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Re: すっかり秋の気配ですね
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月29日(土)10時16分3秒
返信・引用
編集済
>
No.422[元記事へ]
おはようございます。
>
> 新規に三組の坂田好を用意したが、実際には三代目安清書以外の駒を使ったようですね。
> 詳細はまち駒さんにお答えをお願いします。
> ついでに、何故三組の坂田好を新規に用意する必要があったのでしょうか?
> 全部で三局とか三箇所で行われたとかで、記念の贈呈用に三組必要だったとか?
まず、「実際には三代目安清書以外の駒を使った」点について。「天竜寺」での「1937年(昭和12年)花田長太郎八段との対局」の盤面上部からの写真がありますので、ご覧ください。盤上だけを接写した写真も撮ってみました。この画像から「三代目安清書」ではないように思います。
次に、「何故三組の坂田好を新規に用意する必要があったのか」という疑問について。現在のタイトル戦のように、複数組の駒が用意され、前日に対局者が検分して、そのうちの一組が使われたと見るのがひとつです。
しかし、調べたところ、モンキーさんの推測のひとつである「全部で三局予定されていた」との考えも有力に思えました。
木村義雄著『将棋一代』に次のようにあります。
「無事終局となり、お蔭で私が勝利を得た。 最初は二局の予定であったが、途中から変更されて、一局は花田氏が指すことになったので、私はそのまゝ帰京した。」
「1936年(昭和11年)12月24日の読売新聞の記事」から、この時点で花田八段が指すことは決まっていたようです。
「途中から変更された」とされる時期が、新聞発表以前なら、最初から二局です。「南禅寺」での対局中に変更されたのならば、木村氏が二局、花田氏が一局の計三局が予定されていたと読めます。「私はそのまゝ帰京した。」という木村氏の文から「この後もう一局続けて対局する予定だったが」とも読めるのですが、私には判断できませんでした。
写真は、舳松歴史資料館編『反骨の棋士 阪田三吉 -その栄光と苦難の道-』より。
REすっかり秋の気配ですね
投稿者:
ばた
投稿日:2012年 9月29日(土)07時07分36秒
返信・引用
案山子さん
「ニヤニヤ」してます。
案山子さんって、「ホスト」ですね~。(←別の意味で)
ばた=謎の駒師。ご冗談でしょ、あの駒は、10数年前、銘駒にはまりだした時に、なんでこんなに高いの?駒って!と言う、貧乏人の悲哀がもとで、「いっちょ作ってみる?」と、全くの素人考えから作った駒です。
当時、駒研の北田さんに連絡し、「虎斑!の駒木地ください」とお願いすると、初めてなら練習が必要なので、練習用の木地をあげる!と、タダでくれました。もちろん、彫るための道具類は買いましたが。で、2個ほど試しに彫って北田さんに見せたら「あんた、筋がいい」なんて、お世辞言われ、彫ったのがあの駒です。
漆を入れる前に再度見せに行ったのですが、私とは別で先に始めた人が3作目?だか、持って来てたんです。で、その人が私の彫りを見て、「うわーうまい!」っとまた褒めてくれて、北田さんも「これは彫り埋め、盛り上げ」にしたいくらいだ!と。
私は最初から、具体的な彫り方を聞かずに、勝手に彫ったのですが、実は綺麗に彫れたのには北田さんの何気ない一言があったからです。
その一言を聞いた時、何も彫っていない私が、「絶対うまくいく!」と確信しました。それさえ忘れなければ、絶対にと。
さて、その一言ってなんでしょう?
ホントは人に教えたくないんですが。
あと、
自分でやって分かったのが、「駒って安い」と言う事でした。
ホントに、一組彫るのは「大変ですね」。
でも私が作る駒の話を詳細まで、まともに、「重鎮が集う」こんなところでしたら「ホントに怒られますよ」。印刀は一回も研がずに、しかも、先端は折れたまま彫りました。それに・・・やめますね。
モンキーさん
漆は素人って、私も全くの素人です。って言うか「適当な人間ですから」適当ですよ。
越前漆の里と言う、半分観光客相手のところがあるんですが、そこに行って職員の人と話していたら、漆器の会社を紹介してくれて、そこの若社長と半日談笑。
その後、漆器の伝統工芸士の爺さんが「うちにおいで!」と言う事で、その爺さんの自宅に上がり込み、談笑。
その後、自分でもやってみようかな?と言うことで、生漆を買って「拭き漆」に挑戦→撃沈されました。
自作の棋具類を人に見せたのは「生涯初」です。たまたま話題が清安だから載せたのですが・・・。
Re: すっかり秋の気配ですね
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月29日(土)02時00分55秒
返信・引用
編集済
>
No.421[元記事へ]
案山子さん
> 非常に単純な疑問なのですが、漆に穴のあいた状態の駒をプロの駒師が
> どんな事情があったとしても出荷するでしょうか?
現実に存在する駒がその答えだと思います。
普通では有り得ない事だと思います、それでも表に出てしまった、そんな事情があったと思います。
ピンホールの後を印刀で削って目立たなくする荒技を使ってもです。
後年に誰かが印刀で削った可能性が無くもないのですが、後年にあんな事する人はド素人としか思えません、しかし印刀の腕は確かな人です。
普通なら漆を加える方法で治すか、一旦削って盛上げ直すと思いますが、再び乾燥するその時間(日数)の余裕が無かったのでしょう。
> 特に阪田復帰を記念するという大きな対局で使われることがわかっていたはずです。
> どうしても最初はその駒でないといけないということであったとしても、事情を話して
> 別の駒を使ってもらうようにしたのではないでしょうか?
