依存症なままでは早死にしちゃうよ? パートIII
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「病的嗜癖・依存症」の人は、なぜどんどん進行性に、依存対象以外のものごとに対して興味・関心がなくなってしまい、あんまり大切なものがなくなってしまい、人生を生きることの価値や意味がなくなってしまい、枯れ葉一つの重さもないくらいに命の重さが軽くなってしまうのか?
これをBlum先生たちは「報酬回路不全症候群 reward deficiency syndrome (RDS)」と表現して説明しています。
つまりこういうことです。 生まれつきの体質として(遺伝子的要因として)、「報酬回路 reward circuitry」の働きが弱い人というのはあります。
これは、生まれつき身体が大きいとか小さいとか、頭が良いとか悪いとか、運動ができるとかできないとか、注意力・集中力が良いとか悪いとか、そういったことと同じ「ばらつき」です。 生まれつきの能力のばらつきとして、運動ができない子でも、それでも地味で地道な努力を続けて練習を重ねていけば、それなりにできるようになるものです。 逆に、不得意だからといって避けていると、どんどんできなくなります。 同様に、生まれつきの能力のばらつきとして頭が良くなくて勉強ができない子でも、それでも地味で地道な努力を重ねることで、少なくともある程度の成績は出せるでしょう。 逆に、不得意だからといってしないでいると、ますます勉強がわからなくなり嫌いになり、手がつけられないほどできなくなってしまいます。
生まれつきの「報酬回路」の働きの弱さについても同様です。 こうした人たちは、生まれつき「報酬回路」の働きが弱いために、普通の人がちょっとしたことで感じることができるはずの、ささやかな幸せ感をなかなか感じることができず、ちょっとしたものごとに対して本当の意味での幸せで積極的な興味・関心を持つことが難しいものです。 それでも、ささやかな幸せを感じることができるように、地味で地道な努力を積み重ねていくことで、おそらくは「報酬回路」の弱さの問題も克服できたかもしれません。 ところが現代社会では、地味で地道な努力などしなくても、安易で刹那的なやり方で「幸せ感」を感じる方法は、いたるところにいくらでもあるために問題が生じてくるわけです。
勉強が苦手な子が、勉強という地味で地道な努力をしていくことは大変なことです。 しかし勉強ができるようになるための王道はないので、地を這うような地味で地道な努力を続けるしかないのです。 運動ができない子にとって、みんなから馬鹿にされながらも地味で地道な練習を続けていくことは大変なことです。 それでも、上手くなるにはそれしか方法がないのです。 それしか方法がないから、地味で地道な努力を続けていく。 そのうちに、それまではできなかったことができるようになっていき、それまでは耐えられなかったことが耐えられるようになっていき、わからなかったことがはっきりと見えるようになってくる。 苦しさの向こう側があることを、最初からできる人からすると無駄なことのように見えるかもしれない地味で地道な努力を続けることの大切さがあることを、知るようになるわけです。
ところが「幸せ感」を感じる方法には王道があるのです、困ったことに。 強烈な刺激によって「報酬回路」を直接ビンビン刺激してしまえば良いのです。 アルコールであれ、麻薬・覚せい剤であれ、過食であれ、強迫的なセックスであれ、「報酬回路」に強烈な刺激を与えることで、刹那的には「幸せ感」が安易に手に入れられてしまうのです。
こうして、生まれつき「報酬回路」の働きが弱い人たちのうち少なからぬ人たちは、この安易で刹那的な「幸せ感」の罠にはまってしまうのです。 現実生活が不安や辛いことでいっぱいな人は、なおさらそこからの逃避として、この安易で刹那的な「幸せ感」の中に逃げ込んでしまいやすいでしょう。
ところが、こうして「報酬回路」を強烈に、過剰なまでに、ビンビン刺激するようなことを慢性持続的に繰り返していると、そのうち「報酬回路」の働きがますます弱まってくることになります。 すると、もっともっと強烈な刺激を与えなくてはいけなくなり、そうするともっともっと「報酬回路」の働きが弱まっていくことになり・・・という悪循環です。
こうして行き着く先は「廃人」です。 つまり、依存対象以外のことには、ほとんど一切「報酬回路」が働かなくなり、人生において大切なこと、価値あることがほとんど一切なくなってしまうのです。 アルコール/薬物依存にしても、摂食障害にしても、ギャンブル依存にしても、ほとんどすべての「病的嗜癖・依存症」において「そればっかり」になってしまうのは、こういうメカニズムが考えられていて、これを「報酬回路不全症候群」と呼ぶわけです。
(もっとも、依存対象に依存する理由には微妙に男女差があります。 男性は「いい、気持ちいい」というポジティブな感情を得たくて依存症になる傾向がありますし、女性は不安や辛さなどネガティブな感情から逃れたくて依存症になる傾向があります。「報酬回路」の過剰使用を、主には快感を得るために使うのか、主には不快感から逃れるために使うのか、という違いはあるものの、基本的なメカニズムは同じであると考えられます。)
でも、本当にそうなのか? 本当にそんな理屈が言うようなことが脳の中で起こっているのか? 本当に「病的嗜癖・依存症」の人たちの報酬回路は機能不全になっているのか?
