1999/9/15 第69号

犯人探し報道で傷ついた人間関係

 脳死移植報道も事件取材と同手法

−マスコミ現場記者が検証−

 

 人権と報道関西の会の例会が七月三十一日午後一時からプロボノセンターで開かれ、約二十人が参加した。講師は第一線の記者で、月間雑誌「マスコミ市民」二月号に「和歌山カレー事件 マスコミ現場記者が検証する」との論文を掲載した紀国渡さん。紀国さんはカレー事件について「犯人探し報道に陥って、地元住民の人間関係にまでヒビを入れてしまった」など様々な角度から指摘。このほか、脳死移植報道では、まるで事件取材と同様の手法がとられた点なども紹介し、今の報道の問題点を記者の視点から分析した。(小和田侃)

 紀国さんの講演要旨は次の通り。

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★和歌山カレー事件

取材で精神的に

追い込まれた住民

 発生当初から大量の取材班が現地に駆けつけ、弁当、はし、タバコをそこら中に放り出すなど、そのマナーの悪さまで悪評だった。

 その地域が「閉ざされた地域」であったため、取材が地域内での犯人探しにのめりこんでいった。その流れの中で住民も「この中に犯人がいる」という嫌な気分に陥り、互いに疑いを持つなど、住民の人間関係にもヒビが入っていった。「だれだれにカレーをよそったのは、だれだれの奥さん」などという情報が流れると、それを記者が住民本人に確認するという取材が展開されるので、住民は精神的にも追い込まれていった。

 逮捕された夫婦は、早い時期から取材陣にマークされていた。そして朝日新聞が事件発生から一ヶ月後、夫婦をめぐる保険金疑惑を一面トップで報じ、業界的には最大のスクープとなった。これには他社も危機感を感じ、ある社の支局長が左遷人事を受けそうになったといううわさがあったし、NHKは会長が現地入りして、檄を飛ばしたという。そんな大変な取材競争の中で、記者たちは人権という問題を考えている余裕などなく、とにかく警察情報を1時間でも早く入手して記事にする事に、血道を上げざるをえなかった。

 そして、夫婦が逮捕される十月四日、未明から数百人の取材陣が夫婦宅を取り囲み、ヘリも多数飛び交って、大変な騒動になった。読者からは「何でヘリを飛ばすのか」など、過剰取材への批判も寄せられた。このほか、読者の意見として「どこかの社が代表して取材するというような手法が取れないのか」「私も住民だったなら、マスコミにホースで水をかけたと思う」「警察とグルになって劇場犯罪を仕立てているみたい。もし夫婦が無罪になったら、また謝罪するのか」などがあった。

 これらの報道の一方で、各紙ばらつきがあるものの、報道検証の記事を載せていた。人権侵害の報道合戦を繰り広げる一方で、それを人権の立場から検証するというのもおかしな話だが、十年前だったらそんな検証すらする事もなかっただろうから、少しは報道の流れに期待できるのかもしれない。


人権侵害記事に

弁護士批判の報道

 一方、ひどい記事も出た。産経が「女性容疑者が妊娠していた」と報じたのだ。そんな事、事件とは関係ないし、報道として何の意味もないではないか。「妊娠しているのに、不当な取り調べを受けた」というような視点があれば別だが。しかも翌日の紙面で、それを訂正するかのように「流産していた」と報じ、人権侵害の上塗りまでしてしまっていた。各紙に誤報も多々あったが、社内的には「あれは悪い夢だった。さあ、次に行こう」というような感覚で済まされてしまった。次の特ダネを目指して。

 弁護士批判が繰り広げられたのも、今回の事件の特徴。新聞社にも読者から「せっかく自白しそうなのに、弁護士が邪魔している」というような意見が寄せられたし、弁護士会にも抗議が相次いだ。「警察が黒と言ったら黒」という風潮が強い中、刑事弁護への無理解が噴出してしまっていた。


★脳死移植

ドナー家族にも取材

批判を受ける  

高知の第一例目の時点では、一応の社内マニュアルを設定していたにもかかわらず、NHKが午後七時のニュースで特ダネとして報道して以来、ドタバタの取材に陥ってしまった。というのは、マニュアルは、移植決定の発表が行われた時点での取材スタートを想定していて、今回のようにそれ以前のドナーが現れた段階では、まだ覚知できないものと踏んでいたからだ。そのためもあって、医療取材が事件取材のノリで行われてしまい、患者の家族にもプライバシーを侵害するような取材が繰り広げられた。共同通信はそれを元に、患者の人となり、「家庭菜園をしている」「近所の人はこう言っている」というような、移植問題とは何の関係もない記事を配信。そして各社の報道内容も、全国が患者(ドナー)の死を待ち望んでいるかのようなものになってしまった。各マスコミは「このイクサに負けてはならぬ」と、やはり事件報道と同じ姿勢で競争に陥ったのだった。