> 「坂田好」ではない駒でも、読売主催の対局はよかったのではないかと感じます。
新規に三組の坂田好を用意したが、実際には三代目安清書以外の駒を使ったようですね。
詳細はまち駒さんにお答えをお願いします。
ついでに、何故三組の坂田好を新規に用意する必要があったのでしょうか?
全部で三局とか三箇所で行われたとかで、記念の贈呈用に三組必要だったとか?
> またもう一つの可能性として、この駒も駒師のところから出荷された時には
> ピンホールはあいていなくて、出荷後の湿度や温度変化や何かの原因で
> 数ヵ月後、数年後に穴があいてしまったのではないかなと感じました。
> 私は駒の制作にまったくの素人なのであくまで推測ですが。
私も漆は素人なので、ばたさんやキコリさんに詳しい話をお願いしたいのですが。
一応私の予想では、漆が完全硬化後に高温環境下に置かれた場合、塗膜の気泡は多分塗膜の割れ、あるいは剥離となると思います。
漆が溶ける程の高温環境下ならピンホールが出るかも知れません、しかし、その前に木地が燃えると思いますが、いかがでしょうか。
すっかり秋の気配ですね
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月28日(金)23時36分40秒
返信・引用
>ケン坊さん
>>今年度から取り組んでいる、先人達が残した銘駒の再現を試みています。
銘駒の再現ですか。それは興味深い試みですね。
その成果が雅峰作。戌辰秋無剣逸人書・彫駒なのですね。
凄く男らしい堂々とした迫力の駒ですね。指してみたいと感じました。
ケン坊さんの駒への情熱を再認識いたしました。
今後の試みも完成しましたらぜひまた教えてください。
>ばたさん
あの清安書はばたさんが作ったのですか。驚きました。
売っていただきたいくらい素晴らしい駒に感じました。
ばたさんは、謎の駒師さんなのでしょうか?
それとも趣味でこれだけの駒を作っているのでしょうか?
>モンキーさん
おっしゃるとおり、言葉、文字だけでのやり取りというのは誤解をどうしても生みやすい
と思います。顔を合わせて話せばなんでもないようなことでも文字でやり取りすると
どうもきつくなってしまうような感じがしますね。私も気をつけるようにします。
>>普通ならば、盛り上げ直しをしてもう一度乾燥し直すべき処、納期が間に
>>合わず、止む得ずピンホールを印刀で削って修正して出荷した。
非常に単純な疑問なのですが、漆に穴のあいた状態の駒をプロの駒師が
どんな事情があったとしても出荷するでしょうか?
特に阪田復帰を記念するという大きな対局で使われることがわかっていたはずです。
どうしても最初はその駒でないといけないということであったとしても、事情を話して
別の駒を使ってもらうようにしたのではないでしょうか?
「坂田好」ではない駒でも、読売主催の対局はよかったのではないかと感じます。
またもう一つの可能性として、この駒も駒師のところから出荷された時には
ピンホールはあいていなくて、出荷後の湿度や温度変化や何かの原因で
数ヵ月後、数年後に穴があいてしまったのではないかなと感じました。
私は駒の制作にまったくの素人なのであくまで推測ですが。
猿の独り言
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月28日(金)21時21分55秒
返信・引用
今回、の議論で反省しなければならない事は、言葉の問題で受け止める相手によって受け止め方が違う事です。
信華が「三代目安清」であると言った事は、推論で正解確率は2%以下くらいのものです。
「三代目安清書・坂田好」の駒は95%以上の確率で、昭和12年の「読売『大棋戦』」で用意された三組の内の一組だと私自身は今も思っています。
もちろん、この事は100%確定した事ではありません、新たな証拠や資料が出てくれば95%から40%あるいは0%に落ちる事もありえます。
確かに「断定」の言葉を私としては確信があると言う意味で使用しましたが、不用意で軽率であったですね。
今回は数字で表しましたが、この数字も私の頭の中で勝手に計算した数字で、基準もいい加減ですので細かいツッコミは勘弁して下さい。
さて、キコリさんが
「まち駒さんの意見を基に昭和11年暮れから急遽作成をして2月初旬に間見合うことが出来るのかとなれば、駒作りの期間を無視されていますね。暮れに、製作が決まり字母の選定をして盛り上げ駒を作り、2月に大事な対極へ使うことなどは不可能です。特に、冬場の漆乾燥時間が長く、ムロを使用していない豊島駒は、少なくとも3ヶ月は大局に使用など出来ません。また、漆の状態を見ますと、非常に短期間に硬化をしていることが何箇所からか分かります。」
と述べていますが、当にその通りで、どうしても冬場に作らなければならず、納期も決まっている状況で、普段、数次郎は行わない漆の乾燥、例えば電球で温めるなどの工夫をしなければならず、慣れない漆の乾燥でピンホールが出てしまった。
普通ならば、盛り上げ直しをしてもう一度乾燥し直すべき処、納期が間に合わず、止む得ずピンホールを印刀で削って修正して出荷した。
丁度そんな状況下で作られた駒で、本当に本当に普通では有り得ない特殊な痕跡を残す駒です。
どうして天才の数次郎がピンホールを出したのか疑問に思っていましたが、キコリさんの意見のおかげで納得できました。
冬場に無理やり強制乾燥をしたので、ピンホールが出来たと思えます。
木樵さん、猿が一匹で勝手な事言ってますよ、早く何とかして下さい(^_^)
無剣書の盛上駒
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月28日(金)07時40分34秒
返信・引用
編集済
今回、戌辰秋無剣逸人書・盛上駒を紹介致しました。
私が、今年度から取り組んでいる、先人達が残した銘駒の再現を試みています。
製作に当たって先ず、優れた駒師の選定でした。私が最終的に選んでのが、東京の巨匠駒師・平田雅峰氏でした。
