはキャバクラの領収書しか無かったけどな・・・・・・(^o^)
駒暦書の訳ありがとうございます、昔の人の文字は達筆すぎで私には読めませんでした。
昔の人は普通に読めたのでしょうね。
元禄四方木口将棋盤の脚の文字も忘れずに読み解いてください。
私には「名代カム兵」か「名代久兵」と欲目で読めるのですが、本当の読み方を知りたいものです、是非なんとかお願いします。
弘さん
弘さんの信華の駒木地は杢も深く濃く良い木地で半端な木地では無く思います。
もし数次郎がこの駒木地で駒を作ったら信華よりかなり高額で売れるだろうに何故だろうと思います。
いったい信華は何処から木地を仕入れたのだろうかと疑問に思い、又、信華の多くは薩摩黄楊ですので杢目の入った駒は珍しく、弘さんの木地と同様なら良いな、とついつい入札してしまいました。
信華の駒の中には数次郎が作った駒も存在するとは思いますが、いつも内心期待しながら求めるのですが残念ながら私には運がないようで、今回の信華の駒も数次郎の作品ではありません。
もし、弘さんが静岡に来られるなら私のコレクションを比較してご覧いただける様準備します。
そろそろ、二回目のオフラインミーティングの話も出る頃ですので、その時にご希望があればお持ちします、逆に弘さんの信華の駒は是非見たいと思いますので、今からオファーしますのでよろしくお願いします。
そうそう、今回の信華の清安の程度は、漆の欠けはありませんが、使用している為の漆の減りが見られます、特に銀の裏が一番減っていますので画像で確認できると思います、また、画像では判断出来ないと思いますが、王将の一画目の漆が他に比べて妙に薄いです。
他には特に欠点は見られません、むしろ全体的には良い駒かと自分では思いますが、弘さんの駒の方がずっと良い駒ですよ。
RE:誰が書いたの
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月12日(水)23時34分16秒
返信・引用
編集済
それは、・・・でしょう^^
さて、長録の駒歴書ですが、こんなところでは
ーーーーーーーーーーーーー
長録駒歴
昭和5年寺内上京の際良駒
買方依頼仰ぎ下谷一沿一日
探しようやく目的豊島太郎
吉翁私有のもの譲受けかな
いまして
御品支払い代金三十円
(アトハヒミツ^^)
ーーーーーーーーーーーーー
ところで、この駒歴書と、仮領収書どうしたの?モンキーさん?これも
我が工房にあったもんだけど。。。
なんてネ^^。もう一個、駒歴書あるんだけどな~w。
>キコリさんの浮気現場写真もあるかもよ(^o^)
ん?それは一度見てみたい。。。相手は信華?
http://
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
弘
投稿日:2012年 9月12日(水)21時29分34秒
返信・引用
>
No.311[元記事へ]
>モンキーさんへ
信華の画像アップ、ありがとうございます
この駒、すなおに、すごくいいですねー。古駒ですがウルシの飛び等は無いんでしょうか?
現物見たいですね
作者は、やっぱり信華ですか?数さんではないですか?
>包み紙の文字は、上~清安まで一気に書いたように見えますが、どうですか?
数さん、または太郎さんの字と思いたいですね。
> 今回の信華は弘さんの駒の印象が強すぎて・・・・・・・・・つい
> 冷静に考えれば信華の清安は既に持っていますので必要ではありませんでしたね。(;_;)
> でも、出品画像では包み紙の存在はありませんでしたが、きっと、この包み紙が僕を捜していたのだと思います。それに駒だって信華作品の中では、弘さんの駒には及びませんが良い駒でしたので・・・・つい
>
> この駒の信華の画像をアップします、数十年は手入れがされていなかったので空拭きし、最後の仕上げにイボタ蝋が付いた布で拭きました。
> この作品も私には数次郎の手によるものとは思えませんが、木地は豊島工房の木地で、昭和の初期頃(10年以前)の木地と思われます。
>
> さて、信華作品について、この包み紙が核心的証拠になりえると思いますが、誰が書いたのかを追求できれば真実に迫れるとのではないでしょうか。
> そこで、先日キコリさんの長禄書の画像をアップしましたが、実は、この駒の駒暦書と領収書が何故か気付いたら私の所に残っております。(^_^)キコリさんの浮気現場写真もあるかもよ(^o^)
> 駒暦書は豊島が書いた物ではありませんが、領収書はこの駒の持ち主である太郎吉が書いた物と思われます。
> この領収書をみると、私には「杢」の字は別人に思えるが、包み紙の「楊」の字と領収書の「物」の字が同一人物の筆跡に思えます。
> しかし、正直私には筆跡鑑定は十分に自信を持って判断できませんが、もし太郎吉だったら・・・・・
> 離婚後に信華の面倒(駒の販売)は数次郎ではなく、太郎吉が密かに影になり心配してやったのでは?
