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1994年2月辰野町で社会福祉協議会による伊那ブロックボランティア交流研修会が開催されました。その時の分科会で「環境浄化を進める会信州」代表の諏訪明子さんの生ゴミのEMボカシあえの事例発表がございました。 分科会参加者のこの「ボカシあえ」に対する関心が非常に大きく辰野町にも早急に取り入れてほしいという要望が辰野町社会福祉協議会に寄せられました。 関係者で検討会を開催し、同年3月24日、一般町民、各種婦人団体等に呼びかけ、諏訪明子さんを講師に「第1回ボカシあえ講習会」を開催いたしまして、多くの出席者から賛同を頂きました。 「EMボカシあえ」をした住民からの反響が大きく、その後全国的に環境浄化の為のEMボカシ問題が取り上げられ、辰野町でもこのEMボカシに対する関心が高まりました。町の窓口である社会福祉協議会はEMボカシの注文でパニック状態になることもありました。 それに加え近隣市町村のEMボカシ生産が間に合わない事もあり5月17日、ボカシあえ講習会を兼ね、これからのEMボカシの取り扱いについての利用者で懇話会をもちました。 会には200名余が参加し、町民のボカシに対する関心の深さに驚く程でした。その中で次のように方向付けされまし た。 1.利用者で取りまとめ、販売をする事。近隣市町村の共同作業所の製造が間に合わないので取り合えず安曇の業者から購入し袋詰めは利用者が行う。 2.ボカシあえを作ってみて台所の嫌な臭いや、小蝿がつかなくてよい。生ゴミとして出していたものが有機肥料として利用でき、農作物の成長が大変よいので町全体に普及していきたい。 3.いつでもどこでもEMボカシが手に入るようにしてほしい。できれば農協の各店舗で買えるようにしてほしい。 こうして懇話会のご意見に沿い、EMボカシの取り扱い販売を実施しながら、辰野町JAと数回に亘り、話し合いを進めました。企業ボランティアとしてEMボカシを店舗において頂けることになりました。 このEMボカシは岐阜県可児市のEMボカシネットワーク会長の奥村義勝会長様のご意志で「共存の社会の理念で、できれば共同作業所などで生産してほしい。企業での商品化は好ましくない」という点を尊重し、辰野町JAにも御理解を頂きました。 辰野町の共同作業所へのEMボカシ作り依頼と共に、長野県岡谷市共同作業所を、行政、作業所職員、ボランティアで視察研修を行いました。 作業所側の検討の結果、EMボカシ作りの取り組みは不可であるという返事があり、利用者での検討委員会を選出しました。話し合いを進め、今後は自分達の手でEMボカシを作り自給自足したいという皆さんの一念でボランティアグループが結成されました。 奥村さんの作業所長野県の駒ヶ根市共同作業所の施設研修や諏訪明子さんのアドバイスを頂きながらEMボカシの試作に取り組みました。 一番の問題はEMボカシを作る場所の確保でしたが、町当局から廃屋となった旧清掃センターの事務所を無料で貸していただける事になりました。電気、水道、有線放送等の設置をして頂きました。人里離れた山の中腹にありますが、空気はよくEMボカシ作りには最適な場所に辰野町ボカシセンターの拠点が設立出来ました。 町会議員を含め男女40代から70代の男女40名のボカシづくりボランティアグループが結成されました。ボランティアが自らEMボカシ作りに必要な備品を持ち寄り、EMボカシの材料となる米糠やもみがらを集めて下さる人、それを運搬して下さる人のボランティアのご協力も得られました。多くの方の善意に支えられ、備品材料の確保にこぎつけました。無からの出発でここまでこられた事は、感慨無量でございました。 7月23日には諏訪さんに再度足を運んで頂き、EMボカシ作りをボランティア対象者に教えて頂き、EM菌という有用微生物群を最大限有効に生かせるよう、愛情をもって醗酵させてほしいと言われました。 