過去の作品、駒作りの心構え、常に、完璧な駒作りをめざし、職人気質で精魂込めて製作されているその職人気質にわたしは惚れました。職人らしい職人と言っても過言ではないでしょう。
見事な出来栄えに大満足です。皆さん如何でしょうか。なお、雅峰作。戌辰秋無剣逸人書・彫駒は、トウシン銘品館に投稿していますので、参照して下さい。
私、家事都合のためしばらく休止いたします。
参考
すでに、4~5年前に、天童の天才駒師・児玉氏、数年前に、水無瀬兼成と水無瀬兼俊の原型に基づいた駒を、見事に再現されました。後世に残す名作です。
キコリさん
投稿者:
ばた
投稿日:2012年 9月28日(金)06時15分20秒
返信・引用
皆さんの言うとおりですよ~。
キコリさん、書き込んでくださいよ~。
っま、私も「毎日書き込むのは大変」だと思いますし、また、書く内容も難しい事を年次も間違えないよう・・・なので、しばらく休むのは必要かと。
皆さん同様だと思うのですが、誰かが「誤解を招くような」表現、表記をしたとしても、それを「そのまんま」捉えるかどうか?は、結構な精度で「これっておかしいよな~」とか、「ちょっと強引かも・・」とか、感じていると思うんです。
もちろん、史実との整合性があったとしてもです。
モンキーさんだって、駒への情熱、財力、行動力、努力に探究心があっての事。
で、このやり取りがあって、初めて我々(外野)は、「ほ~っ!」「へ~っ!」っと展開を追う事で、奥深い歴史を垣間見れます。
また、ケン坊さんの指摘されたように、誰か(私ですが)のように、いい加減な配慮のない表記を真に受けると言うか、言葉の一人歩きもあると思います。
これは開き直ってる訳じゃないんですが、そういうのは100%排除できないと思うんです。で、結局は可能な限り「自助努力」で精査し、なるべくそうならないように務めるしかない。それでも、私のような「KY」(空気読めない)のはいるし、今回のような事もある。
正直、モンキーさんやそこに援護する資料の書き込みをされている内容をある程度ちゃんと理解し、頭に入れるのは「読むだけで大変です」。でも、この事で、「あ!キコリさんとモンキーさんが喧嘩した「三代目安清」ね!」っと、覚えの悪い私の頭にも定着しました。
かのフーテンの寅さんもよく、「誰がこんな所に帰ってくるか!」と言いながら、帰ってくる。江戸っ子ってそうですよね!
蛇足
キコリさんのような温情派の重鎮がいないと、私は速攻で「ほかされます」から。
蛇足②
あ!もう皆さん忘れていると思いますが、私が掲載した清安書ですが・・・ロボさん正解!!私作です~
キコリさん
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月27日(木)16時11分35秒
返信・引用
キコリさん
キコリさんの言わんとする事は理解しました。
もうこの件についてはお終いにしましょう。
今も昔も私はキコリさんへの敬意の気持ちに変わりありません。
キコリさんが、一日も早くこの掲示板に戻って来てくれる事を誰よりも望んでいます。
それに、お山の猿を戒めるのは木樵の仕事ですよ。(^_^)
気が向いたら、ひょっこり書き込みして下さいね、お待ちしています
「三代目安清書・坂田好」の駒
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月27日(木)10時23分52秒
返信・引用
編集済
皆さんおはよう御座います。
長い日数をかけて頂いて「三代目安清書・坂田好」の駒の貴重なご意見有難う御座いました。心から感謝しています。
さて、「三代目安清書・坂田好」の駒の提案者として、一言申し上げさせて頂きます。
皆さん知識の結集により、これ程、豊富な情報や参考資料(古棋書)等の教えを頂き、心余る思いです。
これからは、皆さんのご意見を踏まえて「三代目安清書・坂田好」の経緯を追求していくこてが私の責務だと感じています。いづれその成果を発表させて頂きます。
終わりに、「駒の板」に投稿されている皆さん,駒の知識のレベルの高いことに驚いています。また、駒に対して意欲的であること。毎日、拝読するのを楽しみにしています。、
「駒の板」の良さは、フリートーキングの場ですので、自分の言いたい事を赤裸々に発言が出来ることなんです。時には、誤ったことや、暴言を発することあるでしょう。それも一つの意見として聞いてあげる。要するに、みんながいきあい合いに楽しく、面白く接することだと思っています。
もうひとつわたしが大事にしていることは、いろんな人の出会いに意義を感じています。
これからも「駒の板」を通じてお互いに楽しみましよう。
キコリさんへ
以前、提案致しました。
1、龍山作・関根名人書の盛上駒(根杢)。私蔵。(写真挿入に失敗)
2、龍山作・源兵衛清安書の盛上駒(虎杢)。私蔵。
3、龍山作・菱湖書の盛上駒。元私蔵。について、貴方の豊富な知識で、是非、ご意見を頂戴したいのです。何卒よろしくお願い致します。
Re: ありがとうございました
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月27日(木)10時08分10秒
返信・引用
>
No.414[元記事へ]
>キコリさん モンキーさん
意外な展開を昨夜遅くに拝読して驚いております。
なんとか歩み寄っていただいて
また有意義なお話をお聞かせ願えれば幸いです。
キコリさんの長い経験と豊かな知識からのお話は
後進である我々にとって非常に貴重なものであります。
どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月26日(水)23時30分49秒
返信・引用
編集済
モンキーさん 私は、相当に言葉を抑えているつもりです。
一人の誤解による【断定】が他の方の理解の方向を変えてしまうことは困るからです。
>キコリさんも「あくまでも写真上からでも大正末期から昭和初期の作としか言えません」
>も限定している言葉として受け止められかねませんので、お互いに気を使いましょう.
