コーディネーター 木村 将人 青森県 波岡中学校教諭 パネリスト 加藤 次郎 千葉県 ときわぎ工舎 工舎長 井上 豊子 大阪府 東大阪市立長瀬西小学校教諭 瀬嵩 政真 沖縄県 くらしき作業所 所長 「ボカシネットーワーク」東北支部担当で全国のリーダー的存在である木村氏のざっくばらんな進行のもと、障害者施設や学校現場でEMボカシをつくり、活用する加藤次郎、井上豊子、瀬嵩政真の3氏が環境浄化や障害者の自立にもたらした変化を発表した。内容に対し、質問と回答を加えたのち3氏それぞれ将来のEM活用法を語り合った。最後に比嘉教授夫人の節子さんから米国アリゾナ州でのEMで砂漠に野菜を作る環境プログラムの報告があり、汚れた地球をきれいにして次世代に渡すため国際的なネットワークが必要と説いた。 加藤氏は20年来の社会福祉との関わりから、4年前授産施設を開いた。地球と福祉施設の間には目に見えない隔絶感があることを痛感。障害者が地域社会に有意義に働きかけることができ、相互交流が図れる手立てを模索しているなか、95年の「幕張メッセ」に出かけ比嘉教授に会った。EMを知り、障害者が取り組むに最良の仕事だと直感した。計る、混ぜる、袋詰めをする、数えるというボカシづくりの一連の作業をそれぞれが役割を担うことで、責任感と達成感が芽生えた。販売時、レジでの精算や配達作業でお客さんと挨拶を交わす中から一般的な生活態度も整ってきた。障害者本人だけでなく、ご家族の意識にも変化が現れる。EMボカシづくりが施設の「でも、しか」作業ではなく、社会の中で大事な役割を果たしていることを自覚し、家族自ら近所にボカシ活用を勧めるようになった。ゴミ処理、河川の浄化について、町役場の衛生課から問い合わせもあり、地域に頼りにされるようになったことを実感。施設は今、地域に変化を与えている途上にあると報告した。 井上氏は3年前に校内で一人で始めたEM利用が今ではプールやトイレ掃除、生ゴミ堆肥づくりに学校全体で活用、さらにPTAへのEMの輪を広げている。さらに、学校間の情報交換、ネットワークづくりが必要と提唱し報告をまとめた。 瀬嵩氏のEMとの出会いは、2年前。作業所発足の翌年、作業種目を模索中に節子さんの話を聞いた。ボカシづくりは当初失敗からの出発だった。 EMボカシで栽培した花キ類は、葉が長く花持ちが長いことを実験し、その良さを確信した。またEM害虫駆除液も販売しているが、市民に人気がある。知的障害者は街の真ん中に住むことができないが、街の人のほうから施設を訪れるようになり、EMが橋渡しをしていると語る。 環境が活性化されると、通所者にも成長の変化が見られ、「三男坊がお年玉をねだるようになり、親戚と挨拶を交わすほどになった」と自閉症児を持つ親としての体験を瀬嵩氏は語ってくれた。新たに開発した廃油石けんは、作業所の目玉商品になりつつあり、また入浴品の開発やEM苗販売が念頭にあり、EMの良さは限りがないと述べた。 後半に入り、加藤氏はEMは噛めば噛むほど味が出るようなもの。日本の漬物文化をEMに応用し、「超ぬか味噌漬」をつくり作業科目にしたいと夢を語ると、会場から「EMボカシの一夜漬けが美味」逆に「家宝のぬか床をだめにした」など、漬物談義も。 この後、木村氏がEM土だんごを作り、溜池やゴルフ場池の浄化にボランティアで取り組んでいることをスライドで紹介。 特に現代の障害者施設については、木村氏の青森県の状況と、加藤氏から東京都では産業廃棄物敷地内に施設が設置された例をあげ、都会で障害者が住めなくなったことを知ってほしいと実情を訴えた。 締め括りに節子さんは、環境教育の観点から、アメリカと日本の障害児ネットワークを姉妹校として提唱。日本の活動報告をEM研究機構へ寄せてほしいと語った。 |
||||||||||
|