病的嗜癖と依存症 〜 イントロダクションII (つづき)
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(つづき)
さらに、同じような「報酬回路」の過剰使用による問題は、過食症や過食を背景とした病的肥満においても起こっています。 私たちの身体は、もともと「おいしいもの」を食べると「報酬回路」のドーパミン系がどばーっと放出される性質があります。 特に甘いものや味覚刺激の強いもの、ジャンクフードなどではその傾向が強いのです。 食べるという行動を、報酬回路の働きによる「いい、気持ちいい」という感覚を得るためや、それに伴って嫌な気分を忘れるために「乱用」的に使ってしまうと、飲酒や物質乱用の問題と同じようなことが起こるのです。
過食症に陥る人は、最初の頃はたいていは何らかのネガティブな感情をまぎらわしたくて過食をしてしまいます。 その前に極端なダイエットをしていることも少なくありません。 それなのにダイエットの効果が思ったように表れないばかりか、自分の容姿・体型を含めて嫌なことばかりの日常です。 仕事で、人間関係で、家族内葛藤で、恋人との関係で、慢性的に嫌な気持ちや満たされなさが続いていたりします。 そんなある時に甘い物やジャンクフードなど「報酬回路」を過剰に刺激する性質のある食べ物を「無茶食い binge eating」すると、その一瞬だけ嫌なことを忘れ、幸せな気分になることに気づきます。 健康度の高い人は「でも、こんなことしても何にもならないし、何も解決しないどころか、健康に悪いだけだ・・・」と思って「無茶食い」を繰り返すことはあまりしないでしょう。 ところが、もともと遺伝子的・体質的にこうしたものにはまりやすい人の中には、「無茶食い」によって得られた快感と、その時一瞬だけ嫌な気持ちを消すことができたことが忘れられず、常習的・連用的に繰り返してしまうことがあります。
そのような食べ方を繰り返しているうちに、次第に「報酬回路」の馴れと「報酬を感じさせない回路」の動員によって、どんどん依存がすすみ、それ以外の価値あるはずのことへの楽しみやダイエット以外の興味・関心が極端になくなってしまうのです。 その頃には過食をしてもあまり「いい、気持ちいい」という感覚が得られなくなってしまうにもかかわらず、もうやめることもできなくなります。 ちょうどアルコール依存症や麻薬・覚せい剤依存症の人が、そればかり考えている「ダメな大人」になってしまうのと同じ意味で、食事・ダイエットのことばかりにとらわれている「ダメな大人」になっていってしまうのです。 これは、繰り返しになりますが、「報酬回路」の使い過ぎによる副作用です。
同様なことが、境界性パーソナリティ障害の人などにしばしば見られるリストカットなどの自傷行為についても言えます。 自傷行為は、気持ちよくなることを目的に使われる薬物やおいしいものを食べることと違って、それそのものは全然「いい、気持ちいい」となるわけのない、ただの痛みでしかないものです。 それでありながら、境界性パーソナリティ障害の人が自傷行為にはまってしまうのはなぜなのか?
境界性パーソナリティ障害が自傷行為を始めるのは、たいてい最初のうちは自殺目的だったり、自分への嫌悪感から自分を傷つける行動をしてしまいます。 ところが、境界性パーソナリティ障害の人は健常者に比較して内因性オピオイド(脳内でつくられる麻薬類似物質)の反応性が異常に高いこともあってか、「不安の中枢」である扁桃核の活動性がぐっと抑えられることになります。 このため、普段から慢性的に強烈な不安や落ち込み感、生きづらさに耐えかねているこの人たちにとっては、ちょっとした刹那的な救いになってしまうことに気づきます。 「腕を切ると、なんかちょっとほっとする、一瞬だけいつもの辛さを忘れることができる・・・」ということに気づいてしまうのです。 もともと衝動的攻撃性が高く、自分の生きづらさを他にどうしていいかわらず行き詰まってしまっていることの多い境界性パーソナリティ障害の人たちは、非常にしばしば自傷行為で得られる刹那的な救いに依存することになってしまうのです。
しかし、これもまた、繰り返しそうしているうちに、次第に(おそらく内因性オピオイド系を介しての)「報酬回路」の使いすぎの問題が生じ、依存がどんどん深まっていくことにつながります。 そのうちちょっとしたストレスで自傷行為に頼るようになってしまい、どんどん常習的・連用的になっていきます。 こうなると、もはや自傷行為をしてもそれほど気分が改善されるわけでもなくなってくるのですが、それでも習慣化してしまった自傷行為をやめることは極めて難しくなってしまうのです。
「病的嗜癖・依存症」はすべて同じような感じです。
麻薬・覚せい剤はその依存性の強烈さから特に注意されていますが、お酒でも、ダイエット・過食(肥満)でも、自傷行為でも、その他の全ての「病的嗜癖・依存症」について、「依存症やめますか?それとも人間やめるつもりですか?」という問いを多かれ少なかれつきつけられることにはなるのです。
ところで、アルコールにしろ、違法薬物の使用にしろ、過食にしろ、こうした問題行動をやめたいと思いながらもやめられないのはどういうことなのでしょう? 逆にいうと、「病的嗜癖・依存症」になっていない「健常者」が我慢できるということはどういうことなのでしょう? 報酬回路の働きを抑制し、より適切な形にコントロールする役割を果たしている前頭前野 prefrontal cortex。 その前頭前野と報酬回路とのバランスの上になりたっている「自制 self-regulation」のことを、このあとの『イントロダクションIII』でとりあげていきます。
参考書:
(1) Hyman SE. Addiction : a disease of leraning and memory. Am J Psychiatry, 2005; 162: 1414-1422.
(2) Kenny PJ. Reward mechanisms in obesity : new insights and future directions. Neuron, 2011; 69 : 664-679.
(3) Prossin AR, et al. Dysregulation of regional endogenous opioid function in borderline personality disorder. Am J Psychiatry, 2010; 167: 925-933.
(4) Schmahl C. Neural correlates of antinociception in borederline personality disorder. Arch Gen Psychiatry, 2006; 63: 659-667. |