なるほど、それは経験の差とだけ申し上げます。私が、断定をしているというのであれば、私はここへくる必要性を見出せなくなりましたので、もうくる必要は無いでしょう。どうぞ、勝手に【断定】を繰り返されていればよろしいかと存じます。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私も木工・金属などの工作の経験者であり、現在でも私の趣味の工作部屋では、丸ノコ、糸ノコ、ベルトソー、ボール盤、旋盤、フライス盤、ベルトサンダー等の工具は現役です、駒木地を正確に大量に作る為の冶具作りから生産まで自信あります。
もちろん、大正時代の道具たてでノコやカンナだけで作る場合に用いる工具や冶具を作る事にも、改良する事にも自信はあります。
私の知恵が足りなければ、友達の職人の知恵を借りる事もできます(静岡は古くからの木工>職人の町です)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうですね、きっとモンキーさんでしたら製作は可能であると思っていますので書いたまでのことです。それを実践することにより、より深い理解が出来ることでしょう。
>キコリさんの長年の知識や経験を後世の人達に伝え残す為にも、大勢の意見を聞くべきで
>あって、素人と断じて、その意見を閉ざす言い方はお互いに控えましょうよ。
>大勢の人達の知恵を借りて、駒の疑問を解決していこうではありませんか。
勿論、普段私は皆様の意見をしっかりと拝聴しているつもりです。しかし、間違った内容を【断定】されるようなことは容認も出来ないのです。 ともかく、私はこの掲示板からは離れることとしました。 皆様、短い間ではありましたが、ありがとうございました。
http://
Re: 信華のおじいちゃん
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)22時29分4秒
返信・引用
>
No.410[元記事へ]
案山子さん
困りました、インスピレーション、イマジネーションの話です。
幾つかの状況証拠から連想可能な推理の積み上げなのです。
もし、信華が「私のおじいちゃんが安清だった」と聞いていたら。
信華は自分の事を何と言うのでしょうか?
という話です。
元々「三代目安清」というデタラメな名前の話から三代目安清とは誰だ?
なのですよ。(^_^)
Re: 坂田好の駒を実見して
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)22時06分41秒
返信・引用
>
No.409[元記事へ]
まち駒さん
情報ありがとうございます。
増田弥三郎の駒の花押が徳川家康の花押そのものかどうかよりも、増田弥三郎の駒に花押がある事への疑問からの発想で、参考にキコリさんに聞いただけです。
私の連想にとっては花押の形がいくつかの安清の花押に似ているだけで十分でした。
何故、増田弥三郎の駒に花押があるのか?何故、花押の形がいくつかの安清の花押に似ているのか?
に対する一つのイマジネーションです。
Re: RE:阪田好みの駒を実見して
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)21時42分51秒
返信・引用
編集済
>
No.407[元記事へ]
キコリさん
そうですか「限定」についての言葉の問題で誤解があったようです。
自分としては、どうして「限定」という言葉を使ったのか、については前回の書き込みで説明したつもりで、決して無視した訳ではありません。
思います、とか思われる、の言葉よりもより強い言葉で使用し、私としては確信があったので使用しました。
適切でないのであれば訂正いたします。
キコリさんも「あくまでも写真上からでも大正末期から昭和初期の作としか言えません」
も限定している言葉として受け止められかねませんので、お互いに気を使いましょう。
人にはそれぞれ専門や特技があり、その人が生きた年数だけの経験も知識も有しています。
即ち、それぞれ自分には持ち合わせていない知識や経験は他人には多くあります。
一人の専門家より大勢の素人が集まり検討する事で前に進む事も多いのです。
将棋の駒整形に関して、作った事もない者は意見を言ってはいけない、と聞こえるごとくの言い方について考えて頂けませんか。
私も木工・金属などの工作の経験者であり、現在でも私の趣味の工作部屋では、丸ノコ、糸ノコ、ベルトソー、ボール盤、旋盤、フライス盤、ベルトサンダー等の工具は現役です、駒木地を正確に大量に作る為の冶具作りから生産まで自信あります。
もちろん、大正時代の道具たてでノコやカンナだけで作る場合に用いる工具や冶具を作る事にも、改良する事にも自信はあります。
私の知恵が足りなければ、友達の職人の知恵を借りる事もできます(静岡は古くからの木工職人の町です)。
キコリさんの長年の知識や経験を後世の人達に伝え残す為にも、大勢の意見を聞くべきであって、素人と断じて、その意見を閉ざす言い方はお互いに控えましょうよ。
大勢の人達の知恵を借りて、駒の疑問を解決していこうではありませんか。
生意気な言い方で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
それより、美味しい牛タンのカレーを一緒に食べさせてください。(^_^)
信華のおじいちゃん
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月26日(水)15時19分24秒
返信・引用
>
No.405[元記事へ]
>モンキーさん
ご説明をありがとうございます。
拝読しましたが、ちょっと論理的に飛躍というか無理があるように感じました。
>>江戸末期の頃には複数の安清を名乗る駒師が存在していたようで
そうなりますと「安清」という古くから存在する号を増田家が改めて
自分の号または自分の工房の屋号として名乗る、取り入れるでしょうか?