>
> 少なくとも、豊島字母帳の作者と包み紙は同一人物と考えて良さそうですね。
>
>
>
>
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月12日(水)14時34分31秒
返信・引用
編集済
>
No.311[元記事へ]
追加
包み紙の「上杢目」の字と「黄楊 清安」の字の墨の濃さや筆圧が違いませんか?
信華の工房に木地を持ち込んだ時には包み紙には「上杢目」とだけ書かれていた。
信華が仕上て同じ紙に包んだ、そして太郎吉が受け取り「黄楊 清安」と書き加えた。
と考えるのは変でしょうか?
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月12日(水)13時01分40秒
返信・引用
編集済
>
No.310[元記事へ]
今回の信華は弘さんの駒の印象が強すぎて・・・・・・・・・つい
冷静に考えれば信華の清安は既に持っていますので必要ではありませんでしたね。(;_;)
でも、出品画像では包み紙の存在はありませんでしたが、きっと、この包み紙が僕を捜していたのだと思います。それに駒だって信華作品の中では、弘さんの駒には及びませんが良い駒でしたので・・・・つい
この駒の信華の画像をアップします、数十年は手入れがされていなかったので空拭きし、最後の仕上げにイボタ蝋が付いた布で拭きました。
この作品も私には数次郎の手によるものとは思えませんが、木地は豊島工房の木地で、昭和の初期頃(10年以前)の木地と思われます。
さて、信華作品について、この包み紙が核心的証拠になりえると思いますが、誰が書いたのかを追求できれば真実に迫れるとのではないでしょうか。
そこで、先日キコリさんの長禄書の画像をアップしましたが、実は、この駒の駒暦書と領収書が何故か気付いたら私の所に残っております。(^_^)キコリさんの浮気現場写真もあるかもよ(^o^)
駒暦書は豊島が書いた物ではありませんが、領収書はこの駒の持ち主である太郎吉が書いた物と思われます。
この領収書をみると、私には「杢」の字は別人に思えるが、包み紙の「楊」の字と領収書の「物」の字が同一人物の筆跡に思えます。
しかし、正直私には筆跡鑑定は十分に自信を持って判断できませんが、もし太郎吉だったら・・・・・
離婚後に信華の面倒(駒の販売)は数次郎ではなく、太郎吉が密かに影になり心配してやったのでは?
少なくとも、豊島字母帳の作者と包み紙は同一人物と考えて良さそうですね。
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月12日(水)08時53分50秒
返信・引用
編集済
>
No.308[元記事へ]
>モンキーさん
矢継ぎ早に珍品というか稀少品のゲットをおめでとうございます。
駒もきっと素晴らしいのでしょうが、このメモ書きは資料として非常に貴重ですね。
このメモは商品説明なのでしょうが数次郎がまさしく書いたのだと感じました。
豊島字母帳の書体名の筆跡と同じにみえます。
そうなりますとこの信華銘の駒は豊島工房が制作したことになると思います。
銘を入れたのは信華自身か数次郎か・・・興味深いですね。
ぜひ拝見したいと思います。
原田八段の駒に関するエッセーもほのぼのとしていていいですね。
出征するときに駒を持ち、軍隊生活でも将棋を指していたというのはさすがです。
Re: 誰が書いたのか?