 この反省に立って各社、対応マニュアルを急ぎ作成したようで、二例目では、毎日と産経が二回目の脳死判定後まで報道を控え、以降は他社も同様の対応をするようになった。しかし、内部には「知っていて書かないのは、ジャーナリストとして終わりだ」という批判もくすぶっている。

     ◇  ◇   ◇   ◇  ◇  

 紀国さんの講演をもとに、次のような質疑が行われた。

 まずカレー事件での弁護士バッシングについて、この事件の弁護団に加わっている弁護士は「知り合いの弁護士からも『なぜ、弁護するのか』と言われる事もある。刑事弁護に弁護士が必要であることは、私たちが釈明する以前に、教育や直接的にはマスコミが、市民に知らせるべきことではないか」と訴えた。これに対し参加者からは「マスコミ自体が、その意味を分かっていない」「基本的な記者教育が施されていないのだ」と、報道側への批判が出され、紀国さんは「労働者団体の新聞労連が、ジャーナリスト・トレーニングセンターという若手記者を対象にした研修制度を続けてはいる。でも、実際の報道への成果はなかなか現れておらず、参加者からも『(人権などの)こういう話は、部長やデスクにしてほしい』という自嘲的な声も上がっている」と、説明した。

 事務局の木村弁護士は「紀国さんが言っていた通り、十年前だったら、報道検証記事すら載らなかっただろうし、紀国さんのように記者が雑誌・マスコミ市民に投稿することもなかっただろうから、この十年で内部の雰囲気も大分変わってきたのだろう」と評価。紀国さんも「私も入社した頃は、『被疑者・被害者の顔写真・名前を掲載しない方がいいなど、人権、人権という奴がいるが、新聞記者にはそんな事を考える首から上は必要ないんだ』と言う上司もいたが、さすがに最近はそんな事を露骨に言われなくなっている」と紹介。「その変化は世論によるものか、それとも会社の自浄作用によるものか」との質問には、「世論の力でしょうね。とにかく世論には弱いですから」と答えた。

 脳死移植報道については、「報道は、ドナーに対する社会的制裁を加えるかのようだった」「今回の脳死報道は、今のメディアの問題を浮き彫りにした」との厳しい声が相次いだ。「取材、報道した記者は、脳死の問題をどれくらい理解していたのだろう。医療が先走らないように、マスコミがチェックしないといけないのに、それが果たせたのか。むしろ過剰報道に陥ったため、病院での密室化を招くように仕向けてしまったのではないか」と危惧する意見が出され、紀国さんは「医者並みの知識を持った記者が、脳死判定現場に立ち会わない限り、完全なチェックはできないだろう。それは別にして、今回最善の移植報道がなされたとはとても思えない。むしろ世論の大きな批判を浴びて、メディア側は大分びびってマニュアル作りに入ったようだ」と説明した。人権と報道連絡会のメンバー、大庭さんも参加していて、「脳死に反対の人は、表に出られない風潮に陥ってしまっている。もっと広く語れる環境が、新聞にも必要だ」と語った。

 太田弁護士は「五月に覚せい剤百八十キロを所持していたとして、容疑者が逮捕されたが、各紙とも匿名で、押収量の多さの割には紙面の扱いも小さかった。それは、容疑者の親戚が力を持っている人で各社に手を回したからだ、と聞いた。普段は実名報道主義をうたっているくせに、裏から手を回されたらこんなことになるなんて、どういう姿勢だ」と、問題提起したところ、「広告スポンサーとの関係で、記事で企業に配慮することはあるが、圧力で事件報道を匿名にするというのは、聞いたことはない」「むしろ、警察に手を回して、実名を発表させなかったのではないか」などと推測が出された。