増田家にとっては「芙蓉」という増田家オリジナルの号または屋号を
大切にするのは理解できますが。
>>安清何代目かも怪しい話で、皆が初代かも知れません
初代というのは一般的に考えてやはり一人だと思います。
将棋の世界だけ初代は複数存在するというのは合理的ではありません。
初代以外に初代を名乗る人がいるとすれば、それは話の外だと思います。
>>信華は父増田弥三郎の父が初代の安清とすれば三代目安清であり
そういうことから信華のおじいちゃんを「初代安清」と位置づける
のは無理があると私は思いました。
それはすなわち信華を「三代目安清」と位置づけることも無理だと
いうことになると思います。
「三代目安清・坂田好」はいろいろな問題を提起してくれて興味深い駒ですね。
Re: 坂田好の駒を実見して
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月26日(水)14時29分26秒
返信・引用
>
No.405[元記事へ]
モンキーさん、こんにちは。
「増田弥三郎の駒の花押が徳川家康の花押そのもの」という説に私は疑問を持っています。
モンキーさんのホームページから無断で画像を拝借して申し訳ないのですが、徳川家康の花押と比較してください。このあたりから、もう一度組み立ててみるとよいのではないでしょうか。
徳川家康の花押は、相賀徹夫編『世界原色百科事典2』より。
> 私のホームページの増田弥三郎の駒の花押は、キコリさんの説明では何と徳川家康の花押そのものとの事で、徳川家の家臣である事を主張する花押ではないかと思ったのです。
(無題)
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月26日(水)14時27分3秒
返信・引用
編集済
モンキーさん
早速、龍山作の三種類の駒について、ご意見頂き心から喜んでいます。
非常に詳しく筆法を調べられたことに敬意を賞します。
大変理に叶ったご意見で、私として卒直に取り入れながら考えを整理させて頂きます。
有難う御座いました。
RE:阪田好みの駒を実見して
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月26日(水)10時02分19秒
返信・引用
編集済
モンキーさん
>キコリさん
>私の論拠に至らない点があれば、どうぞ遠慮なく指摘して下さい
私は、意見であるのであるならば何ら問題とするつもりなどありません。
>物理的、科学的に【断定】をされることが問題なのです。しかも、その根拠が非常にあいまいである、あるいは乏しいので、それに関してコメントをしたつもりでありますが、それらは無視をされ続け、あくまでも【断定】をし続けられた。
8種類の駒型に関しましては、書き始めますと3~4ページにも及ぶでしょうし、私の30年以上に及ぶ豊島の駒型に関して書くにはそれなりの駒を示さなければ成らずそのような暇ではありません。
端的に申し上げれば、三代目安清の駒がいつ出来たのかを考えてみればよろしいのではないかと思います。私には、大正末期から昭和初期の駒にしか見えませんん。漆の状態、技術的な問題等々特徴がよく出ております。次に、駒型に関しては、皆さんがすぐに見える物で無ければなりませんが、件の清定の駒型も同じであると思います。これは、昭和元年に製作をされたものでありますね。次に同じように周知の駒である長録を見てみましょう、これは昭和4年以前の製作で、製作時期はほぼ一著ですが、駒型は著しく違います。
また、まち駒さんの意見を基に昭和11年暮れから急遽作成をして2月初旬に間見合うことが出来るのかとなれば、駒作りの期間を無視されていますね。暮れに、製作が決まり字母の選定をして盛り上げ駒を作り、2月に大事な対極へ使うことなどは不可能です。特に、冬場の漆乾燥時間が長く、ムロを使用していない豊島駒は、少なくとも3ヶ月は大局に使用など出来ません。また、漆の状態を見ますと、非常に短期間に硬化をしていることが何箇所からか分かります。これは、夏場に作成をされたものであるでしょう。
治具とは、それほどにやわい物では在りません。ツゲを整形するわけですから、土台はそれ以上の強度を持つ必要がありますし、すぐに壊れるような治具では意味などありません。駒木地の制作方法をどの程度理解をされているのかも大事な点です。私は8種類の駒木地があると書きましたが、治具は三種類程度でしょう。駒木地の製作には一定の法則があり、それを応用しなければ、治具は単に数多くなるだけで、そのような煩雑な仕事はいたしません。一つの治具は4種類だけを使って6種の駒型作るものです。それで、幾種類ものサイズ・違った角度の型の駒型を作ることが可能です。角度も自在に替えられます。江戸時代からそうして作られてきました。これだけは、実際に治具を作って駒の成型をして見ませんと理解など出来ないでしょう。