そこで、Wrase先生たちは、断酒中のアルコール依存症の人を集めて、アルコールに関連した写真を見せてどの程度の興味・関心を引くか、アルコールに関連しないインセンティブ(単純な作業でお金がもらえる、失敗するとお金を失う、というゲームのようなもの)を与えてどの程度の興味・関心を引くか、ということを健常者と比較してみました。
すると、当たり前のことですが、アルコールに関連した写真は、アルコール依存症の人は、健常者に比較して、より強く「お酒が飲みたい!」という渇望を生じましたし、それを反映するかのように「報酬回路」の側坐核を含む腹側線条体がより強く活動しました。
しかし、お酒に関連しないインセンティブに対しては、気持ち的には健常者と同じように取り組み、同じような成績を残せたのですが、「報酬回路」の側坐核を含む腹側線条体の活動性は健常者に比較して低いものでした。 しかも、アルコール依存・渇望の程度が強いほど、アルコールに関連しないインセンティブに対する報酬回路の無反応さの度合いは強くなっていました。
つまり、やはり依存対象に対しては渇望と言えるほどの強い興味・関心を示すものの、それ以外のものごとに対する興味・関心は(心の動きや行動レベルではなく)脳の反応のレベルから弱ってしまっていたのです。
また、Wagner先生たちは、摂食行動の異常がなくなった、しかし人生に本当の意味での喜びや楽しみを見いだせていない「回復した」拒食症の女性を集めて、摂食行動には何の関係もないインセンティブ(カードゲームのようなもので勝つとお金をもらえ、負けるとお金を失う、というもの)を与えて、その時の「報酬回路」の働きが健常者と違うかどうかを見てみました。
すると、健常者ではゲームに勝つか負けるかで「報酬回路」の一部である腹側線条体の反応に違いがあるのですが、元拒食症の人たちはゲームに勝っても負けても腹側線条体は同じような反応しかせず、やはり何らかの意味で「報酬回路」が壊れてしまっていることを示唆していました。
私たちの遠い祖先がまだ原始人だった頃は、「報酬回路」の過剰使用の問題など全く想定外だったでしょう。 このため、原始人の頃とほとんど変わらない脳を持っている私たちは、「報酬回路」の過剰使用と、それが引き起こす「報酬回路不全症候群」に対する有効な防御手段を持ち合わせていないのです。 私たちにできることは、この構造上の弱点を認識して、危険を遠ざけるようにしておくしかないわけです。 たぶん・・・。
参考書:
(1) Blum K, et al. Activation instead of blocking mesolimbic dopaminergic reward circuitry is a preferred modality in the long term treatment of reward deficiency syndrome (RDS) : a commentary. Theoletical Biology and Medical Modelling, 2008; 5: 24
(2) Nesse RM & Berridge KC. Psychoactive drug use in evolutionary perspective. Science, 1997; 278: 63-66.
(3) Wrase J, et al. Dysfunction of reward processing correlates with alcohol craving in detoxified alcoholics. Neuroimage, 2007; 35: 787-794.
(4)Wagner A, et al. Altered reward processing in women recovered from anorexia nervosa. Am J Psychiatry, 2007; 164: 1842-1849.
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