投稿者:
弘
投稿日:2012年 9月11日(火)22時36分23秒
返信・引用
>
No.308[元記事へ]
>モンキさん
え。この書、まさか・・しんさんでは?ほんとうかいな、楽しいですね
なんでも手に入るんですね。江戸の盤といい。この駒といい。恐れ入ります
しかし信華の清安は既に持っていたんじゃないですか?
ところで駒の状態はどうですか?よろしければアップの写真を見せて下さい
> 弘さんの信華の駒の木地が素晴らしくて羨ましいと思っていました。
> 不思議な事に、欲しいな・・・・・と思っていると何故かチャンスがやってきます。
> 先週のオークションで信華の清安の駒が出品されていましたが、弘さんの駒が脳裏に宿っていましたので、ついつい落としてしまいました。
> 今日、商品が到着しましたら、何と駒箱の底に駒を包んだと思われる和紙と昭和57年の新聞の切ぬきが入っており、包み紙には「上 杢目黄楊 清安」と書かれておりました。
> エッ!この筆跡は! ??????????
>
> ついでに、新聞も面白いですよ
誰が書いたのか?
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月11日(火)20時59分21秒
返信・引用
編集済
弘さんの信華の駒の木地が素晴らしくて羨ましいと思っていました。
不思議な事に、欲しいな・・・・・と思っていると何故かチャンスがやってきます。
先週のオークションで信華の清安の駒が出品されていましたが、弘さんの駒が脳裏に宿っていましたので、ついつい落としてしまいました。
今日、商品が到着しましたら、何と駒箱の底に駒を包んだと思われる和紙と昭和57年の新聞の切ぬきが入っており、包み紙には「上 杢目黄楊 清安」と書かれておりました。
エッ!この筆跡は! ??????????
ついでに、新聞も面白いですよ
今週号(9/17)のAERAの特集
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月10日(月)13時31分41秒
返信・引用
今週号(9/17)のAERAに「天才たちの脳内パネル」(羽生の頭の中で将棋盤はどう
再現されているのか)という特集がありました。羽生さんは4分割の盤面が高速
スライドしているそうです。対して渡辺竜王は・・・・・
プロ棋士11人の例が出ていて興味深い特集でした。
>モンキーさん
モンキーさん好みの大珍品のゲット、おめでとうございます。
「盤が僕を探していた」というフレーズは流行語大賞になりそうです。
キコリさんの「この盤は【元禄四方木口笹目杢】の盤で、脚のフケから見まして、
元禄時代の趣向品で魔除け盤として作られた四方木口の盤に、ほぼ間違いはない」
というお墨付きがついて、これでもう安心ですね。羨ましい掘り出し物です。
所蔵印は私も「佐藤蔵」と読めました。
>弘さん
今回の信華作、源兵衛清安の画像は先回に比べて漆の状態もよくわかりますね。
素晴らしい盛上げ駒だとさらに実感できました。
駒のバックですが、風呂敷や将棋盤やお盆やお皿なんかもよいかもしれません。
無地でなくてもよいような気がします。この辺はもう好みの問題なのでしょうね。
瓢箪から駒
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月10日(月)02時21分59秒
返信・引用
編集済
キコリさん
瓢箪から駒ではなく盤が出たかも知れませんね。
実はネ盗奥でキコリさんの家の前で・・・・・・・・・・(@_@)
じゃない、ネットオークションです、皆さんも毎週オークションはチェックしていると思います、私も何気なくチェックしていると古い総箱が、私に見てくれと訴えるので目に留まったんです。
よく見ると、四方木口の盤は珍しく、しかも脚の形も江戸期と思われる形でしたので、もしやと思ったのです。
キコリさんの説明では元禄時代以降は四方木口の盤は作っていないとの事なので、本当に掘り出し物かも知れませんね。
しかも、この榧材が千年榧とのお話で驚きましたが、確かに木目の間隔が狭く絹柾とも言える木目の細かさで1ミリに5本の年輪部分もあり、現在の榧材ではあまり見た事もありません。
珍品である事は確かだと思いますが、資料としても調べる必要がありそうです。
私一人では盤に対する知識も歴史も詳しくないので是非教えてください。
僕が盤を探したのではなく、盤が僕を探していたみたいですよ。(^_^)
弘さん、写真は前回より上手に撮れています。
もし、私がアドバイス出来るとしたら、背景となるバックの材質や色くらいでしょうか。