豊島の駒をそのように【断定】をする為にはそれ相当の個体数の把握と内容を検証しない限り【無理】であり、今回の駒に関しては、あくまでも写真上からでも大正末期から昭和初期の作としか言えません。
豊島であれ、影水であれ、駒を断定する以上には【見る】だけでは不可能であり、同じように作成をして初めてその内容を理解できるものです。一度、その駒型だけでも作ってみられては如何でしょうか?豊島の世界に少しは近づけると思います。
(無題)
投稿者:
ロボ
投稿日:2012年 9月26日(水)09時40分59秒
返信・引用
横からすみません。
私が同じことを書いても鼻で笑われるだけですが、かなりのコレクターであるモンキーさんが、
「○○は××で間違いありません。」とネット上に文章で書けば、それなりの重みがある、ということだと思います。
そして、その言葉が独り歩きしてしまう・・・ケン坊さんが、ばたさんへの投稿で書いておられたこと、ですね。
先日行われたオフ会など、直接会ってお話されたのであれば、何と言うことは無い話だと思います。
Re: 坂田好の駒を実見して
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)02時30分30秒
返信・引用
>
No.396[元記事へ]
案山子さん
案山子さんの質問で私のホームページでの記述ですが、諸先輩が書かれた書籍や説などを参考にしたもを、一説には、とか、いわれています、とかの表現をして書いています、早い話受け売りです。(~_~)
現実に、安清については実際に残された駒以外に、私には安清に関する信頼出来る歴史資料は何一つ持っていません。
諸先輩の話などや書籍などから自分なりにまとめた受け売りです。
そこで、説明し出すと長いので割愛しますが、残された駒などから、江戸末期の頃には複数の安清を名乗る駒師が存在していたようで、幸田露伴もその中の一人から、自分は39代目の安清です、とでも聞いたのでしょうが、その信頼性には大いに疑問な話です。
早い話、真実は別にして「我が家はおじいちゃんの代から安清の駒を作っていた」と言い張る人は何人もいたでしょうし、安清何代目かも怪しい話で、皆が初代かも知れません。
その中でも信華の父増田弥三郎は「私の父親は、源氏の衛兵の清安の流れを組む安清」と伝えられているのでは、と思われるフシがあり、それが芙蓉花押の駒です。
私のホームページの増田弥三郎の駒の花押は、キコリさんの説明では何と徳川家康の花押そのものとの事で、徳川家の家臣である事を主張する花押ではないかと思ったのです。
それと、芙蓉の銘ですが、お城将棋に上る最に、将棋所の者は、芙蓉の間に控えているのが慣わしだったようです。
そんな事から、もしかしたら、という私のインスピレーションで、発想の原点は増田弥三郎が残した花押です
Re: (無題)
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)01時43分50秒
返信・引用
>
No.400[元記事へ]
ケン坊さん
三種類の駒について私の意見を申し上げます。
結論としては三種類の駒は総て静山による静山龍山の駒です。
龍山作の銘の書体よりも◎◎書と書かれている「書」の筆跡は三種類共に静山が用いている書体で豊島工房で用いられている「書」とは明らかに異なります。
また、駒書体についても①と③は数次郎の特徴は見られず豊島作品とは異なりますので銘が無くても見分けられる駒です。
②については私自身が豊島の「菱子書」の本物の駒を見た事がないので書体について、申し訳ありませんがコメント出来ません。
潜龍については私もケン坊さんと同じ意見です、潜龍の駒は誰が作っても潜龍の駒だと思います。
簡単ですが私の意見ですが参考になりましたでしょうか。
Re: RE:無題
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月26日(水)00時39分4秒
返信・引用
>
No.401[元記事へ]
キコリさん
私の論拠に至らない点があれば、どうぞ遠慮なく指摘して下さい。
私達は真実が知りたいので論拠に過ちがあれば修正しますし、「三人寄れば文殊の知恵」です。
信華の話が「三代目安清書・坂田好」にまで発展し、坂田三吉の歴史的勝負の話まで発展した事も「三人寄れば文殊の知恵」での事です。
私は大勢の仲間と同じテーマで話しが進み大変に楽しませて頂きました。
今回の話も途中で修正が入れば、又違った方向での話しが進み、又楽しめたと思います。
そこで質問ですが、書体によって豊島が駒型を変える事も知っていますし、沢山の冶具がある事も理解していますが、8種類の駒型が存在した事は知りませんでした。
8種類の駒型について教えて頂けませんでしょうか。
また、その駒型が各時代にも入れ替わった事実をどの様にして確認できたのでしょうか、少なくとも私の年代確認方法より正確だと思いますので、是非時代を確定する方法を教えて頂けませんでしょうか?