 七月の全日空機ハイジャック事件も話題となった。新聞各社には、「なぜ、被疑者の実名を報道しないのか」という抗議が殺到したようで、産経がまず匿名から実名報道に転換したのに続き、起訴の見通しが立った段階で読売、日経、毎日、朝日の順で次々と実名報道に変わっていった。紀国さんは「『エリート大学を卒業し』など、被疑者のプライバシーを次々暴露するような記事が続いたが、匿名だから何でもあり、という感覚で安易な報道に走った側面があったのかもしれない」と分析した。また別の新聞記者は「精神障害の疑いのある人は匿名が原則だが、病歴や通院歴を書くと、障害者がいかにも犯罪を犯しやすいとの偏見をあおってしまう。実際の犯罪発生率は、精神障害者よりも健常者の方が率が高いのだ。障害者団体からの抗議も受けて、最近は精神障害の容疑者を匿名にしながらも病歴を書かない傾向にあったのに、今回の事件で障害についてかなり突っ込んで書かれてしまっていた」と問題視した。

 最後に紀国さんは「今の報道について、記者個人は危機感を持っている。私の周辺にも新聞を購読していない人が沢山いるし、新聞の必要性の薄れていることが感じられる。それは、新聞が書くべき事を書いていないからだ。にもかかわらず、会社側にそんな危機感がない」と語り、当会世話人でもある甲山事件の山田さんが、「新聞には、人間を書くということの苦悩がないのだ」と指摘した。


 周辺事態法、国旗・国家制定法、通信傍受法、改正住民基本台帳・・・・。閉会した通常国会で、国民の生活に大きな影響を及ぼす数々の重要法案が、反対意見も少なくない中、賛否の論点すら明確にならないうちに拙速に可決されてしまった。新聞記者のはしくれとして、私も自分の持ち場でこれらの問題に取り組むべきだと思っていたが、地方のニュース取材に追われる地方機関ではどうしても限界がある。県版のコラムで自らの意見を表明する事しかできず、「反応が鈍いですね」というマスコミに対する批判の声を聞くたびに、身をきられるような思いをしていた。

 先日、同僚たちが成立したばかりの通信傍受法について話していた。「過激派や右翼は傍受される危険性があるけど、普通の人たちには関係ないし・・・」「報道機関も除外規定に盛り込まれたしね」「犯罪に関係する少数派が反対しているだけじゃないの」。

 彼らの話しぶりに、これらの法律の問題点を痛感していた自分との温度差を感じた。雑談に目くじらを立てるのは大人げないとわかっているが、少数派の人権が損なわれる危険性をチェックするのも自分たちの仕事だと彼らは思わないのだろうか。(佐々木修一)


メディア時評(1)

法廷隠し撮り肖像権侵害訴訟

木 村 哲 也          

 

 メディアにかかわる出来事を、筆者の視点による批評も加えて、わかりやすく解説する記事を連載します。本記は、その第一回目です。

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 八月十一日、和歌山毒物カレー事件の被告人の女性が、フォーカスを発行している新潮社を相手に、法廷内での姿を隠し撮りされフォーカスに掲載されたことが肖像権侵害にあたるとして、謝罪広告と慰謝料千万円を求める訴訟を大阪地方裁判所に提起した。問題の隠し撮り写真は、フォーカスの一九九九年五月二六日号(同年五月十九日発売)に掲載されたもので、昨年開かれた勾留理由開示公判が終わって退廷する直前の同被告人の姿を撮影したものだとフォーカスの記事は説明している。この写真が掲載されたのは、折しも五月一三日に開かれた初公判の直後であった。読者には、注目を浴びた刑事裁判の初公判の姿を撮影して掲載したとの印象を与えるようなタイミングであった。

 このような法廷内を隠し撮りすることは、刑事訴訟規則第二一五条により禁止されている。この規定の趣旨は、被疑者、被告人が法廷内でみだりに写真撮影され、その肖像権が侵害されたりしないように配慮したものだ。肖像権は、みだりに容姿を撮影されたり、無断でそれを公表されないという内容の権利である。

 初公判では、傍聴人に金属探知器のゲートをくぐらせたうえ、法廷内に持ち込む荷物を検査するなど、警備は厳重であった。これに比べて、昨年中に開かれた勾留理由開示公判では、撮影機材の持ち込みがしやすかったのだろう。

 雑誌関係者によると、これだけの大事件になると、フォーカスを含む他の写真週刊誌は、法廷の写真をとることを考えるという。そのときの情勢判断により必ず決行するとも限らないようではあるが、写真週刊誌間の競争がこのような発想を常に生み出しているともいう。これまでにも、田中角栄元首相、オウム真理教教祖などが、同様に隠し撮りされ、それが写真週刊誌に掲載されたが、提訴が行われるのは初めてのケースだ。