私の場合スエード生地の濃紫色を使用しています、駒の平箱に使われている生地ですが、できるだけ濃い色が良いようです。
ライトは60W程度の物を前方の上から3箇所、蛍光灯と電球で色を調整して、さらにフラッシュを使用しています、太陽光は遮断しています。
参考になるか分かりませんが、私の場合は自己流ですのであまり当てにはなりません。
しかも、私のデジカメは3万円程度のバカチョンカメラですが全自動なのでカメラが勝手に調整しているようです。
RE:暑さ寒さも彼岸まで
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月 9日(日)19時30分10秒
返信・引用
編集済
モンキーさん
>あの画像を私が持っているとは、知らなかったでしょう。
>他にも数点ありますが、それは秘密です(^_^)
う~ん、実は工房で盗難がありまして~、そうだったのか。。。モンキーさんが関与されているとは(大笑)。
冗談はともかくとしまして、この盤は【元禄四方木口笹目杢】の盤で、脚のフケから見まして、元禄時代の趣向品で魔除け盤として作られた四方木口の盤に、ほぼ間違いはないでしょう。しかし、このような品をよく見つけますですね~。
碁盤の四方木口盤はよくありますが、将棋盤では非常にめずらしく、我が工房にも一面ありましたが、それは「盗難」にあっております。それ以外では実は見ておりませんし、この木は相当な年数の木の根のふくらみから、逆方向へ木取っておりますね。ですので笹目杢が出ているのでしょう。想像をするに「千年木」であると思われます。当時には、このような木が存在をしており、木撮りが可能であったのでしょうが、現在では不可能な話です。
判は所有者のものと思われますが、墨で書かれているものは残念ながら良く分かりません。
ひょっとしますと「御将棋盤」であるかも知れませんね。判の篆書は中国様式で、三文字ではないでしょうか。最初の字が、「人辺」に下は「工」ですが、上は読めません。2番めは草冠で「藤」に近いのですが、「荻」の可能性もあり、最後の文字は縦長に「蔵」であると思います。(私の勘では「佐藤蔵」と読めます。)
ともかく、我が工房で盗難にあった物でない事は確かですが(笑)、珍品であり、独立行政法人日本文化財機構で一度見てもらい、内容を調べて頂くことをお勧めいたします。
Re: 暑さ寒さも彼岸まで
投稿者:
弘
投稿日:2012年 9月 9日(日)14時15分35秒
返信・引用
>
No.303[元記事へ]
>モンキーさん
江戸期の将棋盤
脚の文字、一般的には作者名でしょうが、楽しいですね、
また、蓋に添付されている紙の字は商店名でしょうかね?
江戸時代にいるような、夢が見れますね。
>以前掲載しました、信華作、源兵衛清安の別画を作成しましたので御覧下さい
ライトを当て、別角度から撮りました。
写真は素人ですので上手く撮れているか、モンキーさんの目にかなうかどうか分かりませんが。
また、もっと上手く撮る方法があれば教えて下さい
> キコリさんどうもです。
> あの画像を私が持っているとは、知らなかったでしょう。
> 他にも数点ありますが、それは秘密です(^_^)
>
> さて、例の将棋盤の画像をこの掲示板に送ろうと思いましたが、枚数が多いので下記のURLで見れるようにしました。
> ホーページからはリンクしていませんから下記urlをクリックして下さい。
>
>
http://www.geocities.jp/monkey007no1/koda/kigu/hirai/shyogi-edo/hiyoji.html
>
>
Re: 暑さ寒さも彼岸まで
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月 9日(日)13時37分43秒
返信・引用
>
No.302[元記事へ]
キコリさんどうもです。
あの画像を私が持っているとは、知らなかったでしょう。
他にも数点ありますが、それは秘密です(^_^)
さて、例の将棋盤の画像をこの掲示板に送ろうと思いましたが、枚数が多いので下記のURLで見れるようにしました。
ホーページからはリンクしていませんから下記urlをクリックして下さい。
http://www.geocities.jp/monkey007no1/koda/kigu/hirai/shyogi-edo/hiyoji.html
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