池田
「今、世界が注目する映画監督がいます。
こちら、園子温(その・しおん)さんです。
先週、最新作が北米最大の映画祭、トロント国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞しました。」
小山
「この映画で描いたのは“原発事故”です。
そこには被災地の記憶を風化させまいという強い思いが込められていました。
半年にわたる映画作りに密着しました。
池田
「今、世界が注目する映画監督がいます。
こちら、園子温(その・しおん)さんです。
先週、最新作が北米最大の映画祭、トロント国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞しました。」
小山
「この映画で描いたのは“原発事故”です。
そこには被災地の記憶を風化させまいという強い思いが込められていました。
半年にわたる映画作りに密着しました。
映画「希望の国」。
福島第一原発の事故から数年後、再び日本で原発事故が起きたというストーリーです。
舞台は架空の県、長島県。
幸せな暮らしを突然引き裂かれた家族が、過酷な運命に翻弄されていきます。
「用意で歩き出して、用意で。
はい、本番、用意、スタート。」
監督の園子温さん。
これまで、自殺や連続殺人事件など、社会的なテーマを数多く映画にしてきました。
今回、原発事故をテーマにしたのは、時間がたつにつれて、世の中の関心が急速に薄れていることに危機感をおぼえたからだといいます。
園子温監督
「みんながよく知っているエピソードばかりだと思う。
知ってるけど、“知ってるだけ”今の日本人は。
“知ってるだけ”で終わっている。」
被災地で生の声を聞こうと、園さんは、繰り返し福島を訪れました。
一時、警戒区域に指定され、今も人気の少ない町。
空っぽの牛舎。
原発事故が奪ったものの大きさに、園さんは圧倒されていました。
被災地を巡る中で、映画のストーリーを決定づける出会いがありました。
福島県南相馬市で三世代7人で暮らしていた鈴木豊子さん(70歳)です。
自宅は原発から20キロの地点にあります。
去年(2011年)4月、国はこの20キロ圏内を警戒区域に設定しました。
鈴木さんの敷地に突然境界線が引かれ、その先は立ち入り禁止となったのです。
放射線の影響を心配した息子と孫は避難し、家族は離ればなれになりました。
鈴木豊子さん
「避難所で聞いた時はやっぱりショックでした。
“えー”と思って、別に空気がここから変わってる訳じゃない、本当に不思議なもの。」
鈴木さんの話をもとに描いたシーンです。
家の庭に次々に杭が打ち込まれ、警戒区域を示す線が一方的に引かれていきます。
「ここからは立ち入り禁止になります。」
「うちの庭のこっちはよくてそっちはダメなんですか。」
園さんは、原発事故に翻弄された鈴木さんたちの無念や憤りを徹底的に描こうとしたのです。
映画 妊婦のやりとり
「母乳からセシウムが出たんですよ。」
さらに園さんは、放射能の恐怖に追いつめられていく人の心理を、映画に盛り込みました。
妊娠した女性が、おなかの子への影響を恐れるあまり、常に防護服を着続けます。
「おまえは宇宙飛行士か。」
「作業着屋で買ったの、ようちゃんの分もあるから。」
目に見えない放射性物質も、煙を使って映像化しました。
園さんらしい演出で、映画を見る人の心に被災者の思いを刻み込もうとしたのです。
園子温監督
「ただの再現ものにはしたくなかった。
だからすごくドラマティックにはしている。
より明確に短く端的に本質的なところだけを抽出したかった。」
映画が完成したあと、園さんは、南相馬市の鈴木さんを訪ねました。
「こんにちは。」
作品は、被災した人たちの思いをきちんと表現できているのか。
誰よりもまず鈴木さんに見てもらいたかったのです。
「映画の中で我々の考えてることを代弁してくれた。
一番感じたのは、悔しいだけ。
悔し涙ぼろぼろ、悔しいだけ。」
園さんは映画に込めた思いを広く伝えていける手応えを感じていました。
園子温監督
「“ああよかったな”って。
ちょっと攻撃的な映画なのは間違いない。
ほのぼの癒す映画ではないのは確か。
みんなが“自分の問題だ”と思えばいい。
僕がやりすぎることで、鈍感な人たちも“自分の問題だ”と思えばいい。」
池田
「この映画の中の悲しみや悔しさを強い表現で見せられると暮らしてる人たちの気持ちに少し近づけるような気がしました。
この映画は来月20日から全国で公開予定ですが、園さんは今後も被災地をテーマにした映画を製作していきたいということです。」