私は未だその方法を確立しておりませんので是非お願いします。
(無題)
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月25日(火)22時15分11秒
返信・引用
キコリさんへ
お尋ね致します。下記のコメントを頂きましたが、何の意味か理解出来ません。
私は、豊島作の駒の角度とか、駒型の存在しなど一切触れていません。再度、ご返事お願い致します。
キコリさんの投稿文
そのような駒を掲載されましても全く参考にはなりません。十や二十の駒が角度があったからといって何の参考となるのか、その根拠を示すべきではないのでしょうか。
少なくとも、私の知る限りにおいて豊島には8種類の駒型が存在し、それらは各時代にも入れ替り立ち替り実在しております。豊島はその時代に既に、書体により駒型を変える配慮をしております。長禄に平体の駒型が合いますでしょうか?錦旗や水無瀬に長体の駒体が合いますでしょうか?同じ時代でも豊島は書体により治具を変える工夫をしておりますよ。
RE:無題
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月25日(火)20時43分15秒
返信・引用
編集済
ケン坊さん そのような駒を掲載されましても全く参考にはなりません。十や二十の駒が角度があったからといって何の参考となるのか、その根拠を示すべきではないのでしょうか。 少なくとも、私の知る限りにおいて豊島には8種類の駒型が存在し、それらは各時代にも入れ替り立ち替り実在しております。豊島はその時代に既に、書体により駒型を変える配慮をしております。長禄に平体の駒型が合いますでしょうか?錦旗や水無瀬に長体の駒型が合いますでしょうか?同じ時代でも豊島は書体により治具を替える工夫をしておりますよ。
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(無題)
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月25日(火)20時14分23秒
返信・引用
編集済
写真の挿入に失敗いた、龍山作・関根名人書・盛上駒の写真です。参考にして下さい。
RE:三代目安清書・阪田好の駒について
投稿者:
キコリ
投稿日:2012年 9月25日(火)19時46分37秒
返信・引用
モンキーさん
少し、冷静になられては如何ですかな。あなたの書かれていることは全くの憶測であり、断定をする根拠などどこにも見当たりませんよ。ここで、否定をする材料を出すことは簡単ですが、そのような醜い争いのような行為は本掲示板上ではしたくはありません。
また、一方で、豊島の駒を参考として駒木地の成型をしております私にとっては、聞き捨てならない断定なのですよ。豊島の駒をそのように一言で決めつけないで頂きたいです。意見は大事ですが、その断定は無理過ぎます。
ロマンは大切ですが、その仮説には根拠のかけらも見出せませんので。
三代目安清書・坂田好の駒について
投稿者:
モンキー
投稿日:2012年 9月25日(火)17時40分57秒
返信・引用
まち駒さん
その時の駒である可能性が非常に高いと私も思います。
キコリさんが言われるように、高浜禎が介在して作られた駒は100組程存在し、多数の坂田好の駒が存在すると思いが、フィクサーである高浜禎が死亡した後に作られた豊島による坂田好の駒は極端に数が少ないと思いますので、さらにその可能性は高まります。
ありがとうございます、引き続き何か情報がありましたらよろしくお願いします。
もう少し私の結論を説明します。
昭和11年前後(+-5年)の範囲内で急遽(納品期日が短い)状況で、数次郎が「坂田好」の駒を作り、書体名「三代目安清書」とした駒、この条件は物理的な条件から導き出した答えで、科学的に証明する事が可能です。
私の計測方法に疑問を持つとは思いますが、今回年代を断言できたのは、関根名人書の駒型が非常に珍しく、豊島の駒の角度としても珍しく、全体の駒型設計も豊島の駒型の中では珍しい駒型です。
尚且つその駒型とほとんど一致したからで、一部分が一致する事は良く見られる事ですが、ほとんど一致する事自体が非常に珍しい事です。
駒木地を製作する時に総て同じ冶具を用いて製作すれば、この様に一致する事は当たり前ですが、例え一種類の冶具を変たら、総てが一致する事はありません。
逆に、偶然一致する確立の方が極めて珍しい事で、奇跡的な事だと私は思います。
現代の機械では精密な金型から整形するので長期に渡り画一的な駒を作る事が可能ですが、戦前の駒は原始的な冶具(道具)によって画一的な駒を作る努力をしていたはずです。
冶具そのものは、耐用年数や時代の流行から作り変えられており、その詳しい記録や資料が判明すれば製作年代も判明しますが、十分な資料が集まっておらず、まだまだ正確な年代を当てる事は出来ません。
しかし、今回は実在する駒と一致した事により、その駒が同一の冶具より作られた駒であると判断するに値する駒である事が判明しました。
ですから、私は関根名人書の作られた年代を元にして、他の数々の不確定な条件を加味して11年から(+-5年)としました。
また、「坂田好」の駒の作者を数次郎としたのは、先輩から教えて頂いた知識と、私独自の調査による知識からくる特徴から推測しました。
先輩の諸先生は、長年の経験から見ただけである程度言い当てられ、経験が長ければ長い程、的中率の精度は高まります。
そんな先輩の意見を聞いた上でその特徴も見られ、さらに私が独自に調べた豊島に共通する特徴も数箇所見る事が出来ましたので、私の見識を述べました。