 今回の隠し撮りに対し、和歌山地方裁判所の所長が記者会見し、新潮社に厳重に抗議するとともに、販売中止及び回収並びに謝罪を求めた。裁判所が抗議したことはきわめて当然ではある。被疑者の肖像権を保護し、安心して裁判を受けられる環境を整備することは裁判所の重要な役割だ。ただし、法廷が神聖不可侵な領域であり、裁判所の許可を得ずして勝手なことをするなというのならば、それは提訴の趣旨とは大きく異なる。あくまで、刑事法廷で裁かれる被告の肖像権が侵害されたという問題ととらえられなければならない。誰に対して謝罪しろと裁判所が新潮社に迫ったのかが気になるところだ。謝罪するとすれば、それは被写体に対してであり、被告人に対してでなければならない。

 この議論、隠し撮りする側からすると、国民の知る権利に奉仕するものであり、そもそも、公開法廷であるから問題視するのはおかしいというような議論を持ち出すのかもしれないが、そもそも、裁判が公開を要求されるのは、適正な裁判手続が行われているかどうかを市民が監視するところにある。被告人だから肖像権を侵害してもいいという理屈にはならない。裁判の公開というのならば、むしろ被告人以外の訴訟関係者の姿を対象とすべきということになる。いずれにしても、提訴の初のケースであり、注目したい。

 その後、フォーカスは、写真がいけないというのなら、絵ならどうなる? として、精密なイラストとともに、被告人への挑戦文めいた記事を掲載した。毒々しい内容で背筋が寒くなる内容だ。フォーカスの正体みたりという感じがある。この詳細な報告は、次回に。<続>

※ この記事に対するご意見をお寄せください。インタラクティブにみなさんの意見を紹介する場にしたいと思います。 


日本でも実現したい

インターネット放送

−サンフランシスコ市民メディア見聞録 (2)

 日本では、こちら(市民)サイドから発信できる放送のメディアは皆無に等しい。たくさんの心ある人々の努力で、パブリック・アクセスやメディア・リタラシーの概念と実践をひろめようという運動がようやく緒についたところであろう。しかし、この認識はサンフランシスコで市民が様々な形でメディアにアクセスしている現場に出会っていくうちに徐々に覆されていった。実際にパブリック・アクセス・チャンネルが運営され、市民活動団体(NPO)がインターネットを駆使しマルチメディアを活用して、運動を展開している。黙って見詰めているだけでは事態は進展しなかったことを、多くの活動家たちが語ってくれた。

 SFC郊外のプレシディオ(巨大な軍事基地跡)に世界通信研究所(Institute Global Communications)を訪ねた。IGCはアメリカ市民運動の中心的コンピュータ・ネットワークで1980年代初頭からインターネット接続をはじめている。現在では世界20ヶ国以上の市民運動コンピュータ・ネットとも連合し進歩的通信協会(APCネット)を形成している。IGCはインターネットを利用した放送サービスもおこなっている。日本の拠点として日本コンピュータコミュニケーション研究会(JCA)が1992年から活動を開始しており、いわゆる「インターネット放送」もすでにおこなわれている」と事務局長のミズ・ロックウッドから説明を受けた。

 私は小さな映像製作会社に属しメディア業界の末端で生活している。映像制作でのボランティア活動としては、冤罪「甲山事件」裁判の映像記録を救援会事務局とともに続けている。この裁判の過程では、日本の社会が内包している様々な問題点が次々に露呈された。映像の記録を続ける者としては、否応なしにマス・メディアの情報発信の仕方に向き合わざるを得なかった。ことに放送では市民からの主張や意見をのべるチャンネルがない。救援会とともに記録しつづけてきた映像素材や成果物を生かして、カウンター・マスメディア、市民からの発信が出来ないものか—と考えつづけてきた私にとっては、IGCでまたとない見聞を得た。手探りの状態ではあるが「インターネット」を視野に入れた「放送」の試みを始めている。(W)


メールで会報配信しています!

 前号でもお伝えしましたが、会報の無料電子メールサービスを始めました。

 希望者は事務局までご連絡下さい。一人でも多くの方に読んでいただく一助にしたいと思っています。


次回例会

 行き過ぎた報道で

 取引停止など会社に影響が

 次回例会は、訪問販売法違反で契約社員が逮捕され、さらに起訴された会社が報道されたことで信販会社から取引の停止を受けたり、起訴事実とは関係ない個人名簿を訪問販売に利用していたことを大々的に報道された事例を取り上げます。例会は九月二五日(土)午後一時から木村哲也法律事務所(大阪市北区西天満2-9-14 北ビル3号館6階 電話06-6366-4147)で開きます。ふるって参加してください。


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