奥村さんと諏訪さんから学んだ事を念頭に置きながら、謙虚に地道に、人の和を保ちながら、素晴しいEMボカシを作る事を、共に継続して活動していかねばと念じました。 地域割に3グループ、JA婦人部役員のOBで1グループの4班編成をし、4週間に一度の日程でEMボカシ作りを開始しました。 まず、会員が楽しみながら、学び合いの場となるよう心掛けて参りました。EMボカシを作る時は、楽しい会話と笑い声が、ボカシセンターに広がります。作業の後の休憩時間もみんなの楽しみの一つ。センターや各自の畑で作った野菜の試食や、会員持ち寄りの手作り料理で飲むお茶は、大変おいしく料理伝達講習の場ともなります。 またEMボカシを多くの方に知って頂こうと一般町民対象の講習会を開催したり、学校や地域に出向いて普及、推進に務めております。EMボカシの売り上げ金は、発足当時、必要経費を取って、収益は町の福祉に役立てたいと決めまし た。 1995年8月に町に50万円の寄付をさせて頂きました。その後何か形のあるものにということで積立てして、たつの町保健福祉センターが「ぬくもりの里」11月9日竣工式を迎えオープンの運びとなっておりますことから、この施設に車椅子搬送用の自動車を寄贈する事になっております。現在はグループの会員も54名になりました。 作業をの様子をスライドでご覧下さい。
私達のボカシづくりの最初の仕事もみがら米糠集めです。
ボカシを作っています。みんなでワイワイガヤガヤ手を動かし口を動かしEMと皆が一つになる一時です。
作ったEMボカシを醗酵させるために容器に入れているところです。
心を込めて詰めます。保育所の食器消毒器の古いのをいただき、その中に積み込んで、夏は20日位冬は電気こたつで加温し、7日位扉を閉めておきます。一日に一回温度管理に行き、醗酵の状態をチェックしています。
12月の始めにボカシをセンターより搬送します。
町内の子供たちに、家庭から出た生ゴミを土に返す事を学んでもらうために、先生を交えて会長より説明をしている所です。
子供達も喜んでおります。ボカシあえの作り方で子供たちの持ってきた生ゴミで実習をしています。
平成8年7月10日環境浄化を考える集いの時に一般の町民に呼びかけ熱心に聞き入る皆さんです。これを機会にボカシを作る人が大勢増えました。
ボカシグループの共同畑の現場です。秋の収穫を夢見て頑張ります。
ボカシあえを畑に入れています。土がさらさらになります。
山間地では土にボカシあえを入れますとどうしても動物に食べられます。それを防ぐ為にじゅうたん等の不要品)。
液肥をとって薄めます。500倍1000倍野菜の大きさ成長度また種類によって増減します。
次はボカシあえを土と混ぜてプランターに入れる準備です。花作りのためです。
ハウスの内部です。春に備え冬中のボカシを生け込んでいます。
次はボカシあえでできた土で作ったナス、きゅうり、ピーマンの木です。収穫も大量でたくさん出荷出来ました。
プランターで咲いた花です。見事に咲きました。
これは作業の後の一休みです。皆で持ち寄った物でおいしく楽しい語らいの一時です。ある時は農業の一口メモ、またある時はお料理の伝達の場と変わります。
白籏郁子・飯沼けさ江 1994年3月江ボカシを辰野町にという住民の強い要望の中。待ちの社会福祉協議会が呼びかけ人となり、利用者有志で検討会を開催。その年の6月、ボカシづくりボランティアグループを結成。社会福祉協議会をかじめ、町、JA、町内外の方々の協力により、EMボカシづくりの拠点、販売店の確保や各備品の提供をうけ、活動の基礎が整う。1994年8月ボランティアの自主運営によるボランティアセンターが開所。懇話会等を企画しながらEMボカシ推進に努めている。現在、議員を含む50代から70代の男女54名の会員で活動中。 |
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