さらに、「三代目安清書・坂田好」の駒には数次郎作品としては常識では考えられない特徴も見られました、それは、ピンホールが出ても盛り上げ直しする時間が無い状況、即ち、納品期日が短い状況下で、しかも必ず納品しなければならない本当に特別な状況下でなければ考えられない、特別な工程(小さなピンホール部分を印刀で削るという特別な修正)が加えられている部分があったのです(拡大境でなければ見分ける事ができません)。
それこそ、こんな大胆な仕事は、特別に目の良い優秀な職人(数次郎)でなければ出来る仕事ではありません。
この「三代目安清書・坂田好」の駒は、本当に多くの豊島作品の中でも特別な珍品で、この駒には隠された深い理由があり、歴史の生き証人として何か隠れた真実を語っています。
後は、この駒が語る事実から何を読み取るかは、我々の知恵でありロマンですね。
ケン坊さん、この駒は本当に名駒だと思います。
あれれ、やっとこの文章を書き終えアップしようと思ったら、新たな質問がありました。
この文も長文ですので、後で答えを書いて再びアップします。
龍山作・源兵衛清安書の駒について
投稿者:
ケン坊
投稿日:2012年 9月25日(火)16時25分29秒
返信・引用
編集済
先程、まち駒さんが、龍山作・源兵衛清安書の駒について、投稿された内容を拝読させていただきました。
それに関連して、龍山作・源兵衛清安書の駒についての所感を述べさせていただきます。
写真
1、龍山作・関根名人書の盛上駒(根杢)。私蔵。(写真挿入に失敗)
2、龍山作・源兵衛清安書の盛上駒(虎杢)。私蔵。
3、龍山作・菱湖書の盛上駒。元私蔵。
私が、①、②の駒を蒐集いた目的は、崩された龍山銘の作者は誰かを、解明したい思いで購入致しました。現段階では、金井静山氏の龍山作だと証明されています。
しかし、私は、龍山作として認めても差し支えないと考えています。
その理由は、②、の元所有者は、東京の豊島商店から昭和初期頃に購入いたものと、父から息子さんが聞かされていたようです。これは信頼性に乏しい感が致しますが。
私は、豊島・龍山氏が現役で駒作りをされていた頃の作品でははいかと推測しています。駒の書体の中で、一番優れた由緒有る書に、豊島氏が着手しなかったことこそ不自然ではないでしょうか。
なお、作品のできばえは、大変素晴らしいことから豊島氏の作りだと思っています。
①は駒銘は②と良く似ていますが少し違っています。
私はこの場をお借りして、①、②の作品は、規制疑念にとらわれず、声を大にして、龍山作で通したいと思っています。決して間違えた判断では無いと考えていますが。
ちなみに、潜龍作の作品を例に取れば、いろんな駒師によって製作されています。これも誰々作の潜龍作でなく、紛らわしいことを言わずに潜龍作一言でよいと思っています。ただし、偽作は別ですが。 ③についは、静山・龍山作だと呼んでいます。
だらだらと申し上げましたが、結論は、①は龍山作・源兵衛清安書の駒。②も龍山氏の作品で統一したいと考えています。
私の思いに対して、是非、皆さんのご意見をお聞かせてください。よろしくお願い致します。
Re: 坂田好の駒を実見して
投稿者:
案山子
投稿日:2012年 9月25日(火)14時30分45秒
返信・引用
>
No.388[元記事へ]
>モンキーさん
関根名人書と坂田好の画像のアップをありがとうございます。よくわかりました。
またこういうプロ用分度器もあるのですね。便利ですね。入手したいと思います。
ところでまた疑問点が出ました。
>>信華は父増田弥三郎の父が初代の安清とすれば三代目安清であり
キコリさんの「安清は明治後期まで39代も続いた駒師の家柄」
モンキーさんのHPの「一説として、安清の始祖は将棋駒作者の最も古い記録として残る
三条西実隆(1458-1537)と同時代から続く将棋駒作りを生業とする京都の公家一派」
ということを拝読すると初代安清というのは15世紀か16世紀に存在したのだという
ことが推測されます。これは私はつい最近知ったばかりなので恐縮なのですが。
そういう史実からするとモンキーさんの言われるこの「信華の祖父が初代安清」説には
違和感を覚えました。
初代という存在はどんな世界でも一人しかいないのではないでしょうか?
「芙蓉」の初代というのであればわかりますが・・
信華の祖父を初代の安清と位置づける、または新たに呼ぶ、何か大きな説得力ある理由
があるのでしょうか?お時間あるときに教えていただければ幸いです。
Re: Re: 豊島・花押、信華・花押でないのはなぜか
投稿者:
まち駒
投稿日:2012年 9月25日(火)13時57分5秒
返信・引用
>
No.349[元記事へ]
モンキーさん
ちょっと前の話題に戻りますが、「数次郎の手による龍山作・源兵衛清安書の駒」について。
まず、熊澤良尊著『名駒大鑑』13ページに「龍山作・源兵衛清安書」の駒が掲載されていますね。ただし、解説には「第三の龍山」との記述があり、「静山龍山」の可能性を暗示しています。
ところで、『近代将棋』昭和61年9月号に「豊島龍山の最高品 書体は源兵衛清安」という駒の写真が掲載されています。これは、『名駒大鑑』の駒とは雰囲気が異なり、とりわけ、玉将の玉及び将の「点」や金将の将の点に違いが見られます。これが数次郎の手によるものか不明ですが、このような駒もあったということで、ご紹介します。
> それでも、今は未発見ですが、数次郎の手による龍山作・源兵衛清安書の駒が存在する可能性を示唆していますので、コレクターとしては幻の駒で、何時か出会える日を楽しみにしています。
以上は、新着順31番目から60番目までの記事です。
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